とんびの視点

まとはづれなことばかり

情報は集まりますが

2010年05月28日 | 雑文
仕事の性質上ということもあるが、私の所にはいろいろな情報が集まってくる。その情報は、誰でも耳に出来る情報と本当に一部の人間しか知ることの出来ない極秘情報の間くらいのものである。話す方にすれば誰にでも言える情報ではない。伝える相手を選ばねばならない。光栄にもその相手に選んでもらえることが多い。

情報を多く持つことが良いこととされている。なぜならその方が目的を達成しやすくなるからだ。少なくともこの社会ではそういう考え方が主流である。ここで言う「目的」とは、「自分」の目的である。つまり情報を多く持つことで達成したいのは「自分」を満たすことである。目的が大きく達成が完全であるほど、「自分」が大きくなっていく。

ところが私の場合は矢印は反対を向いていく(いつものことである)。情報が集まれば集まるほど、「自分」が薄くなっていく。さまざまな場所から集まる情報を調和させなければならないからだ。ある出来事について1人の人から話しを聞く。そこには客観的な状況の説明があり、明確な願望があり、無自覚な操作がある。

相手が1人であれば調整はシンプルだ。現実に起こっている出来事と、相手の捉えている現実を兆羽させれば良いからだ。シンプルな調和であれば、それを成し遂げるために私の意図を強く出してもそれほど問題はない。意図の強弱を1人の相手に合わせていれば調和が保てるからだ。

しかし相手が複数となると話しは複雑になる。現実に起こっている1つの出来事に対して、複数の人間がそれぞれ異なった現実を捉えるからだ。(芥川の「薮の中」と同じだ)。複数の人間の間の現実の捉え方を調整し、さらにその捉え方と現実に起こっている出来事を調和させねばならないからだ。

こうなると私の意図はちょっと出しにくくなる。複数の人間に同じように受け取られることはまずないからだ。ある人にとっては良く見える意図が、他の人にとっては悪意に見えることもある。出来事を調整するに当たって意図を働かせれば、どこかからは不満が出てくる。これは仕方のないことである。

そのような不満に対抗できる唯一の手段は、手に入れた情報から自分の利益を得ようとしないことである。少なくとも、自分の利益は最後に考えることだ。結果、情報が集まれば集まるほど自分が利益を得ることは出来なくなる。でも不思議なことに自分が利益を得ないということが、情報が集まってくる理由にもなる。私に話しても、その情報を私的に利用しないと安心できるからである。

そういう訳で、情報はどんどん集まり、そのぶん自分の利益を追求できないという、この社会の常識とはちょっと違った事態が起こることになる。じゃあお前はそこから何も得ていないのかというとそんなことはない。利益と連動しない信頼関係を手に入れることが出来る。そういった信頼関係は私にとってはけっこう大事なものである。