とんびの視点

まとはづれなことばかり

無礼な臣民

2011年11月28日 | 雑文
館山若潮マラソンまであと2ヶ月。今月の走行距離は235km、7月から距離を延ばしつつ、何とか5ヶ月連続で目標をクリアしている。しかし走ることがだんだん辛くなってきた。肉体的にもだいぶ疲れているが、精神的にしっくりこない。走るという行為と走っている僕がびたっとしない感じだ。すごくストレスを感じる。

「いやだ、いやだ。何で3時間半なんて目標を立ててしまったんだ。好き勝手にやっているランニングなんだ、楽しく走っていればいいじゃないか。やめたい」。そんな思いがぐるぐるしながら、地面を見つめて走る。地面はどんどんと後に流れていく。そう言えば、ウルトラマラソンの前も同じような感じだった。真冬の土手があまりに辛くて、涙を流しながら走った。そのぶん走ったあとの感動も大きかった。

先日、毎日新聞の「アスリート交差点」という囲み記事を読んだ。トライアスロンの上田藍という人が書いたものだ。こんな記事だ。

『5年前から毎日、小さなノートに目標とする舞台で勝ったことを想定した日記を書いています。17位だった北京五輪のレース当日の夜からは「ロンドンオリンピックで金メダルを勝ち得ることができました。ありがとうございました。最高に幸せです。感謝しています」と書き続けています。……書いて、目で見て、想像する。一連の動作を映像として刷り込み、体感した気持ちになることは重要です。ここ数年は日記と現実がマッチしてきました。』

こういう話しはけっこう目にするが、よくよく考えてみると迫力がある。抽象的な言葉でなく、具体的な将来を想像することは、未来を現在に引き寄せるために必要な行為だ。よく仕事でも口にする。目標を言葉で表したときに、具体的な映像が浮かばないようではダメだ、と。仕事でもマラソンでも合気道の技でも、目標を具体的に映像でイメージすることは大切である。

館山若潮マラソンの目標が3時間半というは抽象的な言葉だ。きちんとゴールできた姿を思い浮かべれば嬉しくなる。ゴールできずに人々に言い訳している姿を思い浮かべると、すごく怖くなる。実際にどちらかの結果が起こるのだ。そして今のところ、僕にはどちらを引き起こすことも可能だ。あと2ヶ月、ストレスを感じながら走り切るしかない。

今日も何も考えずにここまでブログを書いてきた。そして書くことを見失っている。……以前『嘘みたいな本当の話』という本を読んだときに、なかなか目を覚まさない少年の話しを書いた。今日は『嘘みたいな本当の話』の第2弾、『無礼な臣民』。

僕が通っていた大学には皇族がいた。当然のことながら皇族絡みのうわさは多い。皇族と同じ授業を取っていれば皇族以下の成績を取らなければ単位はもらえる、とか、学園祭で紀宮さまに声をかけた男子学生が屈強な男達に両脇を抱えて連れ去られた、とか、近くの喫茶店の裏口から礼宮さまがにげだした、とか、いくらでもある。もちろん本当かどうかはわからない。

たしかに皇族にはSPが付いていて、学内でも目を光らせている。授業中の教室には入ってこないが、学内では少し離れて同行している。彼らの目つきはプロのもので、周りの人間の動きはよく見ているが、その人の人格にはまったく興味を示していない。入学式でそういう人たちがいるというのは聞いていたのですぐに違和感はなくなったが、同時にそういう人たちの雰囲気にも敏感になった。(いまでも駅などで公安の人間がいるとすぐに気がつく)。

ある秋の日、日が沈んでから図書館で調べ物をしていた。大学の図書館はコンクリートのどっしりした3階建てだ。僕は2階から3階への階段を上ろうとしていた。正面の踊り場の向こうにある大きなガラス窓の外はもう暗闇だった。外の暗闇と踊り場の照明が対照的だった。僕は考え事をしながら足下を見ていた。

ふと、踊り場が暗くなった。見上げると年上の男性が階段を下りてくる。顔を上げた瞬間に目が合った。どこかで見た顔だと思いつつ、半分、考え事を続けていた。誰だろう、目を合わせたまま考えていた。相手も目をそらさない。僕は階段を上り、相手は下がる。距離が近づく。とりあえず知り合いだろうと思い、片手をあげて「やあっ」とフレンドリーに声をかけた。相手はちょっと驚き、頭を下げた。

踊り場を見上げると、怖い顔をした中年の男性が僕を睨んでいた。すれ違ったのは礼宮さま(秋篠宮文仁親王)であった。

その後しばらくたってから。文学部棟のエレベーターに乗り込んだ。扉は今にも閉まりそうだった。中には冴えない女子学生とスーツ姿の女性2人が既に乗っていた。スタイルもよく賢そうなピンとした感じのスーツ姿の女性たちである。ちょっと気になる雰囲気の人たちだ。

それにしても冴えない女子学生め、と思った。彼女はボタンが並んでいるパネルの前に突っ立っている。これじゃあ、僕がボタンを押せないじゃないか、そんなことを思いつつも、やはり関心はスーツ姿の女性たちだ。エレベーターが動き出す。そろそろボタンを押したい。女の子はパネルの前に突っ立っている。

邪魔になっていることを気づかせようと、少し大きな動作でパネルを押す動きを始める。ほぼ同時に、女の子は僕がボタンを押せないことに気づき、「あの、何階ですか?」と小さな声で尋ねた。僕はボタンを押す動作に入っていたので、その言葉を無視して、そのままボタンに手を伸ばした。女の子は急いで体を動かした。僕は4階のボタンを押した。

女の子は「どうもすいません」という感じで、何度か軽く頭を下げていた。僕の態度がちょっと無礼に感じて萎縮したのかもしれない。僕はそんなつもりはなかった。ただスーツ姿の女性たちが気になっていたので、女の子のことはどうでもいいやと思っていたのだ。エレベーターが4階に近づき、上昇が止まった。扉の開く瞬間、スーツ姿の女性の襟元に菊の紋章のバッチが目に入った。はっと女の子の顔を見直すと、女子学生は紀宮さまであった。


親子演武、ミーティングの「当たりと結び」

2011年11月21日 | 雑文
先週の土曜日には雨が降った。雨が降るとランニングができない。ちょうどよくと言うのか、39度ちかい熱を出して、一日中寝ていた。時おり目が覚めるが、あたりはうす暗く、何時ごろかわからない。雨が屋根を激しく打つ音だけが聞こえてきた。いやな寝汗をかく。布団が湿っぽくなり、着ているものも汗臭くなる。それでもひたすら眠った。翌日の日曜日には合気道の演武会があるからだ。

僕だけなら演武会を休むことはできる。でも、子ども2人と一緒にやる親子演武がある。子どもたちも自分たちの演武よりも親子演武を楽しみにしている。何としても治さねばならない。とにかく布団の中で眠れるだけ眠った。カレンダーから1日消えてしまったように、気がついたら日曜日だった。何とか熱は下がった。ただ、少しふらふらしている。まあこれなら子どもの受身くらいは取れるだろう。そう思い、演武会に参加した。

午前9時集合で解散が午後3時半。演武の時間は全部合わせても5分程度。子どもたち(特に幼稚園児や小学生低学年児)にはきつい時間だと思う。(病み上がりの僕にもきつい)。長時間おとなしく座っていられるはずなどない。だからと言ってあまり騒げば怒られる。午前中はすべてリハーサルで、本番は午後。子どもたちはそんな流れも理解していない。

それでも親子演武では2人とも張り切っていた。長男と次男に順番に同じ技をかけさせる。長男は立ち技で次男には座技で対応する。僕がどれだけ速く受けを取れるかがポイントだ。投げられては起き、投げられては起き、終わったときには汗だくになっていた。何とか風邪をやり過ごし、お勤めが果たせたわけだ。昨日のことである。

さて合気道といえば、このところ「当たりと結び」という言葉が旬である。合気道があまりに上達しないので、数カ月前に遠藤征四郎先生のDVDを3本セットで買った。『基本の型』『当たりと結び』『捌きと使い』の3本だ。『基本の型』というのは合気道で稽古する基本の型を収録したものだ。正面打一教とか諸手取り呼吸法とかそういうやつだ。『捌きと使い』というのは、足捌きとか体捌きとか手や指の使い方などを収録したものだ。

そんな中で『当たりと結び』というのが旬である。「当たり」というのは相手の力が伝わっている状態(あるいは自分の力を相手に伝えている状態)である。「結び」というのは当たっている状況をコントロールできている状態のことである。

具体的に言うとこうなる。自分の正面に人が立つ。その人が手を伸ばして私の胸に触れる。ただ触れているだけでは相手の力は伝わってこない。相手がそのまま体をこちらにちょっと傾ける。すると相手の力(重さ)が伝わってくる。この状態が「当たり」である。相手の力に方向性が出て、こちらに「当たって」くる。この状態でこちらが体を後ろに引いたり、方向をずらして押し返せば、相手の体勢が崩れる。

「当たり」というのは、相手の力がこちらに伝わってくる状態、あるいは自分の力を相手に伝えている状態である。そして「結び」というのは、その状態をこちらが思うようにコントロールしている状態である。合気道ではこの状態を意識しながら「基本の型」を身に付けたり、「捌きや使い」と連携させていくことで技を上達させていくのだ(ろうと思う)。

とは言うものの、僕の合気道はこんな理屈を述べるほどの段階ではない。理屈はよいからとにかく同じ技を何度も繰り返せばよい段階だ。あまり稽古時間が取れないし、どちらかというとランニングの方にまだウエイトが置かれているので、どうしても理合いと稽古のバランスが崩れてくる。あまり崩れないように、合気道の理合いを考えることは止めにする。

でも「当たりと結び」は旬なので、合気道以外で使えないか考えてしまう。本物はジャンルを超えて応用が利く、というは僕の持論の一つである。そこで妄想を膨らませてみた。要するに合気道でやっているのは2人1組になってある状態を達成することである。その過程で「当たりと結び」という状態が有効なのだ。

だとすれば、2人1組でやること、たとえば「会話」などに「当たりと結び」は応用できるのではないか、と思い至った。「会話」あるいは「ミーティング」、つまりビジネスで「コミュニケーション」と言われるものに「当たりと結び」という言葉を持ち込めば、話しがわかりやすくなるのではないか。

ミーティングなどで誰かが発言する。音量にしたがって発言者を中心に音声が広がる。でもその声は誰にも届いていない。そんな場面がミーティングではよくあるのではないか。あるいは、自分が発言しているのに誰も聞いているようすがない、反応してくれない。こういう状態は言葉が「当たってない」のである。自分の発言が相手に何も影響力を及ぼせない状態である。

こんなときはとにかく「当たり」を作り出すことが必要である。何でもよい、注意を引くことである。咳払いをする、大きな声を出す、特定の人をめがけて話し続ける。自分の声に相手を反応させることだ。そこでまず「当たり」を作り出す。しかし瞬間的に「当たり」を作ってもそれをコントロールできなければ、また停滞した時間に戻る。つまり「結び」が必要なのだ。しかし「結び」を作り出すのは容易ではない。(合気道と同じように、ミーティングなどにも「基本の型」と「捌きと使い」を考えられるのだろうと踏んでいる。あとで考えてみよう)。

多くのミーティングにおいて、「当たり」や「結び」は話題の面白さに依存している。参加者にとって議題が面白いものであれば、「当たり」や「結び」は自然に起こり、話しは白熱する。(だからと言って有意義なミーティングになるとは限らない)。しかしミーティングの議題がつねに参加者の興味を引くものとは限らない。白熱する要素はないがきちんとやらねばならないミーティング、参加者の理解を超えたミーティングなど、自然に「当たり」や「結び」が起こることを期待できないものもある。

言い方を変えれば、自然に白熱するようなミーティングには技術は必要ない。白熱する要素もなく、参加者の理解を超えているようなミーティングこそ「当たり」や「結び」を引き起こす「技術」が必要なのである。ミーティングにおいてその「技術」を発揮せねばならない人間が「司会者」ではないか。「司会者」とは「会を司る者」である。「司る」とは「支配する、統率する」の意である。「当たり」や「結び」程度を作り出すのは当たり前である。

誰かが発言する。その発言が誰にも届いていない。司会者がその言葉を引き取り、自らに「当てる」。そしてその言葉を他の参加者に「当てる」。言葉を当てることで、他の参加者からまた言葉を引き出す。その言葉をまた司会者が自分に「当てる」。そういうことを繰り返しながら、うまく言葉を「結んで」いき、最後は言葉を特定の人物ではなく、ミーティングという「場」に「当て」、「場」を「結んで」くい。それが司会者の役割である。

今度、仕事でそんな話しをしよう。この間、オブザーバーでミーティングに参加し、司会者の役割について上手く説明しなければならないと思っていたところだ。この文章を書いていて何となく形になったようだ。




陸没気味だ

2011年11月16日 | 雑文
あっという間に11月も半ばを過ぎた。ブログを書く時間が上手く取れない。あまりよくない状況だ。ひとつには秋の深まりとともに、下降しているからだろう。このままそっと陸没できたら心地よいだろうな、かすかな思いがよぎる。考えもなくキーボードに向かう。いや、正確に言えば、考えを整理しないままにキーボードに向かう。

ブログは書けていないがランニングは好調だ。これまではブログとランニングは連動していたのだが、どうも勝手が違ってきた。かつてはブログのことを気に留めながら走っていた。土手の景色のちょっとした変化にも気づけるし、考えもまとまっていく。ここのところブログを気に留めることを止めていた。そして何をしていたか。ただ走っていた。1月末の館山若潮マラソンのことを考えてただ走っていた。

今朝も岩淵水門までの往復11kmを走った。(これで今月は126km、計画通りだ)。気温が低く、北風が強い。土手までの街中、人々はコートを着たり、マフラーをしたり、手袋をしている。枯れ落ちた桜の葉が路上を走る。冬を感じた。僕も長袖のシャツに手袋をして家を出た。土手の風速は13メートル。完全な北風だ。手袋をしていても指先が冷たくなってくる。脚の筋肉ではなく、体力そのものが削り取られていく。これが冬のランニングだ。数ヶ月、こういうランニングが続く。

先週末は蓼科に行った。家族4人と奥さんの従姉妹の家族5人の合計9名。(それと犬が1匹)。天気は良く、気温も高かった。土曜日には、ビーナスラインを走り、車山高原から霧ケ峰に抜ける。なだらかな山を枯れた草が覆う。太陽の光が一面に反射する。空は澄み、青い。枯れ草の坂を頂上を目指し登る。子どもたちは走ったり、歩いたり、声を上げながら先を行く。頂上には大きな吹き流しと鐘がある。風が吹き流しを円筒形に膨らませる。子どもたちが鳴らした鐘の音がその風に乗り、空を渡る。真っ赤なグライダーがすぐ近くを飛んでいる。

それから車を走らせ、原村に行く。ちょっとした牧場があり、農作物などを売っている。子どもたちはヤギに草を食べさせる。芝生で従姉妹の娘の小学6年生の女の子とバレーボールをする。汗をかくほど体を動かす。そして温泉へ。

日曜日はトレッキングをする。だいたい3時間半くらいのコースだ。金曜日の雨で、木々の陰になる上り坂は湿っている。足を滑らせないように子どもたちをケアする。尾根に出ると道も乾き、周りは腰くらいの枯れ草になる。山を歩くとき、僕はどうしても足下を見てしまうクセがある。時おり、周りを見回したり、空を見上げたりする。八ケ岳がくっきりと見え、空の高くにはうすい筋のような雲がある。下山して3時頃に出発し、家に着いたのが9時すぎだ。そんな週末を過ごした。

ここまで書いているが対象が遠い。遠くに目に映るものを書いている感じだ。対象を引き寄せようとか、捕まえようとか、入っていこうという意志がない。内田樹が下手な文章は視覚情報だけ書いている、五感に訴えるものでなければダメだといっていたが、まさにそのダメな文章だ。下降している。だからと言って、書くことがつまらないわけではない。それどころか、妙な心地よさもある。

近ごろ、何冊か本を読んだ。その一冊が『キノの旅』という少年少女向けのファンタジーっぽい小説だ。長男が読んでいたものを借りた。長男曰く、ちょっと寂しい感じの本だそうだ。たしかにその通りだった。長男は小学5年生だ。だんだんと彼がやっていることが見えなくなってくる。そういう年齢だし、それは悪い事ではない。いちいち何をやっているのか知ろうとする方が間違いなのだろう。

そんな思いがどこかにあったのだろう。彼が読んでいるものを読んでみようと思った。本の内容よりも、彼がいなければ『キノの旅』などという本は一生読まなかっただろう、ということに思い至った。そしてどこかで同じようなことを感じたことを思い出した。

そう、それは長男が1歳半頃の夏のことだ。家から自転車で20分くらいかかる公園に何度か連れていったことがある。人工の流れがあって水遊びができる公園だ。手を引きながら一緒に水の中で遊ぶ。夏の暑い日にはだしになって水の中で遊ぶ心地よさを思い出した。そしてこう思った、子どもがいなければこんなことはできないな。大人が1人で昼間からはだしで水遊びをしていたらただの不審者だ。子どもにつき合うというのは、自分一人ではできないことができることなのだ、と。

でもよく考えてみたら、人と関わるというのはそういうことなのだろう。自分一人では行けない処に行くことができる。思ってもいなかったところに行くことができる。そんなことを繰り返しながら日々を過ごしていくのだろう。(この感覚がいかにも「陸没」という感じだ。)

長男の自転車を買う

2011年11月07日 | 雑文
早いもので11月に入り、一週間がすぎた。何と明日は立冬だ。そう言えば桜の葉もだいぶ色づいてきた。去年の今ごろは公団の12階から毎日のように桜並木を見下ろし、少しずつ紅葉していくのを眺めていた。しょっちゅう桜並木を見下ろしていた。そして季節を感じていた。紅葉する桜とともに秋が深まり、すべての葉が落ちた焦げ茶色の木々が街を冬色にし、薄いピンクの花が春を告げ、そして葉の緑が深くなるにしたがって夏に向かう。そう言えば、引っ越してから桜を見なくなった。

ブログを書くのも久しぶりだ。ブログを書かないときはランニングも出来ていない。そんな傾向があったが、今回は違う。10月は221km走った。目標は200kmだったから上出来だ。これで7月から4ヶ月続けて目標を達成している。距離を少しずつ積み上げて何とか月間200kmを突破した。やっと走る身体になったという感じだ。今月の目標は225km。少しスピードを意識して走ろうと思う。1月末の館山若潮マラソンまであと80日くらいだ。

週末は長男と自転車を買いに行った。家から7kmくらい離れた自転車店まで、半分は2人乗りで、半分は歩いて行った。数週間前、長男の自転車が盗まれた。自宅の玄関の前に置いておいた。雨よけのカバーがかかっていた。ただカギはかかっていなかった。ご丁寧に、カバーを外して自転車を持っていった。正確に言うと、自転車だけではない。駐車場に置いてあったキックボード3台もなくなっていた。かなり見えにくいところに置いてあったので、通り掛かりの知らない人間が持って行ったのではない。

学校に相談に行ったり、警察に避難届を出したりしたが、結局、出てこなかった。(長男には「何よりも悪いのは盗んだ人間だが、カギをかけておけば盗まれなかったかもしれない」と話した。「カギをかける」というのは、前回のブログで言うところの「縁」である。)そんなわけで週末に長男と自転車を買いに行った。もともと盗まれた自転車はかなり古く、サイズも小さくなっていて、年明けの誕生日には買い替える予定だった。プレゼントを前倒しする形になった。

7kmも離れているので車で買いに行き、積んで帰ってこようかとも思った。でもやめた。わざわざ手間をかけて買いに行くことにした。2人乗りをしたり、歩いたりしながら。ポケット判の東京都の地図を持ち、長男に道を調べさせながら、裏道や線路沿いの道で2人乗りをしたり、駅前の人混みで自転車をころがしながら道を探したり、坂道を上ったり下ったりした。普段は通り過ぎてしまうような公園や、不思議な建物や、神社などの1つ1つに気を止める。目に付くものの話しをし、そこにないものの話をする。昔のことを話し、これからのことを話す。

結局のところ、さまざまな記憶を作っているだけのことかもしれない。そんな風に思うことがある。
子どもとのさまざまな出来事を記憶し、子どもにさまざまな出来事を記憶として残す。何故だろう。いずれ思い出すためだ。この文章も思い出しながら書いている。去年の桜並木や夏以後のランニングのことや週末のことなどを。でもやがて記憶していた出来事は僕とともに消えてしまう。そう考えるとすごく残念だ。僕が消えるより、記憶していた出来事が消えることが残念だ。この世界には、誰も思い出すことができない出来事が無量に存在する。でも、それらを思い出せる人間は誰もいない。不思議なものだ。

長男は嬉しそうに自転車を選んでいた。赤い自転車というのが1番の条件だ。何台も試乗するが、大人用の自転車だと少しだけサイズが大きくて乗れない。わずかに小振りなジュニア用の赤い自転車を見つける。赤に白のコントラストが映えている。タイヤもフレームも細目のスマートな海沿いの道が似合いそうな自転車だ。満足してその自転車に決める。

暮れかかる帰り道、ペダルを踏むごとに嬉しそうな笑顔になる。その笑顔は僕の記憶だ。自転車を買い、夕暮の道を父親と帰ったのは君の記憶だ。この先、新しい自転車でいろいろな場所に行くだろう。たくさんの、たくさんの記憶を作ってくれ。