とんびの視点

まとはづれなことばかり

近頃読んだ本

2016年09月18日 | 読書
このところ読んだ本について。



震災直後の本。その意味では少し古い。とはいえ津波被害の当事者にとってはまだ過去は言えないだろうし、原発事故に巻き込まれた人たちは現在も事故は続いている。でも考えてみれば、廃炉作業が終わるまで私たちも巻き込まれている。そういうことを忘れそうになるので、たまには震災がらみの本を読まねば。本の中では、正力松太郎の話が面白い。



2ヶ月近く前の生前退位の話をきっかけに読んだ。いつものことだが知らないことが多い。現在の皇位継承者の先細りは、マッカーサーが仕掛けた時限爆弾、というのがこの本の一つの主張。あと、天皇は歴史的には万世一系でもないし、女性天皇も女系天皇も存在したとのこと。今後、天皇の退位の問題が議論されるだろうが、基本的な知識は必要だ。
天皇のビデオメッセージも興味深かった。ネットでテキストを手に入れて読み込んだが、天皇が訴えているのは、象徴天皇について国民はきちんと理解(勉強)してくれ、ということだと感じた。高齢になり仕事が大変だからやめることを理解して、などというものではない。



経済成長が望めない世界でどのように生きていくべきか。これは先進各国の課題だ。(聞くところによると、先進国の経済成長がなくなることは当たり前のことで、それを定常経済というそうだ。)東日本大震災は、日本社会にその問いを突きつけたともいえる。同書のタイトルでもある「小商い」とは、商売のノウハウではなく生きる姿勢のことだ。私たちが「いま・ここ」で生きているのは、たまたまであり、なんの理由もない。その「いま・ここ」を責任を持って引き受ける、それが「小商い」だ。その通りだと思う。



日本会議がらみの本を2冊読む。アプローチの方法が違うがどちらも面白い。
多くの日本人が日本会議について知るべきである。考えや行動に賛否はあるだろうが、まずは知ること。現実的に安倍政権に大きな影響力を及ぼしている。いまの日本を知ろうとするなら(日本人なら知るべきだ)日本会議を知ることは大切だ。個人的には、大枠のところで目指しているものには反対だ。ただある種の問題意識は共感できそうだ。とくに地道な活動を数十年にわたって続けてきたのはすごい。

日本会議が嫌う現行憲法の12条に「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」というものがある。個人的にはもっとも好む条文だ。「不断の努力」、本を読んでいて感じたのは、その内容はどうあれ日本会議(につながる人たち)は「不断の努力」を続けてきたと実感した。だからそれなりの力を持つに至ったのだ。反対の考えを持つ人たちも同じように「不断の努力」が必要だろう。それは別に闘争するためではない。やり取りの質を上げていくためだ。



堤未果さんの一連の本を読むと、ちょっと気が滅入る。世界はひどいことになっているし、この流れは変わらなそうだ。簡単にいえば、グローバス資本とそれをコントロールする超富裕層が国家をエージェントとして自分たちに都合の良い法律を作り、そこからハゲタカのように利益を手にしているという話。アメリカを例にとりながらさまざま分野について話をする。教育も農業も貧困ビジネスも戦争もとにかく同じ図式だ。そのときハゲタカに突かれているのは、1%の超富裕層以外の人間だ。アメリカの大統領選でトランプやバーニーが支持を集めた背景がこれだ。

日本は敗戦後、アメリカの植民地状態だ。そして現在、軍事的にさらに一体化しようとしている。日本はアメリカ化していく。(このあたりと日本会議の問題をひとつの視点で考えてみたい。自民党の憲法草案には復古主義とグローバル資本主義が掲げられている)。日本でもしわ寄せは富裕層以外の私たちに来る。この図式の中では、大手メディアも骨抜きにされる。何かを簡単に信じるのではなく、うまく知識を蓄積させることが大切だろう。

矛盾を抱え込む

2016年09月06日 | 仕事のこと
ひとつの基準でものごとを測ることは、考えではなく、たんなる処理です。 た
とえば、組織の中の人間を背の順に並べるというのはたんなる処理です。 優し
い順だと、ちょっと明晰さは欠けますが、これも基本的には処理です。

では「背の高さ」と「優しさ」を合わせて順番に並べてくださいと言われたらど
うでしょう。 何かがぶつかりますね。ぶつかると、たんなる処理はできなくな
ります。 何かがぶつかり、処理ができない、答えが出ない状況になる。

この「わからない」という状況をゴールとしてとらえてしまうか、 「考える」
ためのスタートとしてとらえるか、それによって大きな違いが出てきます。
オートマチックに処理できるのは作業であって、考えではありません。 処理が
できず、頭が止まったところから考えが始まります。

何が言いたいか。

どんなものごとであっても、それに取り組むには、複数の基準を同時に持ち込む
のが良い。 矛盾を抱え込みながら進むのが良い。 なぜなら、たんなる処理に流
れず、考えることができるからです。考えないでものごとをやり過ごしている
と、考える力は身に付きません。 考える力がないと、いざというときも処理し
かできないようになってしまいます。 抜け出せないサーキットにはまります。

たとえば、組織で人を育てることを例にとります。 世の中では、多くの組織が
即戦力を求めて人を採用します。 現場で人が足りないからです。 (現場で人が
足りているのに採用できるような会社はあまりないはずです)

即戦力というのはすぐに現場で仕事ができる人です。 もちろん、あらゆる場面
で即戦力になれる人はまれです。 多くの場合は、経験があまりない人を採用し
て、 現場ですぐにできることを教えて、やってもらうことになる。

目の前にある作業のうち急ぎで、簡単に身に付けられることを教える。 それで
当面、仕事をしてもらう。 こういうことが繰り返されることになります。 これ
自体は悪いことではありません。必要なときもあるでしょう。 ただ、このやり
方だけだと、それはある種の処理となります。

そうするとどうなるか。

自分がその分野で一人前になるために必要な技術の全体像がいつまでたっても見
えない。 将来的に自分が何を身に付けなければならないかが分からない。 本
来、どんな順番で技術を身に付けることが必要なのかの見取り図がない。 見取
り図がないから、自分がどの段階にいるのか見えない。計画的に何かを身に付け
ている感覚が持てない。 つまり、広い視野と長期的な計画がないままで日々を
過ごすことになります。

広い視野と長期的な計画がなく、日々、目の前の仕事をこなすために、 小出し
に何かを身に付けている人間がどんな成長を遂げるのか。 よほど状況が良くな
いと、あまり期待は出来ないでしょう。

組織が人に求めるものは、技術だけではありません。 その内容が漠然としてい
る「ヒューマンスキル」というものがあります。 コミュニケーション力、マネ
ジメント力、調整力、交渉力、ヒアリング力などなど。 組織が求める即戦力と
言われる人が持っているようなものです。

こういうものは、本を読めば一応のことは書いてあるし、理解もできます。 し
かし知識を身に付ければ、その力が発揮されるものではありません。 知識を意
識しながら、日々のやり取りなのかで、質の良い失敗を重ねることが必要です。
成果が見えにくいことです。でも、長期的に取り組まねば手に入りません。

では、組織は採用した人のヒューマンスキルだけを長期的に育てればよいのか。
それもだめです。それだと、やはり一つの基準で処理しているのにすぎません。

そうすると、短期的に身に付けられ、現場ですぐに役立つ技術と、 一人前の技
術を身に付けさせるための具体的で長期的な計画と、 成果が確認しにくい
ヒューマンスキルを身に付けさせる長期的な取り組み、 これらを同時にやらね
ばなりません。

つまり、人を育てるためには1つの基準では無理なのです。 短期と長期、技術
とヒューマンスキル、基準の異なるものとに同時に取り組まねばなりません。な
かなか困難です。一瞬、頭がとまります。
でもそこはゴールではありません。そこが「考える」ためのスタートなのです。

考えるというのは自分の中に「矛盾」を抱え込むことです。 それはひとつのこ
とに取り組むときに、複数の基準を抱え込むことです。矛盾を抱え込めないと、
何かトラブルがあった時に、原因を自分の外に求めるようになります。それが進
むと、自分は正しく、間違っているのはつねに相手だ、と言う人間になってしま
います。

そういう人って、めんどくさいですね。そうならないよう、矛盾を抱え込める強
さを持ちましょう。


『日本戦後史論』

2016年09月03日 | 読書
『日本戦後史論』という本を読んだ。内田樹と白井聡の対談本で、図書館から借りた。読み始めてすぐに、あっ、この本は読んだことがあると気づいた。気付いたけど、何が書いてあったか思い出せない。読み進めながら、そうそう、そういうことが書いてあったよねと思うだけだ。前回読んで感心したところを、これはすごい、と今回も感心している。自分の判断基準がブレていないと喜ぶべきか、成長していないだけなのか。まあ、後者かな。

そうはいって、今回、気になったのは「占領期」のことだ。日本史では、戦中、戦後という言葉は聞くが、「占領期」という言葉はあまり聞かない。敗戦を終戦と言い換えたり、占領軍を進駐軍と呼んでいるから、「占領」という言葉を避けたい思いが、どこかにあるのだろう。

だから占領という言葉は知っていても、その実態についてはよく知らない。そもそも占領とはどういう状態を言うのか。そして占領期には何が行われたのか。占領が終わるとはどういうことなのか。そういうことを学校教育で習った記憶もないし、自分で体系的に学んでもいない。断片的な知識をバイアスのかかった想像で勝手につなげているだけだ。

悲惨な戦争が続いた。ある日ポツダム宣言を受諾して戦争が終わった。そして、すぐに戦後が始まったような印象がある。民主主義的で、平和を愛し、経済復興に向け国民が一丸となって働いた。そんなフレームで考えている。無意識的に。

でも、実際には日本は1952年まで占領されていた。その時期に何があったのか。そして、占領がどういう形で終わったのか。そういうことを学ぶ必要がありそうだ。とくに現在は。それなくして、憲法や自衛隊、沖縄の米軍基地について考えることも、まともな意見を述べることもできなそうだ。