今日は次男の高校の卒業式だ。
中学の卒業式と高校の入学式はコロナで中止だったので、なんというか、次男のああいう姿を見るのも久しぶりだ。
次男の高校は私服なので、卒業式は羽織袴だった。
部活のみんなと決めたようで、レンタルしたようだ。
入場行進を見ていると、本当にいろんな人間がいるのだと思った。
300人以上の一人一人がそれぞれの顔を持ち、それぞれ生きている。
とりあえず、子どもたちが高校卒業まで生きてきたことにちょっと感動した。
そしてこれからも良いことがありますようにと祈りたくなった。
高校は公立校なのだが、なんというのか、形式は私が子どものころの昭和のそれと変わらなかった。
一人一人は一生懸命やっているのだろうが、ちょっと時代錯誤で、能や歌舞伎といった伝統芸能を思わせた。
在校生は「卒業生の皆さんは、つねにあこがれであり、私たちを支えてくれた」とか、
卒業生は「問の横の池の氷もいつの間にかとけ、春の気配が‥‥、とか。
校長の挨拶も、来賓の祝辞も、誰もが先例の型に合わせているようで、自分の言葉を話しているようには感じられない。
誰か責めたいわけではない。
ただ、卒業式をもう少しクリエイティブな時空にしてもよいのではないかと思った。
言葉がその場をもっと豊かな場所に出来るのではないか。
(ここまで13分)
私がここに書いた言葉も、卒業式をぜんぜん豊かにしていない。
次男の卒業式に行き、次男や他の子どもたちが生きて卒業する姿を見て、うれしくて、ちょっと感動して、ちょっと涙が浮かんだ。
そんなことをがあったのだ。
中学の卒業式と高校の入学式はコロナで中止だったので、なんというか、次男のああいう姿を見るのも久しぶりだ。
次男の高校は私服なので、卒業式は羽織袴だった。
部活のみんなと決めたようで、レンタルしたようだ。
入場行進を見ていると、本当にいろんな人間がいるのだと思った。
300人以上の一人一人がそれぞれの顔を持ち、それぞれ生きている。
とりあえず、子どもたちが高校卒業まで生きてきたことにちょっと感動した。
そしてこれからも良いことがありますようにと祈りたくなった。
高校は公立校なのだが、なんというのか、形式は私が子どものころの昭和のそれと変わらなかった。
一人一人は一生懸命やっているのだろうが、ちょっと時代錯誤で、能や歌舞伎といった伝統芸能を思わせた。
在校生は「卒業生の皆さんは、つねにあこがれであり、私たちを支えてくれた」とか、
卒業生は「問の横の池の氷もいつの間にかとけ、春の気配が‥‥、とか。
校長の挨拶も、来賓の祝辞も、誰もが先例の型に合わせているようで、自分の言葉を話しているようには感じられない。
誰か責めたいわけではない。
ただ、卒業式をもう少しクリエイティブな時空にしてもよいのではないかと思った。
言葉がその場をもっと豊かな場所に出来るのではないか。
(ここまで13分)
私がここに書いた言葉も、卒業式をぜんぜん豊かにしていない。
次男の卒業式に行き、次男や他の子どもたちが生きて卒業する姿を見て、うれしくて、ちょっと感動して、ちょっと涙が浮かんだ。
そんなことをがあったのだ。
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