とんびの視点

まとはづれなことばかり

2012年最後のブログ

2012年12月31日 | 雑文
さてさて、大晦日だ。今年もあっという間に過ぎてしまった。一年の最後に少しキーボードを叩いておこう。毎年のことだが正月休みは忙しい。一週間ほどの休みに年末と年始という2つのイベント。年末には片づけやら大掃除、そして正月の準備がある。年始には実家巡りなどがある。でも、気分としてはまとまった休みなので、ついつい、いろんな予定に入れたり、まとめてランニングしようと画策したりする。

で、ランニング。今月は201km。何とか目標はクリアした。ヒザには違和感が残るが、力技で月間目標をクリアできる程度には回復したようだ。一年を通しての合計は1725km。目標の2000kmには遠く及ばなかった。来年は怪我なくコツコツと走りたいものだ。タイムよりも走れる体でいることの大切さを思い知らされた一年だった。

このところ本を数冊読んだ。1冊目は三島由紀夫の『美しい星』。自分たちは宇宙人だと信じる一家が、核戦争から人類を救うために行動する話しだ。もともと三島の文章は苦手だが、「核」が1つのテーマになっているので読んだ。おそらく原発事故がなければ読まなかっただろう。(きっかけは、ドナルド・キーンが東京新聞で紹介していた。紙面では原発と絡めた話しだった気がするが……?)。自覚的に本の選択をしたが、選択の背景には原発事故がある。主体性というのはそういうものだ。

2冊目は『ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間』という本だ。菅谷昭さんという医師が事故後、現地に移住して子どもたちの治療に当たった際の体験談だ。甲状腺ガンと手術の話しがいくつも書いてある。病名は同じでも子どもたち一人ひとりが唯一の厳しい経験をしている。病気の子どもが少なければ話題にはならない。多ければ統計上の数字になってしまう。今後、福島でも確実に甲状腺ガンは増えるに違いない。その時、統計上の数字ではなく、一人ひとりの子どもをどこまで想像できるか。それがみんなが口にした「絆」なのだろう。

自分の不勉強を書くことになるが、この本を読んで、甲状腺ガンは女の子に圧倒的に多い、ということを知った。知って、少し考えさせられた。原発事故の数日後、放射性物質が風で東京にも運ばれ、雨とともに落ちたことがあった。実はこの日、長男は学校帰りに傘をささずに雨に濡れて帰ってきた。正直、学校から家までそれほどの距離はなく影響はないと僕は思っているが、相方は少し気にしていた。

そしてこの本で、影響が出るのは女の子が圧倒的に多い、と知った。一方で、長男が男の子であることを喜び、もう一方でその喜びがいずれ甲状腺ガンになる女の子に対して残酷であることを自覚した。自分の子どもの相対的な安全を喜ぶことは、親として素直なことだ。しかしこの感情をのみを突き詰めれば、自分さえ良ければ構わない、という処に行き着く。

自分さえ良ければ構わない。気づかぬうちにそうならぬよう、居心地が悪くなる情報にあえて触れるようにしている。3冊目と4冊目はそんな理由で読んだ。『家のない少年たち』と『家のない少女たち』の2冊だ。どちらも鈴木大介という人が書いたものだ。『少年たち』には「親に望まれなかった少年の容赦なきサバイバル」、『少女たち』には「10代家出少女18人の壮絶な性と生」とサブタイトルがある。

少年たちも少女たちも、多くが幼いときから育児放棄や虐待を受けている。(特に少女たちには性的虐待が加わる)。まともに育てられていない子どもが学校に通っても、そこに居場所はない。誰も正面から受けとめてくれない。誰も守ってくれない。そんな少年、少女たちが世界に親和感を持てなくても当然だ。家を出る。生き残るために、少年たちは様々な犯罪行為をし、少女たちは自らの性を売り物にする。そんな中、それぞれが自分なりの物語を人生に見いだす。善良で幸福な物語ではない。何とか自分を世界につなぎ止めるためのお話だ。その多くは辛いものだが、随所に少年や少女の力強さも感じられる。

それらの話しを自分とは関係ない他人事とすれば、ひとつの社会現象として理解して終わりだ。それは甲状腺ガンを統計の問題として理解するメンタリティーと何ら変わらない。甲状腺ガンが子ども一人ひとりにとって唯一の経験であるように、家を出た少年少女一人ひとりにとってこの社会は唯一のサバイバルの現場なのだ。そしてある意味、そんな社会を微力ながら支えているのが私たち一人ひとりの大人である。

本を読んで居心地が悪くなって終わりでは仕方がない。受身ではなく、自ら現場に足を運んで、わずかでも社会に働きかけることが必要かもしれない。そういうこともあり、先週の金曜日、今年最後の首相官邸前抗議行動に行った。原発を通して世界を考えることが、どのように家出の少年少女と繋がっているのか。このあたりをきちんと言葉で詰めなかったのが今年のやり残しといえば、やり残しだ。来年はそのあたりをきちんと詰めていきたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月24日(月)のつぶやき

2012年12月25日 | 雑文
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱりランニングについて書こう

2012年12月24日 | 雑文
今年の残りもあと一週間。そして館山若潮マラソンまであと一ヵ月ちょっとだ。連休中に51km走ったので、今月は173km。最低目標の200kmはほぼ大丈夫だろう。土曜日には2時間ほどかけてハーフを走る。15km過ぎからヒザに痛みが出てくるし、体力的な消耗も激しくなる。夏以降、短い距離を積み上げて月間走行距離は確保していたが、やはり長めの距離に弱くなっているようだ。今年中にもうハーフをもう一度、年明けレース3週間前に30km走、2週間前にハーフを走って本番に臨むつもりだ。しかしヒザの調子が読めないので、こればかりは何とも言えない。

思い返してみると、このところ4回続けてレースで失敗している。2年前の館山では、スタート直前に靴ひもを結び直し「靴擦れ」、30km過ぎで失速。1年半前の6月にはレース直前の合気道の稽古で足の指を捻挫し、4時間をオーバー。きちんと練習を積んだ去年の館山、直前の合気道の稽古でヒザを捻る。25キロ過ぎで失速。(その後、現在に至るまでヒザが治らず)。3月の板橋cityマラソンはヒザの痛みを抱えて、初マラソンの人間を7時間近く伴走。(これもヒザには良くなかった)。

板橋は別だが、それ以外の3回は目標タイムを達成できなかった。(タイムを狙ったせいで、後半苦しいランニングになった)。そろそろ目標をきちんと達成したいと、夏開けから3時間半を意識して走っていた。しかし、ちょっと無理をすると、ヒザが悪化し走れなくなる。そんなことを繰り返した。今度のレースで無茶をしてヒザがダメになったら、二度とフルマラソンが走れなくなるかもしれない。だんだんと心配になってきた。

目標タイムを達成するのも心地よいが、当日、自分の一番よい状態をひき出すほうが満足できるのではないか。今までのレースでも満足できたのはタイムではなく、そういった手応えだった。タイムはあくまで結果である。よし、今度のレースはタイムをいっさい気にしないようにしよう。ヒザや自分の身体と対話をすることだけに専念しよう。そして久しぶりに、自分の思い通りに走れた満足できるレースにしよう。寒い冬の土手を走りながら、そんなことを思う。

とまあ、以前はこんな風にランニングについてブログを書いたりしたものだ。ランニングだけでない。日常の出来事もだらだらと書いていた。ところが今年はほとんどブログを書かなかった。いや、正確に言えば、東日本大震災以後、うまくブログが書けなくなった。あの圧倒的な津波、炎に包まれる夜の街、信じられない勢いで増える死者数、原発事故。それらの出来事に遭遇した人々。あれ以来、僕の中で何かが変わってしまった。

ブログを書こうと思うたびに、それらの出来事が気になる。ランニングであれ何であれ、自分の書くことがうつろに感じられる。(実際、書き上げてもアップせずに捨ててしまったものもある。この文章だって捨ててしまうかもしれない)。3.11の出来事に比べれば、ランニングについての僕の言葉など大した意味はない。しかし、ランニング(や日常の出来事)が僕にとって意味をもつことも事実だ。そして厄介なのは、それらを言葉にすることで自分と世界への理解が深まるということなのだ。

結局のところ、ランニングや日常の出来事をコツコツと書きつづけるしかないのだろう。おそらくそこには少しの努力が必要になる。そうやって少しずつ自分を理解し、世界を理解していけば、いずれ個人的な出来事の言葉がそのまま世界の出来事を語ることになるかもしれない。(ここまで書いてきて分かった。3.11で世界が変わったにも関わらず、僕は変わらずに書きつづけようとした。だから世界と僕の間にズレが生じたのだ。修正、修正)。さて、来年はきちんと書くようにしよう。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月20日(木)のつぶやき

2012年12月21日 | 雑文

寒さで表情が硬い。やっぱり笑顔が大事だよなぁと思い、意味もなくニッと笑う。下唇が割れて、血がにじむ。冬である。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月19日(水)のつぶやき

2012年12月20日 | 雑文

今朝は寝不足気味のままランニング。風が強く、気温も低い。厳しい冬の土手。体力を削ぎ落とされる感じがする。(昼間、仕事中に絶対に眠くなる)。11kmほど走り、今月122km。あと最低でも78km走らねば。


昨日の東京新聞に、「福島収束宣言から1年、原発作業暗転危険手当カット」という記事。特別な技術や経験が必要ない仕事は、被曝するのに年収が三百万円にも満たないそうだ。一方、今日の新聞には「検査官いつもタクシー、原発と事務所往復、5年間2億円は割高」という記事。バランス悪いよな。


今度の参院選では、自民党は政策の中身を問わず「ねじれ国会では日本が停滞する」などと言ってくるだろう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月16日(日)のつぶやき

2012年12月17日 | 雑文

荒川の土手ランニング。北風は強いが太陽が暖かい。これで今月100キロ。膝が痛い。昨日の脱原発のデモのせいか、疲れるランニングだった。今日はこれから投票に行き、午後は合気道の仲間と我が家で忘年会。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月14日(金)のつぶやき

2012年12月15日 | 雑文

急増する生活保護費が問題になっている。特に不正受給などには厳しい声が上がっている。しかし実際の不正受給の割合は全体の0.4%にすぎない。そして生活保護を利用する資格のある人のうち、現に利用している人の割合は2割程度である。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月12日(水)のつぶやき

2012年12月13日 | 雑文

「活断層があることは学生でも分かる。何でこんなところに原発を立てたのか」口をそろえる専門家。対する日本原電「科学的な説明がなされたとは言えず、まことに理解に苦しむ」。原電は出来の悪い学生以下と言うことか。


『ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間』(菅谷昭著、ポプラ社)を読む。甲状腺癌は女の子が圧倒的に多いということを知る。福島のこと、選挙のことを考える。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月10日(月)のつぶやき

2012年12月11日 | 雑文

今朝は6kmほどジョギング。風はないが寒い。手袋の中の指が先の方から冷たくなっていく。荒川の土手、水のみの蛇口の先に小さな氷。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月8日(土)のつぶやき

2012年12月09日 | 雑文

『スペードの女王 ベールキン物語』(岩波文庫)を読む。プーシキン、とても面白い。しかしこのところ読むばかりで書く時間を取っていない。頭の中がぐちゃぐちゃしはじめている。今日はこれから軽くランニングし、狂言を見に行き、合気道の忘年会。だんだん年末モードになってきた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする