とんびの視点

まとはづれなことばかり

9月も終わり

2012年09月30日 | 雑文
9月も終わる。カレンダーでは今年も残すところ3ヵ月。でも不思議とそんな実感はない。おそらく残暑が長く、なかなか秋を実感できないからだろう。先週末から涼しくなったとはいえ、まだまだ秋の透明でひやっとするような空気ではない。今も台風が南からの湿った生暖かい風を運んでくる。蒸し暑さに耐えられず、エアコンをドライにしている。こんな状況でどうして秋を感じることが出来るだろう。

実感がどうあれ、明日からは10月だ。10月1日は若潮マラソンのエントリー開始日だ。大会は1月の最終日曜日。練習できるのもあと100日程度。はやいものだ。今年の1月末の若潮マラソンで痛めたヒザがいまだに完治しない。(レース直前の合気道の稽古でヒザの上に乗られたのが直接的な原因だが……)。完治しないまま1年後の同じ大会に向けて走り込んでいる。

走り込んでいるとは言え、今月の走行距離は154km。ヒザの痛みが再発して、10kmを超えた距離が走れないのと、月の半ばに10日ほど風邪をひいたことが影響した。10月になったからヒザが急に良くなることもあるまい。地道に短い距離を積み上げるしかなさそうだ。(本来10月といえば距離を延ばす時期なのだが)。

昨日は久しぶりに子どもたちを連れて家族で土手に行った。僕と相方はランニング、子どもたちは自転車。土手まで走ったら、子どもたちと弁当を食べる。そしてキャッチボールをして遊んだりする。日差しも強く、風も南からだが、少なくとも昼間に家族で土手に来れるほどの季節にはなったのだ。毎年のように同じことを繰り返しているが、久しぶりに土手で子どもたちを見ると、子どもたちのサイズが変わっていることに驚く。

久しぶりにあった子どもの成長に驚くことは多いが、毎日顔を会わせている子どもを久しぶりの場所に連れていくと、過去の記憶との比較でその成長が実感できることに驚いた。それと同時に、家族で土手で遊ぶことも近いうちになくなるのだろう、と思う。相方と二人で土手にランニングに来て、子どもたちと遊んだことを思い出したりするのだろう。

このところ自転車操業のような日々が続いている。(自転車操業というと『高瀬舟』を思い出す)。立ち止まってものを考える時間があまり取れていない。いや、立ち止まってものを考える能力が落ちただけかもしれない。違うな。正確に言えば、考えたことを書く努力が出来ていないのだ。頭の中で言葉を一週ぐるりと一回りさせて、それでおしまいにしているのだ。(「効率」ということを意識するとこういうことになる)。

焦っても仕方がない。秋になったのだ。ゆっくりとやっていこう。本当なら、今夜は土手にでも行って、ゆっくりと中秋の名月でも眺めていたかった。明日からは10月。残り3ヵ月、しっかりいこう。

飼い猫はやはり二匹

2012年09月24日 | 雑文
今朝は5時すぎに目を覚まし、5時半から軽くランニングをした。風が冷たい、秋の空気だ。東の空の雲は朝焼けでオレンジ色。日の出の時間が少しずつ遅くなる。(実際、もう昼の時間より夜の時間の方が長いのだ)。去年もそうだったが、日の出が遅くなり、風が冷たくなると、いつの間にか早朝のランニングは終わり、昼休みに走るようになる。

今朝も薄明かりの中で目を覚まし、このままランニングに行くか、昼休みに走るかを相方と話した。結局、朝のランニングをすることにし、二人で別々に走った。(走る距離もペースも違う)。「早起きは三文の得」という諺も聞かなくなったが、僕が走って家に帰ると、先に戻っていた相方が家の前で
子猫を抱いている。捨て猫だ。早起きして子猫を手に入れたわけだ。

茶トラでしっぽの長い猫、そしてオスだ。以前、ブログに書いたが、我が家では6月に17年目の猫が亡くなった。ツチという猫だった。その猫は、茶トラでしっぽが長く、そしてオスだった。不思議なものである。縁(えにし)とでも言うのであろうか。再び、猫が二匹となったわけだ。(子どもたちは朝から大騒ぎだった。きっと学校から走って帰ってくることだろう)。

相方の午前中は、子猫飼育に必要なものを買いに行ったり、子猫を獣医さんに連れていったりで、あっという間に終わってしまった。三文の得どころではない。死んでしまったツチも、まだ元気なヤブもトイレは人間用の便座を使うので、猫のトイレ用の砂を久しぶりに目にした。調理用のザルとボールも買ってきた。これを使っていずれ人間用の便座でトイレが出来るように教えるのだ。

かかりつけの獣医さんは相変わらずのいい人で、ヤブの薬と子猫の検診でわずか千円。おまけに子猫用のミルクとミルク用の注射器をただでくれた。「安すぎる」という相方に、「子猫を育てるのは大変だから」との言葉だ。古株のヤブさんは、事態を把握しているのか、いないのか。近くで子猫の鳴き声がしてもほとんど気にしない。と思ったら、寝ている子猫を目にして、緊張しながら後ずさったりする。この辺りのやりとりは、今後、楽しみである。

猫を飼うのは突然だ。17年前も夜の土手にランニングに行って、そこでたまたま出会ってしまった。そして今日もそうだ。相方がたまたま出会ってしまった。我が家の近くの草生い茂る小さな空き地で。ペットショップで買おうとは思わない。でも心のどこかに猫や犬がいる。あとは「袖触れ合うも多生の縁」だ。真っ黒な猫と出会いたかった気もするが、そこはそれ、人生とはそんなものである。

8月のこと、野辺山、葉山

2012年09月03日 | 雑文
さて、8月のことの続きである。正直、今になって8月のことを書くのにどんな意味があるのかわからない。記録のためというのでもない。(自分が書いた過去のブログを読み返すことはまずないし、これからもそうだろう)。心理的なけじめをつける、というのが正解かもしれない。頭や心にぼんやりと残っている印象を言葉に置き換えることで、その出来事に一区切り付く。そのプロセス自体も楽しいし、うまくすれば新たな気づきもある。そんなところだろう。

野辺山には2泊3日でキャンプに行った。僕の奥さんの従姉妹の家族と一緒だ。今までキャンプといえば初夏や秋ばかりだったが、今回、初めて真夏のキャンプに行った。わざわざ野辺山まで行ったのは、星を見るためだ。(そのために星座図鑑を買った)。五光牧場オートキャンプ場というところで、野辺山電波天文台のすぐ近くだ。

野辺山駅からキャンプ場までのあいだ、広大なレタス畑の中の道を走る。空が広い。空の青はほんとうに空色で、遠くの入道雲は白く輝いている。向こうには山々のシルエット。アスファルトは太陽の白い粉でまぶしい。野菜を収穫する大きなトラクターのようなものとすれ違う。ずっと記憶に残りそうな光景だ。

天気は今ひとつ安定しなかった。標高が高いせいもあるだろうが、午後になると不安定になる。2日目などは昼過ぎにすごい雷雨になった。風が吹きはじめる。突然、空が暗くなる。ぽつ、ぽつ、と雨が降り出す。テントの周りのものを片づけはじめたら、すぐに大雨になる。テントの天井を打つ雨の音。近くで鳴り響く雷。タープを揺らす風。(従姉妹のタープは見事に倒れた)。家族でひっそりとテントの中で雨宿りをする。

夜も天気は曇りがちで、星はほとんど見られなかった。星座早見表の出番もほとんどなかった。サイト内は公共の照明がほとんどなく真っ暗だ。晴れていたらきっとすばらしい星空だっただろう。残念だ。それでも暗闇の中で焚き火が出来たので子どもたちも満足していたし、暗闇の中、懐中電灯を使わずに遠くのトイレまで一緒に歩いたのことにも喜んでいた。都会では自分の手が見えないほどの暗闇など滅多にない。

あとは中学生になった従姉妹の娘のバレーボールの練習に付き合った。デコボコした足場だったのでヒザを痛めた。(これが今に繋がる発端だ)。さらに最終日には家族で飯盛山に登り、さらにヒザを悪化させた。温泉に入り、帰りにラーメン屋に寄った。物静かな感じの店の奥さんは、人恋しいのかやたらと話しかけてきた。主人はキャベツをひとつお土産にくれた。ラーメンはとても美味しかった。当然のように、日曜日の夜の中央道は渋滞だった。

その一週間後、8月最後の週末、相方の実家の葉山に行った。僕も相方も疲れていたが、さすがの子どもたちも疲れてきたようだ。行く前は「今回は海って感じじゃない」などと言っていた。ところが、実際に海を見たら、やはり全力で遊び出した。実際、海水浴客も多い。他の人たちが泳いでいるのを見て、我慢できる子どもたちではない。

しかし海は荒れていた。沖縄の方に台風が発生しているせいだ。腰まで海に浸かっていると、大人でもバランスを崩しそうな波が寄せては引いて行く。時には、水中に巻き込まれるような大きな波もくる。長男だけならいざ知らず、さすがに次男は1人で遊ばせられない。そんなわけで、疲れた体にむち打って、僕も相方も水着に着替え、子どもたちと海で遊ぶ。

遊びはじめると、自分のバカに火が着き、楽しくなってくる。あえて大きな波を待って、それに乗ったり、耐えてみたりする。何度かは、次男を抱えたまま波に巻き込まれ、水中で回転した。回転するまでは次男を守りながら、適当なところでリリース。自ら出ると離れたところで次男が笑いながら浮いていている。長男も次男もほとんど浜辺に上がろうとしない。ずーっと水中にいる。僕と相方は時おり浜辺で休むが、面白いのと心配なのとで、すぐに海に戻る。そんなことを半日行なう。子どもたちも満足したようだ。

日焼けがひどくなり、疲れが増して、ヒザが悪化した。しばらくは耳の中から砂が出てきた。そんな風にして、今年の夏は子どもと遊んだ。

そして8月31日。久しぶりに国会議事堂前の抗議行動に行った。月の綺麗な夜で、以前に比べだいぶ涼しい風が吹いていた。8月3日以来だから、3週間あいていたことになる。雰囲気が違っていた。人は明らかに少ない。活気も落ちている。警備に当たる警察官の緊張感もない。あれっ、という感じだった。

さすがに長丁場で参加者にも疲れが出てきたのかもしれない。国民の大半が原発反対の意見だとはっきりしたので少し余裕が出てきたのかもしれない。あるいは、抗議の時間や場所が分散しはじめているせいで活気がないのかもしれない。(ただ自転車で抗議している人たちは、前回来たときより増えていた)。

涼しい風を肌に感じ、月を眺めながら、今後の抗議行動がどうなって行くのか考えねばと思った。

8月のこと、ランニングと館山

2012年09月02日 | 雑文
9月になった。今日は雨が降り、久しぶりに気温が低めだったが、明日からまた暑い日がしばらく続く。とても忙しい8月だった。子どもの夏休みに付き合って、さんざん遊んだからだ。(もちろん仕事もきちんとしていた。正確に言えば、仕事と遊びで忙しかったのだ)。8月のことを簡単に振り返っておこう。

まずはランニング。8月の走行距離は93km。毎年、夏は暑さのせいで走行距離が減るが、去年から早朝ランニングを始めたせいで、ある程度の距離は稼げるようになった。今年は7月、8月それぞれ135km、計270kmを目標にしていた。結果的には7月が183km、8月が93km、計276kmと目標は達成した。7月距離をかせいだので8月は無計画で走った。もうちょっと考えて走れば100kmは行けただろう。9月の目標は200kmだが、ヒザの痛みが再発している。どうなることやら。

遊ぶことに忙しかった8月。8月の前半に4泊5日で館山に遊びに行き、中盤に2泊3日で野辺山にキャンプに行き、終盤に2泊3日で葉山に行った。週末ごとに泊まりがけだ。子どもたちにつき合ってワイルドに遊んだ。自分が子どもの時にだってこれだけ遊びはしなかった。すごく疲れた。今も疲れが抜けていない。

館山には毎年、夏に遊びに行く。(ここ数年は冬にも若潮マラソンで行く)。知り合いのセカンドハウス(古い一軒家)があるので、そこを借りて自炊をする。直線距離で海まで100メートルもない。20年ほど前には海水浴場だったその場所も、いまではただの砂浜で、海水浴をしている人はせいぜい10人程度。

曇りで気温が低めの平日などは、泳いでいる人がだれもいなかったりする。灰色の空、ちょっと暗い海、冷たい風、そんな中、沖の方に向かって泳いで行くと、少し不安になったりする。今年は1日だけ曇ったが、あとは暑い青空の日々だった。朝起きて釣りに行き、庭の手入れをして(すごく荒れている)、海で疲れるまで遊び、家に戻ってスイカを食べる。昼過ぎの炎天下、庭で冷たく冷やしたスイカを水着のまま食べる。口の周りに残った海の塩でスイカがより甘くなる。いちばんおいしいスイカの食べ方だ。

朝と夕方、時間があれば防波堤に魚釣りに行く。釣りにはあまり興味はないが、子どもたちがやりたいという。これも思い出になるかと思い、簡単な道具を持って防波堤に行く。(そう言えば、去年は次男が堤防から海に落ちたんだった)。当然だが、子どもたちはすぐに飽きる。竿を持っているのは親で、子どもたちは好き勝手なことをやりながら、時おり「釣れた?」と聞きに来る。どこからかやって来た首輪を着けた若い猫と遊んでいる。(先日死んでしまった我が家の猫とちょっと似ていた)。

カタクチイワシの小さな群れが時おり回游してくるが、なかなか釣れない。強い日差しが首の後や肩を焼く。汗が流れる。「釣れた?」「ううん、釣れない」の繰り返し。しばらくして竿に手応え。やっと1匹食いついた。小さなカタクチイワシだ。竿を上げて魚を釣り上げる。魚が地面に着くやいなや、猫が魚に飛びついた。急いで猫を押さえる。魚は惜しくないが、いくつも針がついるので危ない。結局、釣った魚はほとんど猫にあげてしまった。とても美味しそうに食べるからだ。

毎年、夏になると館山に行く。同じような日々を繰り返しているが、今年の猫のように少しずつ違うこともある。そして子どもたちも1つずつ成長する。長男も来年の夏は中学生だ。あと数年もすれば、夏休みに館山に家族で来て海水浴をすることもなくなるのだろう。遊べるのも今のうちなのだろう。疲れなどいられない。

野辺山、葉山、金曜日のデモ、読んだ本のこと、8月のことで書いておきたいことはまだまだある。本当ならタイムリーに書ければよかったが、それだけ忙しかったということなのだ。他の話は回を改めて書く。(こんな駄文だが、文字を書いていることは、それ自体が楽しいことだ)。