とんびの視点

まとはづれなことばかり

真夜中に『〈責任〉の生成〜中動態と当事者研究』を読む

2021年05月07日 | 雑文
昨夜は11時前に眠りについた。ところが12時半過ぎに目が覚めて、眠れなくなった。1時すぎても眠れないので、酒を飲みながら本を読むことにした。國分功一郎氏と熊谷晋一郎氏の対談『〈責任〉の生成〜中動態と当事者研究』だ。すでに2回ほど読み、付箋が山のように着いている。付箋の部分をノートに書き写し、ゆっくりと考える。そして眠気を待つ。眠気が訪れたのは3時すぎ。お酒もけっこう進んだ。5時すぎに起きるのは無理だろう。

7時すぎに目覚める。あまり心地よい目覚めではない。お酒も少し体に残っている。それでも支度をして、5キロほどジョギングをする。土手の力で少しまともになる。簡単に猫の毛を掃除し、シャワーを浴び、自宅で仕事をする。

昼前に義母のケア施設に行く。コロナの影響で面会は一週間に一度、15分ほどだ。この制限は認知症にとっては厳しい。最初から話しがかみ合って弾むことはない。場合によっては、最初から最後までぎこちないやり取りで終わることもある。上手くいけば、言葉だけでなく気持ちのやり取りも出来る時間が10分くらい続く。今日は、ちかごろ始めた「ぬか漬け」を話題にした。私が「浅漬け」は「朝漬け」であり、朝しか食べられないものだと思っていたと言うと、義母は楽しそうな声で、「あっさり」漬けているから「あさづけ」よと答えた。上手く話しが繋がった日だった。

夕方、天気が崩れてきた辺りから、軽い頭痛を感じるようになった。このところ、天候や気圧の変化に体調が引きずられることが多い。あまり頭を使わずにすむ仕事を機械的にこなす。

今日の新聞の一面トップは「31日まで宣言延長へ」だ。東京などの緊急事態宣言のことだ。スポーツ面には「小野初の五輪代表」。そして社会面には「コロナ対応悲痛な叫び 立川の病院、窓に張り紙」とある。写真に写った窓には「医療は限界、五輪はやめて!」の張り紙。社会がバラバラな感じがする。

何でも良いから、文字を書こうとしている。直観的にそうした方が良いと感じている。そしてかなり頑張らないとすぐに止めてしまうことも見えている。こういう時は、内容は二の次だ。手を動かし続けることだ。「考えてはダメだ。脚が止まってしまう。踊るんだ。」『ダンス・ダンス・ダンス』に羊男のそんなセリフがあった。書いているうちに、書くこともいずれ見えてくるだろう。

外は雨が降っているようだ。雨音は聞こえないが、時おり屋根から落ちる雨垂れの音が、空いた窓から聞こえてくる。明日は土曜日だが早起きをしよう。そして少し長めに土手を走ろう。夜中に目が覚めることなく、ぐっすり眠れますように。

典型的で平凡な平日

2021年05月06日 | 雑文
今朝も5時すぎに起きる。実際には4時すぎに目が覚め、うとうとしていたので、4時すぎには起きていたというべきかも知れない。コロナ以降、少し睡眠が狂っている。軽いうつ状態なのかも知れない。細かい雨が降っていて、隣の家の屋根が薄く濡れている。あと1時間もすれば、雨は止むだろう。

ベッドから出て、クイックルワイパーで家の中の猫の毛を集める。少し雑巾掛けをする。そして猫のトイレを掃除する。(猫のトイレは5つある。)そして、仏壇に線香を上げる。毎朝、仏壇に手を合わせるようになったのもコロナ以降のことだ。(すでに死んでしまった人、いま死につつある人、いずれ死ぬ人に思いをはせる。)

ロフトで30分ほど「教行信証」を読む。これまでしっかり読んでいなかった「方便化身土巻」をゆっくり読む。化身土巻の世界を、現実の世界と重ねるように読み込む。窓の外では鳥たちが鳴き始めた。雨も止んだようだ。ジョギングの支度をする。

土手まで15分、土手を8分、土手から12分くらいジョギングする。距離にして5kmちょっと。土手への行き帰りはPodcastを聞きながら走る。荻上チキのセッションを聞くようにしている。土手の8分間は、土手の音に耳を澄ます。風の音や鳥の鳴き声や、自分の足音などだ。空は白く曇り、地面は雨で濡れている。草には水滴がいくつも光っている。空気は少しひんやりとして湿っている。遠くまで見通せる。何となく心が広くなる。

家に帰り、筋トレとストレッチ。シャワーを浴び、朝食を取り、時間まで本(いつもなら新聞)を読み、仕事に行く。

1日仕事をする。昼食は食べないので、ほとんど休みは取らない。(あまり良くない)頭を使い続けて、動きが鈍くなるのが19時前だ。切り上げる。

家に帰る。夕食を取り、風呂に入って、9時すぎだ。本を読んだり、録画したテレビを2倍速で見たりすると、ほぼエネルギー切れの状態だ。(本当はもう一頑張りしたいところだ。今日はこれを書いている。)

だいたい、そんな感じの平日を送っている。

もう少し、何かやらねばという気もするが、こんなものだろうという気もする。自分なりにやっている気もするが、何処かに行きつけそうな感じもしない。明日は金曜日で平日だ。テレワークだが、基本的にはあまり変わらない1日になる。通勤時間がないぶん、義母の介護施設に面会に行くことができる。

「こどもの日」

2021年05月05日 | 雑文
5月5日。ゴールデンウィークの最終日だ。(人によってはあと4日ほど続くのかも知れない。)朝から湿った風と曇り空、そして夕方前には少し雨がぱらつく。

今朝は5キロほどジョギング。荒川の土手まで行き、土手を少し走り、戻ってくる。ゆっくりと走るので35分くらいかかる。なるべく土手まで行くことにしている。空が開け、川が流れ、わずかだが芝や草や木々の緑を見ることが出来るからだ。コロナによるのっぺりとした日々。土手の変化を見ることで、心の安定が保てている部分もあるのだろう。

今日の新聞に「連休中の人出、昨年より増加」という記事が出ていた。「人出?」、そう言えば昨日のラジオでも「人出」と言っていた。「人流」はどこに行ったのだ?今回の緊急事態宣言に際して、我々の最大の敵は「人流」だったはずだ。

「東京アラート」「オーバーシュート」「三密」「不要不急」耳慣れない言葉がどんどん出てきた。キャッチーな言葉で注目を集めるつもりかも知れないが、かえって焦点がぼやけて、実態がつかめなくなる。「人流」と聞いたとき「古屋の守り」が頭に浮かんだ。また変な言葉を作りだしたものだ。そう思ったら、いつの間にか「人出」に変わっていた。

今日はこどもの日だ。我が家は長男が大学三年、次男が高校二年になった。「子育て」という意味では、もう、出来ることはあまりない。やり損ねたこと、やり残したことはたくさんある。とはいえ、どちらも私よりは「ちゃんとした」人間に育っている。ありがたい限りだ。

『武漢日記』を読んでいる。図書館から借りだしたものだ。何十人も予約が入っていて、忘れたころに連絡が来た。コロナで封鎖下の武漢で、方方という人が日記を書いていたこと、多くの人たちが日記の更新を待っていたこと、時に当局から削除されていたことなどは知っていた。

日記を書いている方方という人だが、30代くらいの人だと思い込んでいた。実際は60代半ばの女性だった。思い込みとは恐ろしいものだ。本を手に取り、事実を知るまで、自分が方方を30代だと思い込んでいることに私は気づけなかった。本を読まなければ、方方が30代というのは、私にとって事実となっていた。

そういう事実が私の中にはいろいろあるに違いない。あるいはそういう事実がほとんどなのかも知れない。ても、みんな似たようなもので、そんな私たちが同じ時空に処しているのが社会なのかも知れない。

サブタイトルには「封鎖下60日の魂の記録」とある。60日の都市封鎖はきつかったに違いない。60日というのは予定された日数ではなく、結果である。治療法も確立されていない中、先の見えない状態で、封鎖された日々が続いた。しかし、それは60日で終わった。

連休中の人出が昨年よりも増加した、という記事があった。昨年のゴールデンウィークも緊急事態宣言だった。一年経って、振り出しに戻ったような感じだ。コロナ以降、時間がのっぺりとして、少し居心地が悪い。(だから走って土手に行き、季節の変化を確認するのだろう。)

去年、オリンピックが予定されていた。「東京2020オリンピック」とか言っていた。コロナで中止になり、今年の夏に延期された。やはり「東京2020オリンピック」というらしい。「人出」を「人流」と言い換え、実態をぼやけさせる。2021年なのに「2020」と言う。言葉と実態がズレている。(言葉と実態がズレると、それを調整しようと「出来事」が暴れる。)

自分が子育てを始めたとき、将来の社会に漠然と思いをはせたものだ。それほどひどい社会ではないだろうと思った。まじめに額に汗していれば、笑顔で過ごせる。それくらいの社会ではあるだろうと思っていた。

実際、どうなのだろう。コロナ的な社会になって一年以上が過ぎた。そして日常化している。緊急事態宣言には緊張感がなく、それでも人々は当たり前のようにマスクをしていて、「東京2020」などと聖火リレーをしている。飲食店はひどい打撃だ。

長男は去年は一度も大学に行けず、今年も予定されていた対面授業がリモートになる。次男も部活がほとんど出来ずに高校生活の2年目だ。

今日は「こどもの日」。似たように日々を過ごしている子どもたちはたくさんいるはずだ。子どもたちにどんな社会を用意するか、それは大人の責任だ。しっかりせねば、と思う。