昨日の日曜日、館山若潮マラソンを走った。3時間45分、結果はパッとしないものだった。去年の倍近く練習したにも関わらず、タイムは去年とほとんど変わらない。何とも不思議な感じのするレースだった。それでも悔しさとか不満というものはぜんぜんない。平穏。心の岸辺に波はない、という感じだ。
そもそも今回のレースは去年の6月の喜多マラソンの失敗から始まっている。タイムは4時間3分。どんなことがあっても4時間を切る、という自分で決めたルールが守れなかった屈辱的なレースだった。自分で決めたルールを守れなくなると、人からルールを決められてしまう。僕はわがままなのでそんなことには耐えられない。だから自分で決めたことが守れないのはかなりまずい事態だ。
もちろんレース1週間前に合気道の稽古で足の指を捻挫したという理由もある。しかし人生の出来事は理科の実験室で行なうものとは違う。不確実なさまざまな出来事は前提条件なのだ(そうでなければ大抵は想定外となってしまう)。そういう中でも結果が出せねばならない。というわけで、かなり強い気持ちで7月から計画的に走った。目標タイムも僕がマラソンで狙う最高の3時間30分にした。去年の倍近く走った。でもタイムは去年とほとんど変わらなかった。
若潮マラソンには5年連続の参加になる。もっとも寒く、もっとも風が強く、今までで一番きびしい条件だった。直前の風邪、膝のケガ、長く治らない腰痛、そして風の強さ。記録を狙うのはかなり厳しい。でも諦めてはいなかった。20km地点までに3時間半のペースランナーを捕まえて、可能なかぎり食らいついていく。そういう計画だった。
午前10時にスタート。朝から曇っていたがスタートとほぼ同時に太陽が顔を出す。風も強そうだが、正面からの向かい風ではないので思ったよりも楽だ。いつものように最初の10kmくらいはランナー達も何となくざわざわしている。5km地点で23分30秒。予定より1分ほどペースが速い。そのせいか8km地点でペースランナーに追いついてしまう。かなりゆっくりしたペースに感じた。これなら3時間半は確実に切れる。そう思った。
コース右側には内房の海が見える。風のせいか白い波頭がいくつも、いくつも見える。快晴なら富士山が見えるはずだ。時おり海からの風が砂を運んで吹きつけてくる。13kmくらいか、房総半島の先端近くはちょっとした上りになる。このあたりで腰にわずかな痛みを感じる。でも気にするほどではない。20人くらいの集団がほとんど足音もさせず、上半身のブレないフォームで静かに走っている(足音がしだすと上半身もブレ、余裕がない走りとなる)。
18kmくらいで膝が痛み出す。でも気にするほどではいな。精神的にはかなり余裕がある。ハーフが1時間42分30秒。どうやら後半を5分多めにとるペース配分のようだ。コースを考えればこの5分は余裕ではなく、実際はイーブンペースだ。コースが少しずつ上りになる。ここから10kmは大半が上りで、下りと平坦な道が少しずつある。
上りが続き24kmくらいから少しずつしんどくなる。腰の痛みが強くなり、膝もおかしくなる。何よりも給水所で手にしたパンが食べられないのには驚いた。僕はマラソン中に食べ物をいくらでも食べられる(あえて取らないようにすることは多いが)。サロマ湖ではスタート時よりもゴール時の方が体重が増えていたくらいだ。パンを口に入れると気持ち悪くなる。風邪の影響だ。消化器系が復活していないのだ。
だんだんと腰が痛くなってくる。フォームが崩れているのが自分でもわかる。急に息が上がり始める。無理なフォームでスピードを出しているからだ。それでも不思議なことに精神的には余裕がある(やはり今回は走り込んだからだろう)。「息は上がれどスピードは上がらず」と下らないことを思い浮かべてちょっと楽しくなったりする。
28km地点。一挙にスピードが落ちる(ここまで劇的に落ちたことはいまだかつてない)。3時間半の集団がすーっと先に行ってしまう。これは絶対に追いつけないとわかる。腰が痛くて、上半身と下半身を連動させた動きが出来なくなっている。脚のつけ根から先だけの走りになってしまった。小股でちょこちょこ走っている感じだ。1kmあたりのタイムが5分から7分くらいに変わってしまう。
そこからは信じられないくらいのランナーに抜かれた。何百人という単位だろう。もう時計を見ることは止めてしまった。できる動きをしながら走りつづけるしかない。それが最短のタイムになるはずだから。そう思いながら、アップダウンの山の中を抜け、海沿いのコースに戻ってくる。32km地点くらいだ。ここから6kmほど近くゆるい上りが続く。毎年、1番苦しむところだ。
冷たい風が吹きつける。ペースが落ちたせいで1kmが遠くなる。それでも精神的には余裕がある。無理な走り方さえしなければ10kmくらい楽に走れるという自信がある。早くゴールにつきたいとか、あと何キロ残っているのだろう、というストレスも感じない。今の自分の最速で走りつづければいい、すっきりした気持ちだ。
フォームが崩れているのでふだん使わない筋肉を使うことになる。そのせいで脚のいろんな筋肉が痙攣をし始めている。ちょっとでもスピードを上げたらパンクするのがわかる。そうならないように淡々と走る。そんな僕をすごく苦しそうな表情のランナーが抜いていく。(端から見ると僕には根性がないように見えるのだろうな)。
ゴールの数百メートル前、道端の人が一生懸命応援をしてくれるので、それに応えてスピードを上げてみた。残りもわずかなので大丈夫かと思った。5メートルも行かないうちに脚が痙攣して動けなくなる。仕方がないストレッチをする。会場に入るとゴール横の掲示タイムは3時間45分を指している。そういえば去年もこんなものだったなと思い出す。ゴールラインを跨ぐ。そして振り返って帽子を取り一礼をする。
崩れたフォームで走ったせいで今日は筋肉痛がひどい。腰も痛むし、両膝ともやられている。おまけに足首もへんだ。僕は自宅での自分の仕事場はロフトなのではしごの上り下りが大変だ。久しぶりにひどい状態だ。
帰り道、暮れていく冬空を見ながら車を運転した。空はすでにうす暗くなり、西の方は弱いオレンジと灰色を混ぜたような色だ。葉を落した木々の黒いシルエットが浮かぶ。毎年、同じように走って、同じような景色を眺めながら帰路につく。
達成感もなければ、強い後悔もない。(長い練習を含めて)やるだけのことはやったという穏やかな充実感がある。不思議な感じだ。次のレースは3月後半の板橋市民マラソンだ。おそらくそこで僕は3時間30分を狙うだろう。ただ今回のレースに向けたような根を詰めた練習はしない。残念なことに、そこまでランニングに捧げる時間が僕にはない。
そう、残り10km淡々と走っていたときに、一瞬だけ心が震えるようなことがあった。僕を抜いていった高齢のランナーの緑のTシャツの背中に「走るの、好きか?」というプリントがしてあったのだ。目に飛び込んできた。少しずつ僕から離れていく。そのあいだずっとその言葉を眺めていた。「大好きだ。走るのが大好きだ」と声を出さずに言った。脚はろくに動かず、目標タイムにもぜんぜん届かないが、それでも走っていることがとてもよいことに思えた。
また1週間もすればランニングを再開するだろう。3月のレースを意識しないといったら嘘になる。でも結局のところ、タイムのために走るのではない、走ることが好きだから走るのだ。
そもそも今回のレースは去年の6月の喜多マラソンの失敗から始まっている。タイムは4時間3分。どんなことがあっても4時間を切る、という自分で決めたルールが守れなかった屈辱的なレースだった。自分で決めたルールを守れなくなると、人からルールを決められてしまう。僕はわがままなのでそんなことには耐えられない。だから自分で決めたことが守れないのはかなりまずい事態だ。
もちろんレース1週間前に合気道の稽古で足の指を捻挫したという理由もある。しかし人生の出来事は理科の実験室で行なうものとは違う。不確実なさまざまな出来事は前提条件なのだ(そうでなければ大抵は想定外となってしまう)。そういう中でも結果が出せねばならない。というわけで、かなり強い気持ちで7月から計画的に走った。目標タイムも僕がマラソンで狙う最高の3時間30分にした。去年の倍近く走った。でもタイムは去年とほとんど変わらなかった。
若潮マラソンには5年連続の参加になる。もっとも寒く、もっとも風が強く、今までで一番きびしい条件だった。直前の風邪、膝のケガ、長く治らない腰痛、そして風の強さ。記録を狙うのはかなり厳しい。でも諦めてはいなかった。20km地点までに3時間半のペースランナーを捕まえて、可能なかぎり食らいついていく。そういう計画だった。
午前10時にスタート。朝から曇っていたがスタートとほぼ同時に太陽が顔を出す。風も強そうだが、正面からの向かい風ではないので思ったよりも楽だ。いつものように最初の10kmくらいはランナー達も何となくざわざわしている。5km地点で23分30秒。予定より1分ほどペースが速い。そのせいか8km地点でペースランナーに追いついてしまう。かなりゆっくりしたペースに感じた。これなら3時間半は確実に切れる。そう思った。
コース右側には内房の海が見える。風のせいか白い波頭がいくつも、いくつも見える。快晴なら富士山が見えるはずだ。時おり海からの風が砂を運んで吹きつけてくる。13kmくらいか、房総半島の先端近くはちょっとした上りになる。このあたりで腰にわずかな痛みを感じる。でも気にするほどではない。20人くらいの集団がほとんど足音もさせず、上半身のブレないフォームで静かに走っている(足音がしだすと上半身もブレ、余裕がない走りとなる)。
18kmくらいで膝が痛み出す。でも気にするほどではいな。精神的にはかなり余裕がある。ハーフが1時間42分30秒。どうやら後半を5分多めにとるペース配分のようだ。コースを考えればこの5分は余裕ではなく、実際はイーブンペースだ。コースが少しずつ上りになる。ここから10kmは大半が上りで、下りと平坦な道が少しずつある。
上りが続き24kmくらいから少しずつしんどくなる。腰の痛みが強くなり、膝もおかしくなる。何よりも給水所で手にしたパンが食べられないのには驚いた。僕はマラソン中に食べ物をいくらでも食べられる(あえて取らないようにすることは多いが)。サロマ湖ではスタート時よりもゴール時の方が体重が増えていたくらいだ。パンを口に入れると気持ち悪くなる。風邪の影響だ。消化器系が復活していないのだ。
だんだんと腰が痛くなってくる。フォームが崩れているのが自分でもわかる。急に息が上がり始める。無理なフォームでスピードを出しているからだ。それでも不思議なことに精神的には余裕がある(やはり今回は走り込んだからだろう)。「息は上がれどスピードは上がらず」と下らないことを思い浮かべてちょっと楽しくなったりする。
28km地点。一挙にスピードが落ちる(ここまで劇的に落ちたことはいまだかつてない)。3時間半の集団がすーっと先に行ってしまう。これは絶対に追いつけないとわかる。腰が痛くて、上半身と下半身を連動させた動きが出来なくなっている。脚のつけ根から先だけの走りになってしまった。小股でちょこちょこ走っている感じだ。1kmあたりのタイムが5分から7分くらいに変わってしまう。
そこからは信じられないくらいのランナーに抜かれた。何百人という単位だろう。もう時計を見ることは止めてしまった。できる動きをしながら走りつづけるしかない。それが最短のタイムになるはずだから。そう思いながら、アップダウンの山の中を抜け、海沿いのコースに戻ってくる。32km地点くらいだ。ここから6kmほど近くゆるい上りが続く。毎年、1番苦しむところだ。
冷たい風が吹きつける。ペースが落ちたせいで1kmが遠くなる。それでも精神的には余裕がある。無理な走り方さえしなければ10kmくらい楽に走れるという自信がある。早くゴールにつきたいとか、あと何キロ残っているのだろう、というストレスも感じない。今の自分の最速で走りつづければいい、すっきりした気持ちだ。
フォームが崩れているのでふだん使わない筋肉を使うことになる。そのせいで脚のいろんな筋肉が痙攣をし始めている。ちょっとでもスピードを上げたらパンクするのがわかる。そうならないように淡々と走る。そんな僕をすごく苦しそうな表情のランナーが抜いていく。(端から見ると僕には根性がないように見えるのだろうな)。
ゴールの数百メートル前、道端の人が一生懸命応援をしてくれるので、それに応えてスピードを上げてみた。残りもわずかなので大丈夫かと思った。5メートルも行かないうちに脚が痙攣して動けなくなる。仕方がないストレッチをする。会場に入るとゴール横の掲示タイムは3時間45分を指している。そういえば去年もこんなものだったなと思い出す。ゴールラインを跨ぐ。そして振り返って帽子を取り一礼をする。
崩れたフォームで走ったせいで今日は筋肉痛がひどい。腰も痛むし、両膝ともやられている。おまけに足首もへんだ。僕は自宅での自分の仕事場はロフトなのではしごの上り下りが大変だ。久しぶりにひどい状態だ。
帰り道、暮れていく冬空を見ながら車を運転した。空はすでにうす暗くなり、西の方は弱いオレンジと灰色を混ぜたような色だ。葉を落した木々の黒いシルエットが浮かぶ。毎年、同じように走って、同じような景色を眺めながら帰路につく。
達成感もなければ、強い後悔もない。(長い練習を含めて)やるだけのことはやったという穏やかな充実感がある。不思議な感じだ。次のレースは3月後半の板橋市民マラソンだ。おそらくそこで僕は3時間30分を狙うだろう。ただ今回のレースに向けたような根を詰めた練習はしない。残念なことに、そこまでランニングに捧げる時間が僕にはない。
そう、残り10km淡々と走っていたときに、一瞬だけ心が震えるようなことがあった。僕を抜いていった高齢のランナーの緑のTシャツの背中に「走るの、好きか?」というプリントがしてあったのだ。目に飛び込んできた。少しずつ僕から離れていく。そのあいだずっとその言葉を眺めていた。「大好きだ。走るのが大好きだ」と声を出さずに言った。脚はろくに動かず、目標タイムにもぜんぜん届かないが、それでも走っていることがとてもよいことに思えた。
また1週間もすればランニングを再開するだろう。3月のレースを意識しないといったら嘘になる。でも結局のところ、タイムのために走るのではない、走ることが好きだから走るのだ。