仕事で必要になり、畑村洋太郎の『失敗学のすすめ』の再読を始める。その冒頭で失敗学における失敗を定義している。「失敗とは、人間が関わって行うひとつの行為が、はじめに定めた目的を達成できないこと」とある。わかりやすい。人が行うことで最初の目的を達成できないものが「失敗」である。
この定義に照らしてみれば、僕がやっていることは失敗ばかりだ。自分がその日にやることを毎日書き出しているが、それがきちんと達成できた日などない。月単位で目標を立てているランニングも今年に入ってから一度も達成できていないし、ブログを書くことに関しては壊滅的状態である。失敗ばかりである。
僕がこんなに失敗だらけでも何とかなるのは、組織に属していないからだろう。失敗をしても、それが自分で立てた目標を達成できないというものであれば、他人から文句を言われることはない。もちろんクライアントが失敗と見なせば、僕がきちんとやっているつもりでも仕事を失う。その意味では、失敗が顕在化しやすいというのは良いことではないかと思っている。
実際、仕事でコーチングなどをしていると、みんな失敗を恐れていることがよくわかる。失敗を恐れるあまり、さまざまな理由をつけて「はじめに目的を定めない」ようになる。目的を定めない、目標を決めない、締め切りを曖昧にする、きちんとしたスケジュールを作らない、関係者を洗い出さない、などなど。さまざまなことを不明確にすることで、自分の責任範囲を曖昧にし、想定と現実のズレを細かくチェックできないようにする。
人が行うことで最初の目的を達成できないのが失敗だとすれば、失敗しないために目的を定めないという方法を彼らは採用していることになる。ある意味では合理的だが、このやり方でははっきりした成功もない。物事は少しトラブルがあったが終了したか、すごいトラブルを気合いと根性で何とか乗り切ったかのどちらかだ。もちろん後者の方が多い。
おまけに最初に目的や目標、計画をはっきりさせないから、良い反省も出来ない。良い反省とは、事前の自分の想定と、実際に起こった出来事のギャップを確認することによって、事後的に可能性を見いだすことである。
『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』を再読していたら、これと同型の話にぶつかった。日本人は症状を形作る力が弱い、というものだ。話はPTSDについて村上氏が質問したところから始まる。PTSDとはポスト・トラウマティク・ストレス・ディスオーダーの頭文字をとったもので、心的外傷後ストレス障害と訳される。大きなショックを受けた人がしばらくのあいだ普通にがんばっているのだけれど、ずいぶん時間が経ってから突然症状を出す、という現象だ。
これはアメリカなどにはけっこうあるが、日本だと起こりにくいそうだ。アメリカ人などは個人として衝撃を受け止めるのだが、日本人の場合は個人ではなく全体で衝撃を受け止めるので症状として現れにくいのだと言う。
河合氏は日本人がPTSDを示さないことを最初は喜んでいたが、これにはプラス・マイナス両方あるのではないかと思うようになる。そのマイナス面が、衝撃をがっちり受け止めて悩む力がない、すなわち症状を作り出す力がない、ということである。
どんなことであれ、形のないものに形を与えることを「技術」と言って良いのではないかと思う。曖昧な思いに適切な言葉を与えるのも技術だし、食べたいと言われたものをおいしく作るのも技術だし、子どもをきちんとした大人に育てるのも技術である。これから起きることが成功か失敗か前もってわかるようにするのも技術だし、すでに起こった出来事をしっかり受け止め、それに悩み、それが何であるのか問題という形を与えるのも技術である。
そうであるなら、失敗が明確にならないように曖昧にすることも、すでに起こった出来事にきちんとした形を与えないのも、技術とは反するものである。
昨日の日曜日、反原発の国会包囲行動に参加した。原発は事故がなくても問題を抱えた存在だし、事故もまだ終わっていない。私たちは無関係でいることは出来ない。生きるというのは、無視しようと思えば無視できても、本当は無関係ではいられない出来事と折り合いをつけていくことだからだ。だから抗議行動にはときどき参加する。人が集まっているという事実がそれなりに社会的な意味を持つからだ。その一方で、抗議の現場で最前線に立って声を張り上げることは自分の柄ではないと思う。
抗議行動に参加するのは、現場に行って考えるためだ。そこに集まる人々を眺めたり、時々、シュプレヒコールをあげたり、警備の若い警察官の顔を観察したりする。(原発に興味がないのに、原発がらみの運動に一番近いのは彼らに違いない)。少なくはない人たちが毎週のように首相官邸前や国会議事堂の前に集まって反原発と抗議する。熱く攻撃的に抗議する人もいれば、歩道脇の石段に腰を下ろして隣の人と話をしているだけの人もいる。変なかぶりものでずっと踊っている人もいる。そういう人たちを眺めている僕のような人間もいる。
国会議事堂の正面をちょっと行けば皇居だ。車道の向こう側ではランナーたちが汗を流しながら皇居を周回している。僕はランナーでもあるので、抗議活動のちょうどその時にランナーを見ると、不思議な気持ちになる。わずか車道一本を挟んで、そこは別の世界のようだ。こちら側には抗議行動に参加する僕、あっち側にはランニングをしているもう一人の僕がいるような気がする。(実際、福島で人生が変わってしまった人たちには、僕はあっち側の人間のように見えるかもしれない)。
あっち側では原発事故は曖昧なままにされ、形を与えられることなく、忘れ去られようとしている。その衝撃を正面から引き受け、悩み、それを問題にする力をもった僕たちがいないのだ。問題はなかった。だからこの先も失敗が明確になるような基準を作る必要も感じない。ある時は天災だからどうしようもなかったと責任逃れを言い、ある時は人災だったから事故を防ぐことが出来ると再稼働を言う。ひどいものだ。
学生時代、師匠に「考えるとはどういうことだと思う」と尋ねられたことがあった。みんなでいろんなやり取りをしたあと、師匠は自分の意見をこう述べた。「考えるというのは、問いを立てるということだと思う。ある出来事があったら、それに対して一つの視点から問いを立て、それに対して答えを出す。そうしたら別の視点から問いを立てる。そして答えを探していく。それを何度も何度も繰り返す。問いを立てることが考えることだと思う」と。
東日本大震災という自然災害に対してすら、僕はまだきちんと問いを立てられない。ましてや人災である原発事故に対しての問いはなおさらだ。問いを立てるための状況の整理をしている感じだ。状況を整理し、そこから問いを立て、答えの方向を決め、解法を探す。時間がかかりそうだ。しかしあっち側では、エネルギー問題と経済問題という観点からのみ原発を見て(それもけっこう偏った見方だ)、再稼働、輸出という解答に突き進もうとしている。
失敗も明らかにされず、症状を形作ることも出来ず、問いを立てることも出来ない。そんな社会が長続きするとも思えないし、次の世代に残したいとも思わない。あっち側とこっち側をどうやって繋ぐか、それが課題である。無視しようと思えば無視できるが、本当は無関係ではない出来事と折り合いをつけている社会が、開かれた良い社会となるのだろう。でもそれは、衝撃を正面から受け止め、悩む社会でもある。
この定義に照らしてみれば、僕がやっていることは失敗ばかりだ。自分がその日にやることを毎日書き出しているが、それがきちんと達成できた日などない。月単位で目標を立てているランニングも今年に入ってから一度も達成できていないし、ブログを書くことに関しては壊滅的状態である。失敗ばかりである。
僕がこんなに失敗だらけでも何とかなるのは、組織に属していないからだろう。失敗をしても、それが自分で立てた目標を達成できないというものであれば、他人から文句を言われることはない。もちろんクライアントが失敗と見なせば、僕がきちんとやっているつもりでも仕事を失う。その意味では、失敗が顕在化しやすいというのは良いことではないかと思っている。
実際、仕事でコーチングなどをしていると、みんな失敗を恐れていることがよくわかる。失敗を恐れるあまり、さまざまな理由をつけて「はじめに目的を定めない」ようになる。目的を定めない、目標を決めない、締め切りを曖昧にする、きちんとしたスケジュールを作らない、関係者を洗い出さない、などなど。さまざまなことを不明確にすることで、自分の責任範囲を曖昧にし、想定と現実のズレを細かくチェックできないようにする。
人が行うことで最初の目的を達成できないのが失敗だとすれば、失敗しないために目的を定めないという方法を彼らは採用していることになる。ある意味では合理的だが、このやり方でははっきりした成功もない。物事は少しトラブルがあったが終了したか、すごいトラブルを気合いと根性で何とか乗り切ったかのどちらかだ。もちろん後者の方が多い。
おまけに最初に目的や目標、計画をはっきりさせないから、良い反省も出来ない。良い反省とは、事前の自分の想定と、実際に起こった出来事のギャップを確認することによって、事後的に可能性を見いだすことである。
『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』を再読していたら、これと同型の話にぶつかった。日本人は症状を形作る力が弱い、というものだ。話はPTSDについて村上氏が質問したところから始まる。PTSDとはポスト・トラウマティク・ストレス・ディスオーダーの頭文字をとったもので、心的外傷後ストレス障害と訳される。大きなショックを受けた人がしばらくのあいだ普通にがんばっているのだけれど、ずいぶん時間が経ってから突然症状を出す、という現象だ。
これはアメリカなどにはけっこうあるが、日本だと起こりにくいそうだ。アメリカ人などは個人として衝撃を受け止めるのだが、日本人の場合は個人ではなく全体で衝撃を受け止めるので症状として現れにくいのだと言う。
河合氏は日本人がPTSDを示さないことを最初は喜んでいたが、これにはプラス・マイナス両方あるのではないかと思うようになる。そのマイナス面が、衝撃をがっちり受け止めて悩む力がない、すなわち症状を作り出す力がない、ということである。
どんなことであれ、形のないものに形を与えることを「技術」と言って良いのではないかと思う。曖昧な思いに適切な言葉を与えるのも技術だし、食べたいと言われたものをおいしく作るのも技術だし、子どもをきちんとした大人に育てるのも技術である。これから起きることが成功か失敗か前もってわかるようにするのも技術だし、すでに起こった出来事をしっかり受け止め、それに悩み、それが何であるのか問題という形を与えるのも技術である。
そうであるなら、失敗が明確にならないように曖昧にすることも、すでに起こった出来事にきちんとした形を与えないのも、技術とは反するものである。
昨日の日曜日、反原発の国会包囲行動に参加した。原発は事故がなくても問題を抱えた存在だし、事故もまだ終わっていない。私たちは無関係でいることは出来ない。生きるというのは、無視しようと思えば無視できても、本当は無関係ではいられない出来事と折り合いをつけていくことだからだ。だから抗議行動にはときどき参加する。人が集まっているという事実がそれなりに社会的な意味を持つからだ。その一方で、抗議の現場で最前線に立って声を張り上げることは自分の柄ではないと思う。
抗議行動に参加するのは、現場に行って考えるためだ。そこに集まる人々を眺めたり、時々、シュプレヒコールをあげたり、警備の若い警察官の顔を観察したりする。(原発に興味がないのに、原発がらみの運動に一番近いのは彼らに違いない)。少なくはない人たちが毎週のように首相官邸前や国会議事堂の前に集まって反原発と抗議する。熱く攻撃的に抗議する人もいれば、歩道脇の石段に腰を下ろして隣の人と話をしているだけの人もいる。変なかぶりものでずっと踊っている人もいる。そういう人たちを眺めている僕のような人間もいる。
国会議事堂の正面をちょっと行けば皇居だ。車道の向こう側ではランナーたちが汗を流しながら皇居を周回している。僕はランナーでもあるので、抗議活動のちょうどその時にランナーを見ると、不思議な気持ちになる。わずか車道一本を挟んで、そこは別の世界のようだ。こちら側には抗議行動に参加する僕、あっち側にはランニングをしているもう一人の僕がいるような気がする。(実際、福島で人生が変わってしまった人たちには、僕はあっち側の人間のように見えるかもしれない)。
あっち側では原発事故は曖昧なままにされ、形を与えられることなく、忘れ去られようとしている。その衝撃を正面から引き受け、悩み、それを問題にする力をもった僕たちがいないのだ。問題はなかった。だからこの先も失敗が明確になるような基準を作る必要も感じない。ある時は天災だからどうしようもなかったと責任逃れを言い、ある時は人災だったから事故を防ぐことが出来ると再稼働を言う。ひどいものだ。
学生時代、師匠に「考えるとはどういうことだと思う」と尋ねられたことがあった。みんなでいろんなやり取りをしたあと、師匠は自分の意見をこう述べた。「考えるというのは、問いを立てるということだと思う。ある出来事があったら、それに対して一つの視点から問いを立て、それに対して答えを出す。そうしたら別の視点から問いを立てる。そして答えを探していく。それを何度も何度も繰り返す。問いを立てることが考えることだと思う」と。
東日本大震災という自然災害に対してすら、僕はまだきちんと問いを立てられない。ましてや人災である原発事故に対しての問いはなおさらだ。問いを立てるための状況の整理をしている感じだ。状況を整理し、そこから問いを立て、答えの方向を決め、解法を探す。時間がかかりそうだ。しかしあっち側では、エネルギー問題と経済問題という観点からのみ原発を見て(それもけっこう偏った見方だ)、再稼働、輸出という解答に突き進もうとしている。
失敗も明らかにされず、症状を形作ることも出来ず、問いを立てることも出来ない。そんな社会が長続きするとも思えないし、次の世代に残したいとも思わない。あっち側とこっち側をどうやって繋ぐか、それが課題である。無視しようと思えば無視できるが、本当は無関係ではない出来事と折り合いをつけている社会が、開かれた良い社会となるのだろう。でもそれは、衝撃を正面から受け止め、悩む社会でもある。
我が国の国策は、安全神話と深く関係しているに違いない。
だが、最悪のシナリオを想定するのはひどく難しい。恣意(本音)の人ならそうなる。
縁起でもないことは、頭が受け付けない。口に出してもいけない。
これは、平和ボケのようなものか。
太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も投降して、75000人以上の将兵の命を救った。
太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるし、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。
日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はないのか。
人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。
それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。
意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。
>親戚のじいちゃんはガ島で地獄を見てきた。
>「あれは決して国のために尊い命を落とす姿じゃ無かった」という言葉を忘れない。
兵卒は優秀。参謀は愚鈍。日本語脳の定めであるか。理不尽に耐える心を養うべきか。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、
わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養 (洞察力) がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、
白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。