8月も今日で終わりだ。少しずつ秋の気配が早朝や夜に紛れ込んでいる。朝、ランニングのために玄関を出たとき、思いのほか空気が冷えていたりする。太陽は低く、光と熱がゆるい。何とか暑い夏を乗り切って、ランニングを続けることができた。今月の走行距離は152km。目標よりも17kmほど多かった。そして今年の走行距離は1001km。年間目標の2000kmは微妙だが、最低ノルマの1800kmは何とかなりそうだ。とりあえず、来月の目標は180km。1週間に40kmの計算だ。
どういうわけか、一昨日からパタッと文章を書く気がなくなってしまった。一昨日が新月だったことと何か関係があるのだろうか。(多分ないだろう)。書く材料がないわけではない。その材料を楽しく調理できる感じがしないのだ。(「楽しく」というのは書いている僕にとってで、読む人が「面白い」と感じるかは別だ)。書くのを止めて窓の外でもぼーっと眺めていたい。書かなくても誰も文句は言わないだろう。キーボードから手を離そうとする。でも、踏みとどまる。こういう時に前に踏み出すと力になる。経験的に言って間違いない。
何か書きやすいこと、先週末のことでも書こう。先週の金曜日に再び軽井沢に行った。滞在している奥さんと子どもたちを迎えに行くついでに、もう少し軽井沢で遊ぶためだ。朝の9時に大宮駅から新幹線に乗った。平日の9時、下り線なので空いているのだろうと思っていたが、駅に入ってきた新幹線の車内を窓越しに見ると、席はほぼ埋まっている。結局、ドアの前に立ち、中沢新一の『日本の大転換』を読む。
軽井沢に着く。曇り空だ。結局、軽井沢では1度も青空をみることはなかった。(木々に囲まれた庭、葉のあいだから見える青空、透明な木漏れ日がキラキラ光る、涼しい乾いた風が吹き抜ける。そんな中、椅子に座りゆっくりと本を読む。そんな軽井沢での避暑は妄想に終わった)。奥さんと子どもたちが駅まで車で迎えに来ている。重苦しい天気に負けないように、浅間山の「鬼押出し」に強行しようと思った。しかし長男が胃腸風邪にかかり半元気。仕方がないので、長男を別荘で休ませ、義父を連れて白糸の滝に行く。
平日なのにたくさんの人がいる。駐車場から5分くらい坂道を上ると滝に出るが、滝まで行く人と滝から帰る人が途切れることなく続いている。休日には凄い数の人だろう。ばらばらと雨が降り出してくる。軽く雨に打たれながら滝まで行き着く。小さな滝だ。こんなに小さな滝だったのかと少しびっくりする。白糸の滝には何度か来たことがある。その度に、記憶ほど大きな滝ではないな、と思ったものだが、今回も同じだった。(他の人はどうだか知らないが、僕の記憶の中では空間は実際より広くなっている。ライブハウスなどもそうだ。記憶では非常に広いのだが、行ってみるとけっこう狭かったりする。)
午後は庭で焚き火。曇り空で今にも降り出しそうだが焚き火台と椅子を出して薪を燃やす。子どもたちは9日間の滞在で初めての焚き火だ。夕食まで焚き火の前に座って火を眺めたり、本を読んだりする。地面も風も薪も湿っていて、理想の焚き火とは言えない。それでも子どもたちは喜んでいた。
翌日、早起きをして帰り支度をする。朝食を取り、すぐに野辺山へ出発する。国立天文台に電波望遠鏡を見に行くためだ。佐久方面に向かって車を15分も走らせると、視界は開け、青空と白い夏の雲が見え始める。湿ったところを抜け出して、乾いたところに移動しつつあるのを実感する。思わず笑顔になる。気持ちよい。心が晴れていく。
野辺山に天文台を見に行ったのには理由がある。NHK教育で『大科学実験』という番組をやっていて、そこで「パラボナ」を説明するときに野辺山の天文台が映ったのだ。とてもよさそうな場所に見えた。野辺山までの道は晴れていたが、天文台に着いたときには曇り空、歩いて見学を始めたら雨がぱらつき始めた。それでも嫌な感じはしない。じめじめした感じがないからだ。広い平らな土地を低い緑の草が覆う。そこここに白い望遠鏡がある。それらすべてにシャワーのような雨が降り注ぐ。そんな中、傘を差しながら家族で歩く。とても情景的だ。
天文台を見た後は、清里で昼ご飯を食べ、清泉寮で子どもにソフトクリームを食べさせる。正直、あんな列を作るほど美味しいとは思わない。僕が子供の頃、30年くらい前の清泉寮はもっとこじんまりとしていた。そこで売っていたソフトクリームの方が美味しかったような気がする。でもそれは記憶の話だ。子どもたちがやがて大人になったとき、僕と同じように子どもの頃に清泉寮で食べたソフトクリームは美味しかったと思うのかもしれない。
そんなわけで、僕は何とか8月もランニングを達成し、子どもたちは夏休みが終わる。何だかわからないが、とりあえずブログも書いた。明日から秋、という訳にはいかないが、また仕切り直して1ヶ月、とにかく走って、とにかく書こう。
どういうわけか、一昨日からパタッと文章を書く気がなくなってしまった。一昨日が新月だったことと何か関係があるのだろうか。(多分ないだろう)。書く材料がないわけではない。その材料を楽しく調理できる感じがしないのだ。(「楽しく」というのは書いている僕にとってで、読む人が「面白い」と感じるかは別だ)。書くのを止めて窓の外でもぼーっと眺めていたい。書かなくても誰も文句は言わないだろう。キーボードから手を離そうとする。でも、踏みとどまる。こういう時に前に踏み出すと力になる。経験的に言って間違いない。
何か書きやすいこと、先週末のことでも書こう。先週の金曜日に再び軽井沢に行った。滞在している奥さんと子どもたちを迎えに行くついでに、もう少し軽井沢で遊ぶためだ。朝の9時に大宮駅から新幹線に乗った。平日の9時、下り線なので空いているのだろうと思っていたが、駅に入ってきた新幹線の車内を窓越しに見ると、席はほぼ埋まっている。結局、ドアの前に立ち、中沢新一の『日本の大転換』を読む。
軽井沢に着く。曇り空だ。結局、軽井沢では1度も青空をみることはなかった。(木々に囲まれた庭、葉のあいだから見える青空、透明な木漏れ日がキラキラ光る、涼しい乾いた風が吹き抜ける。そんな中、椅子に座りゆっくりと本を読む。そんな軽井沢での避暑は妄想に終わった)。奥さんと子どもたちが駅まで車で迎えに来ている。重苦しい天気に負けないように、浅間山の「鬼押出し」に強行しようと思った。しかし長男が胃腸風邪にかかり半元気。仕方がないので、長男を別荘で休ませ、義父を連れて白糸の滝に行く。
平日なのにたくさんの人がいる。駐車場から5分くらい坂道を上ると滝に出るが、滝まで行く人と滝から帰る人が途切れることなく続いている。休日には凄い数の人だろう。ばらばらと雨が降り出してくる。軽く雨に打たれながら滝まで行き着く。小さな滝だ。こんなに小さな滝だったのかと少しびっくりする。白糸の滝には何度か来たことがある。その度に、記憶ほど大きな滝ではないな、と思ったものだが、今回も同じだった。(他の人はどうだか知らないが、僕の記憶の中では空間は実際より広くなっている。ライブハウスなどもそうだ。記憶では非常に広いのだが、行ってみるとけっこう狭かったりする。)
午後は庭で焚き火。曇り空で今にも降り出しそうだが焚き火台と椅子を出して薪を燃やす。子どもたちは9日間の滞在で初めての焚き火だ。夕食まで焚き火の前に座って火を眺めたり、本を読んだりする。地面も風も薪も湿っていて、理想の焚き火とは言えない。それでも子どもたちは喜んでいた。
翌日、早起きをして帰り支度をする。朝食を取り、すぐに野辺山へ出発する。国立天文台に電波望遠鏡を見に行くためだ。佐久方面に向かって車を15分も走らせると、視界は開け、青空と白い夏の雲が見え始める。湿ったところを抜け出して、乾いたところに移動しつつあるのを実感する。思わず笑顔になる。気持ちよい。心が晴れていく。
野辺山に天文台を見に行ったのには理由がある。NHK教育で『大科学実験』という番組をやっていて、そこで「パラボナ」を説明するときに野辺山の天文台が映ったのだ。とてもよさそうな場所に見えた。野辺山までの道は晴れていたが、天文台に着いたときには曇り空、歩いて見学を始めたら雨がぱらつき始めた。それでも嫌な感じはしない。じめじめした感じがないからだ。広い平らな土地を低い緑の草が覆う。そこここに白い望遠鏡がある。それらすべてにシャワーのような雨が降り注ぐ。そんな中、傘を差しながら家族で歩く。とても情景的だ。
天文台を見た後は、清里で昼ご飯を食べ、清泉寮で子どもにソフトクリームを食べさせる。正直、あんな列を作るほど美味しいとは思わない。僕が子供の頃、30年くらい前の清泉寮はもっとこじんまりとしていた。そこで売っていたソフトクリームの方が美味しかったような気がする。でもそれは記憶の話だ。子どもたちがやがて大人になったとき、僕と同じように子どもの頃に清泉寮で食べたソフトクリームは美味しかったと思うのかもしれない。
そんなわけで、僕は何とか8月もランニングを達成し、子どもたちは夏休みが終わる。何だかわからないが、とりあえずブログも書いた。明日から秋、という訳にはいかないが、また仕切り直して1ヶ月、とにかく走って、とにかく書こう。