さてさて、今日も15分で書いてみる。
13分でアラームを鳴らし、ちょっと見直して終わり。
本当はじっくり考えて、自分の深いところにあるものを、丁寧に言葉にするような書き方がよいのかもしれない。
でもそれだと、手が止まって、きっと一言も書けないだろうという気がする。
自分の中ですでに言葉になっているものを、引っ張り出すような書き方をする。
週末、髪を切りに知り合いの店に行った。
髪を切ってピンパーマをかけた。
次男の高校の卒業式が火曜日なので、長くなった髪をきれいにしようと思ったのだが、
パーマをかけて短くしたら、毘沙門天?のような頭になってしまった。
小奇麗というよりも、ちょっと攻めた感じになっている。
お店の女性は、長男の保育園時代の同級生のお母さんで、わが家みんながお世話になっている。
当然のことだが、彼女はマスクをしている。
私には、マスクは外しても構わないから、と言ってくれた。
コロナで何が変わったか、という話をした。
おそらく、マスクを外して仕事をすることは2度とないだろ、と言っていた。
コロナが収束してももとには戻らないもの、コロナで変わってしまったことを考える。
マスクはその1つだろう。飲食店の店員、ヘアサロンの店員などは2度とマスクを外せないと思う。
私たちはマスクを外せない、メンタリティーになってしまったからなのか?
あるいは、メンタリティーは変わらず、コロナという状況に応じて、マスクが外せないという形が現れただけなのか?
潜在的なものが潜在しているだけと、潜在的なものが顕在化することには、違いがあるのだろうか?
顕在化することによって、そのようなメンタリティーが強化され、よりその方向性が強まることがあるのだろうか?
ここまで。
13分でアラームを鳴らし、ちょっと見直して終わり。
本当はじっくり考えて、自分の深いところにあるものを、丁寧に言葉にするような書き方がよいのかもしれない。
でもそれだと、手が止まって、きっと一言も書けないだろうという気がする。
自分の中ですでに言葉になっているものを、引っ張り出すような書き方をする。
週末、髪を切りに知り合いの店に行った。
髪を切ってピンパーマをかけた。
次男の高校の卒業式が火曜日なので、長くなった髪をきれいにしようと思ったのだが、
パーマをかけて短くしたら、毘沙門天?のような頭になってしまった。
小奇麗というよりも、ちょっと攻めた感じになっている。
お店の女性は、長男の保育園時代の同級生のお母さんで、わが家みんながお世話になっている。
当然のことだが、彼女はマスクをしている。
私には、マスクは外しても構わないから、と言ってくれた。
コロナで何が変わったか、という話をした。
おそらく、マスクを外して仕事をすることは2度とないだろ、と言っていた。
コロナが収束してももとには戻らないもの、コロナで変わってしまったことを考える。
マスクはその1つだろう。飲食店の店員、ヘアサロンの店員などは2度とマスクを外せないと思う。
私たちはマスクを外せない、メンタリティーになってしまったからなのか?
あるいは、メンタリティーは変わらず、コロナという状況に応じて、マスクが外せないという形が現れただけなのか?
潜在的なものが潜在しているだけと、潜在的なものが顕在化することには、違いがあるのだろうか?
顕在化することによって、そのようなメンタリティーが強化され、よりその方向性が強まることがあるのだろうか?
ここまで。
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