とんびの視点

まとはづれなことばかり

『恋する原発』を読む

2011年12月29日 | 雑文
さて年末である。気分がだいぶすっきりしている。昨日、今月の目標の300kmのランニングを達成した。少なくとも年内はランニングについて考えなくてもよい。そう考えるとほっとする。6月のフルマラソンで4時間3分。自分の最低目標を3分オーバーした。来年1月末の若潮マラソンを目指して、7月から心を入れ替えて走った。

毎月目標を立ててはクリアし、少しずつ目標を上げていった。その間、どれだけ走っても「あと何km」という意識がなくなることはなかった。今日走れても、明日のことが心配になる。今月走れても来月のことが気になる。肉体的にもきついが、精神的にもきついものがあった。とにかくそれが一段落着いた。

もちろん、来月もレースまでランニングはするが、基本は調整である。かりに30km走ることがあってもそれは調整である。タイムを伸ばすために自分を追い込む走りは今月で終わりだ。きちんと調整すれば、きっと結果は出せるはずだ。無理をしてケガをする方が怖い。

ここまで書いて、手が止まった。画面を眺めながら、何を書こうかとぼーっとしている。古語で言うと「ながむ」だ。こうして、ぼーっとできること自体が心地よい。ランニングに時間が取られるとそれを取り戻すために効率的に動こうとする。思索にふけるというより、すべてを処理する、という感じになる。仮にぼーっとできる時間が取れても、疲れているのですぐに居眠りをしてしまう。こんな風に画面を見ながらぼーっと考えるのは本当に久しぶりだ。

『恋する原発』を読んだ。高橋源一郎の小説だ。タイトルからも想像できるように、震災・原発事故後の小説だ。雑誌の発表したときにちょっと話題になった。というかちょっと物議をかもした。アダルトビデオの制作会社が、震災のチャリティーのためにアダルトビデオ作るという話しだ。(実際はもっと複雑なのだが、大枠ではそういうことになる)。

当然のことだが、アダルトビデオでチャリティーという発想がきわどい。おそらくストレートに、それは素晴らしいことだ、みんなも同じようなことをどんどんやろう、と言える人はあまりいないだろう。おそらく、チャリティーという善意は良いが、そのためにわざわざアダルトビデオを作るのは違うんじゃないか、と感じるのだろう。

それはチャリティーとアダルトビデオがどこかで断絶しているからである。もちろん具体的にあいだを繋ぐのは「お金」である。「お金」という意味では、額に汗して稼いだお金も、株取引で手にしたお金も、アダルトビデオで稼いだお金も同じである。(僕の意見ではない。現代の日本社会の考え方がそうであるはずだ)。だから日常では、どのような形のお金であれ(違法でなければ)、銀行に預金することもできるし、商品を買うこともできる。

しかしチャリティーとなるとどれもが同じ「お金」とはいかなくなる。そこでやり取りされるお金は、それを手に入れた手段と切り離せなくなる。だからチャリティーのためにアダルトビデオを作ることに心理的な反発を感じる。この気持ちには同意できなくもない。被災者のことを考えて何らかのサポートをしたいと思ったとき(つまり、相手のことを本気で考えて何かをしようと思ったとき)、その行為を成り立たせる手段そのもの問われるということだ。

平たく言えば、金さえばらまけば良いというものではない。そこには心がこもっていなければ(それはお金を得る行為に現れる)だめなのだということだ。つまりチャリティーは何よりもまず「心」の問題である。その上に「お金」が乗っかってくるのだ。だからアダルトビデオでチャリティーというのはだめなのだ。ということになる。

しかし私たちの日常において、アダルトビデオは社会の一部に組み込まれている。それは経済活動の一環でもある。基本的には社会はそれを受け入れている。それほど目くじらを立てる人はいない。あとは個々人の趣味の問題である。この事実を逆説的に捉えれば、私たちの日常は、相手のことを本気で考える「心」を根本とせず、「お金」を中心に動いていることになる。

ずっと「お金」「お金」で動いていながら、震災になったらチャリティーの「お金」には「心」が伴っていないとダメだと言いだす。無反省に正しさへと集団的な変わり身をする。ある種の思考停止状態だ。そんな危うさを感じて、高橋源一郎はこういう小説を書いたのではないか。

この小説は誰に対して書かれたものなのだろうか。読んで、まずそう考えた。私たちの発言は、それが突然のものであれ、問いの形をとっているものであれ、その発言に先行する何かに対する「答え」としてなされる。だとすれば、この小説は先行する何かに対する「答え」である。この小説は被災者に対して不謹慎だ、という意見があるかもしれない。不謹慎に映るだろうと僕も思う。

ただこれは被災者への「答え」ではない。高橋源一郎はこの小説をかつて書こうとした。9.11テロのあとである。結局、書けなかった。それが3.11後に再び書かれた。おそらくこの小説を書かせた「問い」は、9.11と3.11に共通する何かである。おそらくそれは「善悪二分法」による集団的な思考停止状態なのだろう。

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ランニングが厳しい、そして自転車が返ってきた

2011年12月19日 | 雑文
またまたブログを書かない日が続いた。仕事が忙しいという理由もあるが、ランニングに時間を取られているというのが実情だ。今月は200kmランニングをした。目標は250kmだったので達成は確実だ。目標を上方修正して300kmにしようと思っている。

とにかく今シーズンでマラソンにケリをつけるつもりだ。そのために計画通り、いや、計画以上にトレーニングを積むことにする。そして目標の3時間半を切れなければ目標は取り下げる。走ることは止めない。ただ、走るためだけに土手に行くことはやめよう。気持ちの良い休日には本とビールを持って土手にいく。芝生に腰かけて本を読み思索にふける。ビールを飲んで気持ちよくなって昼寝をする。たまには顔を上げてランナーを眺めるのも良い。

何より、いまは子どもたちにつき合う時間が少しばかり犠牲になっている。こちらが時間をとれるときには子どもたちが違う方を向いているかもしれない。子どもが遊んでくれる時間は限られているのだ。(子ども以外にも余裕がなくて連絡できていない人がいる。すいません)。そういう意味では、このブログもそうだ。必要な時間が取れていない。(精神的な余裕がないのだ)。取れないで書こうとするから結局、失敗する。カップラーメンにお湯を入れて1分で食べようとするのと同じだ。何か行なうにはそれに必要な時間をきちんと割かねばならない。

先週のことだ。長男の盗まれた自転車が発見された。警察からハガキが届き、取りに行った。そのことをブログに書こうと思った。時間がないのでコンパクトに書こうと思った。すごくコンパクトにしたらこんな感じになる。

今日、盗まれた長男の自転車を引き取りに行った。まずはドラッグストアと100円ショップで買い物をした。次に図書館で本を返した。それから線路脇にある違法駐輪自転車の保管場所までいった。保管場所には男性が2人居た。盗難届を出していたので無料だった。帰り際、本屋で本とボールペンを買って家に帰った。

つまらない。嘘ではない。でもつまらない。たとえばその日は、午前中に土手を走った。そこそこの寒さと風の中、2時間ほどかけてハーフを走った。それなりに疲れていた。できれば昼寝をしたかった。でもその日を外すと長男と一緒に自転車を取りにいくことはできない。できれば長男にはいろいろ経験をさせたいので何とか体を起した。

冬の午後2時半。もう太陽の力は弱くなり始め、風が冷たくなる。そんな中、僕と長男は歩いて買い物がてら自転車を取りに行った。背中には返却用の本が15冊以上入っていてとても重い。本当なら自転車で行きたいが、自転車を引き取りに行くのだし、長男と話しながら歩くのもよいと思い歩くことにした。

まずはドラッグストアでシャンプーを買い、それから100円ショップで自転車用の雨よけカバーを買った。(引き取った自転車のためだ)。商店街を歩きながら、僕がリュックを重そうに背負っていると、長男が代わってくれた。僕に似て背は低いが、体はがっしりしている。明らかに体に合わない大きさのリュックに本が詰まっている。すれ違う人の中には子どもに重い荷物を持たせてと、責める感じで僕を見る人もいる。

重いリュックを背負って平気な顔で歩いている、その横顔を見たのはこの世界で僕だけなのだ。そしてそれをここで書くことで、かろうじてその横顔が言葉となり、僕の記憶に残り、世界から消えずにすむような気がする。

僕はそういうことを言葉にしたいのだろう。白川静は「叙景という言葉の使い方が祝福のもっとも太古的な形態である」とどこかで書いていたそうだ。自分が目にした出来事。それを書いておかなければ、記憶からも、世界からも消え去ってしまうかもしれない。そういった出来事を言葉で残すことはある種の祝福と言えるかもしれない。

自転車を引き取ったあと、長男は確かめるようにハンドルを握ったり、サドルにまたがったり、ブレーキを握ったりしていた。こんな小さかったっけ、意外そうに言う。いつの間にか新しく買った自転車に慣れてしまったのだ。そうそう、左側のブレーキが利きにくいんだよな、だからいつも思いっきり握らないとダメだったんだ。懐かしむような笑顔だ。

確かに、もう長男には小さすぎる自転車だ。おまけにだいぶガタがきている。彼がそれに乗ることはないだろう。次男が一時的なつなぎで乗るくらいだ。その意味ではこのまま紛失したままでも特に被害はなかった。だが、長男の自転車を懐かしむ姿を見ていたら、やはり自転車が戻ってきて良かったと思った。そして、疲れたからだで歩いて来てよかった。

なのに長男よ、私が歩いているのに、なぜ君は自転車に乗ったまま先へ先へと行こうとするのだ。着いて行くのに少し小走りだ。でも、その笑顔を見ているのが嬉しいので、家の近くまでそのまま放っておいた。そして家に着くちょっと前に、こういう時には一緒に歩いて帰るものだよ、と教えてあげた。その時のびっくりした顔もなかなか良かった。

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『幻とのつきあい方』を聴く

2011年12月04日 | 雑文
午前中、21キロほど走る。自宅から荒川の土手、そして川沿いを上流に向かい、折り返して帰ってくる。お決まりのハーフコースだ。昨日までのぐずついた寒い空はなく、抜けるような青空と乾いた空気だ。風はとても強いが、気温は高い。

岩淵水門から上流ではハーフの大会が開催されていた。かなりの数のランナーが真剣な表情や苦しそうな表情で、それぞれ走っていた。コース上はゼッケンを付けたランナーでいっぱいだったので、土手の1番てっぺんのところを走ることにした。

コースの見え方が全然違う。いつもは左手に土手の斜面が見え、右には草や木、ゴルフコース、視界が開けたところで川面が見えたりする。土手のてっぺん。左には新河岸川、右には荒川の流れが見える。北風で水面が波立ち、波の形に合わせて太陽の光が白く反射する。川のほかにも左には住宅街や工場のなど、人々の生活を思わせるものがたくさん見える。一段低いところで感じる閑散とした雰囲気とはだいぶ違う。どちらを走るかで、同じ「荒川土手のランニング」もだいぶ違ったものになるだろう。

今日は『幻とのつきあい方』を聞きながら走った。先月発売になった坂本慎太郎さんのソロアルバムだ。去年3月に突然、ゆらゆら帝国を解散してから、久しぶりである。相変わらず、音楽も歌詞もすばらしい。とくに慎太郎さんの言葉のセンスの良さにはいつも感心させられる。

先週の毎日新聞の「ひと」というコーナーで、慎太郎さんが取り上げられていた。へーっ、と少し驚いた。新聞に書いてあったのはこんなことだ。曲の部分は震災前にほとんど完成していたが、歌詞には震災が色濃く反映している。そして「復興応援ソングなどはやるつもりはないが、何もなかったフリはできない。過激な表現を排し、自分自身がじっくり聴きたいような『震災後』の音楽を追求した」と。

この言葉を読み、そして音楽を聞きながら、いろいろなことを考えた。「復興応援ソングなどはやるつもりはない」という。震災以降、フクシマや東北や日本を応援するような言葉が飛び交ってある。そして機会があれば震災に言及し、自分たちの行為を震災後の復興と繋げようとする。

これから年末、年始に向かって、オフィシャルな挨拶を求められた人で、震災について語らない人がどれほどいるだろうか。先日、合気道の演武会の挨拶でも、東北の人たちのことを考えて演武をしましょう、というような挨拶があった。その気持ちは否定しないが、東京での合気道の演武会の実施が震災後の東北に具体的にどのような影響を及ぼすというのだろうか。

フクシマが東北地方が大打撃を受けた。だから復興しなければならない。そのためにはやらねばならないことが山のようにある。道路を直し、鉄道を直し、建物を建て直し、港湾を整理する。雇用も確保しなければならない。それは大きなプロジェクトだし、必要なことだ。そのような復興を後押しするためには「復興応援ソング」を歌うことも必要かもしれない。

ただ、そんなのばかりじゃないだろう、という気がする。「がんばれフクシマ」というような言葉を耳にすると、「フクシマさんって誰だ?」と思ってしまう。福島に住んでいる人たちはその言葉を聞いて、ああ、私のことを応援してくれているのだ、と実感できているのだろうか。道路も建物も港湾も大事だが、それが元に戻れば問題解決ということではあるまい。

巨大地震、大津波、原発事故、という出来事の規模の大きさが、被災者の悲劇の程度を決めているわけではあるまい。東北がフクシマが広範囲に被災した。そのことと、それぞれの人が受けたダメージには確かに関連がある。でも、そのダメージを受けとめているのはそれぞれの人なのだと思う。東北やフクシマの被災の全体量を東北人やフクシマ人という抽象的なマスが背負っているわけではない。慎太郎さんが「復興応援ソング」を歌わないのは、それがそれぞれの人に向けたタイプのものではないからだろう。

今回のアルバムを聴いていて、とくに震災を直接イメージさせる言葉は何ひとつない。ただ、震災後に多く使われたであろう言葉が何度も出てくる。たとえば「写真」とか「思い出」とか「記憶」とかである。津波にすべてを流されたあと、せめて家族の写真をと探す人たちの映像は何度もテレビで見た。それは当然、「思い出」とか「記憶」につながる。

「小さいけど一人前」という曲がある。これも特に直接には震災をイメージさせる言葉はない。写真、出会い、匂い、風、笑った声、痛み、肌ざわり、ささいな出来事、庭の木、この世界、という言葉を上手く並べて、そして「小さいけど一人前 小さいけどすべて見てる」というフレーズを繰り返す。

聴きながら、震災ですべてを失った子どもが思い浮かぶ。歌詞には、その子が感じるかもしれないこと、思うかもしれないこと、思い出すかもしれないことが言葉にされている気がする。子どもは自分に起こった出来事や世界を「すべて見ている」。そしてしっかりと受けとめている。だから「一人前」なのだ。言葉にはならない。でも、そんな体験をしている子どもがたくさんいるのではないか。そして、いつかその子どもたちがこの歌を聴いたときに、「ああ、そうだった。そんなことが起こったんだ」と思う。自分は小さかったけど「一人前」だったと思える。「過激な表現をせず」にそんなことを伝えようとしている気がした。

「がんばれ東北」とか「がんばれフクシマ」という言葉は僕にはそれほど響かない。何というのか抽象的だし、遠くからの掛け声のように感じるからだ。それに対して、慎太郎さんの歌を聴くといろいろ想像してしまう。東北やフクシマにいる人たちがどんな風景を見ているのだろうか、どんなことを思っているのだろうか。想像することで、僕自身もその瞬間、少しだけその時処に存在できたような気がする。

アーティストというのは「いまここ」と「それ以外の時処」を繋げる人のことだと思う。この世界とあの世、この世界と異界、いまと過去、いまと未来、それらを繋げることによって、「いまここ」を厚みのあるものにできる。慎太郎さんはすごいな、と思いながら日曜日の土手を走った。
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