とんびの視点

まとはづれなことばかり

幻の186歳

2010年08月27日 | 雑文
〈今度は「186歳」 同級生は十三代将軍家定〉、毎日新聞の社会面に出ていた記事だ。近ごろ発覚した「戸籍上は生存する超高齢者」である。おそらく家族が死亡を隠して年金を不正に受け取っていたというようなケースとは違い、社会的にそれほど悪影響のある事ではないだろう。それにしても、こういう報道が続くと「次は何歳が出てくるのだろう?」という妙な期待をしてしまうところがある。

そういえば、「戸籍制度」は日本と韓国と台湾ぐらいにしかないと聞いたことがある。その時は「なるほどそういうものか」と思ったが、ちょっと考えたら戸籍制度そのものについてあまり理解していないことに思い至った。

ウィキペディアによると、「戸籍とは、戸と呼ばれる家族集団単位で国民を登録する目的で作成される公文書である。日本では戸籍法に定められている。東アジア諸国特有の制度」とある。

古代以来の中国の華北社会では、戸(こ)と呼ばれる小家族が成立し、これが社会構造の最小単位として機能していた。そのため政権が社会を把握するためには戸の把握が効果的であった。つまり政権が支配下の民の把握を戸単位で行ない、それを文書に作成したものが戸籍である。

日本でも律令制の制定に伴って戸籍制度を導入したが、当時の社会構造は華北のように戸に相当する小家族集団を基礎にしたものではなく実態にはそぐわなかった。その後、中央政権が全人民を全国的に把握する体制は放棄される。全国的な安定統治が達成された江戸時代の幕藩体制下でも、住民把握の基礎となった「人別帳」は、血縁家族以外に遠縁の者や使用人なども包括した「家」単位に編纂された。結局、今のような戸籍が日本にでき上がったのは明治時代になる。

なるほど、そう考えれば戸籍が世界中に存在しないということは理解である。そもそも古代中国の華北に存在した「戸」と同類のものがなければ(あるいは作り上げねば)、戸籍というものは存在しないことになる。戸籍がないからといって、それぞれの国家が人民の把握をしていないということではない。把握の単位が違うだけだ。個人単位で行なったり、家族集団単位で行なったりしている。戸籍があろうとなかろうと、どの国でも人民の把握は行なっているということだ。

そう考えると、今回の記事が少し違って見える。現象として起こっているのは、戸籍がきちんと管理されていないことにより、186歳の人間が生存していることになっている、ということだ。それを〈今度は「186歳」 同級生は十三代将軍家定〉という方向に引っ張れば苦笑ものの社会面の記事になるが、国家権力が人民を把握できていないという方に引っ張れば政治・行政の記事になる。

今回のような戸籍の不備を年齢の問題にすると、私たち個人の問題と微妙な重なりを見せるが、戸籍による人民の把握と、私たちが自分の年齢を意識することは本来別物だろう。言い換えれば、私たち個人は戸籍という人民把握側の視点を内面化させることによって自分自身の年齢を個人の問題として意識するようになる。

20年近く前に私が日本語学校でアルバイトをしていたとき、バングラデシュ人の生徒が何人かやってきて身分証明書のようなものを見せてくれた。誕生日は「1967年1月1日」となっている。「へーっ、1月1日なんだ。おめでたいね」と声を掛けると、別の生徒の誕生日も「1965年1月1日」その別の生徒も「1月1日」。まさかそんなに1月1日生まればかりのはずはないだろう。

そう思い尋ねると、結局、誰も自分の誕生日など知らないのだ。誕生日どころか、「僕は26歳という事になっているけど、たぶん本当はあと2歳くらい年下ね。おかあさん(おかさん、と発音する)なら本当の年、知っているかもしれないね」と生徒が言う。周りも、そうだよね、という感じで頷いている。その時は、何だこのいい加減さは、と思った。自分のことをそんなに曖昧にしておいて平気なのか、と。

しかし考えてみると、これは2つの観点から見ることができる。一つはバングラデシュという国家が(その正確な生年月日を含めて)人民の把握をできていないということ。これは別に個人の問題ではない。そしてもう一つは個人が自分の年齢を把握するということだ。

自分の年齢の把握。現代の日本で自分の年齢を知らない人に出会えば、私たちはその人自身に何らかの問題があると思うだろう。老人であれば「んっ、これは」という問題だし、一般的な成人であれば知的な能力を疑われる。子どもは自分の年齢を答えられるように教え込む。

子どもは物心ついた頃からさまざまな場面で年齢を聞かれる。お前は何者だと問われているかのようである。答えることで相手が笑顔になり褒め、受け入れてくれる。そのようにして年齢が自己の核の部分に食い込んでくる。

年齢とは個人的なものであるようだが、極めて社会的なことなのだ。お互いに年齢を確認し合わなくても生きていける社会なら、誰もが年齢をそれほど意識することはないだろう。そしてそれは案外、悪い事ではないのかもしれない。年齢はみな等しく変わるが、人の成長にはばらつきがあるからだ。(いろんな子どもに勉強を教えてきたが、「2学年下げればすごく優秀なのに」と思うことは何度もあった。)

すでにいない人間に対して「今度は186歳」という言葉が出てくる。よくよく考えると奇妙な事態だ。現実には存在しないもの、自らの観念が勝手に作り上げたものを相手に勝手に不思議がっているのだから。「186歳、十三代家定の同級生」。自らが作り出した幻だ。

「そういえばさあ、あそこのばあさん、何十年も前からずーっといるけどちょっと薄気味悪いよな。いったい、いくつなんだろうな」。そんな目の前の具体的な不思議を問う言葉の方が健全な気がする。具体的な不思議よりも、楽しめる幻の方が巾を効かせている世の中なのかもしれない。
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駄文

2010年08月26日 | 雑文
先週の火曜日の夜、全身に蕁麻疹(じんましん)が出てきた。それから1週間、かゆさで落ち着かないか、薬の眠さでぼーっとしているかのどちらかであった。その前の週末に本格的にランニングをして体力を落とし免疫力が下がったところに、部屋の模様替えで竹カーペットをはがし埃まみれになったことが原因だろう。つまり、自分の外側の世界を整理し、身体を整えようとしたら、結果的に体がやられてしまった。なかなか上手くいかないものである。

それにしても暑い日が続く。先日、Podcastで聞いた話しなのでうろ覚えだが、東京の8月の平均気温は28℃らしい。(今年はもっと暑いことだろう)。背広の発祥地ロンドンは20℃くらい(たぶん)。8月の東京で背広を着ることに無理があるのがよく分かる。ちなみに8月の平均気温28℃の土地を探すとクアラルンプールとかが同じだそうだ。北緯4度、熱帯である。8月の東京で背広を着ているのは熱帯で背広を着ているのと同じなのだ。尋常ではない。そのうち背広姿のサラリーマンが駅のホームで熱中症で倒れたりするかもしれない。誰かが「やめよう」と言い出すべきなのだろう。

そんな暑い夏でも、子どもを自転車に乗せ保育園に向かうときなどは不思議と心地よい。桜の葉の黒い影がくっきりと地面に映るような強い日差し。(地面の影は風に吹かれて踊っている)。正面にある入道雲、そして見上げると青い空。そのまますーっといってしまいたくなる。

すーっとなってしまいたいときに、意識を集中するのは難しい。(こんな駄文であっても)書くためには意識の集中が必要だ。言葉にするというのは、目の前の出来事や不安定な思いに名前を与えることだ。名前と言っても勝手な名前を付けるわけにはいかない。出来事や思いにもきちんとした名前をつけないと物事はスムーズに進まないし、文章も書けない。書かないと頭の中が整理されず、処理されるべき事柄がたまっていく。たまった事柄の多さを思うと、さらに意識を集中するのが難しくなる。そして雪だるま式にたまっていく。

すでに薬の影響で少し眠くなっている。書くのを辞めてしまおうという心の声がする。(実は、この1週間何度かブログを書きかけては眠さで挫折している。)キー歩ボードを打つ指が止まっていた。気がつくと頭の中は妄想、種田山頭火が何かを言っている。

やめよう、とにかくアップしよう。最期に「人間が危険を覚悟でコミュニケーションを選択した話し」。何かの本の引用である(たぶん『現代霊性論』だと思う)。

人間というものはあらゆる危険を顧みずコミュニケーションを重視してきた。チンパンジーやゴリラなど類人猿の目は、みんな白目がなく全部黒目だ。それは瞳の動きを分かりにくくするためだ。白目があると黒目の動きが分かりやすくなる。黒目の動きが分かりやすいということは、自分の行動が読まれやすいということだ。行動や意図を読まれるのは、生きるためにはものすごく不利である。人間はその危険を犯して、あえて自分の意図や行動が読まれるような方向に進化した。生存上の危険度とコミュニケーションを天秤にかけて、コミュニケーションを選択したのである。

なるほど。確かに黒目だけだと視線は読みにくいだろう。白目と黒目からなる人間の目からは多くの情報を手に入れることができる。そして僕の目は眠さで半分閉じかかっている。




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小確幸

2010年08月16日 | 雑文
日曜日の夕方も土手をランニング。岩淵水門までの往復でおよそ12km。土曜日と同じ時間に走ったが気温が違う。暑い。日中の最高気温は35度。夕方とはいえ熱気が残る。それでも土手には多少、涼しい風が吹いている。水面で冷やされた風が川に沿って吹くからだ。かつて東京には川や水路が非常に多かった。それらをすべて暗渠にしたが、そのことは都市の気温上昇に一役買っている。昭和30年代(だったかな?)の頃と同じように水路を復活させれば、東京の気温は3度ほど下がると聞いたことがある。

多少涼しいとはいえ、走るにはとてもキツイ。暑さに加えて昨日の疲れが残っている。ふくらはぎには軽い痛みを感じ、思ったように脚が動かない。(それでも久しぶりの筋肉痛にちょっと懐かしさを感じる)。ペースは昨日と同じゆるゆるだ。違うのは、昨日はあえてゆるゆる走ったのだが、今日はゆるゆるでしか走れないということだ。

体の中に熱がたまっていく。汗が噴き出す。橋のたもとの水飲み場で頭から水をかぶる。髪を伝って流れる水が生ぬるくしょっぱい。何も考えずにただ走る。考えてはいないが、過去の大会の映像が浮かんでは消える。水門を折り返すと多少、体にまとまりが出てくる。20代半ばくらいの女子がいいペースで僕を追い抜く。土手を下り、川沿いを走っていく。僕は土手の上のコースを並走しながらスピードを上げ彼女に差をつける。

筋肉が本来の動きを思い出したかのようにスピードが上がる。息もそれほど上がらない。そのまま1.5kmほど走る。体が熱くなり汗が流れる。水飲み場までもどり頭から水をかぶり、腕や脚を冷やしていると、女子が傍らを走り抜けていく。サブフォーくらいのペースだ。フォームも崩れていないしスタミナも十分にありそうだ。しっかりと鍛えている感じだ。ナイスラン、と声を掛けると怪しい人間だと思われるので、心の中でそう思う。

水飲み場から家までは、ただただしんどかった。ハイペースで疲れた上に空腹までやって来た。走るごとに歩幅が短くなり、体に力が入らなくなる。「しんどい」と思った。でも、いつだって走ることはしんどかったことを思い出した。走るのが楽しく感じるのは、あとから思い出したときだ。走っているときはいつだってしんどい。真剣に走れば走るほどしんどい。そしてやっかいなことに、しんどいほど充実感がある。そんなことを思い出して、自分がいろんなことを忘れていることに気がついた。

走ることで身体に喝を入れた。さらに外側の物事の整理として、部屋に敷いてある竹のカーペットを引っぺがした。一人で家具をずらしたり、掃除機をかけたり、雑巾掛けをしたりした。こうして外側の世界も少し整理された。

あとは頭の中だ。いくつか整理しなければならないことがある。その1つが先週の館山。金曜日の夜に出発して、日曜日の夜中に帰宅した。その間やったことは、魚釣りと海水浴と蜂の巣の駆除と庭の手入れと花火大会である。

前回、魚釣りに失敗したことは書いた。海岸からキスを狙っての投げ釣りをしたのだが、子どもにはまったくピンと来なかった。今回は堤防でのサビキ釣り。小さなカゴにエサを入れて、その下に針がいくつも付いた糸を付ける。それを堤防の目の前に垂らしておくと、カゴから出てくるエサにつられて魚がやって来て上手くすると釣り上げることができる。

何より子どもが喜んだのが、エサ目当てにやって来る魚が見えることだ。魚が見えていれば釣れなくても魚釣りをしている気分になれる。(海岸からの投げ釣りとは大違いである)。結局、釣果はカタクチイワシとウルメイワシが合わせて15匹ほどと小アジが1匹。すべておいしく頂いた。これで買った竿が無駄にならずにすんだ。

海水浴は相変わらずの半プライベートビーチ。今回は水深3メートルくらいのところに、海面から1メートルくらいの高さの台が設置されていたので、それを使って遊ぶ。長男も次男も何度も海に飛び込んでいた。あきれ返るくらい海も空も青い。

長男が泊まっている家の2階の窓の側にアシナガバチが巣を作っていることを発見する。さっそく業者を呼んで駆除してもらう。僕らは遠くから駆除の様子を見ていた。業者のおじさんが潜水夫のような服を着て、はしごを登る。始めに巣の周りに薬を撒く。それから巣に直接、薬を散布する。くまのプーさんで見るような蜂の攻撃はないが、それでも何匹かはおじさんにアタックする。防護服のおかげで何ともないようだ。十分に薬を吹きかけ、ビニール袋を出して巣をばりばりと取り除いていく。何だかあっけない。

おじさんが袋の中の蜂の巣を見せてくれる。子どもたちは興味津々だ。巣をばらすと蜂の子が出てくる。白くてぷにょぷにょしている。うぇっ、こげなものをおいしいと思う輩もおるのだ、と呆れていたら、一緒に見ていた友人が「クリーミーで美味しそうだったね」とあとで言っていた。人それぞれである。

日曜日の夜には花火大会に行く。長男も次男も本格的な花火大会をきちんと見に行くのは初めてだ。砂浜に腰を下ろして食い入るように見ている。とくに海面で開く花火はよかった。それでも30分も経つと飽きてくる。長男は花火とは別の方向を見ているし、次男は眠そうな顔をしはじめる。周りを見るとやはり小さな子どもたちは眠っている。

最期の花火が終わると人々は自宅へ、駐車場へ、駅へと歩いていく。何となく和んだ感じの雰囲気がよい。ぐにゃりとした次男を背負って駐車場まで10分ほど歩く。重くて、暑い。でも、眠った子どもを背負って歩くことがあと何回あるのだろう、そう思うと、子どもの重さや暑苦しさも確かな手応えのように感じられる。こういう手応えって、村上春樹の言う小確幸(小さくて確実な幸せ)なのだろう。悪くない。

外の物を整理して、身体を鍛えて、頭の中を整理する。どうやら少しずつ焦点があってきたようだ。今日もこれから小確幸を求めてちょっとランニングだ。(今日の予想最高気温は36度。きっと昨日より厳しいぞ)。
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久しぶりの土手ランニング

2010年08月15日 | 雑文
外側のものが片づけられていて、身体がケアされていて、頭の中も整理されている。そんなときはとても調子よくものごとが進んでいく。机の上や棚が乱雑なままだし、体重が2キロほど増えて変にだるいし、言葉を与えられないままの過去の出来事や将来への思いが頭の中を徘徊する。夏の暑さを理由にしすぎたようだ。

昨日から相方と子ども2人は実家へ遊びに行ってしまった。火曜日の夜までは独り身だ。この数日間で少し調子を取り戻そう。机の上や部屋を整理して、ランニングをして、ブログとそれ以外の文章をとにかく書く。

どこから手を付けようかと考え、昨日の夕方、久しぶりに土手をランニングした。暑さが和らぐ夕方5時半過ぎから80分くらいかけて12kmほど走る。とてもゆっくりと。ビーチボーイズの『ペット・サウンズ』とカーネーションの『EDO RIVER』を聞きながら何も考えずに。

15分かけて土手まで走る。土手では、少しずつ明るさが落ちる川沿いのコースを思ったより多くの人が走っている。10年以上走っている見慣れた景色が新鮮に見える。気がつけば、7月の初めに来てから1ヶ月半ほど過ぎている。暑さを理由にサボり過ぎたようだ。

ランナーの他にも、犬を散歩させている人、自転車のトレーニングをしている人、子どもを連れて遊んでいる人、友だちとふざけながら自転車に乗っている中学生などがいる。季節に関わりなく同じ風景だ。

変わったものといえば僕の走力だ。明らかに落ちている。体が重い。脚の上がりが悪い。フォームがぴたっとはまらない。スピードは出していないので苦しくはない。苦しくないけど、心地よくもない。しばらく走って橋のたもとの野球場の水飲み場で給水をする。そして土手の一番高いところを岩淵水門まで走る。西の空では沈みゆく太陽が白い雲の後からオレンジ色を滲ませる。

ゆっくりと走る高齢の男子もいれば、顔を紅潮させ結構なスピードで走る若い女子もいる。夫婦で走っているものもいるし、自転車の伴走と走っている人もいる。水門で折り返してほぼ40分。少しずつ体がまとまってきたのでスピードを上げる。フルマラソン4時間のペース、3時間45分のペース、3時間半のペース、3時間15分のペース。体がペースを覚えているという事実にちょっと嬉しくなる。ペースは覚えているが、すぐに息が苦しくなる。再びゆるゆるジョギングに戻る。

土手はだんだんと薄暗くなり、遠くの人たちの姿がぼやけてくる。斜面を見上げると虫取り網を持った子どものシルエットが見える。何年か前の長男の姿を思い出す。あの時も僕はランニングをしていた。その横で長男は虫取りをしていたのだ。

深く静かに嬉しくて鳥肌が立った。走っていることを体が喜んでいる。体がストックしている記憶が状況と重なることによって再び顔を出す。走ることでしか思い出せないことがある。走ることで思い出が出来る。走れば走るほど、思い出が増え、思い出すことができる。走らなければ、思い出すことなく過ぎ去ってしまう出来事。走ることでもう一度、その出来事が巡ってくる。

道元の「時は飛去するとのみ解会すべからず、経歴なり」という言葉を思い出す。そして直観する。すべてがただ過ぎ去る(飛去する)だけでなく、巡る(経歴する)からこそ、人は死ぬことを受け入れられるのだ、と。走っているとこういう直観がやってくる。それもまた頭の中の整理の1つである。
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地球のルール

2010年08月06日 | 雑文
「んーっ、何て言うの。地球には地球のルールって言うのがあるの。んーっ、ルールが守れないって言うならっ・・・・、んーっ、出ていって」。昨日の朝、駅に向かう坂道を上っていたら、向かいから下ってきた女性がすれ違いざまに怒りながらそう言った。

別に僕が怒られたわけではない。坂を上りはじめたら前の方から「けぇーっ」とか「ちっゅーっ」とかいう怒りのうなり声が聞こえてきた。誰かが目に見えない敵と戦っているのだと思った。そうしたら50代終わりくらいの女性が厳しい表情で下ってきて、ちょうどすれ違いざまにそう言ったのだ。

「地球には地球のルールがある。それが守れないなら出て行け」。名言である。子育て、学校教育、社員教育、どんな場所でも使えそうだ。下手くそな七五調の交通安全の標語より良い。いつの日か世界中のすべての人が地球のルールを守るようになれば、あまたの不幸がなくなり、あの女性の怒りも鎮まることだろう。(それにしても彼女はいったい何に対して憤っていたのだろうか。気になる。またすれ違うことを楽しみにしている。)

さてさて、今回も館山の続き。東京の下町と館山の大きな違いは「明るさ」や「ひかり」である。館山に行くと東京がいかに人工の明るさで満ちているかに気づかされる。

花火をやりたい、花火をやりたい、という子どもたちの声を何となく黙殺して、夜の浜辺に散歩に出かける。花火が嫌いなわけではないが、夜の海を見に行く方が面白い。海に着くと浜辺が白い。波にもきらきらと反射している。月の光だ。ぽっかりと明るい世界が広がっている。子どもたちは吸い込まれるように波打ち際に行く。寄せては返す波がはっきりと見えるから、そのぎりぎりのところで足を濡らさないように波と追いかけっこをする。楽しく弾けた表情もはっきりと見える。

振り向くと空には小望月(十四日月)が白く輝いている。人工の光がないから、月がどれくらい明るいかが分かる。子どもたちに声をかけて一緒に月を眺める。砂浜には月を眺める子どもの影が映っている。

「月影」という言葉がすとんと自分の中に落ちた。「月影」という言葉が「月の光、月明かり」という意味であることは、古典で習った。(「星影」も「星の光」だし、「影」という言葉自体が「光」という意味を持つ。)知識としては知っていたが、納得はしていなかった。

月の光が明るく、その光によって影ができる。月の光を追っていくとその先には子どもの影がある。光と影はひとつに繋がっている。だから「月影」という言葉に「月の光」という意味があるのだ。そんなことを実感した。

次の日の夕方、堤防から浜辺を散歩した。日は西に傾き、でも西の空には薄く白い雲がかかっている。全体が薄いオレンジ色に包まれる。そして時間とともにオレンジ色が少しずつ青に侵食されていく。光はとろりとしているし、風はやわらかいし、波の音も心地よい。少しずついろいろなものの輪郭線がぼやけてきて、すべてを包み込もうとしている。夏の海の夕暮れ時だ。

明るさからすれば、前夜の月夜よりは夕暮の方が明るい。それにも関わらず、月夜の方が明るく感じる。なぜだろう。光源の問題だ。月夜は月が光源になる。一方向から光が進むことで、ものの輪郭がはっきりし、光と反対の方向には影ができる。夕暮は光源がないから、輪郭がぼやけ、ものごとが1つに溶け合っていく。そして少しずつ闇に吸い込まれていく。

館山に行くといろいろなことに気づく。子どもたちも行く度に喜んでいる。良い経験になるだろう。そしてどういうわけか今週末はまた館山である。来週、また館山のことをブログに描くことになるのだろう(たぶん)。


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釣りはしないのか?

2010年08月02日 | 雑文
館山の続き。今年の館山、去年までとの違いといえば「釣り」をやったことだ。以前、那須のキャンプ場で次男がニジマス釣りをやると言い張った話しを書いたことがある。それ以来、次男はことあるごとに「釣りがしたい」と訴えてきた。目ざとい次男のことだ、当然、海で釣りをしている人を見たら「釣り、釣り」と騒ぎ出すに違いない。

という訳で海釣りをしている知り合いに尋ねた。子どものことだからきっと飽きてしまうだろう。安い投げ釣りセットでも買って、浜辺からキスでも狙うのが良いだろうとアドバイスされる。子どもは気が向いたら釣りをして、あとは海で遊んでいれば良い。結局、竿を見張るのは僕の役割ということだ。まあ、父親らしいこともたまにはしよう。

館山の釣具店で簡単なセットを買うことにする。投げ釣りセットと聞いて「オレもやりたい」と長男が言い出す。長男は那須では、釣ったニジマスを殺すことをイヤがり、次男の釣りを辞めさせるべく、0分もテントの中で説得した男だ。それにも関わらず、リールのついた投げ釣りセットを見たら欲しくなったのだ。物欲の人だ。

「いいよ、自分でエサが付けられたらね」と言い店員にエサを見せてもらう。「青イソメ」である。まあ水中に生きるムカデのようなものである。正直、僕だってこんなムカデみたいなやつを指でちぎって針に付けるなんてやりたくない。イソメは噛み尽くし、ちぎると臭いと店員は言う。「さあどうする」と子どもたちに詰め寄る。「オレはやめとくよ」と長男はイソメを見て弱気になる、予想通りだ。「オレはやる。大丈夫」と次男はひるまない、やっぱりね。

そんなことを言ったって、生きてうねうねしているイソメを針にさすなんて芸当が5歳児に出来るはずがない。絶対に僕がやることになるのだ。それでも「大丈夫」と言われれば仕方がない。投げ釣りセットを1つとイソメを買って釣りにチャレンジする。

早朝、釣りに行くぞ、と子どもたちに声をかけるが熟睡している。ビクリとも動かない。仕方がないので、布団の中でジッとしている。目が冴えて眠れない。30分ごとに声をかけて、3度目で子どもたちが目を覚ます。竿とクーラーボックスを持って浜辺に行く。浜には臨海学校の中学生が貝殻などを拾いながら散歩をしている。

竿をのばし、糸を通して、しかけを付ける。そしてクーラーボックスから青イソメをだす。指でつまむと思ったよりもぐにゃぐにゃしていない。表面はつるんとして少し固い。そしてひんやりしている。(これは冷蔵庫にしまってあったからだ)。左手でつまみ、右手で針を持ち、お腹に針を刺そうとするが上手くいかない。体をくねらせ、噛みつこうとする。

お腹に針を刺されて、体をちぎられて、海に投げ込まれる。なんだかパッとしない生き方だ。青イソメの幸せな生活がどんなものかは想像がつかないが、こんな形で釣りエサとして生涯を終えるのは決して望ましいものではないだろう。おまけに僕は釣りがしたいわけではない。ちょっと父親らしく振る舞おうとしているだけだ。無用な殺生である

イソメ君に申し訳ない気持ちで、体に針を刺し、そして爪でちぎる。よいしょっと釣り竿を振りかぶって海に投げこむ。まだ朝の涼しい風が浜辺を流れる。それにしても、何だって子どもたちは少し離れた浜辺で遊んでいるんだ。打ち寄せる波にサンダルが濡れないように歓声をあげながら走っている。釣り人の僕とは別の世界にいるようだ。キミたちはすごく遠くにいる。

海に向かって糸がピンと張っている。じっと眺めているが何の変化もない。浜辺から釣りをするのは生まれて初めてだ。いったい何が正しくて何が間違っているのか分からない。いつまで待っていれば良いのだろう。あまり忙しなく投げたり巻いたりしていたら魚も寄ってこないだろう。でもエサが無くなっていれば魚はけっして釣れない。だいたい自分はきちんとしたポイントに投げられているのだろうか。

仕方がないので釣り竿は無視して海を眺めることにする。朝のゆるい光に反射する海の表面。暑くなりそうだ。沖の方に小さくタンカーのようなものが見える。時おり、魚が跳ねる。こんな風に朝の海をゆっくり眺めたことはなかった。散歩だと視線が散ってしまう。こんな風に海を眺められるなら釣りも悪くないなと思う。

しばしぼーっとして、ふと自分が釣りをしていたことを思い出す。糸を巻き上げるとイソメがひどい状態になっている。中身が半分なくなった白っぽい腸詰めのようだ。だらっとしている。これじゃ、美味しそうには見えない。魚もそっぽを向くだろう。再び、クーラーボックスから活きの良いイソメをとり出して針に刺し、ちぎる。そして海に投げ込む。

そんなことを繰り返す。子どもたちがやけに静かだと思ったら、こんどは貝殻を拾っている。波打ち際に腰を下ろして思い思いに貝殻を探している。釣りには全く関心がないようだ。予想していたとは言え、ここまでとは思はなかった。僕が釣りを始めたら寄ってきて、しばらくは横にいるのだと思っていた。ワクワクした表情で自分も投げてみたいと言ってくるのだろうと思っていた。(そうしたら素人なのに蘊蓄でも述べてやろうと思っていた。大したことのない人間が偉そうにできるのが子育ての特権だ)。投げて、しばらく待って、飽きて、他のことを始めるのだと思っていた。

絶対に釣れないだろうなと思いながら、釣りを続けていた。個人的にはイソメを針に刺しちぎるよりも、貝殻を探している方が好きだ。釣りなんて別にやりたくもなかった。考えるとイヤになるので仕方がないから海を眺める。自分が投げたのとはだいぶ離れたところで魚が跳ねる。海に反射する光が少しずつ強くなってくる。だんだんと日が昇る。今日も海で泳いで、磯で遊んで、かき氷を食べて、というような1日を過ごすのだろう。

そんなことを思っていたら、次男が横にやって来た。やっと釣りをする気になったのかと思ったら、「釣りはしないのか」と僕に尋ねる。「は?」よく分からない。「キミハイッタイナニヲキイテイルノデスカ」と尋ねたくなる。「魚は釣らないのか」ともう一度尋ねる。「Oh, I see what you want to say.」なるほど、キミは魚を釣っている瞬間が魚釣りだと思っているのだね。たしかにキャンプ場の釣り堀では糸を垂れた瞬間にニジマスが食いつく。でもそれは釣り堀だからだ。本当の釣りはそんなものではない(本当の釣りがどんなものかしらないけど)、と言おうと思ってやめた。

「うん、魚釣りはしないの」。そう言って、さっさと釣り道具を片づけて、家に帰った。早起きしてお腹が空いたので朝ご飯をたくさんたべた。とても美味しかった。
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ビート板ではありません

2010年08月01日 | 雑文
先週末、わが家の親子4人と友人家族で館山の海に行った。もう1週間も前のことになる。金曜日の朝から月曜日の午後まで、3泊4日である。毎日、海に行き海水浴をする。海水浴に飽きると磯でカニやハゼなどを捕まえる。太陽の光と熱に耐えられなくなると、捕まえた生き物をすべて逃がして家に帰る。家に帰ってスイカやかき氷を食べたり、庭の草を刈ったりする。同じような日々を繰り返す。繰り返すごとに肌が黒くなっていく。

同じことを繰り返すといえば、館山の海は17年くらい続けて来ている。最初は家の持ち主の子どもと一緒に来た。学生時代に家庭教師をしていた子だ。今ではプロボクサーの日本ランカーにまでなっている。それから今の相方と一緒に、そして子どもたちが加わる。

海の方も少しずつ変わった。最初は海の家があり、浜には音楽があり、ライフガードの青年がいた。白い背の高いパイプ椅子に座り、海をじーっと眺めていた。その頃は、人が少ないことが売りのような海水浴場だった。ある夏、海の家がなくなった。海水浴客が減った。ライフガードは退屈そうに遊泳区域を決める沖のブイを眺めている。

やがて海水浴場の近くに堤防ができる。そして海水浴場の看板も下ろされた。地元は海水浴場としての利益よりも、国や地方自治体からの補助金を優先したらしい。そして夏になっても沖にブイが浮かばなくなった。何もない浜辺。

いや正確に言えば、夏の海水浴場的なものがないだけだ。白い太陽があり、青い空があり、きれいな海水がある。これ以上ない夏の海がそこにはある。音楽がないから波の音が聞こえる。セクシーな水着姿の女の子がいないから海を眺める。海の家がないから無意味な飲食もしない。浮輪を片手に水着姿で海まで行き、泳いで、磯遊びをして帰るだけだ。

海水浴3日目。海には、家族4人と友人親子2人の合計6人。その他に父親と子どもの2人連れ。波のない海面にボディーボードや浮輪をつかってぷかぷかと浮かんでいる。水が澄んでいるので、顔をつけるとゴーグル越しに海底まで見える。海底の砂は波の模様になっている。ときおり底をキスが泳いでいく。

顔を上げると少しばかり風が吹く。ちょっと向こうの方を浮輪が流されていく。風におされて海面を滑るように沖の方に行く。父親が子どもを背負ったまま泳いで追いかける。子どもは4歳くらいで、大きな水中眼鏡をしている。浮輪との距離が少しずつ縮まったように見えると、風がすっと浮輪を沖に運ぶ。しばらくそんな追いかけっこをする。

ちょっとまずいなと思う。追いつきっこないし、深追いのしすぎだ。だいたい海で浮輪と5メートル離れたら追いつかないと思った方が良い。特に沖に向かって風か吹いているときには危険だ。その上、子どもを背負っている。父親も無理と悟ったのだろう。浮輪は諦めて引き返してくる。判断がちと遅かったようだ。

泳いでいるというよりもあがいている感じだ。手足をバタバタさせているがあまり進んでいない。沈みそうになる体を浮かび上がらせるという感じだ。おまけに子どもの腕ががっちりと父親の首に入っている。ちょっと締め上げれば落とせそうだ。

仕方がないので、ボディーボードを持って彼らの方に泳いでいく。かなり苦しそうだ。近づく僕を見て息を切らしながら、すみませんビート板をお願いします、とはあはあ言っている。これはビート板ではありません、正しく名称を言い当てなければ貸してあげません、と言ったら驚くだろうなと妄想しながら、「大丈夫ですか。いまボードを投げますから、無理に泳がないでその場で浮かんでいてください」と冷静に指示を出す。

「ありがとうございます。助かりました」。息を切らしながら何度もお礼を言う。背中では子どもが泣いている。「浮輪をとりにいって。浮輪をとりにいって」と。事態の重大さが全く分かっていない。十分に脚が立つところまで一緒に泳ぎ、ボードを返してもらう。本当にありがとうございました、という父親の声と、うきわ、うきわ、と泣く子どもの声を聞きながら、実際、かなり危なかったのだろうなと思った。

僕の方が先に危険を察知して助けに行ったから良かったものの、海中のキスを追いかけていたらもう少し本格的に溺れていただろう。父親が水没して子どもも溺れたかもしれない。もちろん大事には至らなかっただろうが、もう少しオオゴトになっていただろう。人のいない海というのはとても良いが、それなりに危険もあるのだ。
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