とんびの視点

まとはづれなことばかり

とにかく走って、書けばいい

2011年08月31日 | 雑文
8月も今日で終わりだ。少しずつ秋の気配が早朝や夜に紛れ込んでいる。朝、ランニングのために玄関を出たとき、思いのほか空気が冷えていたりする。太陽は低く、光と熱がゆるい。何とか暑い夏を乗り切って、ランニングを続けることができた。今月の走行距離は152km。目標よりも17kmほど多かった。そして今年の走行距離は1001km。年間目標の2000kmは微妙だが、最低ノルマの1800kmは何とかなりそうだ。とりあえず、来月の目標は180km。1週間に40kmの計算だ。

どういうわけか、一昨日からパタッと文章を書く気がなくなってしまった。一昨日が新月だったことと何か関係があるのだろうか。(多分ないだろう)。書く材料がないわけではない。その材料を楽しく調理できる感じがしないのだ。(「楽しく」というのは書いている僕にとってで、読む人が「面白い」と感じるかは別だ)。書くのを止めて窓の外でもぼーっと眺めていたい。書かなくても誰も文句は言わないだろう。キーボードから手を離そうとする。でも、踏みとどまる。こういう時に前に踏み出すと力になる。経験的に言って間違いない。

何か書きやすいこと、先週末のことでも書こう。先週の金曜日に再び軽井沢に行った。滞在している奥さんと子どもたちを迎えに行くついでに、もう少し軽井沢で遊ぶためだ。朝の9時に大宮駅から新幹線に乗った。平日の9時、下り線なので空いているのだろうと思っていたが、駅に入ってきた新幹線の車内を窓越しに見ると、席はほぼ埋まっている。結局、ドアの前に立ち、中沢新一の『日本の大転換』を読む。

軽井沢に着く。曇り空だ。結局、軽井沢では1度も青空をみることはなかった。(木々に囲まれた庭、葉のあいだから見える青空、透明な木漏れ日がキラキラ光る、涼しい乾いた風が吹き抜ける。そんな中、椅子に座りゆっくりと本を読む。そんな軽井沢での避暑は妄想に終わった)。奥さんと子どもたちが駅まで車で迎えに来ている。重苦しい天気に負けないように、浅間山の「鬼押出し」に強行しようと思った。しかし長男が胃腸風邪にかかり半元気。仕方がないので、長男を別荘で休ませ、義父を連れて白糸の滝に行く。

平日なのにたくさんの人がいる。駐車場から5分くらい坂道を上ると滝に出るが、滝まで行く人と滝から帰る人が途切れることなく続いている。休日には凄い数の人だろう。ばらばらと雨が降り出してくる。軽く雨に打たれながら滝まで行き着く。小さな滝だ。こんなに小さな滝だったのかと少しびっくりする。白糸の滝には何度か来たことがある。その度に、記憶ほど大きな滝ではないな、と思ったものだが、今回も同じだった。(他の人はどうだか知らないが、僕の記憶の中では空間は実際より広くなっている。ライブハウスなどもそうだ。記憶では非常に広いのだが、行ってみるとけっこう狭かったりする。)

午後は庭で焚き火。曇り空で今にも降り出しそうだが焚き火台と椅子を出して薪を燃やす。子どもたちは9日間の滞在で初めての焚き火だ。夕食まで焚き火の前に座って火を眺めたり、本を読んだりする。地面も風も薪も湿っていて、理想の焚き火とは言えない。それでも子どもたちは喜んでいた。

翌日、早起きをして帰り支度をする。朝食を取り、すぐに野辺山へ出発する。国立天文台に電波望遠鏡を見に行くためだ。佐久方面に向かって車を15分も走らせると、視界は開け、青空と白い夏の雲が見え始める。湿ったところを抜け出して、乾いたところに移動しつつあるのを実感する。思わず笑顔になる。気持ちよい。心が晴れていく。

野辺山に天文台を見に行ったのには理由がある。NHK教育で『大科学実験』という番組をやっていて、そこで「パラボナ」を説明するときに野辺山の天文台が映ったのだ。とてもよさそうな場所に見えた。野辺山までの道は晴れていたが、天文台に着いたときには曇り空、歩いて見学を始めたら雨がぱらつき始めた。それでも嫌な感じはしない。じめじめした感じがないからだ。広い平らな土地を低い緑の草が覆う。そこここに白い望遠鏡がある。それらすべてにシャワーのような雨が降り注ぐ。そんな中、傘を差しながら家族で歩く。とても情景的だ。

天文台を見た後は、清里で昼ご飯を食べ、清泉寮で子どもにソフトクリームを食べさせる。正直、あんな列を作るほど美味しいとは思わない。僕が子供の頃、30年くらい前の清泉寮はもっとこじんまりとしていた。そこで売っていたソフトクリームの方が美味しかったような気がする。でもそれは記憶の話だ。子どもたちがやがて大人になったとき、僕と同じように子どもの頃に清泉寮で食べたソフトクリームは美味しかったと思うのかもしれない。

そんなわけで、僕は何とか8月もランニングを達成し、子どもたちは夏休みが終わる。何だかわからないが、とりあえずブログも書いた。明日から秋、という訳にはいかないが、また仕切り直して1ヶ月、とにかく走って、とにかく書こう。
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ジャンクフード、理系が苦手になったわけ

2011年08月25日 | 雑文
奥さんと子どもたちは依然、軽井沢にいる。そういうわけで今週はほぼ一人暮らしだ。実際は母親と同居しているのだが、僕は早朝からランニングをし、仕事に出かけ、帰宅も遅いのでほとんどすれ違いだ。

滅多にない機会なので、そのあいだジャンクフードを食べようと心に決めた。カップ焼きそばとか吉野家の牛丼とかマックとかだ。僕はふだんジャンクフードというものをほとんど食べない。わざわざジャンクフードを買いに行くくらいなら自分で簡単なものを作ってしまったほうが楽だし、手元に食べ物がなければ空腹を我慢して体重を落とした方がよい。第一、あんなものしょっちゅう食べたっておいしくない。ときどき食べるからおいしいのだ。

僕が中学生から高校生にかけての頃だと思う。母親が夕方から夜にかけて友達と出かけることが多くなった。当然、夕食の支度をする時間はない。しかし彼女は罪悪感にさいなまれる。家族の夕食をほったらかして自分は遊んでいるのではないか、と。そこで彼女は出かけるたびに、ご飯だけ炊いていくという不思議な行動に出始めた。「ご飯は炊いておいたからね」と出かけるときに口頭で告げる。あるいはテーブルの上に「ご飯は炊いておきました」とメモを残す。

正直、これには僕も弟も閉口した。ご飯だけ炊かれても困るんだよね。おかずを自分で作らねばならないし、何か好きなものを食べに行くこともできない。そんなとき、弟はご飯を無視して自分の好きなものを買って食べる方向に梶を切った。僕はそのご飯でよくチャーハンを作るようになった。そんなわけで弟はいまでも買い食いが好きだし、僕はチャーハンを作るのが得意である。

ちなみに軽井沢に行くに当たってうちの奥さんは「サバの水煮」の缶詰を買ってくれた。僕の好物ではあるが、なんか猫なったような気分である。サバの絵の缶詰がキッチンカウンターの上にぽつんとのっかっている。あれなら塩分もなさそうなので、猫にも分けてあげられるかもしれない。カップ焼きそばと牛丼は食べたし、ジャンクにもあきたので、「サバの水煮」でも猫と食べようか。しかし缶詰ってジャンクフードなのだろうか?


さて、このところ「理系が苦手」ということを書いている。このあたりをもう少し書いてみる。僕が理系を苦手だと思い始めたのは中学三年の頃だ。ではそれ以前はどうかというと別に苦手ではなかった。小学生の時からテストでは8割から9割をつねに取っていたし、間違いのほとんどは問題をよく読まない、つまりおっちょこちょいによるものだった。それなのに中学三年くらいからうまく行かなくなる。

理由は簡単だ。僕の直観が通用しなくなったのだ。子どもの頃から勘はよい方だった。理屈抜きに直観的に答えを言い当てる方だった。だから何かをわかるというのは、直観的にわかるか、ぜんぜんわからないかのどちらかだった。算数の問題などもほとんど考えることはしていなかった。問題を読んだ瞬間に、何となく答えややり方がわかる。あとはそれを迷うことなく書いたり、しゃべったりすればよい。

算数というのはそういう能力が試されている科目だと、無自覚に思いこんでいた。理屈抜きで答えを言い当てる力を
どこまで身につけられるのか、それが試されているのだと思っていた。それでも小学生の算数くらいなら通用する。でも、中学になり算数が数学になるとそうもいかない。順を追った論理的な思考が必要になる。

数学というものは直観で答えを言い当てるものではなく、論理的に思考することが必要なんだよ、と誰かが教えてくれていれば、おそらく理系が苦手と思いこむこともなかっただろう。でも、そんな人とは出会わなかった。だから直観以外に数学にアプローチする方法を思い浮かばなかった。わかる問題はすぐにわかるが、わからない問題はとりつく島もない。時とともにわからない問題が増え、いつの間にか数学が苦手になり、理系が苦手になっていった。

当然のことながら、すべての理解を直観に頼る、というのは他の科目や日常生活全般にも及んだ。そして僕は、理系以外の科目もわからなくなり、世界そのものに違和感を持つようになる。(だから哲学科などに入ってしまったのだろう。)

よく大学に合格できたものだと思う。英語に関しては仮定法や関係代名詞などほとんど理解していなかった。受験対策はすべて「暗記」である。ひたらすら暗記して、基本的な情報を仕入れる。あとはその情報をもとに直観的に答えを当てる。文法を理解していないので英文和訳は散々だったが、この文章の内容に合ったものを次の選択肢から選べという問題はほとんど正解だった。ひどいものである。

しかしそれも仕方がなかったのかもしれない。僕の家庭には論理的な思考というものは存在しなかったからだ。母親は感情を中心に世界を意味付けしている人だった。感情というのは基本的に物事を細分化しないし、順序立てることもしない。すべてを一挙に一色に染めてしまうものである。

父親は職人だった。言語的に何かを説明するよりも、「コツ」とか「勘どころ」を大切にした。全体を細分化して順序をつけるよりも、もやもやした全体から「要」や「急所」をピンポイントで当てることに秀でた人だった。下手に言語が入り込むと「迷い」が生じることすらある。

そんな家庭環境で育ったからだろう。僕は直観と感情しか身につけずに十代の終わりまで育った。(ユングの「直観」「思考」「感情」「感覚」という心の4つ機能では、「直観」と「感情」は物事を一挙につかむ能力にあたる)。物事を細分化して、そこに順序をきちんとつけて、再構成する、というやり方を知ったのは大学に入ってからだ。それによって物事の細部を観察する力(「感覚」にあたる)も鍛えられたし、順序立てて考える力(「思考」にあたる)も鍛えられた。

そういう迂遠なことをして、近頃やっと、理系のことも少しずつ学べるようになってきたのである。すんごい回り道である。やれやれ。
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非避暑の軽井沢と4億5000万年前の宇宙

2011年08月22日 | 雑文
先週の金曜日から軽井沢に行っていた。それまでの2週間ほど、東京は信じられないくらいの暑さだった。週末には軽井沢で避暑。あと少し、あと少しで涼しい軽井沢だ。そう思って、日々、仕事に励んでいた。

軽井沢は涼しかった。むしろ寒いくらいだった。最高気温は16℃ほど。ところが毎日、雨、雨、雨、雨。子どもたちを連れて、散歩をしたり、カブトムシを捕まえたり、焚き火をしたり、鬼押出を歩いたり、あるいは早朝にジョギングをしてパン屋で焼き立てのバンを買ったりと、いろいろ考えていたのだが、1日のほとんどの時間を室内で過ごすことになった。

唯一、出かけたといえるのは日曜日の午後にセゾン現代美術館に行ったことくらいだ。これは良かった。わりと小さめな美術館で、正面の庭には、なだらかな芝にハルニレの大木が並んでいる。僕の好きなカンディンスキーの作品も2点ほどあったし、子どもたちはミロの絵が1番いいと言っていた。(家に帰ってから模写をしていた)。正面の庭が眺められる2階のベンチはとくに心地よい。家族4人で座って、庭の芝と木々を眺めたり、目の前の軒から落ちる雨垂れを眺めたり、時間が過ぎるのを忘れてしまいそうになる。

とはいえ、ほとんどの時間は室内だ。長男も次男もエネルギーを持て余して、部屋の中で暴れ始める。聞くところによれば、金曜日から東京も涼しくなったらしい。涼しくて天気が悪いなら、軽井沢より東京にいた方がいろいろ楽だ。自分の家なら部屋もかび臭くないし……。

今回の軽井沢は、相方の両親が軽井沢の別荘を借りて滞在しているのに便乗した。建物は築40年。それなりに古くなっている。避暑地といえば聞こえが良いが森の中の家だ。森は水を貯め込む。ただでさえ湿度が高い。気温が下がり雨が降ればじめじめする。私たちは普段使っていない客間を使った。空気はよどみ、かび臭い。部屋の隅にはクモの巣が張っているし、床には虫の死骸が転がっていたりする。おまけに床の板が濃い茶色で、電灯は暗めの白熱球だ。汚れ具合がわからない。いきなり床に転がって、体を伸ばそうという気にはならない。そんな中、雨の日々だ。

今日の昼過ぎ、雨が上がり、空は明るくなった。雲間からちょっとだけ青空も見えた。空気も陰湿でなくなった。そして残念なことに、僕は1人帰途についた。仕事だ。相方と子どもたちは今度の週末まで滞在。明日からは、虫取りとか焚き火を楽しむことだろう。東京に帰ったらすごく涼しかった。雨が降っていないので軽井沢より心地よいくらいだ。早速、軽井沢でできなかったランニングをした。

閑話休題。

先日の毎日新聞にこんな記事が載っていた。タイトルは「4億5000万年光年先銀河衝突の絶景 NASA画像公開」。内容は「2つの銀河が衝突する場面をとらえた色鮮やかな画像を公開した。2つの銀河は紫色に輝く「VV340北」銀河と、青色の渦巻きのように見える「VV340南」銀河。(http://mainichi.jp/photo/archive/news/2011/08/18/20110818k0000e040007000c.html)。2つの銀河は、衝突の時点から何百万年か後には1つに溶け合うと見られる。」というものだ。

新聞というのは日々の新しい出来事を伝えるものだ。そもそも情報というのがその新しさに意味がある。この記事を無自覚に読むと、なるほど4億5000万年光年先では「いま」2つの銀河が衝突しようとしており、「いまから」何百万年か後にはこの2つの銀河が1つになってしまうのか。そう受け取るだろう。

しかし科学的にはそれは間違いである。4億5000万年光年先の映像というのは、4億5000万年前の出来事である。つまり、2つの銀河が衝突しそうなのは4億5000万年前の出来事であり、何百万年か後には2つの銀河が1つになるというのは、その4億5000万年前からみた何百万年か後である。つまり、今から4億4000万年以上も前の出来事である。だから記事では「衝突の時点から何百万年か後には」という書き方をしているのだろう。(個人的には、ここで今から4億4000万年くらい昔には2つの銀河は1つになっていただろう、と書いてもらいたい)。

「過去」に起こった出来事を、「今」知る。それは「過去」の出来事なのか。それとも「今」の出来事なのか。出来事は「過去」に起こったかもしれない。しかし私がその出来事を「知る」ことがなければ、その出来事は私にとっては存在しない。その出来事が生じたときを中心に考えれば、私たちは過去に起こった出来事を常に事後的に知ることになる。私が知るということを中心に考えれば、出来事は私が知ることによって成り立つということになる。

私が知ることによってしか(私にとって)出来事は成立しない。その意味でそれは私にとって最新の出来事である。しかしその出来事は私が知る以前にすでに起こっている。その意味ではそれは過去の出来事である。つまり私たちは、過去の出来事を最新のものとして受け取ることしかできないのである。私たちはつねに出来事に「遅れて」いる。私が最新の出来事として語っていることはすでに「遅れた」出来事かもしれない。そう考えると、自分が語ることに「ためらい」や「恥じらい」を感じることができる。自分が間違っているかもしれないという感覚を持ち続けることは知性にとって重要なことだ。

宇宙の凄さは、そういうことを存在それ自体で教えてくれることである。

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理系の苦手な満月派

2011年08月18日 | 雑文
早起きのランニングのおかげで今月の走行距離は96km。このまま行けば月間目標の135kmはクリアできそうだ。コツコツ積み上げるのが大切だと何度も同じことに気づかされる。

2、3日前から早朝の風が少しだけ心地よくなってきた。ほんのわずかだが風の中に秋の粒が混ざっている。あまいあんこの中に入っているほんのわずかな塩という感じだ。1日に1分ずつ日の出が遅くなっている。

先週末にかけてとてもテンションが高かった。掃除をしたり、買い物をしたり、本を読んだり、いろんなことを積極的に行なった。カレンダーを見たら、ちょうど満月だった。

僕は満月派の人間で、満月になるとテンションが高くなる。むかし聞いたはなしたが、満月と新月には殺人事件が多くなるそうだ。テンションが高くなった人がちょっとやりすぎてしまうのだろう。

それに反して、半月の時期には交通事故が増えるそうだ。集中力が落ちるので、ちょっとしたミスから事故が増えるらしい。人間の体の60から65%は水分だ。大潮の日の潮の満ち引きと同じことが体内で起こっているなら、精神的にも影響があるのは当然だろう。

満月派と書いたのは、僕が満月の時に人とトラブルを起こしやすいからだ。ある時、月がどんな影響を人間に及ぼすのか気になって、日記を見返してみた。するとほとんどのトラブルは満月に当たっていた。ちなみに相方は新月派である。二人とも満月派だったら、血みどろの戦いが起こっていたのかもしれない。

そのことを思い出して、週末を振り返ったら、テンションが高っただけでなく、イライラしやすくなっていたことに気がついた。端的に気が短くなる。待てなくなる。相方や子どものちょっとしたことに過敏に反応していた。

テンションが高くなっていろいろできたことは明確に覚えていて、自分がイライラして人に接していたの忘れている。記憶というのは都合のよいものだ。

前回のブログでは「宇宙」について書いた。科学的な知識について間違えたことを書いたのではないか、という疑念が拭えない。僕は理系が苦手だからだ。

苦手分野を克服するために、近頃は少しずつ理系の知識をため込んでいる。ポットキャストで「ヴォイニッチの科学書」を聞いたり、テレビで「サイエンスZERO」を見たり、ときどき科学雑誌の「NEWTON」を買ったりしている。(「日経サイエンス」には門前払いをくらった。)

わかる気がするものもあれば、まったくわからないものもある。やはり理系は苦手なのかな、と思う。でも、考えてみれば「理系が苦手」というのは、かなり無茶な言い方だ。数学、物理学、科学、生物学、地学、など理系といわれる範囲は広い。見聞きして、わかることがわずかであるのも当然のことだ。


僕は文系だが、政治学や法学についてはほとんど知らない。文学にしたって守備範囲は狭いし、専攻の哲学に関しても知っているといえるのは中国と日本の仏教思想の
特定の部分だ。そう考えれば、文系全般が得意とは決していえない。

にもかかわらず自分は理系が苦手で文系の人間だと思ってた。どこでそんなことが起こったのだろう。おそらく中学の時だ。中学三年あたりから数学が今一つピンとこなくなった。そんなときに、受験校が入試で「数学か社会」の選択を許していた。教師の指導などもあり、何となく自分は理系が苦手で文系なのだと思いこんでしまった。

社会にしろ数学にしろ別に本気で勉強したわけではない。どちらも適当にやっていたらたまたま社会の方が点数がとれていただけだ。数学に本気で取り組んで、どうしてもできなくて、数学が苦手だと思い知らされたわけではない。(数学がピンとこなくなったのはほかに理由がある。それは回を改めて書きたい)

結局のところ数学を捨てて社会を選んだのは楽な方に逃げただけのことだ。選んだ社会も本気で勉強したわけでなく、志望校は不合格だった。おそらく数学を選んでも不合格だっただろう。いま考えれば僕が一番苦手だったのは、コツコツとものごとを形にしていくということだったのだ。

あのとき、数学でも社会でもよい、大切なのはコツコツやってその結果を自分で引き受けることなのだ、ということを教えてくれる人に出会っていれば、きっと違うことになっていただろう。

いまの自分は満ちているので、過去を書き換えたいとは思わない。でも、コツコツやることの意味を理解するまでにずいぶん遠回りをしたような気もする。いや、いまでもしょっちゅう道を外しているのかもしれない。

夏に早起きをしてランニングをすることで、そのことをやっと思い出せている状態だ。あまり遠回りしていると、満ちている自分が欠けてしまうかもしれない。用心、用心。
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「宇宙は何でできているのか』を読んで

2011年08月15日 | 雑文
『宇宙は何でできているのか~素粒子物理学で解く宇宙の謎』(村山斉、幻冬舎新書)について。僕には理系の素養がない。(ここのところ少しずつ溜め込んでいる)。だから細かいところは誤解しているかもしれない。読みながら感じたところなどを簡単に書いてみる。

冒頭、ガリレオの「宇宙という書物は数学の言葉で書かれている」という言葉を引いている。これはこの本の性格をよく表している。著者は数学の言葉ではなく、素粒子物理学で宇宙を記述、つまり説明しようとしているのだ。

素粒子と宇宙の研究には大きく分けて2つのテーマがあるそうだ。1つは「物質は何でできているのか」、もう1つは「その物質を支配する基本法則はいかなるものか」である。

「物質は何で出来ているのか」という問いに対しては、「素粒子」というのが答えだ。素粒子とは、最小の物質に付けられた役職名のようなものであり、ある特定の物質を指すものではない。
かつては「原子」が最小単位だったが、原子「原子核」と「電子」からなっていて、原子核は「陽子」と「中性子」からなっていると、どんどんと小さな方に向かっていく。つまりその時、その時の最小のものが「素粒子」と呼ばれているのだ。(人間は物質に限らず、物事を理解しようとすると、それを細分化するという性癖をもつ。)

では現在の素粒子は何かというと、これがけっこう厄介である。素粒子はボース粒子とフェルミ粒子にグルーピングできて、フェルミ粒子だけでも12種類の素粒子があるのだ。ニュートリノなどはその1つである。

とにかく物質を構成する最小単位の素粒子を発見して、その性質というか、法則をつかむことを素粒子物理学では目指している。それがどうして宇宙を読み解くことになるのかというと、宇宙も物質で出来ているからである。宇宙も物質で出来ているのだから、素粒子を支配する基本的な法則を理解できれば、宇宙も理解できるという論法だ。(もちろん物事はそう簡単には行かない。)

この思考法を目にすると「ああ、科学者だな」と思ってしまう。宇宙を理解しようとすると、「何でできているのか?」と反射的に問うてしまう。僕などは宇宙を思うと、「宇宙とはいったい何なのか?宇宙はなぜ存在しているのか?」という方向に問いが向かう。あるものを疑問に思ったときに、「それが何で出来ているのか?」と問うのと「それはいったい何なのか?なぜ存在しているのか?」と問うのでは大きな違いだ。

「人間は何でできているのか?」という問いからは、遺伝子とかDNAとかそっちの方向の思考が広がるだろう。「人間とは何なのか?」という問いからは、人は何のために存在するのか、とか、生きる意味とか、そういう方向に思考が広がる。前者は科学であり、後者は哲学や宗教や芸術の領域である。(先日までは科学が主流で原発の安全性などを担保したりしていたが、これからは放射能汚染の中で生きる人間の意味を考える哲学や、鎮魂に関わる宗教などが必要になってくるだろう。)

結局のところ、誰もが避けて通れない「死」を意識するときに、科学のみでの限界が見えてくるのだ。科学が「死」に対してできることは、「死因の説明」と「延命」である。なぜ両親が、我が子が津波で死んでしまったか、泣きながら問う人に対して語る言葉を科学は持たない。何年後かに現れるだろう「フクシマネックレス」の子どもたちの「なぜ僕たちが?」という問いに、科学の言葉は答えられないだろう。

宇宙という書物は数学の言葉で書かれている。森羅万象は科学の言葉で説明できる。なるほどそうかもしれない。でもすべてを語ったことにはならない。それはケーキショップのあらゆるケーキをカロリーだけで語り、ケーキについてすべてを語った気になるのと等しい。ケーキは値段からも語れるし、味からも、美しさからも語れる。

と、科学的な言葉づかいに批判的なことを書いたが、この本の筆者はべつにそういう人ではない。科学者として科学からぎりぎりまでアプローチしようとしているだけだ。そして面白いことに、ギリギリまで行くと、その言葉が科学的に響かなくなってくる。なんというのか科学的な思考でファンタジーを語っているような感じになるのだ。(詳しい内容は僕の説明能力を超えているので実際に本を読んで欲しい。)

そもそも、宇宙という書物は数学の言葉で書かれている、あるいは、物質を細分していけば最小単位が簡単に見いだせる、という考え方は、古典物理学にしか通用しないものである。アインシュタインの相対性理論、そして量子力学にいたって、私たちの常識に合致する古典物理学の考え方は通用しなくなる。何しろ、量子力学では「電子」が「粒子」と同時に「波」の性質を持つ、とか、同時に2ヶ所に存在するとか、日常生活で起これば超常現象としか思えない事態が観測されている。

(実際、その考え方が少々オカルト的だと、つまり非科学的だと非難されていた分析心理学のユングなどは、自分が考える心の働きと量子力学の世界が似ていることに着目して、はやく量子力学に発展して欲しい、そうすれば自分が言っていることが正しいことが分かる、と言っていた。)

不可思議な現象にも物理学的というか数学的な理論を持ち込むから、部分的には説明がついても、全体的にはどんどんとミスティックな世界ができ上がる。その最たるものが、暗黒物質とか暗黒エネルギーというものだ。ネーミングそのものからして、ファンタジーというかオカルトだ。

そもそも宇宙が物質から成っているという前提であった。だから、物質を最小単位まで分けてそこに法則を見いだせば、宇宙が何でできているかを理解できるはずだった。もちろん、宇宙には真空という何も無い空間もある。(おそらく真空は何もないから無視してよいと考えられてきたのだと思う。あくまで想像である)。つまり、宇宙は物質と真空からなり、真空は何もないのでその影響は無視してよく、物質の法則を見いだせば宇宙を理解したことになる、そういう前提が古典的には存在していたのだと思う。

ところが現在の宇宙論では、宇宙の構成は次のようになっている。星などの物質を構成する原子は宇宙全体の4%、目には見えないしいまだ正体がつかめていない暗黒物質が宇宙全体の23%、さらによく分からな暗黒エネルギーが73%である。暗黒物質は正体が分からないが、宇宙が膨張するにしたがってその密度が薄くなるという物質的な振る舞いをするから多少は理解ができる。(つまり水を足すと薄味になるカルピスと同じですね)。しかし、暗黒エネルギーにいたっては、宇宙が膨張しても密度がかわらないという意味不明な存在である。

暗黒物質や暗黒エネルギーの他にも反物質とかヒグス粒子とか、正体不明だがその存在が予想される物質(?)がある。正体不明だがその存在が予想される、というのが面白い。これは科学的な思考を推し進めたときに、そういうものがないと科学的な思考が破綻するという点から逆説的に導かれた存在だ。つまり料理を食べたら甘かったので、絶対に確認はできないが砂糖が入っているはずだと言うようなものである。(入っていたのはステビアだったりして)。

そしてその物質を観測するための装置を莫大な費用をかけて作ったりしている。(小柴さんがニュートリノを発見してノーベル賞を取ったスーパーカミオカンデなどもそうだ。)ここにいたって、科学が行なっているのは、すでに存在が確認されている物質や現象(つまり見える物事)の観測ではなく、科学的思考によって推論された(つまり科学者の頭によって論理的に空想された)いまだ見たこともない物質を確保するための森羅万象の観測ということになる。

いまだ見たこともない物質や事象だが、絶対に存在するはずの物質や事象を捉まえるべく、莫大な費用と時間をかけて観測する。人によっては人生を棒に振るかもしれない。それは、いまだ見たこともない出来事だが、絶対に存在するはずの出来事を捉まえるべく人生を賭ける思想家や宗教者や芸術家と変わらない気がする。

科学的な思考がギリギリまで行き科学的な響きを失う。そこにおいて思想や宗教や芸術と重なりを感じさせるのは面白いことだ。そんなことを思った。科学的な専門の話は読んで、何とか理解して、すべて忘れた。
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早起き、ランニング、史跡巡り、読書

2011年08月14日 | 雑文
このところ暑い日が続く。たまたま先月末から始めた早朝ランニングがいい感じではまっている。とりあえず14日現在で今月は71kmのランニングだ。残り64km。よほどまぬけなことをしなければまず目標は達成できるだろう。

早朝とは言え、夏のランニングは厳しい。午前5時半に目覚ましをセットする。最初は目覚ましにたたき起こされたが、この1週間ばかりは5時すぎに自然と目が覚めるようになってきた。体のだるさと眠気は感じていて、もういちど眠ってしまおうかと思っているのだが、意識の一点がとてもクリアになっていて「起きろ」と僕に指示を出している。(ランニング司令官が再び現れたようだ)

新聞を読んだり、軽くストレッチをしたり、心身ともに目を覚まして、6時半くらいからランニングを開始する。すでに空気は生暖かい。一晩かかっても冷えなかったのだろう。平日は5km、休みの日は11kmをゆっくりと走る。とにかく熱を体に溜め込まないペースで走る。それでも10分もたてば汗が噴き出す。Tシャツの背中がビッショリになり、顔からも汗が流れる。短パンも汗で黒くなる。

太陽が少しずつ暑さを増してくる。(それでも7月末よりは暑くなる時間が遅くなってきた)。脚の筋肉はそれほど疲れないが、体力がどんどん奪われていく。夏の日差しの黒犬みたいな感じにへばってくる。しんどい。ランニングでこういうしんどさを味わったことはなかった。嫌だな、と思う反面、きっと次回のレースの助けになるのだろうと思う。

そんな毎朝を過ごしている。この間の金曜日を除いて。金曜日には友人の神職夫妻と我が家族の6人で早朝から「大田南畝ゆかりの板橋史跡巡り」をする。江戸時代の文人、大田南畝が板橋巡りをした記録が残っており、そこに友人の天祖神社にも立ち寄ったとある。よい機会なので、その足跡を辿って、現代の散歩コースを作ろうという企画で、朝から車で史跡巡りである。

池袋近くの氷川神社からはじまり子安神社、下頭橋、そして天祖神社に出て、延命時、熊野神社、南坂へと続くコースだ。だいたい15kmくらいのコースだ。途中、旧川越街道だった大山の商店街や、本格的な温泉などもある。ポイント、ポイントで車を停め、写真を撮る。(それをもとに相方がイラストをおこし、散歩マップを作成する)。暑い季節だったので早朝に車で回ったが、涼しくなったらいちど自分の脚で歩いてみたいものである。

ここのところ(といっても1ヶ月以上にわたるが)、何冊か本を読んだ。『うつし~臨床の詩学』(森岡正芳、みすず書房)、『宇宙は何でできているのか』(村山斉、幻冬舎新書)、『若い読者のための短編小説案内』(村上春樹、文春文庫)、『ことばが劈かれるとき』(竹内敏晴、ちくま文庫)、『金子みすゞ詩集百選』(ミヤオパブリッシング)、『三位一体モデル』(中沢新一、ほぼ日ブックス)、『知的生産の技術』(梅棹忠夫、岩波新書)。

本は読み終えたのだが、終わったという感じがしない。心理的なけじめがついていないという感じだ。お礼をいいそびれたまま時間がたってしまったというのか、きちんと「さよなら」をいわずに疎遠になってしまったというのか、そんな感じだ。遠くにあるが切れていない、昔の出来事だが過去になっていない、そんな感じだ。

昔、お師匠さんが授業中に「春は徐々に来るのだと思いますか?突然、やって来るのだと思いますか?」と質問したことが合った。生徒たちはさまざまに意見を言った。お師匠さんは自分の意見を述べた「春は突然やって来るのです。ある朝、目が覚めたら春になっているのです」と。(それは決して正解という意味ではない。)

本の話と春の話は通じるところがある。どちらも観察対象としての継続的な現象と、主観的に認められる変化が問題になっている。気温や風向きや湿度は観察できるし、それは多くの場合、継続的な変化として捉えられるが、「ああ春が来た」と言葉にするのは一瞬である。本を読み終わったというのも同じだ(本に限らず何でもそうだ)。読書というのは読み初めから読み終わりまでの継続的な現象だ。最後のページを読んだ時に継続的な現象としての読書は終わる。しかし、「ああこの本を読み終わったな」というのは、かならずしもそれと一致しない。それは本によって違う。読み終わった瞬間に一致するものもあれば、最後まで読まずに実感することもある。また長い時間がかかるものもある。

そのあたりが僕をいつも混乱させる。もともと文字を読む力が弱いので、いつでも自分が読み損なったような気がしている。つまり読書は終わったのだが、きちんと読めていないのではないかという気持ちがいつも残ってしまう。だから「とりあえず読み終わった」という実感がもてると非常にありがたいのだ。そこで今回、『知的生産の技術』の梅棹忠夫にならって、読書カードを作ることにした。カードの表に「タイトル」「著者名」「出版社」「初版年月」「ページ数」「読書終了日」を書く。そして裏にちょっとした感想を書く。(形式によって状態を変える。ある種の通過儀礼のようだ)。これでけじめのつく本は終わりにできる。

それでも残るものは文章にしながら考える。そんなわけで今日は『宇宙は何でできているのか』について書くつもりだったが、もう字数も多くなってきたので、次回にゆずる。だいぶ話が流れたな。暑さのせいだろう。
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今年も館山に行きました

2011年08月08日 | 雑文
先週の水曜日から昨日まで館山に行っていた。4泊5日、日にちの感覚がマヒするくらい、連日、海で泳いだ。5日も遊んでいるとさすがに仕事や雑務がたまる。今日は日常復帰のための調整の1日だった。ブログを書く時間も十分には取れないが、これも調整の1つ。とにかくキーボードをバタバタと叩こう。

調整のため、もちろんランニングもした。岩淵水門までの往復、基本11kmのコースだ。走りながら頭の中を整理する。よい按配でランニングしていたが、途中から暑さのために頭がぼーっとなる。これで今月は34km。月間目標の135kmはけっこうシビアな数字だ。今月は週末にあまり走れないからだ。

今回、館山には我が家の家族4人と、家の持ち主の親子の2人、計6人で行った。家の持ち主はボクシングを一緒に練習してる青年とその父親だ。家の庭が雑草だらけになっているので手入れのために一緒に行くことになった。

水曜日、我が家の家族だけで先に館山に出発。昼過ぎには館山に到着。ジャスコで食材などを買い込み、海辺の家に着く。とりあえず家の掃除を済ませる。庭は荒れ放題。雑草が生えているというよりも、手入れをしていない土手の茂みみたいになっている。そして建物を見上げれば、アシナガバチが巣を作っている。早速、駆除のための業者を手配する。(去年の夏にもアシナガバチが巣を作り、業者を呼んで駆除してもらった)。

昼ご飯にカップラーメンを食べる。ふだんはカップラーメンを食べさせないので、子どもたちは大喜びだ。(お店ですごく嬉しそうに大声で選ばれると周りの目が気になる)。そして水着に着替えて海へ。曇り空で少し涼しいくらいだ。海には僕らの他に5人くらいの人しかいない。でも泳いでいるのは僕らだけだ。(あとから、カップルが泳ぎ出した)。海の家もない、音楽も流れていない、沖にブイもない、ただの海だ。

人々の歓声もなく、聞こえるのは波の音だけ。遠くまで広がる海にはあまり表情がなく、盛り上がっては下がる、盛り上がっては下がる、という運動を規則的に繰り返している。海の向こうにはうすい灰色の空があり、それは僕らの頭上まで戻ってきて、一面をどんよりした雰囲気にしている。それでも海に入ると、子どもたちは声を上げながら楽しんでいる。僕と相方もボディボードを持って、波打ち際で波に乗って遊ぶ。1時間半も経つと次男の唇が紫になり、体が震え始める。とりあえず撤退する。

シャワーを浴びて着替えてから、釣り道具屋に行き仕掛けを買う。堤防でイワシを釣るのだ。夕方の堤防。雲が切れて晴れ間も除く。西日に照らされた青空と白い雲が頭上に広がる。長男と次男、2人分の仕掛けを作って釣りを始めるが、子どもたちはすぐに飽きてしまう。「もう釣れた?、まだ釣れない?」と言いながら、堤防でフナムシを退治し始める。

しばらくすると、背後で「ボッチャン」と音がする。「子どもが落ちた」と他の釣り人が大声をあげる。急いで見に行けば、水面には次男がびっくりした表情であっぷあっぷしている。さいわい満潮時だったので堤防に寝ころび手を伸ばせば何とかなる。よく見れば、次男はけっこう冷静にしている。「慌てずにゆっくり上ればいいから」と手を伸ばす。引き上げても泣き出すこともなく、平気な表情で「水に落ちたら、力を抜けばいいんだよ。ちゃんと力を抜いたよ」と講釈している。やれやれである。イワシは1匹も釣れずに撤退。

家に帰り持ち主親子と合流。七輪でバーベキュー。食後は長男が作った天体望遠鏡で月を観測する。クレーターがくっきり見える。雲もなくなり一面の星空になる。天の川が簡単に見つかる。盛りだくさんの初日だった。

木曜日。まずは庭の手入れを早朝から2時間ほどする。とにかく雑草を切る。小さなカマ、大きなカマ、大きな剪定ばさみ、電気の芝刈り機、いろいろな道具を使う。それでもほとんど進展しない。暑さもひどくなり、子どもたちも海に行きたいというので泳ぎに行く。昨日とは違って青空が広がる。やっといつもの海に来たような感じになる。

昼食を取り、再び庭の手入れ。真夏の日差しが厳しい。つむじの辺りが日焼けでひりひりする。夕方には磯に遊びに行く。子どもたちはハゼやカニを捕まえに、僕らは貝でも拾いに。太陽が西に傾き、光と熱がやわらかになる。涼しい潮風が吹く。そして辺りが少しずつ暮れて行く。都会のような人工の光がない場所での夕暮に居合わせる度に、こういうものだよな、という気になる。

金曜日。この日も朝からちょっと庭の手入れをして、昼まで海で泳ぐ。毎日、同じことをしているので日付の感覚が無くなってくる。海でやることも同じだ。長男はずーっと海に入ったままだ。浮輪を持って泳ぐ次男を追い掛け回すか、1人で波と戯れている。波が来ると「うぉーっ」とか言いながら波に倒れ込むというようなことを延々と繰り返している。長男が楽しんでいるのは理解できるが、何がそんなに楽しいのか理解できない。長男は水中で白い歯を見せながら笑っている。水中では口を閉じなさい。

昼過ぎの暑い時間は休んで、夕方から平砂浦という外房の海岸に行く。ここは遊泳は禁止。サーファー達がサーフィンをしている。工作用の流木を拾うために子どもたちと海岸を歩く。「ゴーッ、ゴーッ」という波の音がずうっと続いている。海岸にはいろいろなものが流れ着いている。流木は丸ごと一本の木から小さな枝まである。太い縄、ブイ、ボール、ビーチサンダル、大きな箱、インドネシアの空いていない缶コーラ、本当にいろいろなものがある。黒潮に乗って遠くから流れてくるのだろう。砂にまみれてはいるが、波で汚れは洗い流されている。流木を拾うのに飽きると、海を眺める。目をつぶっても波の映像が浮かんでくるほど海を眺める。

土曜日。早起きして釣りに再びチャレンジ。僕らがやっているのは「さびき」という釣り方。(釣りに関してはまったくの素人なので、釣具店の勧めにしたがった)。どうやらこの釣りは、イワシの群れが回遊してきたときに一挙に釣る方法らしく、群れが来ないときはまったく釣れない。結局、1度だけ群れが通り過ぎ、その時に5匹ほどイワシを釣った。家に帰り朝食のおかずにする。

またもや海に泳ぎに行く。晴れていて気温も高い。もう完全に日にちの感覚がなくなっている。いつもと同じように海で泳ぐ。4日目にして海とだいぶ馴染んできた感じだ。ちょっと沖の方まで泳ぎに行く。そして海底をのぞき込む。時おりキスなどが海底を泳いでいるのが見えるからだ。イワシの大群が足下を泳いでいる。おそらく千という単位の数だろう。僕の足下を右から左へ川が流れるかのようにイワシの群れが泳ぐ。僕が体をひねると大群が一挙にふたつに分かれたり、向きを変えたりする。ちょっと神秘的な感じすらした。

しばらくして腰くらいまでの深さのところで子どもたちと遊んでいると、何かが体にぶつかってくる。イワシの群れが波打ち際までやって来たのだ。そして水面から跳ね上がったりしている。勢いあまって砂浜に打ち上げられてしまうイワシもいる。急いでイワシを拾う。次の波がイワシを海に連れ戻す前に波打ち際を走る。全部で12匹のマイワシを捕まえる。体長は10㎝くらいだ。これで夕食のおかずは決まりだ。数が少ないので夕方、再び釣りに行くことにする。昼寝をして、夕方、堤防へ。今度は上手く群れを捉まえ。全部で24匹イワシを捕まえる。すべて天ぷらにして食する。

土曜日。今日が最終日だ。日にちの感覚がマヒしているので、長かったとも、あっという間とも感じない。ただ、よく海で泳いだという満腹感だけはある。満腹感はあるがやはり海に泳ぎに行く。5日連続だ。5日連続で海で泳ぐのは人生初めてである。同じようにボディボードで遊んだり、長男が浮輪の次男を追いかけたり、水中で白い歯を見せながら笑ったりしている。家族みんな、日焼け止めを使っていたとは思えないほど真っ黒になった。

昼食を取り、掃除をして、帰路につく。高速道路が渋滞しているので、木更津まで海岸沿いの道を行く。昔、高速道路がないときによく通っていた道だ。初めて館山に行ったのはもう17年くらいまえのことだ。それから毎年、夏には館山の海に行っている。僕の夏の記憶は館山と切り離せないものになっている。子どもたちも同じだ。長男が10年、次男が6年、生まれてから夏が来るたびに館山だ。かれらもいずれ館山の海とともに夏の日々を思い出すのだろう。
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星々について学ぶ

2011年08月01日 | 雑文
8月になった。何だか今年は日が過ぎるのが早い。先月はなんとか140km走った。目標より5km多かった。月の途中で風邪をひいたのと、台風で走れない日があったのとで、ちょっと苦労したが、何とか目標は達成した。月間140kmというのはかなり少ない数字だ。きちんと走り込んでいる時期なら何の意識も必要なく走っている距離だ。夏とは言え、目標にしなければ走れないとなると、僕の走力もかなり落ちているのだろう。

そういえば月末には、自分が走力を取り戻しつつあることを実感した。ふと気づいたら自分が走っていた、そんな感じだ。体がランニングに馴染むと、ランニングをしている時にランニングを意識しなくなる。(フォームを意識するのとは少し別な感じだ)。すでに1時間以上走っているのに、ふと我に返った時、いま走り始めたような気がする。走力がある時はそんなふうに走れる。

その感覚を久しぶりに得た。そういう感覚があったことも忘れていた。そして、ここしばらく自分がいかに走れていなかったかに気づかされた。(だいたいにおいて、人がダメになっている時、その本人はダメになっていることに気づけないものである)。とにかく7月は何とか目標を達成した。8月も同じように135kmを目標にしておこう。(とはいえ、いまだ5月の終わりに合気道でケガをした左足の中指が痛む。右と比べると骨が太くなっている。)

先日、宇宙とか星々のことを漠然と思っていた。作りかけの天体望遠鏡が長男の部屋に置いてあったからだ。区(?)が主催する夏休みのイベントに参加して、途中まで作っていたのだ。2000円もしない簡単な工作キットだが、ガリレオが使っていたものより精度がよいというから驚きである。

東京の下町ということもあるのか、長男は天体望遠鏡で星空を1度も眺めていない。イベント会場の中で遠くの人を眺めたり、展望室から町を見下ろしたりしただけだ。(それだって焦点が合わないとぶうぶう言ってた)。何も言わなければ、このまま天体望遠鏡をのぞくことはないのだろう。宇宙とか星々とかについてせっかく学べるよい機会なのに。そう思って、宇宙や星々について学ぶと言うのはどういうことなのかと疑問に思った。

星座は88種類ある。夏の大三角を作る「はくちょう座」の1等星デネブ。そのデネブの意味は「お尻」である。というようなことをイベント会場でプラネタリウムを見ながら学んだ。学びながら、自分は星を眺めることは好きだが、星についてほとんど知らないなと思った。だから、長男が天体望遠鏡を手に入れた機会に、多少、星について学ぶとよいのにと思っていた。

しかしよく考えてみると不思議なものである。星について学ぼうとする。おそらく星を眺める。場合によっては天体望遠鏡のようなものを買うかもしれない。しかしそれだけではダメだ。おそらく天体に関する本を買うことだろう。そして本に書かれているとおりに夜空に星々が輝いていることを確認することになる。確認の手段はもちろん「言葉」である。

星々の名前を確認する。一見、無秩序に散らばっている星々の間に線をつなげて星座を見つける。そうすることによって、宇宙や星について学んだと思う。しかし本来、星々には名前などない、あるのは色や明るさの違いなどだ。名前をつけたのは人間だ。星座も同じだ。星々の間には線など存在しない。人間が星々の間に線を引き、そこに星座を作り出したのだ。

星々について学ぶというとき、私たちは星々そのものについてではなく、先人たちが星々について語った「言葉」を学んでいるのだ。そしてその言葉の集まりが知識と言われるものだ。これは星々についてだけではない。「学ぶ」こと全般に当てはまる。私たちが何かを学ぶことは、「何か」について先人が語った「言葉」を集めることである。

そこで何が起こるか。星についてより多く学ぶために、星空を眺めるよりも、本を読むのである。色や輝きが微妙に違う星々、自分が吸い込まれそうな宇宙、そんなものに心奪われるより、夏の大三角の名前を覚え星々について知った気になる。(長男は夏の大三角を自分の目で見たことはないが、テストではきちんと正解していたはず)。

私たちが何かを学ぶとき、それについて先人が語った言葉を辿る、あるいは自分で新たな言葉を編み出す、そういう仕方をするしかない。その意味では、星々や宇宙について学ぶとき、それらについての言葉を本などから手に入れることは避けがたいことだ。それでも、星々や宇宙に深く感動するために本を用いるのか、本に書かれていることの確認として星々や宇宙を見上げるのかでは、大きな違いがある。

せっかくの夏休みだ。天体望遠鏡をもって子どもと空を眺めてみよう。

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