とんびの視点

まとはづれなことばかり

またまた「貧困」

2010年01月29日 | 雑文
さてさて、早いもので1月も終わろうとしている。残りは週末だけである。週末には館山でフルマラソン。3年連続の参加である。一昨年は4時間切りにチャレンジしたが、ゴールの3kmくらいの手前で両脚を肉離れ。崩れるように道路にしゃがみ込んだものだ。その後、脚を引きずるようにして走ったが、もちろん4時間は切れなかった。

去年は順調に3時間45分程度。個人的には悪くないタイムだが、それ以上に残り7km地点での出来事が記憶に残る。コース横には目に障害がありそうな幼児がいた。はいはいしているような変な動きだ。何か変だと思いながらも走りすぎる。すると僕の前の男性がコースを戻ってその子のケアをした。自分の走りにとらわれ、子どもを無視できた自分に反省させられた。そんな走りだった。

日曜日は天気もよさそうである。風さえ吹かなければ、走りながらいろんなことを思い出すのだろう。膝の痛みはまだ抜けないし、とくに課題があるレースでもない。楽しく走れて4時間が切れればよい。もちろん予想外のことが起こるのがマラソンである。でも起こったら起こったでそれも含めて楽しんでしまおう。

さてさて、ここから何を書こうか。無理に書かなくてもよさそうなものだが、無理にでも書く理由がある。今月のブログのノルマが9本で、これが9本目。自分で課したノルマをきちんと守らないと、別のところで他人にノルマを課されることになる。僕はわがままなので、そういうのには耐えられない。そういうわけで、無理やり話題を探す。

そしてまたまた「貧困問題」である。それも受け売りである。『正社員が没落する――「貧困スパイラル」を止めろ!』という本を読んだ。堤未果と湯浅誠の共著、というか半分以上は対談である。堤未果は『ルポ 貧困大国アメリカ』という本を出しているように、アメリカの貧困事情に詳しい。湯浅誠は年末派遣村で注目されたNPO法人「もやい」の事務局長である。当然、日本の貧困事情に詳しい。この本を読んでいると、アメリカも日本も貧困が深刻な問題であることがわかってくる。

例えば、アメリカでは医師や学校の教師がワーキングプア状態に陥るような構造ができ上がってしまっている。医療に関しては、新自由主義政策により保険会社と製薬会社が病院の経営に影響力を持つようになった。医師たちは、患者を治すことよりも利益を確保することが重要になる。治療よりも煩瑣な書類作成にほとんどの時間が取られる。すると休み時間が取れなくなり、医療事故が起こりやすくなる。訴訟に備えるため莫大な保険料を払わねばならなくなる。ある医師は、年収20万ドルのうち18万ドルを医療過誤保険料に支払い、実際の年収は日本円にして200万円程度になり医師をやめた。そして貧困に陥った。

教育現場にも競争原理が持ち込まれた。2002年に導入された「落ちこぼれゼロ法」がそのきっかけである。この法律はアメリカ中の学校に全国一斉学力テストを義務化するものである。テストの結果がそのまま教師の査定に結びつく。当然、貧困地域ほど結果は悪い。教師たちは減給や降格などの処分を受ける。ある一定レベル以下になると、政府からの助成金がカットされ廃校になる。教師たちはテストの結果を下げないために、問題を前もって張り出したり、回答用紙を改ざんしたり、出来の悪い生徒にテストを休ませたりする。本来の教育とは別のところで仕事が増える。まともな教育が出来ないことでうつ病になる。

そういった状況に耐えられなくて医者や教師をやめる。再就職先を探す。職業斡旋サービスでは「まずは履歴書から過去十年よりも前の経歴を消してくれ」と言われる。現在のアメリカでは過去の経験には価値がないのだ。価値があるのは「若いこと」「従順であること」そして「労働力として安価であること」だ。そして時給7ドルとか8ドルの仕事が待っていることになる。

とくに問題なのは医師とか教師というのは中間所得層の人間であることだ。プライドを持って仕事をし、それなりの収入を得ていた人が、他人事だと思っていた貧困へと転がり落ちていく。本のテーマがテーマだから多少、強調されているのかと思っていた。そうしたら、昨日、オバマ大統領が一般教書演説で「ミドルクラス」に配慮したメッセージを出していた。アメリカはかなりまずい状態のようだ。

日本はどうかというと、じつは五十歩百歩である。不況による派遣切りなどで、貧困の問題が目に触れやすくなってきた。しかし多くの語り口は「頑張っているのにこんな貧困に陥っている(だからこの人を救済しなければならない)」とか「頑張っていないから貧困に陥ったのだ(だから自己責任である)」といったものが多いような気がする。つまり貧困は個人の問題として語られているのだ。

しかし日本で起こっている貧困も、個人の問題というよりは社会的な構造の問題のようだ。もちろん当事者にとっては貧困は個人的な問題だろう。しかし貧困に陥っていない人ほど社会的な構造の問題だと考えた方が良い。アメリカと同じように、気がついたら自分が貧困に陥っているということが起こりえるのだから。

例えば、2007年には日本でも保健法の法審議会で「保健法改定中間試案」をまとめたが、そのなかにはアメリカの医療制度と同様のシステムの導入が盛り込まれていた。(この時は医師たちなどが問題点に気づき、阻止したそうである)。教育については、すでに競争原理が持ち込まれている。先日も東京・足立区の学校でテスト時に教員が生徒に答えを示唆したとの記事がったが、記憶によれば足立区はテスト結果に照らして予算を配分する方式を導入しようとしたことがあるはずだ。

日本はアメリカを真似しているのだから(あるいは「年次改革要望書」に忠実に従っているのだから)、アメリカと同型の問題が起こるのは当たり前である。実際、「保健法の改正」「派遣法の改正」「訴訟社会にする」などは年次改革要望書にもある。派遣法により企業は安価な労働力を手に入れることが出来る。当然、労働市場は値崩れを起す。正社員の横には、半額で同じ仕事をする派遣社員がいる。正社員にはプレッシャーがかかる。リストラの対象にならないためにサービス残業も進んでやるようになる。

「派遣切りの貧困」という一見、個人の問題に思えるものが、じつは大きな構造の問題であることがわかる。自分の隣に安価な非正規の労働者がいたら、それは他人の問題ではないのだ。自分と隣の非正規の人間とで「貧困のスパイラル」を構造化しているのだ。そうやって社会のみんなが貧困スパイラルに巻き込まれながら、その構造をより強化している。日本はそんな社会になっている。「なんかまずいぞ」、この本を読んでいるといやな感じになってくる。貧困の問題はもうちょっと追いかけねばならなそうである。
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芝焼、物乞いヒエラルキー

2010年01月25日 | 雑文
5歳の次男が新型インフルエンザにかかる。金曜日の夜から熱が上がり、土曜日には39度以上が続く。夜中にはうなされながらも「がんばってるです。がんばってるです」と寝言。頬は真っ赤で、ひたいには冷えピタ。辛そうである。一夜明けて日曜日には熱も下がる。こうなると家族に感染していないことを祈るのみだ。感染していたら、週末の館山マラソンには参加できない。

子どもがインフルエンザでもランニングは続ける。(もちろん熱が下がってから)。土手が少し穏やかである。月半ばの極寒を越したからかもしれない。太陽の光は暖かく、風はほとんどない。川下から川上にわずかに風が流れる。南風だ。少しずつ、冬の力が弱くなっている。

毎年、今ごろになると土手では芝焼が行われる。夏の間に短く刈り込まれ、冬に向かってすっかり枯れた芝を、火炎放射器を持った職員達が焼いていく。芝が短いせいか火は燃え広がらない。燃えるというよりも煙が出る程度だ。土手はお彼岸の霊園のように煙でかすみ、都会ではあまりかぐことのない焚き火のような匂いがする。

そんな心地よさを感じてか、多くのランナー達が土手を走っている。春先まで続くさまざまな大会に備えているのかもしれない。苦しそうな人、楽しそうな人、走る表情はそれぞれだが、体力を奪うような寒さに耐えている様子はもうない。

僕は先週、45.5km走った。まあまあだ。でも、膝の調子は相変わらずだ。10kmや15km程度なら問題ないが、4時間近く走るとなると厳しい。館山でフルマラソンを走り終わったらきっと膝がやられていることだろう。やられるとわかっていてもそこに突っ込んでいく。フルマラソンとトラブルはセットだ。問題なければ上手くいく、という考え方は実験室でしか通用しない非現実的な考え方だ。つねに何らかのトラブルがある。リトルピープルは最も脆弱なところを突いてくるのだ。(by『1Q84』)

さて、ここのところ〈貧困〉という言葉が気になる。というわけで『世界最貧民の目線 絶対貧困』(石井光夫著、光文社)という本を読んだ。スラム編、ストリート編、売春編という構成で、世界の貧困について語った本だ。著者は現地の人々と生活を共にして文章を書いている。そのため貧困の悲惨さなどを一方的に語ることをしない。悲惨な現実に満ちているのだが、そのなかでも人々が強くしたたかに生きていることがわかる。

ちょっとした受け売りで、「インドの物乞いのヒエラルキー」について書く。物乞いに関しては、「健常者の物乞い」と「障害者や病人の物乞い」にわけて整理することが出来る。まずは「健常者の物乞いランキング」。

①赤子
②老人
③女性と赤子
④青年
⑤成人男性

まあ当然のランキングである。成人男性が物乞いをするようになるには、それなりの事情があるだろう。しかし与える方としては元気な成人男性に何かを与えるよりは、赤子とか老人とかに与えたい気になるだろう。健常者ランキングに関わるものとしては、「レンタルチャイルド」がある。物乞いでは赤子のランキングが一番上だから、路上生活者同士のグループが相互扶助で赤子を貸し借りするこがある。これは生活の知恵といえるものでほほ笑ましい。

しかし犯罪組織が「レンタルチャイルド・ビジネス」という犯罪システムを作り上げていることもある。マフィアなどが、病院の新生児や路上生活者の赤子を誘拐する。物乞いでは、生まれたての赤子から3歳くらいまでが最も価値あるからだ。その子どもたちを、1日いくらという形で貸し出す。貸し出す相手は老婆が多い。赤子が障害児だともっとよい。子どもが6歳くらいになると、マフィアが子どもを取りに来る。女の子であれば売春宿で雑用をさせる。そしてゆくゆくは売春婦にさせる。

次に「障害者や病人の物乞い」。このようなランキングになるらしい。

①ハンセン病
②四肢切断
③全盲、知的障害
④片手、片足、片目の障害
⑤火傷、皮膚病、その他軽い障害

障害や病気であれば仕事も出来ないだろうから、物乞いも生きていくための1つの手段だろう。しかしここにもマフィアなどが組織的に絡んでいることがある。例えば、「レンタルチャイルド」で利用価値がなくなった男の子である。男の子どもに物乞いを続けさせるには、障害があった方がよい。そこで子どもに障害を与える。

具体的には「目を潰す」「唇、耳、鼻を切り落とす」「顔に火傷を負わせる」「手足を切断する」などがあるらしい。「目を潰す」のは一番簡単。鋭利な刃物で刺せば終わりだ。ただ途上国には感染症による盲人が少なくないので、あまり儲からないという。「唇、耳、鼻を切り落とす」には、ナイフやカミソリで切断する。指くらいでは効果はないので、顔が狙われる。もっとも収入に結びつくのは「顔に火傷を負わせる」と「手足を切断する」だ。火傷の場合は熱した油を顔にかける。手足の場合は、子どもを押さえつけ、斧や鉈のようなもので一気に切断する。読んでいて気が滅入った。自分の子供だったら耐えられないだろうと思う。じゃあ自分の子供でなければ耐えられるのかというと、そんなことはない。

この世に生まれてくる。気がつくと自分がある場所で生きている。いつのまにか簡単には抜け出せない出来事に囲まれて暮らしている。ある日誰かがやってきて、右腕を差し出せと言う。ああ、切られるな。いやだな。と思う。でも腕を差し出してしまう。そして手足が1本ずつ無くなっていく。そういうことがこの世界では起こっているのだ。

子どもの頃。飢餓の子どもをテレビで見た。手足はガリガリに痩せ細り、お腹だけが不自然に膨らんでいる。口は半分開きかかり、目はトロンとしている。その口や目にはハエがたかっている。振り払う元気もない。かわいそうだな、と思うと同時に、自分じゃなくて良かった、と思った。そして、自分じゃなくて良かったと思った自分がすごく悪いことをしているような気がした。

でも、自分が腕を差し出さずにすんでいるのは、たまたまラッキーなだけかもしれない。角を曲がれば、何が起こるかわからない。リトルピープルはいつでも最も脆弱なところをついてくるのだ。現在、日本で貧困に陥っている人々もそうだ。働く意思があるのに貧困に陥ってしまう。いつの間にか腕を差し出さねばならない状況になっていたのだ。最も脆弱なところがつかれたのだ。

最後に話題を換えよう。売春に関しておもしろいことが書いてあった。売春には国境を越えた移動が多いそうだ。大きくわけて、「戦争や災害による難民」「国際イベントを狙って渡航」「豊かな国に外国人売春婦の需要がある」という3つがあるそうだ。とくに「国際イベントを狙っての渡航」というのに驚いた。

ドイツワールドカップの時には、海外からやって来た売春婦の数はなんと4万人にも達したそうである。4万人もの売春婦が国境を越えてドイツに集結したのだ。もうすぐバンクーバーオリンピックである。きっとバンクーバーにもたくさんの売春婦が集まるのだろう。不思議な世界である。
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ペットボトルを噛み続けるブタ

2010年01月22日 | 雑文
手短に声高に、という言葉が頭の中を行ったり来たりする。ブログを書いていてちょっと違和感がある。バランス感覚が狂っている。何かしっくりこない。昨年末くらいからである。文章がどんどん長くなっていくのだ。どうしてだろうと考えてみた。答えがわかった。スタミナがついたのだ。

アイディアを思いつく。大ざっぱに方向を決めて書き出す。カタカタとキーボードを打って「ふう」と一息つくと、だいたい2000字程度の文章ができ上がる。意識しなくても自然にそうなっていた。しばらくの間、そんなふうに書いていた。ところが近ごろ、「ふう」という一息がなかなか出てこなくなった。文章を書くスタミナがついたのだ。息切れしないのでどんどん書いてしまう。書いているうちに時間がなくなる。そして中途半端に切り上げることになる。

息切れしない感覚は、ランニングと似ている。ランニングを始めた頃、5km走れば「ふう」である。体力的にも精神的にも切れてしまう。走り続けていると5kmが楽になり、10km走って「ふう」となる。10kmが20kmになる。そんな風に、肉体的にも精神的にもスタミナがついてくる。

大会でフルマラソンを走るのも同じだ。走力が上がるに従って、体力と精神力の切れるポイントがどんどんゴールに近くなっていく。初レースでは折り返し地点で切れた。それが25kmまでもつようになり、30kmになり、35kmになり、最後はゴールまで切れずに走れるようになる。どんなタイムであれ、体力も精神力も最後まで切れなくなれば、とりあえず一人前のランナーだ。(と勝手に思っている)。

そんなわけで手短に声高に書くようにしよう。先日、新聞でとてもよい文を目にした。こんな文だ。「ゴミ処理場には、ビニールやプラスチックがあふれかえる。かつて野菜くずなどをあさっていたブタは今、ペットボトルの容器をいつまでもかみ続けている」。

これは毎日新聞の『消えゆく秘境 パプア高地先住民』という小さめの特集の文である。副題は「入植者増加で生活急変」とある。かつてはパプアの先住民たちは閉じられた共同体であった。物質的には貧しいかもしれないが、独自の文化に基づいた生活を送っていた。そこに入植者が物質文明とともにやって来る。当然、先住民たちの生活は変わる。

貨幣と商品の交換による経済が始まる。持ち込まれる商品の便利さに慣れていく。労働の質が変わる。経済システム、労働の種類と意味、物質的な生活環境、そういうものがすべて変わっていく。しかし結果的には、先住民たちはそれらに振り回されることになる。儲けているのは入職者たち。下手な商売をして失敗する先住民たち。結局は自転車タクシーのような単純労働をすることになり、便利な品物を買うことも出来ない。

勉強をして職を得ようと町に出てきた16歳の少年がいる。上手くいかない。住む場所もなく、路上生活者になる。路上で自動車を洗い、わずかばかりの金を手に入れる。楽しみはシンナーの吸引とある種のヤシの実を噛むことくらいしかない。シンナーには害があるし、ヤシの実も口腔ガンの原因になる。本人も体に悪いことは分かっている。しかし、シンナーは空腹しのぎになるし、ヤシの実は体が温まるからやめられない、という。

こういう記事を読んだ時の感想としては、16歳の少年の生活を思い浮かべてちょっと気がめいる、とか、世界にはこういう悲惨なことがたくさんあるのだと沈痛な面持ちになる、とかいうものだろう。言い方は悪いが、自分とは直接関係ないところで起こっている出来事にちょっと心を奪われる程度だ。この手の話はすでにどこかで聞いた話なのだ。

これは交通事故と似ている。報道で知る他人の事故は、毎回、毎回、新しいものでもすでにどこかで聞いた話なのだ。これに対して実際に目の当たりにする家族の事故は全く違う。ほんとうに新しい、唯一の重大な出来事である。記事を書くことは、同じように受け取られてしまう出来事が、じつは新しい唯一の重大な出来事だと伝えることだろう。

そのためには何らかの工夫をしなければならない。そこで「かつて野菜くずなどをあさっていたブタは今、ペットボトルの容器をいつまでもかみ続けている」という文を用意したのだろう。入植者によってパプアの先住民たちの生活が変わった。そのことを伝えるための記事である。でもそれは表面的な出来事かもしれない。より深い変化は、野菜くずをあさっていたブタが、ペットボトルを噛み続けているようなものなのだ。

野菜くずがマクドナルドの食べ残しに変わるのならそれは時代の変化でしかない。でもペットボトルは違う。ペットボトルは食べられない。ペットボトルは消費経済の象徴である。ブタはそれを噛み続けている。けっして満たされることのない意味不明な行為を延々と続けている。明らかにおかしい。何かが狂ってしまった。パプアで起こったのはそういうことかもしれない。

そんな記事を読んでいる私たちの社会はどうなのだろう。ブタがペットボトルを噛み続けるような奇妙な出来事が起こっていないだろうか。何かを求めて、決して満たされることのない意味不明な行為を延々と続けていないだろうか。あるいは、そんなことを続けてきたツケが少しずつ現れているのかもしれない。
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冬の日曜日の『土偶展』

2010年01月18日 | 雑文
館山若潮マラソンまであと2週間を切った。先週は49kmのランニング。距離としては悪くない。1度に長い距離を走る練習をしていないのが少し気になる。とは言え、1年で最も寒い季節になった。北風の中、土手を2時間、3時間走るとものすごく消耗する。それだけで1日が終わってしまう。週末、そんなことをしたら家族の不評をかってしまうだろう。そんなわけで小刻みに距離を稼ぐような走り方になる。

日曜日は家族で上野の東京国立博物館に『国宝 土偶展』を見に行った。展示はそれほど多くなく、土偶や土器などが1部屋に展示されていた。部屋が狭いのでそれなりに混んでいる。小学3年の長男は博物館や美術館にもなれてきたようで、楽しそうに見ている。5歳の次男はまだまだだ。「つまんない。帰ろう。」を連発する。絵画だと無理だが、土偶なら大丈夫かと思ったがやはりダメだ。

考えてみればあたりまえである。土偶を手に取って遊べるとか、粘土を使って自分で土偶を作るというのなら楽しめるだろうが、ガラスケースに飾ってある土偶を眺めるだけでは5歳児にはちょっときついだろう。おまけに展示品の高さが5歳児には高すぎる。見上げなければ見えないし、見上げても人混みだ。当然、抱っこして見せることになる。重いのを我慢して見せているのに、耳元では「つまんない。はやく帰ろう」と何度も何度も訴える。

次男を抱えていたのできちんと見られなかったが、やはり「遮光器土偶」と「縄文のビーナス」と「合掌土偶」は見ごたえがあった。「遮光器土偶」は、土偶の代表のようなもので、誰もが教科書などで1度は目にしているものだ。大きな横長の眼鏡のようなものがついている土偶だ。小学生の頃、私たちの間では、あれは宇宙服を着た宇宙人の姿だと言われていた。縄文人たちはUFOでやって来た宇宙人を神のようにあがめて土偶を作ったのだ。ということを思い出し、長男にそんな話しをする。

「縄文のビーナス」はふっくらとした曲線をいくつか組み合わせたフォルムで、「ビーナス」の名がつくように美的にもなかなか優れている。19世紀や20世紀の芸術家がヒントにしても不思議はないくらいである。

個人的には「合掌土偶」が最も気に入った。他の土偶がふっくらしているのに比べて痩せている。脚を少し開いた状態で、立てひざをしながら腰を下ろしている。そして両膝に腕を軽く載せるようにして、手を合わせている。顔は少し上を向いている。仮面をかぶっているのか素顔なのかわからない。でも何かに魅せられているような表情をしている。

昇りかけた太陽、あるいは沈みゆく太陽。丘の向こうに輝く満月。目の前で行われている祀り。いずれにせよ、目の前に広がる何かに魅せられ思わず手をあわせている、そんな感じだ。いったい何が起こっていたのだろう。数千年前のできごとを思わず想像してしまう。何が起こっていたのであれ、その時の心情だけは共有できそうだ。そんな土偶である。

博物館を出ると午後3時を回っていた。太陽が西に傾きはじめ、風が冷たくなる。それでも上野公園は休日らしく、人々はゆっくりと散歩などしている。家族連れが手をつないで歩いていたり、初老の男性が犬を散歩させていたり、外国人観光客が噴水の前で記念写真を撮っていたり、そういったすべてが冬のやわらかい光に照らされて、黄色く輝いている。そんな中を僕ら家族も散歩する。子どもたちは飛んで逃げないように鳩を早足で追う。僕らはそんな子ども達を眺めながら歩く。他の人から見れば、僕らも冬の光の中で黄色く輝いているのだろう。

ところどころ人だかりが出来ている。見に行くと大道芸をやっている。手品と、パントマイムと、ジャグリングと、簡単なサーカスの要素が入った大道芸だ。芸が始まったばかりなのだろう。取り巻く人も多くなく、拍手はまばらである。口の中からボールを出したり、火のついた煙草が手の中から消えてしまったり。巧みな話術で見ている人たちを少しずつ巻き込んでいく。拍手が増え、「おーっ」という声が時おり上がったりする。人の輪もだんだんと大きくなる。長男と次男はいつの間にか最前列にいる。

かれこれ40分くらいは芸をしていただろうか。最後に綱の上でジャグリングをする芸を披露した。観客を6人ほど巻き込み、両脇から綱を引っ張らせその上に片足立ちをし、その状態で3本の小刀をジャグリングするというものだ。観客から拍手と歓声が上がる。最前列の子どもたちを見ると、しゃがみ込んで何かに魅せられたような表情で、顔を見上げている。

合掌こそしていないが、ちょっと前に見た土偶を思い出す。何かに魅せられるように見上げ、顔を輝かしている。数千年前とは目の前で起こっている出来事は違うだろう。それでも同じような表情で、同じような気持ちになることはある。何千年間も同じようなことを繰り返しているのだろう。私たちは。

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『すべては宇宙の采配』を読みました

2010年01月15日 | 雑文
『すべては宇宙の采配』という本を読んだ。木村秋則というリンゴ農家の人の本である。木村さんは誰もが不可能だと思っていた無農薬、無肥料でのリンゴ栽培をやり遂げた人である。やり遂げたと簡単に一言でいえるようなものではない。

無農薬、無肥料の果物や野菜自体はべつに珍しいものではない。もともと野菜や果物は自然の中で出来たものだから、農薬や肥料を与えなくても育つことは育つ。与えなければ虫がついたり、生育が悪かったり、収穫量が落ちるだけである。それを覚悟すれば無農薬、無肥料での栽培は可能である。

しかしリンゴは違う。現在、私たちが食べているリンゴは野生のものとはあまりにもかけ離れているのだ。野生のリンゴは一般的に小さくて、酸味や渋味が強く、少なくとも現代人にはとても食べられたものではない。人間は、この野生のリンゴを長い時間をかけて品種改良してきた。(品種改良自体は他の野菜や果物も同じである。バナナに種がないのは、熱帯の人たちが何千年もかけて、種を作らない個体を選別して育ててきたからだ)。

リンゴの品種改良で決定的なのが19世紀に発明された農薬である。リンゴにおいては品種改良の段階で農薬が関わっている。つまり今のリンゴは農薬があったから出来たものなのだ。農薬とセットで今のリンゴなのだ。ということは、リンゴから農薬をなくすということは、それがリンゴでなくなることを意味する。つまり収穫できないということだ。

そんな不可能に挑戦したのだ。何をやっても上手くいかない。リンゴの木は弱っていく。近所からは呆れられ、無視され、怒られるようになる。家の中はぴりぴりした空気が張りつめる。収入がなくなり家計はひっ迫する。食べものが買えなくなり野生の草も口にする。畑のリンゴの木も差し押さえられる。冬場は東京に出稼ぎに行くが、お金がないので公園で野宿する。ついには自殺を考えロープを持って1人山に入る。

そんな状況に陥っても、無農薬のリンゴを作ることを諦めない。そしてついに奇跡のリンゴを作り上げる。農薬使用をやめてから8年後。畑にリンゴの花が7つ咲き、そのうちの2つが実をつけた。それを家族全員で食べる。いままで食べたことがないくらいのおいしいリンゴだった。木村秋則とはそういうことを成し遂げた人だ。その辺りは『奇跡のリンゴ』という本にすべて書いてある。一読に値する本だ。

『すべては宇宙の采配』という本は、同じことを別の視点から書いたものだ。別の視点というのは本人の主観ということである。つまりこの本は木村さん本人が書いたものだ。(『奇跡のリンゴ』というのは木村さんの話を聞いた別の人が書いた)。驚きの内容である。『奇跡のリンゴ』を読んだ人には良いが、最初にこの本から読んだらちょっと引いてしまう人もいるだろう。雑誌『ムー』でも手にしているのか思うかもしれない。

奇跡のリンゴを作ってしまうような人は、やはり多くの人とは異なった体験をするものだなと、変に感心してしまうほどである。いくつか話しを抜き出してみる。

マンダラ。
青森県で開催された講演会でのこと。木村が会場に入場したら聴衆がザワザワしだした。木村の後から白い発光体が歩くスピードにあわせてついて行く。白い発光体は見える人と見えない人がいる。参加者がとった写真を後で拡大したら、坐禅をくんだ仏像のようなものが6体、丸く配置されている。マンダラである。

龍に出会う。
高校2年の夏の体験。学校から自転車で帰る途中のこと。前方を歩いていた男性を追い越そうとすると、その男性が片足を浮かせたままぴたっと止まってしまう。すると道の左側の防砂林から巨大なワニのようなものが現れ、離れたところにある松の木まで移動し、最後に空に向かって飛び立ち、雲の中に消えていく。すると動きを止めていた男性が何ごともなかったように再び歩き出す。

トラックに幽霊を乗せる。
生活が困窮し無免許で大型トラックを運転していた時のこと。真夜中の真っ暗な海岸沿いの国道6号線を運転していると、ある大型トラックがパッシングをしてくる。トラックを停めてそっちへ行くと、運ちゃんは「お前は助手席に何を乗せているんだ」と尋ねてくる。そこから自分のトラックの助手席を眺めると、助手席には青白い巨大な三角おにぎりのようなものが座っている。運ちゃんは、この先のドライブインで降ろしたほうがいいぞ、と言い残して逃げるように走り去ってしまう。ドライブンインで店員に助手席を見てもらうと、幽霊が乗っていると教えてくれる。

宇宙人に会う。
畑からの帰り道の出来事。このころ木村はリンゴ栽培が上手く行かず、近所からも相手にされなくなる。挨拶をしても無視されるため、近所の人と顔を会わせないよう、日が暮れてから帰宅するようにしていた。畑の中をすごいスピードで走り回る2つの物体を見かける。小学生くらいの人間のようにも見える。数日後、再び出会う。今度は暗く狭い農道を塞ぐように二人組が立っている。小学生くらいの人間が黒い全身タイツをかぶっている感じで、口も鼻も耳も髪の毛もなく、目だけが大きく2つ光っている。

UFOに連れていかれる。
夜中に目が覚めると、突然、部屋(2階)の窓が開く。窓の外には畑で会った二人組の宇宙人が宙に浮いている。すーっと部屋に入ってきて、木村の両脇を抱えて窓の外に連れ出す。そのまま上空へと上がっていき、気がついたらUFOの中にいる。そこには白人男性と白人女性がすでにいる。2人は裸で台の上に乗せられ、宇宙人に監査されている。木村は宇宙人といろいろな話しをし、地球最後の日が示されたカレンダーのようなものを見せられる。おみやげを貰って帰り、一眠りする。目を覚ましたらおみやげも無くなっている。

すごい話しである。他にも短くまとめられないような話しもある。俄には信じがたい。本人は本当にあった出来事だと書いている。これらの出来事は彼の人格形成や宇宙観に少なくはない影響を与えている。ある出来事が起こり、それがその人に大きな影響を与える。その出来事が本当の出来事であればよいが、もし単なる勘違いであればどうなのだろう。幻に惑わされたということになるのだろうか。幻によって方向づけられた人生ということになるのだろうか。

こういう仮定は本当は間違っているのだが、仮にリンゴ作りに失敗した男が、上のような話しをしたらどうだろう。あの男は頭がおかしくなったから、無農薬のリンゴなどということを言い出したのだ。医者に行ったほうがよい、と言われるだろう。(実際、リンゴが出来るまでは、周囲からおかしくなったと思われるほどだった)木村さんのように奇跡を起した人だから「あの人は、いっちゃってる」と肯定的に受けとめられるのだろう。幻の出来事に方向づけられた人生だとしても、きちんと実を結んでいればよいということになる。

私たちは一般的に、幻ではなく現実の出来事に方向づけられた人生を送っている。そういう人たちは現実は「まとも」で幻は「変だ」と思っている。では現実に方向づけられている人たちが、きちんと実を結んでいるかというと、そういうわけではない。幻のような「変な」ことをしていたりする。もちろん、現実に方向づけられきちんと実を結んでいる人もいる。つまり自分を方向づけるものが「幻」であっても「現実」であってもどちらでもよいのだろう。どちらからでもきちんと実を結ぶことは出来る。

精神科医の木村敏が「現実」について、「リアル」と「アクチュアル」という2つの言葉で説明していたと記憶している。「リアル」というのは物体の質量や長さのような客観的な現実であり、「アクチュアル」というのはそれぞれの人と対象との関係において生じ、主観的に受けとめられている現実である。(前者を「もの」、後者を「こと」という言葉に繋げて説明している)。

宇宙人や龍が「リアル」に存在するかどうかはわからない。(つまり「もの」としての存在)。しかし木村さんは「アクチュアル」に出来事を体験したとは言える。(出来事という「こと」としての存在)。ここまで極端な例は少ないだろうが(実は、僕にはある)、私たちの日常は「リアル」と「アクチュアル」の間を揺れ動いているのではないか。

人の話を聞くということは、その人の「アクチュアル」を聞くことである。自分が話しをするということは、自分の「アクチュアル」を話すことである。人々のやり取りのほとんどは、「アクチュアル」のやり取りである。しかし何故か人はそれらのやり取りを「リアル」なやり取りだと思い込んでいる。「リアル」であれば、客観的な事実であるから、相手が受け入れるはずだと思ってしまう。客観的な事実を巡って落とし所を見つける必要はない。それを認めるか否かである。しかしそれは本来「アクチュアル」な現実である。「アクチュアル」に「リアル」を装うのではなく、「アクチュアル」のままでやり取りする方が良い。

『すべては宇宙の采配』を人に勧める気になれないのも、「アクチュアル」な話しを「リアル」に語ろうとしているからである。個人的に意味のある「アクチュアル」な体験として読むには楽しいのだが、ほんとうに起こった「リアル」な事実として語られるとちょっと厄介である。無条件に受け入れるか、まともにとり合わないかの二択になってしまうからである。言い方を換えると、信じるか、信じないか、ということになる。「アクチュアル」を「アクチュアル」としてやり取りすれば、落とし所も見つかるし、手に入れるものも多いのではないかと思うのです。



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与えること

2010年01月11日 | 雑文
今日も土手を走る。14kmほど。昨日とはちがい風はない。しみ込むような寒さの曇り空。焚き火のような臭いがする。昨日のマラソン大会の土手のにぎわいとは大違いだ。静かで、重い感じの土手を数少ないランナー達が走っている。気のせいだろうが、みな足取りが重く見える。真っ黒なカラスがつがいで灰色の空を飛んでいる。僕は年末から左足の膝が少しばかり痛んでいる。合気道の稽古で怪我をしたのだ。月末のレースを考えると、そろそろケアが必要な感じだ。

土曜日に次男の自転車の練習に付き合う。年末に続いての2度目の練習だ。次男はだいぶ前から補助輪を外したがっていた。5歳になったら外してやろうと約束していた。年末は自転車の後を支えて一緒に走った。ただまっすぐ走るだけだ。1時間くらい練習した。勘のいい男である。重心を意識しながら練習している。そして2度目の練習。すぐに乗れるようになった。1度も転ぶことなく補助輪なしである。心配なのは、無理なことにチャレンジしたがる性格だ。はやくも手を放して運転しようとしていた。

さて今回は、「働くことについて」の続き。前回は内田樹の意見に触れないままだったし、その後、ラジオを聴いていたら「働くことについて」が話題になっていた。やはり旬な話題なのだろう。ラジオでは次のようなことを言っていた。仕事は人生の1番多くの時間を占める。仕事とプライベートを切り離すことを悪いとは思わない。しかし人生の大部分を占めるのだからそれなりの成功は収めたいものだ。

なるほどそのとおりである。仕事をしている時間は人生の大半を占めるのだから、そこで成功することは人生で成功することを意味する。どうせゲームに参加するなら負けるよりも勝った方がよいに決まっている。そういう考えだ。しかしどうだろう。仕事で成功することは人生で成功することなのだろうか。仕事と人生、言い換えれば「働くこと」と「生きる」ことが同じルールのゲームであれば、「働くこと」で勝つことは「生きること」の大半で勝利したことを意味する。

「働くこと」と「生きること」は同じルールの出来事なのか。おそらく違うのだろう。だからこそ、「働く理由」とか「仕事とプライベート」などを疑問にする人が少なくないのだ。では「働くこと」と「生きること」のルールの関係はどうなるのか。「仕事」のルールで「人生」すべてを生きるのか、「生きること」の作法を「働くこと」に適応させるのか。いずれにせよ「働くこと」と「生きること」のバランスが問題なのだ。

この辺りの問題に内田樹の意見をぶつけてみる。内田氏の意見は「交換経済から贈与経済へ」という言葉に集約される。交換経済が行き着く労働観とは、「働くことは自己利益を増大させるため」というものである。「働くと、その程度に応じて、権力や威信や財貨や情報や文化資本が獲得される。だから働け」というものである。煎じ詰めれば「人間が労働するのは、できるだけ多くの貨幣を得るため」ということである。もちろんこれは「より多くの貨幣はより多くの幸福をもたらす」という信憑とセットで流布されている。

所有と幸福がセットになっている。より多く所有するものはより多い幸福を得る。これを日常に持ち込めば、あらゆる場面を金もうけのチャンスと見るようになる。直接的に金銭を求めなくても、日常の場面は自分が何かを手に入れるための場所になる。 少ない投資でより多くの利益を得ることが理想となる関係ができ上がる。与えるよりも得ることが優先される。「○○をすれば、これだけの△△が得られる」という図式でしかものが見られなくなる。

「贈与」はそれとは違った考え方である(らしい)。他の動物と違って、人間だけが当面の生存に必要以上のものを環境から取り出し、所有し、交換する。どうして人間だけがそうするかというと、「贈与」をするためである。「〈働く〉ことの本質は、〈贈与すること〉にある。それは〈親族を形成する〉とか〈言語を用いる〉と同レベルでの類的宿命であり、人間の人間性を形成する根源的な営み」だそうだ。そして、「人間が経済活動を行ないはじめたのは、〈商品交換〉という歯車を1枚かませた方が〈人間は成熟することを促される〉ことに、あるとき太古の人々が気づいたから」である。

上手く引用が繋がらないのでまとめると、「働く」ということは「親族形成」とか「言語使用」などと同じように人間の根源的な営みであり、それは同時に「人間を成熟へと促す」ものである。つまり「働くこと」は「人間を成熟させるものだ」ということが、贈与経済における骨子となる。この意見が学説として正しいかどうかは私にはわからない。

しかし「働くこと」を「人間を成熟させる」ことと結びつけることで、「働くこと」と「生きること」のバランスを取ることは出来そうである。「成熟する」とは「大人になる」ことである。働く場面での大人の振るまいとはどのようなものだろうか。周りの人間のことを考えず、自分の利益だけを追求することだろうか。困っている人間がいれば、それを助けるべく手を差し伸べられることだろうか。

先日、貧困問題を扱ったテレビ番組を見ていたら、「みんな最後まで人を頼らずに頑張っちゃうんです。自分で何とか生きているというのを最後の支えにしているんです。もっと助けを求めていいんです」という発言があった。そしてふと思った。昔の人は頼りがちで、今の人は頼らなくなったとわけではないだろう。昔も今も日本社会の人たちは不平不満を口にせず頑張っているのではないか。だとすると、困っている時に差し伸べてくる手が少なくなったのだ。だから人は最後まで頑張ってしまうようになったのではないか。手を差し伸べるということも1つの「贈与」に違いない。
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土手のカラス

2010年01月10日 | 雑文
年が明けて10日が過ぎた。早いものである。昨年末のクリスマスは2週間ちょっと前のことなのに、ずいぶん遠い昔のことのように感じる。年が変わったからだろう。去年と今年、そこには明確な線引きがある。その線はカレンダーの数字のようなものではなく、私たちの実感によって引かれる区切りである。それに関わる出来事は起こらなくても、「続いている」と感じている限りそのことは終わらない。「終わった」と実感したとき、それは現在の出来事から過去の出来事になる。去年のクリスマスが遠くに感じるのもそれが終わったことだからだろう。

さて年が明けて日常に戻った。それにしても休み明けというのはあんがい疲れるものである。仕事始めの日は、たいしたこともしていなのにとても疲れた。これじゃあ1年乗り切れないのではと、本気で心配になった。それでも2、3日たつと楽になってくる。ランニングと同じである。長期に休みを取ると体は回復しているのだが、走る感覚を取り戻すには少し時間がかかる。

今週は47km走った。目標をちょっと超えたので年の初めとしては上出来だ。今日も12kmほど荒川の土手を走る。土手へ行く途中の首都高の電光掲示板には「ただいまの風速10メートル」とある。厳しい。北風に向かって30分ほど走ることになる。

土手ではマラソン大会が行なわれていた。(たぶん谷川真理のハーフマラソンの大会だ)。レースも終盤のようだ。半分以上の人が歩いている。走っている人も脚を痛めたようないびつなフォームだ。顔も歪んでいる。みんな北風に向かって進んでいる。辛そうである。怪我の脚を引きずるように走った経験、北風に向かって歩いた経験、どちらも僕も経験している。

フルマラソンを走るようになって、しばらくの間はレースの度に肉離れを起したものだ。(初マラソンは不思議と何もなかった)。たいていは30kmを過ぎてからのちょっとした上り坂で肉離れを起した。脚は限界に来ているのに、上り坂でもスピードを緩めずそのまま走ろうとするからだ。1歩、2歩、3歩、力強く上っていくと途中で「ピキッ」と来る。あとは脚を引きずりながら走るしかない。気持ちは歩きたいが、楽をするわけにはいかないからだ。

歩くのは楽をすることだ。そう思っていた。ところがそれは大いなる勘違いだった。僕はマラソンでは決して歩かないようにしているが1度だけ歩いたことがある。風邪で熱があるのに参加した大会で、どうしても走ることが出来なくなったのだ。25kmくらいで脚が完全に止まった。リタイアも考えたが、苦しい表情で脚を引きずりながら走ったり、歩いている周りの人を見るとそれも出来ない。

仕方がないので歩く。走るのをやめた途端に、ぜんぜん前に進まなくなる。1kmごとの表示が遠くなる。歩いても歩いても1kmごとの表示が見えない。走ることにつぎ込んでいた意識のエネルギーに余裕が出たのだろう。歩きながらも考えられるようになる。「あとどのくらいだろう」そんなことを考えながら歩いていれば、当然、長く感じることだろう。おまけに15メートル以上の北風に向かって歩いていた。体温をどんどん奪われる。精神的にもやられてくる。その時に、マラソンで歩くのは本当に辛いことだと実感した。

そんなことを思い出しながら、寒そうに歩いている人たちを追い越して走る。ハーフマラソンの残り4kmくらいの場所である。土手は枯れ草色に覆われている。空は青く、太陽には力がある。川面は強い風で波立っている。その波に太陽の光が反射して、ところどころ白く光る。岩淵水門まで北上して折り返すと、背中からの緩い風を感じる。楽なランニングになる。

今度はレースの参加者とすれ違うかたちになる。向かいからすごく辛そうな表情で初老の女性が走ってくる。走るといっても歩いている人とそれほどスピードは変わらない。それでも走っている。すれ違いざま「がんばって」と声を掛ける。どんなにゆっくりでも、走ってゴールした方が嬉しいはずだ。僕はハーフマラソンくらいならいつでも走れる。でも走り始めた時は5kmでも長く感じた。ああいった辛さを自分も通り越してきたのだ。なつかしい。

土手を走っていると必ずカラスを見かける。土手にはハシブトガラスだけでなく、ハシボソガラスもいる。都会の街中で見かけるのはハシブトガラスだ。ハシボソガラスは一回り小さいカラスで、畑などがある場所に暮らしている。ハシブトガラスは高いところから獲物を狙うのに対して、ハシボソガラスは地面をつつきながら虫などを捕っている。

先日知ったのだが、カラスはつねに「つがい」でいるらしい。相手を決めると基本的には死ぬまで一緒だ。よくカラスが「カァー、カァー」と鳴いている声を聞くが、あれは自分の相手を探している声だそうである。相手の姿が見えなくなると、不安になってすぐに相手を呼ぶらしい。

そういう話しを聞くとカラスを見る眼が変わってくる。子どもの頃には「カラスが鳴くと誰かが死んだ」という話しをしたものだ。あの鳴き声もどことなく陰気で攻撃的に聞こえていた。でもそういう話しを聞くと、カラスを見る度に、ペアを確認してしまう。(確かにカラスは2羽でいることが多い)。たまに1羽でいるカラスを見ると心配になってしまう。

こちらの見方が変わると、同じものでも違って見えてくるものだ。言い方をかえれば、自分がいま何を見ているかを自覚することで、自分の見方が理解できるのだ。その意味で、私が見ているものは私を移す鏡のようなものである。この1年なにを映し出せるかは私次第なのだろう。

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働くこと

2010年01月08日 | 雑文
ここのところ「働く」という言葉が意識に引っかかることが多い。そういう言葉を目にする機会が増えているからだろう。1つには報道である。不況により雇用状況が非常に悪くなっているのでそういう報道が増えたのだ。働く気持ちがあるにもかかわらず仕事がない、働いているにもかかわらずまともな生活ができない。こういう話しを新聞やテレビでよく目にする。(20年前なら考えられないことである。働く気持ちがあって頑張ればそれなりに何とかなる社会だった。)

もう1つの理由は、「働くこと」を直接問うような文章を短い時期に3つほど読んだからだ。1つは新聞記事で倉本聰が引いていた「アイヌ人の考え方」、2つめは斉藤環の「就労の加害性」についての文章、そして3つめは内田樹の「働くとはどういうことか」という文章である。それぞれ視点は違うが「働く」ということをあらためて考えさせるようなものであった。

個人的なことを言うと、僕は「働く」ということをすんなり受け入れることが出来なかった。べつに「働く」ことがイヤだったわけではない。大学時代などは授業にほとんど出ないでアルバイトをしていたし、それはとても楽しい経験だった。いまだって仕事はとても楽しんでやっている。でもすんなりとは受け入れられなかった。「働くってどういうことだろう?」と問うてしまったからである。20代の初めのことである。

親の庇護のもと幼少時代を過ごし、学校教育を受けたら、あとは仕事をする。これは当たり前のことである。しかし当たり前のことを問い直すことこそ「考える」ことにほかならない。気がついたらそういう習性を身に付けた生き物になっていたのである。「〈ある〉とはどういうことか?」「〈わかる〉とはどういうことか?」「〈善〉とは何か?」「〈死ぬ〉とはどういうことか?」「〈家族〉とは何か?」そういうことを考えるのを避けて通れなくなっていた。

すると「働くってどういうこと?」という問いが、いくつかにわかれてきた。個人的には働くことは嫌いではないし、働くときには手を抜かずに働くほうである。(職人であった父親がそういう人だった。気づかぬうちに似ていた)。しかし、より大きな経済活動の枠組みで見た時に、自分のやっていることに疑問符がつく。

当時は、バブル経済の最終期だった。アルバイトをすればするだけお金を手に入れることが出来た。僕もかなり稼いだ。そして、だれもが欲望に従って消費をしていた。新しいものが出れば、使えるものでも捨てて、買い替えることが美徳とされるような時代であった。(マータイさんが暗闇から睨みつけている映像が頭に浮かんだ)。僕も基本的にはそういう枠組みに乗っかって生きていたが、どこかで違和感があった。

それは近ごろ読んだ倉本聰の「アイヌ人の考え方」と重なるものである。こんなものである。
『アイヌの萱野茂先生は「アイヌはその年の自然の“利子”の一部で、食うことも住むことも、着ることも全部やってきた。今の人間は自然という“元本”に手をつけている。“元本”に手をつけたら“利子”がどんどん減ることを、これだけ経済観念が発達した日本人がなぜ分からないのか」と言っています。』(『毎日新聞』から)

働くことは嫌いじゃないが、働くとより大枠でまずい方向に加担してしまう。そのうえ現実的には、働かないでは生活をしていけない。なかなかやっかいな問題である。簡単に白黒つけられる問題ではない。あちらを立てればこちらが立たず、という感じである。現実的な落とし所としては、働く時にはきちんと働く、しかしそれは悪い方向に加担していることでもあると覚えておく。そんなところである。

この辺りは斉藤環の「就労の加害性」という考え方と重なる。(氏は引きこもりの問題を家族という文脈で語る際に、「就労の加害性」を問題としているので、僕とは取り上げ方は違う。)例えばこんなことを書いている。

『このように考えてみてはどうか。すべての「職業人」は、「好きこのんで仕事をしている」のだ、と。これを言うのは、正直に言えば、なかなか辛い。激しい疲労とストレスに耐えて、それでも真面目に働いている人々を、もちろん私は尊敬する。しかし、その尊敬こそが危険なのだ。その種の尊敬は、そのような生活スタイルがどうしても取れない人たちに対する軽蔑を伴わずに成立しないからだ。それゆえこの尊敬は、小声で口にされるべきものだし、まして自らの多忙さを誇る(=愚痴る)ことは、あきらかに下品な振る舞いなのである。』(『家族の痕跡』より)

つまり「働いていること」を無邪気に良いことだと思ってはダメだと言っているのだ。それがどれほど真面目であろうと。これはかなり厳しい意見のように聴こえるかもしれない。もし聴こえるとすれば、そのように聴こえる判断基準を持っているからである。悪意を持つことなく真面目にしていれば、自分は悪いことを行なうはずがない、というものである。言い換えれば、人間は悪を離れて善のみを行なうことが出来るという信憑である。

しかし考えてみれば、善のみを行なう人間などというものはいない。僕にはそんなことは出来ないし、少なくとも私の周りにそんな人間は1人もいない。そういう人間がいたら残念だがそれは人間ではない。それは「神」である。同じように悪のみを行なう人間もいない。人間であるということは、善と悪を抱え込んでいることだ。善いことを行ないながら、悪いことを引き起こしてしまうことだ。

何をやっても悪いことを引き起こしてしまう可能性がある。だからと言って悪を行なうのではなく、だからこそ悪の可能性を意識しながら善を目指していく。そういう人間が1人でも多い方がよいのだろうと思う。当然のことながら、最初の1人を他人に期待してはいけないのだろう。まずは自分からである。そんな感じで「働いて」いこう。少なくとも、働こうと思えば働けているのだから。


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あけまして、失敗ブログです

2010年01月04日 | 雑文
「あけましておめでとうございます。2010年もよろしくおねがいします」

正月も3日が終わり、遅すぎる新年の挨拶である。当然である。これが今年最初のブログなのだから。さてさて、やっと年末、年始モードから日常モードに切り替わった。とはいえ今日は日曜日。休日モードである。今ひとつエンジンがかからない。日常モードに戻すために、思いつくままにキーボードを叩いていく。

2010年の日常モード。ブログとランニングと子育てと家事と仕事と思索と合気道と内緒の計画をきちんと形にしていくこと。1つ1つは大したことはないが、全部書いてみるとけっこう大変そうである。年頭なのでちょっと整理してみる。

ブログについては、まずは年間に100本(つまり週に2本)が目標だ。これは2年間続けて達成しているので気を抜かなければ大丈夫だろう。1回の分量が2000字(400字詰め原稿用紙5枚)くらいだから、年間で原稿用紙500枚である。これくらい書くと自分でも書いたなという実感が持てる。

本当は、3年目になるのだから、量よりも質の向上に力を注ぎたいのだが、質を考えるとどうしてもキーボードの前でフリーズしてしまう。時おりブログを書きながら、俳句のことを思い反省してしまう。僕がだらだらと書いていることを17字で表現してしまう。そういう言語の鋭さを身に付けねばと考えていると、「ため池に ぼっちゃん 蝉を 沈めてる」と妄想が膨らむ。やはり量で勝負である。

ランニングは年間の目標が2000kmである。これはウルトラマラソンに対応できる体を維持できる距離だ。昨年6月の終わりにサロマ湖100kmを完走した。個人的にはかなり大きな達成だった。いつこの世界とさよならすることになっても「走り残した」と後悔することはないくらいの達成感だ。今年も大会は開かれる。でも僕は参加するつもりはない。レースに照準を絞って自分を作り上げるにはあまりにも多くのエネルギーを必要とするからだ。

特に大変なのが精神的なエネルギーだ。いつもレースのことに意を注いで生活することになる。今年はその意を他のことに注いで、何か別のものを形にしたいと思っている。それでも肉体的にはウルトラ対応の体を維持しなければならない。そうしないとサロマ湖はすぐに過去の栄光になってしまうし、自慢気にそれを話すようになってしまうからだ。

子育てはある意味いちばんむずかしい。抜こうと思えばいくらでも手を抜けるし、好きなだけ言い訳も出来るからだ。基本を忘れないようにしよう。子育ての基本は「子どもは預かりものである」ということだ。預かりものだからいずれ返さねばならない。返すというのは自分で生きていけるよう世界に返すということだ。子どもを預かった時に私たちは喜んだ。子どもが世界に出たときに、世界が喜べるような人間にしなければならない。あまり口や手を出さずじっと見守っている、そんな時間をなるべくとるようにしよう。

家事について。僕は個人的には家事が嫌いではない。10代の後半に1人で生きていくためにはすべて自分で出来るようにならねばと思ったからだ。掃除、洗濯、料理、洗い物、買い物、などなど。1つ1つも奥深いが、これらすべてを上手く調整しながら進めていくのも面白い。偏見かもしれないが、家事ができる人は仕事もそこそこ出来るはずである。(仕事ができる人が家事ができるとは限らない)。そういう訳で、ある種の感覚を養うために、家事はつねに目標に入っている。(個人的には洗濯物を畳むのが苦手である。30枚というのが1度に畳める僕の限界である。)

仕事について。これはパスしよう。書き始めると長いことになりそうだから。いずれにせよ、「言葉」を使って、人と人の間、人と出来事の間を調整していくのが仕事である。他人や出来事を操作するのではない。自分がどれだけ「言葉」を深められるかが課題である。この辺りは今後、ブログで書いていこう。

思索について。思索といっても専門家ではないので気楽なものである。本を読んだり、日常の出来事を省察したり、その程度である。いずれにせよ専門家でないので、思索したことを日常的な言葉で表現するのが課題である。ある程度はこのブログでも出来ているが、まだまだである。書くのがきつくなると専門用語を使って難解な文章を書きたくなる。

合気道について。今年は少し合気道に意を注ぎたい。合気道を始めてすでに1年半。正直、何もわかっていない。正確に言えば、頭ではある程度わかっているのだが、体が何もわかっていない。にも関わらず、級だけは少しずつ進んでいく。実力が伴わないのに肩書きが付いてしまうことは何としても避けたい。自分自身と肩書きとのギャップが大きくなると、そこを埋めるべくトラブルが起こるものである。週に1度の稽古ではこれが限界かもしれない。ちょっと作戦を立てねばならなそうである。

そして内緒の計画。これは内緒である。書いた中でいちばん大変そうだし、今年のメインの課題だと思う。いずれ形にできたらお知らせしたい。

さてさて、結果的につまらないブログになってしまったようだ。何故だろうと理由を考えたら、年末書こうと思っていたブログのイメージが影響していることがわかった。去年の出来事をいくつか書き出して、それに感想などを書いていくというものだ。間違っている。食後の薬を食前に飲むようなものである。やれやれ。

日常性を大きく逸脱しているが、基本的には人の道を外れていない。そんな1年を過ごせるように日々、精進してゆくつもりです。ほんと、今年もよろしくお願いします。
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