とんびの視点

まとはづれなことばかり

雨の中を走る

2020年07月26日 | 雑文
午前中、雨の中をランニングした。空の向こうから晴れ間が広がり、頭上の雲も薄くなってくる。雨が少しずつ小降りになり、太陽の熱が伝わってくる。湿り気を帯びたむっとした空気に包まれる。雨なのか、汗なのか、水滴が顔を流れる。ゆっくりと土手を走る。
いつものことだが、雨の土手に人はないない。時おり、物好きなランナーを見かける程度だ。雨で土ぼこりを流された緑はくっきりとし、水滴のついた細長い草や、遠くの芝生が映える。何日も降り続いた雨で川の幅が広がり、流れは泥色に濁っている。
思えば、かれこれ25年以上もランニングを続けている。最初の5年くらいはランナーというよりもジョガーという感じだった。5kmほどの距離を週に何回か走る程度だった。(自分では「けっこう走っているな」と思っていた。)
その後の10年くらいは、割と真剣に走った。フルマラソンも30回近く完走し、サロマ湖ウルトラマラソンも完走した。月200kmを目標に、時間をみつけて走るようにしていた。
腰を痛めてからのこの10年近くは、日常的に走っているけど、ジョガーとランナーを行ったり来たりだ。距離は5km程度、長くても10kmだ。5kmだと肉体的なリフレッシュにしかならない。10kmだと精神的にリセットされ、心の脂分や汚れが汗といっしょに流れ出て、良い感じの自分になれる。しかし、その後の腰痛がひどい。なかなか上手くいかないものだ。
今日は雨の中、8kmほど走った。腰は少し痛むが、心の脂分や汚れは減った。精神的にも少しリセットされたおかげで、文字を書こうという気になった。頭の中で考えて完結してしまうのと、こうして文章にすることでは、たとえ考えた内容や結論が同じでも、かなり違うことのようだ。文章にすることで誰かに読んでもらえるから、というのではない。読まれるか否かは二の次だ。(そもそも、他人が読むほどのことは書かれていない。)
頭の中でわかっていること、つじつまが合っているように感じていること。それらを文章にする時の、困難さが大事なのだと思う。上手く言葉にならないことが、何とか言葉になった時の、すっと通り抜けたような感覚が心地よいのだ。
その感覚は不思議なことに、ランニングでの精神的なリセット感とすごく似ている。
思えば、腰を痛める前は、長い距離のランニングと習慣的に文章を書くことがセットになっていた。いつの間にか、どちらもダメになっていた。もしかしたら、自分にとっての大事なサイクルを、この10年近く失っていたのかも知れない。走りながらそんなことを思っていた。
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