とんびの視点

まとはづれなことばかり

他罰的な人たち

2009年12月11日 | 雑文
風速10メートルを超える北風に向かって土手を1時間以上も走っていると体からエネルギーがどんどん消耗していくのがよく分かる。そんな時、「八甲田山」という言葉が頭に浮かぶ。冬の到来である。

さて、『悪いのは私じゃない症候群』(香山リカ著、KKベストセラーズ)という本を読んだ。タイトルから内容を想像して読んだが、果たして想像とそれほど違わないものであった。試みに目次を羅列してみる。「第1章 学校が悪い!」「第2章 医者が悪い!」「第3章 職場が悪い!」「第4章 家族の中の他罰主義」……「第8章 ネットという他罰メディア」「第9章 他罰は自己責任論の裏返し」となる。

おおよその内容は検討がつくだろう。不快なことがあったり、予想とは違う出来事が起こったり、トラブルに巻き込まれたりした時に、その原因を自分以外に求める人たちが増えているという話しだ。何か起こった時に原因を自分の外に求めるという性向そのものは珍しいものではない。厄介なのはそこに善悪二分の価値観が強く入り込んだ場合だ。

物事が上手くいかない。その原因は自分の外にある。物事を上手く行かなくする原因は悪である。悪いのは私ではなく外側の何かである。悪は罰してもかまわない。平たく言えば、思い通りに物事が行かないときに、自分以外の誰かを悪者にしてそれを罰してもかまわないと考える人が増えているということだ。

精神科医の著者は臨床現場での実感を書いている。一昔前なら、精神科医にかかる人たちには、「自分のせいでこんなことになった」という自責タイプが多かったそうだ。そんな患者に対して「いやいや、あなたのせいじゃないですよ」と慰める側に回ることが多かったそうだ。

ところが昨今では、「出たくない会議でプレゼンをされられて過呼吸になった」「通院していても良くならないのは医者が悪いのではないか」「病気になったのは私のせいじゃなく、扁桃についた傷のせいである」「宇宙の気の流れが悪いからうつ病になった」「前世の業のせいでこうなった」などなど、とにかく病気になったのは私のせいじゃない、ということを訴える人が増えたそうである。

ここからは2点のことが思い浮かぶ。1つには「増えた」ということが具体的に何を意味するのか。2つめは「増えた原因」は何かということである。

「ハイブリッドカーが増えた」とか「夏になって蚊が増えた」という言い方がある。この時の「増えた」という言葉の意味は、個体数そのものが増加したということである。10台しかないのでさらに90台を製造して100台に、もともと7匹だったが繁殖して48匹に、という具合に。

ところが他罰的な人が「増えた」という場合はこれと違う。少数の先天性他罰型人間の男女がペアを組み、何らかの理由で活発な繁殖活動を行ない、先天性他罰型人間の個体数を爆発的に増加させ世の中でマジョリティーとなったというのではない。以前は他罰的に振る舞わなかった人たちが、何らかの理由で他罰的に振る舞うようになった。その結果、他罰的な人たちが増えたのである。つまり他罰的な人が「増えた」と言うより、人々が他罰的に「変わった」のである。

かつて日本には「私が悪かった」と言う人が多かった。ところが今は「悪いのは私じゃない」という人が多い。「私が悪かった」と思っていた人が「悪いのは私じゃない」と思うように「変わった」のである。人が変わる理由については細かいことを言えば人の数ほど出てくるが、大枠で捉えれば「生きていくため」である。言い換えれば「自己の幻想を維持するため」である。

かつては「私が悪かった」と思うことで「自己の幻想を維持できていた」が、昨今では「悪いのは私じゃない」と他罰的に振る舞わねば「自己の幻想を維持できなく」なって来たのだ。(「自己の幻想を維持する」ということは必ずしも生命を維持するということではない)。だからそういう人たちの数が「増えた」のである。

そこで2つ目の「原因」である。「悪いのは私じゃない」と考える「他罰的な人」が増えた原因の1つとして筆者は「自己責任論」を挙げている。筆者によれば、「自己責任」という言葉はもともと金融の分野で証券取引に関して使われ始め、その後、社会福祉サービスの分野で「サービス受給者が″守られるべき弱者″からひとりの生活者として自立するための心構え」という意味で用いられるようになった。つまり、福祉の場などで使われる「自己責任」には、「悪いのはあなたのせい」という責任の所在を押し付ける意味はなかったのである。

ところが「自己責任」という言葉が「自業自得」という意味で使われるようになった。悪いことを行なうと悪い報いを受けるという意味である。(「自業自得」は本来、自らの行なったことは自らに返ってくるということである。必ずしも悪い行為と報いだけについて述べたものではない)。物事が上手くいかないという悪い結果を引き起こしたのはその当人が悪いからだ、という極めてシビアな考えがそこから出てくる。

自分がやったことの責任を自分で引き受けるということは何ら問題ではない。問題は「自己責任」という言葉で他人から攻められることである。「私が失敗したのは私のせいである」と反省するのは決して悪いことではない。しかし「お前が失敗したのはお前のせいである」とことあるごとに他人に攻撃されるのではたまらない。

ことあるごとに他人に攻められるくらいなら、「自己責任」を大義名分に他人の小さな失敗に先制攻撃を加える。そう振る舞うことで自分を守ろうと、自覚的、無自覚的に振る舞う人が増えてきている。それが他罰的な人たちが増えている理由である。これが筆者の考える現状である。(私の解釈も入っているけど)。

他罰的な人が増えているという話しは聞くが、実のところ他罰的な人間は私の周りにはいない。でもそれはたまたまなのかもしれない。他罰的な人間はいないが、物事が上手く行かない時に自分以外に原因を求めるという思考を無自覚に行なっている人は多々いる。何よりも私自身がそういう思考をしていることに気づくことがしょっちゅうである。

人が他罰的になる理由は、他人から「自己責任」の名のもとに攻められる可能性を感じているからである。もしそうであれば、〈私〉が「自己責任」の名のもとに人を攻めなければ、その人は〈私〉に他罰的に振る舞う必要はなくなる。他罰的な人たちで溢れる世の中が住みにくいのであれば、まずは自分の中の他罰的な部分をなくすことである。それが他人の他罰的な態度を本当になくすのかは分からない。(多分、そう簡単にはなくならない)。しかし社会から他罰的な人が1人減ることは確実である。

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2 コメント

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Unknown (町子)
2014-08-25 09:32:23
自分を善としたゲーム、風水などの流行や、思想活動(政治思想活動、陰謀論者など)をブログで繰り広げる人たちが劇的に増え、若年層から中年までへ大きな影響を与えていることが多いのではないでしょうか。

自分のことを必ず「善」としたうえで展開していくので、相手を「善か悪か」の二面論で片づけてしまうことが多く、
自分たちに起こる原因を自分の内面ではなく、他者や環境や外部に求めます。

物事が上手く行かないのは上司のせい、家が片付いていないのが原因、権力者が原因、○○民族たちの所為、○○国の所為、○○の陰謀の所為、などターゲットを定め、処罰、粛清することを好みます。

他責的他罰的かつ、善か悪かの二面論思考は、歪んだ自己愛に直結しているのではないでしょうか。
自己愛者は、善か悪、他罰を訴えかけ、それを蔓延させる首謀者の役割をしてきたのではないでしょうか。
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Unknown (Unknown)
2020-12-17 20:07:23
性別、国籍、中卒者等や内定のないまま年齢で固定化した人、身寄りのない人々等に対して
人を括り、対象に対して世間で使われる言葉で、「○○は環境のせいにしている!」「社会のせいにしている!」「国のせいにしている!」「親のせいにしている」などと、それが差別よりも悪い事かのように
外側から、疑問なく他人に見立て、責める人の声の方が圧倒的にネットの政治で普遍的になってる。

問題は、社会適応の為に想像力を失った人々ほど、社会の環境の構造問題によって必然的に起こる社会問題を見た時に、対象の人々への性悪説に依存した見立てをしやすく、問題に関わる社会環境の固定化を引き起こす事です。

性悪説は集団にとって都合がよい。
哲学的社会論、人権的価値観からの慎重なジャーナリズムまでが、「ゆとり近代教育」によって生まれた風潮と決めつけ俗扱いしている言論もネットや政治系コンテンツでは多々見られる。


自己責任論は、社会のあり方を保守する事を正当とする為の論が必要な政治保守派に利用されやすいですが、
自己責任論は、自己責任論を正当化出来るような性悪説的な認識が表裏一体になりやすく、そのために排除を煽り固定する差別の温床にもなります。

その逆に政治左派の問題として認識されやすいですが、
世間的な力を持つ立場にあるメディア側は、自己の立場を証明しようと、差別をする側に社会側で経済的立場を持たない存在という誤ったレッテルを社会に流す問題があり、これが問題を矮小化し、社会の差別を正当化する保守的な社会の力に荷担する事になる為、社会的なステータスの弱い属性の支持層の失望も招き、政治無党派層を増大させます
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