とんびの視点

まとはづれなことばかり

土手で暮らしていた人

2010年12月26日 | 雑文
今年も残すところあとわずか。とりあえず今日のランニングで走行距離が215kmとなり今月の目標は達成した。おまけに今日はハーフを1時間50分程度で走れた。かなり疲れはたまっているが悪くないペースで仕上がっている。

土手でテント暮らしをしていた人がいなくなった。強制的にテントを撤去されたのか、あるいは死んでしまったのか。土手でテント暮らしをしていた人が居なくなってしまった。

5年くらい前だろうか。荒川と隅田川が2つに分かれる岩淵水門からすこし下った隅田川のほとりにテントが張られ、1人の男が住み着いた。50代半ばくらいだろうか。体格はがっちりとしていて、不潔な感じもない。動きもきびきびしている。長いあいだ肉体労働をしてきたような日焼けした肌だ。街中ですれ違えば家族のいる普通の男性に見えそうだ。まさか土手でテント暮らしをしているとは誰も思わないだろう。あるいは普通の男性が何かの拍子に土手でテント暮らしをするような社会になったということだろうか。

コールマンの4、5人用のテントの横に、まもなく1人掛けの椅子が置かれた。川面を眺めるように置かれている。そして釣り竿が欄干に立て掛けられる。隅田川のウナギは江戸前として業者が1匹千円程度で買ってくれるという話しを聞いたことがある。収入源を確保したわけだ。洗濯物を乾かすロープが張られる。小さなテーブルが椅子の横に置かれる。自転車も手に入れた。家財道具が増えてきたので、一回り小さなテントを並べる。

そんな風にして時が過ぎる。春には枯れた土手が緑色に変わっていく生命力を目の当たりにする。夏は暑さと虫刺されに悩まされる。秋には夜空が澄んでいくのを実感する。冬には昼の短さと太陽のありがたさを実感する。暑さ寒さは体に応えるし、暴風雨の時などはテントに閉じこめられる。楽な生活ではないが、面倒な人間関係もなくそれはそれで悪くない。それでも独りでいることに耐えられなくなることもある。

そんなとき、土手に捨てられた子犬を見つけ、一緒に暮らすようになる。食べ物を分け与えると喜ぶ。楽しそうに吼えかけてくる。心地のよい夜には星空の下で昔の話をする。まだ自分に仕事と家庭があったころの話しだ。話しながらまるで他人の出来事のような気がする。

思えば、このころが土手での生活の1番よいときだったのかもしれない。時とともに少しずつ、いろんなことが上手くいかなくなっていく。まず大きなテントがほころび始める。フライシートが破れ、本体のシートが直接、雨風に曝されるようになる。ブルーシートを手に入れてテント全体をしっかりと覆うようにする。前もって小さなテントにもブルーシートをかぶせる。雨風はちゃんと防げるようになったが、見た目がただのホームレスのようになってしまった。

子犬もいつの間にか目にしなくなった。病気で死んだのか、逃げてしまったのか。いずれにせよ、また1人の日々になってしまった。夏の草刈りと冬の芝焼の時にやって来る職員や業者の人間たちの態度は好意的ではない。そこにテントがあることが明らかな作業の邪魔になっている。街の中で生活していたときも、土手で生活していても、安定した日々が永遠に続くことはない。

今月に入り本格的に土手でランニングをするようになって気づいた。テントの横に「ヤマカカシ注意」という立て札が建てられたのだ。テントから5メートルも離れていない。こんなところにヤマカカシがいるのだとちょっと驚き、テントの男性も夜などは危険だろうとちょっと心配し、あの立て札を建てること自体がテント生活に対するちょっとした嫌がらせだなとちょっと気分が暗くなった。

そうしたらわずか1ヶ月も経たないうちにテントも椅子もテーブルも自転車も釣り竿もすべてなくなっていた。もちろん男性もいない。何か人生の転機が訪れ再び社会に戻ったのか、ヤマカカシを恐れて移動したのか、強制的にテントを撤去されたのか、あるいは死んでしまったのか。いずれにせよ、すべてがなくなってしまった。

男性が暮らしていた痕跡として残っているのは、テントが撤去されたことで出てきた四角い黒土だ。長い間テントがあったせいで、テントの下だけ草が生えなくなっていたのだ。一面の枯れ草の土手に正方形と少し小さな長方形の黒土の土地。それを見れば、そこにテント暮らしの男性がいたことを思い出せる。でもそんな黒土も春には新たな草に覆われて、そんな男性が居たことも記憶の彼方へと消え去ってしまうのだろう。




線を引きなさい

2010年12月23日 | 雑文
「線を引きなさい。記憶からでも、目の前にあるものからでも、とにかく多くの線を引くのです」。ドガが二十歳の時にアングルから受けたアドバイスだ。そしてこの言葉がドガの画家としての生涯を決定づけたという。

こういう言葉と出会う度に、ハッとし、なるほどと思い、反省させられる。自分はどうだろうか、と。今月はかろうじて走ることだけは何とか続いている。今日までに182km走った。このままいけば12月の目標の200kmは確実に達成できる。上手くすれば250kmまで距離を延ばせそうだ。

ここのところ20kmのランニングを繰り返している。おかげで1時間半を過ぎてからの身心のイラツキのようなものはなくなった。調子の良い時は15kmを過ぎた辺りから自然とスピードが上がったりする。

今日は風速10メートル前後の北風に向かって1時間程度土手を上流に走り、そして戻ってきた。日差しが暖かいとはいえ、徐々に体力を奪われていく。わずかに葉を残した柳の木々のすべての枝が、そろって南に流れていく。水道の蛇口から出てくる水も南に流れていく。北風が吹いている時には南に流されるのが自然なのだろう。

自然に逆らった罰なのか、小さなゴミのようなものが右目に飛び込んでくる。右目をつぶった瞬間、世界がぼやける。そう言えば自分はガチャ目だった。右が1.2で左が0.2。夜、車の運転をしていて、痒くなった右目を掻くときほど怖いことはない。風景はぼやけるし、明るさが一気に下がる。雨の日はさらなり。

右目と左目を交互に閉じてみる。右目に比べて左目の世界はぼやけている。そして全体的に少し暗く、紫のフィルターがかかっている。青空が少しばかり紫なのだ。でも生まれつき左右ともこんな見え方をしていたら、空の青さというのはこういう色なのだと何の疑いも持たなかっただろう。

じっと左目だけで見ていると、世界がちらちらとしていることに気づく。受信状態がわずかに良くないアナログのテレビの画像のようだ。少しぼやけて、暗く紫がかり、ちらちらした左目の世界。こう書くと何だかひどい感じだが、実際はそれほど気にしていない。

それよりも自分は左側から崩れているのだということに気づく。今年の2月に突発性難聴で左耳の聴力が半減した。(ガチャ耳である)。その後、耳鳴りもずっとやまない。そう言えば、左側の頬の痺れも抜けない。おまけに子どもの頃から直観で生きる右脳人間である。もともと左側の機能が弱いし、少しずつ劣化をしているようだ。

壊れかかった左側と多少まともな右側が手を繋ぎながら何とかやっているというのが僕という人間なのかもしれない。でもそんな左右ガチャな状態はそれほど悪いものではないのかもしれない。ダメなものと多少まともなものがお互いを排除せず、共に生きていけることは個人にも、世界にも良いことである。

そう考えると今の自分の姿が世界の縮図なのかもしれない、悪くない。強い北風にやられたせいか、そんな妄想が頭に浮かびながら、壊れかかった左側と多少まともな右側が手を取り合いながら土手を走っていた。

文字を書きなさい。妄想からでも、目の前にあるものからでも、とにかく多くの文字を書くのです。

次男骨折

2010年12月16日 | 雑文
12月に入りちょっと落ち着いたと書いたら、次男が左肘を骨折し、猫が病院通いを始めた。なかなか落ち着かないものだ。風邪はほぼ治ったが、念のためもう一度診てもらおうと行った病院。冬の小児科の常で待合室には多くの人たち。元気な次男は外の塀に登って遊び、滑って転落。痛がって少し泣くが、すぐに泣きやむ。とれあえず小児科で風邪の診察をしてもらうと、念のためと整形外科を紹介され直行。見事に左肘を骨折していた。

次男は先日6歳になったばかり。もともと運動神経は良く集中力もあるのだが、ぎりぎりのところをチャレンジしないと気が済まないタイプである。こういう性向は生まれつきと言ってもよいくらい根深いもので、次男が歩き始めたころから「この子はいずれ何らかの形でケガをするだろうな」と相方と話していた。

予想通り、次男は1歳半頃に額を切って何針か縫うことになった。誰もいない部屋から突然、大きな泣き声がする。駆けつけると次男が倒れ、額がぱっくり割れている。側には大きめのボールが転がっている。玉乗りにチャレンジしてこけたのだ。病院では額を縫われながら大泣きをしていた。

「良いきこりには1つだけ傷がある。傷は1つだ。言いたいことは分かるね」というような言葉が村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』にあるように(たぶん)、1つくらいのケガは仕方がないと思っていた。1回だけケガをして危ないポイントを自分でつかみ、その後を生き抜く教訓にするというのは悪いことではない。

玉乗りに失敗して額を切った時に気になったのが、それが「良いきこりの1つの傷」になるのだろうか、ということだった。正直、少しケガをするのが早過ぎると感じた。1歳半では、おそらく本人の記憶には残らないからだ。そして今回の骨折。すでに良いきこりの資格は失ってしまったかもしれない。でも本人にとっては1つ目の傷と言えなくもない。きちんと記憶して、今後はケガなく良いきこりを目指してもらいたい。(子どものケガや病気は精神的に結構こたえる)

そんな風にドタバタしながらも今月のランニングは悪くない。現時点で110km。とくに先週は1週間で80kmと走った。週単位での練習量としては今まででも最長の部類に属する。筋肉痛や関節痛に比例するように体がランニング仕様になっていくのを感じる。精神的にも焦点が合ってきて、レースがリアルに想像されるようになってきた。歩きながら本番を走っているイメージをいつの間にかしていたりする。

身心ともに良い状態になってきたが、正直、疲れもたまってくる。そんな時に雨が降る。走れないなという残念さと、走らなくてすむという安堵を同時に感じる。小粒の雨の中、接骨院に行くことで自分がランニングを意識していると思い込むことにする。木々の葉は落ち、茶色い枝に雨があたり黒っぽく染まっている。空は灰色だし、地面も雨で黒くなっている。全体的に重苦しいモノトーン、冬の色だ。そんな風に思っていたら、遠くの方の枝が緑色を帯びているが目に入った。

梅の木だ。近づいて見ると、枝の先の方20センチくらいが新芽のような緑色だ。雨があたり、緑の枝に水滴が溜まる。枝も水滴もみずみずしく、生命力が感じられる。冬と言ってもすべてのものが枯れていくわけではないのだ。冬にはいろいろなものが枯れていく、というのは自分でも気づかずにどこかで手に入れた観念だ。1度観念を手に入れると、観念に合ったものしか目に入らなくなる。自分の目で見るためには、走らずに傘をさしてゆっくり歩くこともたまには必要なのかもしれない。

地鎮祭

2010年12月11日 | 雑文
12月もあっという間に3分の1が過ぎた。12月に入り忙しさが一段落した。一段落してやったこと、それはランニングだ。1月末の館山若潮マラソンを考えるとあまり悠長な練習はしていられない。ゆっくりと2時間半ほど土手を走る。

頭の中を雑念が駆け巡る。気になっていることが断片的な言葉や映像となり、しばらくのあいだ頭の中を占拠し、そして去っていく。1時間もすると雑念をとどめる力もなくなり頭が空っぽとなる。

すると青い空とか、遠くの川面に反射する光とか、風に揺れる柳の枝とか、少年野球の声とか、そういうものがすっと入り込んできて心地よい。空っぽな器にしかモノは入れられないということか。

2時間近くなると身心ともにストレスを感じる。脚は痛み、体が重くなる。すでに走った時間を振り返り「もうこんなに走ったのに」と思い、残りの時間を思い「まだこんなに残っているのか」とうんざりする。ただ走っているというその瞬間に自分をつなぎ止めることが出来なくなっているのだ。こういう思いをしながら何度か走ることになるのだろう。

忙しさが一段落したのは、先週の土曜日に地鎮祭を済ませたからだ。今年の春ごろから家が本格的に手狭になってきた。子どもたちがすくすく成長しているからだ。そして成長はしばらく止まりそうにない。真剣に引っ越しを考えることになった。生活圏を変えたくないので近場で探して、ついに猫の額のような土地を手に入れた。

古屋が壊され更地になる。更地という言葉の響きから、モノひとつない真っ平らな土地をイメージしていたが大違いだ。土地はデコボコで、土に石ころが混じっている。解体の時に割れた窓ガラスの破片や、プラスチックのかけらのようなモノもある。誰かが不法投棄した傘や、隅っこには野良猫の糞なども落ちている。そのうえ雨が降れば水たまりも出来る。レジャーシートを敷いて座ろうという気にもなれない。

そんな土地で、天祖神社の神主さんが地鎮祭を行なってくれた。友人でもあり大学時代の先輩でもある夫妻だ。笹を四本、長方形になるように立てる。その周りにしめ縄を結び聖域を作る。真ん中には祭壇を作り、季節の野菜や果物、お神酒を供える。

祝詞をあげる。我が家の人間たちが良い家を建てられますように、工事を行なう人たちにケガがありませんように、と。祝詞をあげる姿を見て、すごくプリミティブな人間のありようを目の当たりにしている気がした。この世界は人間の思い通りにならない。その時、何者かに自分たちの願いを聞き届けてもらいたいという思いに駆られる。どのように頼めば相手が願いを聞き届けてくれるか分からない。分からないから、こちらが出来る最大限のことをする。そこに儀礼が発生するのだと思う。何かを頼む時、スマートフォンの画面を見ながら「ちょっとやっといて」という訳にはいかないのだ。

祝詞をあげた後、白い紙片とお米を撒く。風に乗ってひらひらと地面に落ちていく。落ちるごとに、あの薄汚れた更地が浄化されていく。空気はクリアになり、土地は白く美しくなる。それはちょっと感動的な光景であった。

儀礼というのは形骸化しやすいと言われる。でも形骸化しやすいのは儀礼ではなくそれに関わる人々の方なのだ、そう思わされた。きちんとしたお祭りをすれば土地は変わるのだ。これは今年目にした出来事で1番印象に残ったことであり、強く感謝の気持ちをもった出来事だ。

そんな風に地鎮祭を終え、一息つき、ランニングをした。数日後、再び土手に行くと10メートル近い北風が吹いていた。体力を削り取るような風に向かって走る冬のランニングの幕開けだ。