館山若潮マラソンまであと2ヶ月。今月の走行距離は235km、7月から距離を延ばしつつ、何とか5ヶ月連続で目標をクリアしている。しかし走ることがだんだん辛くなってきた。肉体的にもだいぶ疲れているが、精神的にしっくりこない。走るという行為と走っている僕がびたっとしない感じだ。すごくストレスを感じる。
「いやだ、いやだ。何で3時間半なんて目標を立ててしまったんだ。好き勝手にやっているランニングなんだ、楽しく走っていればいいじゃないか。やめたい」。そんな思いがぐるぐるしながら、地面を見つめて走る。地面はどんどんと後に流れていく。そう言えば、ウルトラマラソンの前も同じような感じだった。真冬の土手があまりに辛くて、涙を流しながら走った。そのぶん走ったあとの感動も大きかった。
先日、毎日新聞の「アスリート交差点」という囲み記事を読んだ。トライアスロンの上田藍という人が書いたものだ。こんな記事だ。
『5年前から毎日、小さなノートに目標とする舞台で勝ったことを想定した日記を書いています。17位だった北京五輪のレース当日の夜からは「ロンドンオリンピックで金メダルを勝ち得ることができました。ありがとうございました。最高に幸せです。感謝しています」と書き続けています。……書いて、目で見て、想像する。一連の動作を映像として刷り込み、体感した気持ちになることは重要です。ここ数年は日記と現実がマッチしてきました。』
こういう話しはけっこう目にするが、よくよく考えてみると迫力がある。抽象的な言葉でなく、具体的な将来を想像することは、未来を現在に引き寄せるために必要な行為だ。よく仕事でも口にする。目標を言葉で表したときに、具体的な映像が浮かばないようではダメだ、と。仕事でもマラソンでも合気道の技でも、目標を具体的に映像でイメージすることは大切である。
館山若潮マラソンの目標が3時間半というは抽象的な言葉だ。きちんとゴールできた姿を思い浮かべれば嬉しくなる。ゴールできずに人々に言い訳している姿を思い浮かべると、すごく怖くなる。実際にどちらかの結果が起こるのだ。そして今のところ、僕にはどちらを引き起こすことも可能だ。あと2ヶ月、ストレスを感じながら走り切るしかない。
今日も何も考えずにここまでブログを書いてきた。そして書くことを見失っている。……以前『嘘みたいな本当の話』という本を読んだときに、なかなか目を覚まさない少年の話しを書いた。今日は『嘘みたいな本当の話』の第2弾、『無礼な臣民』。
僕が通っていた大学には皇族がいた。当然のことながら皇族絡みのうわさは多い。皇族と同じ授業を取っていれば皇族以下の成績を取らなければ単位はもらえる、とか、学園祭で紀宮さまに声をかけた男子学生が屈強な男達に両脇を抱えて連れ去られた、とか、近くの喫茶店の裏口から礼宮さまがにげだした、とか、いくらでもある。もちろん本当かどうかはわからない。
たしかに皇族にはSPが付いていて、学内でも目を光らせている。授業中の教室には入ってこないが、学内では少し離れて同行している。彼らの目つきはプロのもので、周りの人間の動きはよく見ているが、その人の人格にはまったく興味を示していない。入学式でそういう人たちがいるというのは聞いていたのですぐに違和感はなくなったが、同時にそういう人たちの雰囲気にも敏感になった。(いまでも駅などで公安の人間がいるとすぐに気がつく)。
ある秋の日、日が沈んでから図書館で調べ物をしていた。大学の図書館はコンクリートのどっしりした3階建てだ。僕は2階から3階への階段を上ろうとしていた。正面の踊り場の向こうにある大きなガラス窓の外はもう暗闇だった。外の暗闇と踊り場の照明が対照的だった。僕は考え事をしながら足下を見ていた。
ふと、踊り場が暗くなった。見上げると年上の男性が階段を下りてくる。顔を上げた瞬間に目が合った。どこかで見た顔だと思いつつ、半分、考え事を続けていた。誰だろう、目を合わせたまま考えていた。相手も目をそらさない。僕は階段を上り、相手は下がる。距離が近づく。とりあえず知り合いだろうと思い、片手をあげて「やあっ」とフレンドリーに声をかけた。相手はちょっと驚き、頭を下げた。
踊り場を見上げると、怖い顔をした中年の男性が僕を睨んでいた。すれ違ったのは礼宮さま(秋篠宮文仁親王)であった。
その後しばらくたってから。文学部棟のエレベーターに乗り込んだ。扉は今にも閉まりそうだった。中には冴えない女子学生とスーツ姿の女性2人が既に乗っていた。スタイルもよく賢そうなピンとした感じのスーツ姿の女性たちである。ちょっと気になる雰囲気の人たちだ。
それにしても冴えない女子学生め、と思った。彼女はボタンが並んでいるパネルの前に突っ立っている。これじゃあ、僕がボタンを押せないじゃないか、そんなことを思いつつも、やはり関心はスーツ姿の女性たちだ。エレベーターが動き出す。そろそろボタンを押したい。女の子はパネルの前に突っ立っている。
邪魔になっていることを気づかせようと、少し大きな動作でパネルを押す動きを始める。ほぼ同時に、女の子は僕がボタンを押せないことに気づき、「あの、何階ですか?」と小さな声で尋ねた。僕はボタンを押す動作に入っていたので、その言葉を無視して、そのままボタンに手を伸ばした。女の子は急いで体を動かした。僕は4階のボタンを押した。
女の子は「どうもすいません」という感じで、何度か軽く頭を下げていた。僕の態度がちょっと無礼に感じて萎縮したのかもしれない。僕はそんなつもりはなかった。ただスーツ姿の女性たちが気になっていたので、女の子のことはどうでもいいやと思っていたのだ。エレベーターが4階に近づき、上昇が止まった。扉の開く瞬間、スーツ姿の女性の襟元に菊の紋章のバッチが目に入った。はっと女の子の顔を見直すと、女子学生は紀宮さまであった。
「いやだ、いやだ。何で3時間半なんて目標を立ててしまったんだ。好き勝手にやっているランニングなんだ、楽しく走っていればいいじゃないか。やめたい」。そんな思いがぐるぐるしながら、地面を見つめて走る。地面はどんどんと後に流れていく。そう言えば、ウルトラマラソンの前も同じような感じだった。真冬の土手があまりに辛くて、涙を流しながら走った。そのぶん走ったあとの感動も大きかった。
先日、毎日新聞の「アスリート交差点」という囲み記事を読んだ。トライアスロンの上田藍という人が書いたものだ。こんな記事だ。
『5年前から毎日、小さなノートに目標とする舞台で勝ったことを想定した日記を書いています。17位だった北京五輪のレース当日の夜からは「ロンドンオリンピックで金メダルを勝ち得ることができました。ありがとうございました。最高に幸せです。感謝しています」と書き続けています。……書いて、目で見て、想像する。一連の動作を映像として刷り込み、体感した気持ちになることは重要です。ここ数年は日記と現実がマッチしてきました。』
こういう話しはけっこう目にするが、よくよく考えてみると迫力がある。抽象的な言葉でなく、具体的な将来を想像することは、未来を現在に引き寄せるために必要な行為だ。よく仕事でも口にする。目標を言葉で表したときに、具体的な映像が浮かばないようではダメだ、と。仕事でもマラソンでも合気道の技でも、目標を具体的に映像でイメージすることは大切である。
館山若潮マラソンの目標が3時間半というは抽象的な言葉だ。きちんとゴールできた姿を思い浮かべれば嬉しくなる。ゴールできずに人々に言い訳している姿を思い浮かべると、すごく怖くなる。実際にどちらかの結果が起こるのだ。そして今のところ、僕にはどちらを引き起こすことも可能だ。あと2ヶ月、ストレスを感じながら走り切るしかない。
今日も何も考えずにここまでブログを書いてきた。そして書くことを見失っている。……以前『嘘みたいな本当の話』という本を読んだときに、なかなか目を覚まさない少年の話しを書いた。今日は『嘘みたいな本当の話』の第2弾、『無礼な臣民』。
僕が通っていた大学には皇族がいた。当然のことながら皇族絡みのうわさは多い。皇族と同じ授業を取っていれば皇族以下の成績を取らなければ単位はもらえる、とか、学園祭で紀宮さまに声をかけた男子学生が屈強な男達に両脇を抱えて連れ去られた、とか、近くの喫茶店の裏口から礼宮さまがにげだした、とか、いくらでもある。もちろん本当かどうかはわからない。
たしかに皇族にはSPが付いていて、学内でも目を光らせている。授業中の教室には入ってこないが、学内では少し離れて同行している。彼らの目つきはプロのもので、周りの人間の動きはよく見ているが、その人の人格にはまったく興味を示していない。入学式でそういう人たちがいるというのは聞いていたのですぐに違和感はなくなったが、同時にそういう人たちの雰囲気にも敏感になった。(いまでも駅などで公安の人間がいるとすぐに気がつく)。
ある秋の日、日が沈んでから図書館で調べ物をしていた。大学の図書館はコンクリートのどっしりした3階建てだ。僕は2階から3階への階段を上ろうとしていた。正面の踊り場の向こうにある大きなガラス窓の外はもう暗闇だった。外の暗闇と踊り場の照明が対照的だった。僕は考え事をしながら足下を見ていた。
ふと、踊り場が暗くなった。見上げると年上の男性が階段を下りてくる。顔を上げた瞬間に目が合った。どこかで見た顔だと思いつつ、半分、考え事を続けていた。誰だろう、目を合わせたまま考えていた。相手も目をそらさない。僕は階段を上り、相手は下がる。距離が近づく。とりあえず知り合いだろうと思い、片手をあげて「やあっ」とフレンドリーに声をかけた。相手はちょっと驚き、頭を下げた。
踊り場を見上げると、怖い顔をした中年の男性が僕を睨んでいた。すれ違ったのは礼宮さま(秋篠宮文仁親王)であった。
その後しばらくたってから。文学部棟のエレベーターに乗り込んだ。扉は今にも閉まりそうだった。中には冴えない女子学生とスーツ姿の女性2人が既に乗っていた。スタイルもよく賢そうなピンとした感じのスーツ姿の女性たちである。ちょっと気になる雰囲気の人たちだ。
それにしても冴えない女子学生め、と思った。彼女はボタンが並んでいるパネルの前に突っ立っている。これじゃあ、僕がボタンを押せないじゃないか、そんなことを思いつつも、やはり関心はスーツ姿の女性たちだ。エレベーターが動き出す。そろそろボタンを押したい。女の子はパネルの前に突っ立っている。
邪魔になっていることを気づかせようと、少し大きな動作でパネルを押す動きを始める。ほぼ同時に、女の子は僕がボタンを押せないことに気づき、「あの、何階ですか?」と小さな声で尋ねた。僕はボタンを押す動作に入っていたので、その言葉を無視して、そのままボタンに手を伸ばした。女の子は急いで体を動かした。僕は4階のボタンを押した。
女の子は「どうもすいません」という感じで、何度か軽く頭を下げていた。僕の態度がちょっと無礼に感じて萎縮したのかもしれない。僕はそんなつもりはなかった。ただスーツ姿の女性たちが気になっていたので、女の子のことはどうでもいいやと思っていたのだ。エレベーターが4階に近づき、上昇が止まった。扉の開く瞬間、スーツ姿の女性の襟元に菊の紋章のバッチが目に入った。はっと女の子の顔を見直すと、女子学生は紀宮さまであった。