とんびの視点

まとはづれなことばかり

「道具」か「パートナー」か

2010年02月27日 | 雑文
仕事で研修の講師のようなこともやる。講師をやればレポートを読むことになる。10人ほどの人間が書いたレポートを読んだ。お題は「時間について」。自分では知っているつもりでいながら、あらためて説明しようとするとちょっと詰まってしまう。そんなものをお題にしようと考えたのだ。べつに「言葉」でも「論理」でも「家族」でもよかったのだ。

自分から興味を持ったテーマでもなく、仕事の合間に書くレポートだ。テーマそのものについて掘り下げるというよりは、無自覚な思いを他人に理解できるように言語化することがゴールとなる。こういう文章を読むのは面白い。無自覚な思いがストレートに表現されていたり、無自覚な思いが言語に引きずられていくのが見えたりする。

読んでいて見えてきたのは、「時間は道具である」という思いが共有されていることだ。「時間をコントロールする」「時間を支配する」「時間を上手く使う」など、正確な言葉遣いは人それぞれだが、大半の人は「時間を道具」とみなす書き方をしていた。しかしレポートを読み込んでみると、これは結果的に表現された「言葉」であり、言語以前の時間の「感じ」とは微妙にズレているように思えた。

言語以前の時間の「感じ」を言語化するなら、「思い通りにならないが、上手くやっていかなければならない何か」という感じである。この「感じ」を言語にしていこうとすると「時間は道具である」という言葉になる。興味を引かれたのは、「思い通りにならないが、上手くやっていかなければならない何か」という「感じ」が「時間は道具である」という「言葉」になった際に働いた力である。

言い方をかえれば、ある「力」が働いたことによって、「思い通りにならないが、上手くやっていかなければならない何か」という「感じ」が「時間は道具である」という「言葉」になったと言える。その力とは。それは「対象を操作する」ことである。時間を「道具」とみなすことは、「時間」を何らかの目標達成のための「手段」とみなすことである。ここでは「時間」を「道具」とすることで「時間」それ自体が使われる「対象」となる。また「時間」という「道具」を通してさらにその先にある対象を操作することにもなる。

「対象を操作する」という考え方は、極めて近代的なものだ。主観から客観を切り離し、それを対象として操作する。そんな形でさまざまなことを行なってきた。例えば、開発という名のもとに自然を破壊してきた。(そのツケが、温暖化という形で回ってきたらしい)。利益のために社員を品物のように扱う。教育という名のもとに子どもを思い通りに操作する。顔をあげて見回せばいくらでも目に付く。

こういう世界であるからこそ、「思い通りにならないが、上手くやっていかなければならない何か」が「道具」という言葉になるのだ。お題が「言葉」や「お金」でも同じだろう。「言葉はコミュニケーションのための大切な道具である」。「お金はさまざまなものの価値を一元的にはかることができる道具である」と。

何かを見てそれを言語化しようとすると「道具的な言葉」になってしまう。そして今度は「道具的な言葉」をもって何かを見るから、すべてが道具的に繋がっている世界に見えてくる。目的を達成するために相互に利用したりされたりという世界である。しかし最初の感じはそれとは違うものであった。「思い通りにならないが、上手くやっていかなければならない何か」がという感覚だ。

ちょっと考えて見れば、あらゆる物事がそうである。子ども、親、近所付き合い、会社での人間関係、冬の寒さ、遅れてくる電車、滑りやすい坂道、みんなそうだ。思い通りにならないが、上手くやっていかなければならない何かだ。

これらすべてを自分が思い通りにできる「道具」と見るのではなく、パートナーとして見たらどうだろう。ダンスのパートナーでも良いし、狩りをする狩人と犬でも良い。何か1つのことを達成するために共に力を合わせる相手だ。そこでは「相手に合わせる」ことが何より必要になる。相手の思いや動きにお互いに気を配り、それに合わせて自分も動く。それによって、その時その場で最も良いパフォーマンスを行なう。

相手を「道具」とすることもなく、未来の目的のための「手段」ともしない。共に1つのことを成し遂げるための不可欠な存在とみる。「時間は道具である」「時間はパートナーである」。「言葉は道具である」「言葉はパートナーである」。「子どもは道具である」「子どもはパートナーである」。「パソコンは道具である」「パソコンはパートナーである」。

どちらの言葉の方がしっくり来るだろうか。「道具」という言葉がしっくり来るのであれば、無自覚のうちに道具的な世界に住んでいることになるし、「パートナー」という言葉がしっくり来るのであれば不可欠な相手と共に何かを成し遂げる世界に住んでいることになる。大きな違いだが、それは1つの世界でもある。1つだからひょいと移動することも簡単にできるのである。
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突発性難聴2

2010年02月22日 | 雑文
突発性難聴は一進一退。つまり、あまり変わっていない。そんな中、仕事で進行役としてミーティングに参加する。議題の内容には口出しせず話しの筋道をコントロールするのと、会議を楽しい雰囲気にする役割である。会議が始まってすぐに聞き間違いをする。やはり聴力が落ちていると聞き間違うのだなと納得するが、その納得に違和感を覚える。

聴力が落ちている。それなのに以前と同じような聞き方をして、聞こえないと思う。間違っている。寒い冬にコートを着る。春になる。暖かくなったのにコートを脱がない。それで暑いといっている。当たり前じゃないか。春になったらコートを脱がねばならない。聴力が落ちたら聞き方を変えねばならない。

というわけで集中して話しを聴いた。驚くなかれ、話しはすべて聞こえている。集中している分、かえって話しが理解できる。あまり意味のない話しは捨てて、重要な事柄だけをピックアップするようになるからだ。なるほど、そういうわけか。

タイミングを見計らっておもむろに口を開く。「左耳の聞こえが悪くなったのは罰が当たったのです」。罰というのは大げさな言い方だが、これでみんなの注目は集められる。突発性難聴になり左耳の聴力が落ちた。悪くなる前と同じような聞きかたをしていたらよく聞こえなかった。集中力を上げて聴いたら、かえって話しがよく聴こえる。すなわち耳は2つ必要ないということだ。

きっと2つの耳をきちんと使っていないから聴力が落ちたのだろう。大切にしないものは何でも去っていくものである。この状態できちんと話しを聴けるようになったときに、きっとまた左耳の聴力が戻るに違いない。今回の突発性難聴は、私が中途半端に話しを聞いていることへのちょっとした警告なのだ。とても良いことに気づけた。そんな話しをした。

何をふざけたことを言っているのか、そう思う人もいるだろう。ことの重大さがわかっていないんじゃないか。きっと本当に耳が聞こえなくなったら騒ぎ出すに決まっている。この男はおつむりが弱いんだな、可哀相にと。

ある出来事が起こる。「何故」それが起こったのか。そう問わざるを得ないのが私たちの心性である。例えば「不治の病」にかかる。当然、医者にかかる。医者は病名を告げるだろうし、そのような病気になった原因のようなものを探るだろう。家族に同じ病気をした人がいるか、どんな職業についているか、食生活はどうか、飲酒はしているか、煙草は吸っているか、などなど。ある程度の情報が集まれば、その人が「不治の病」にかかった原因を統計に照らして説明できるだろう。

しかし「不治の病」にかかった人は、そういった「原因」を聞いてすべてに納得できる訳ではない。彼が知りたいのは、「他ならぬ自分が、なぜ、この病気にかかって死なねばならないのか。なぜ、他の人でなく自分なのか。なぜ、今なのか」ということだ。それに答えてくれる「理由」を求めているのだ。不治の病で死ぬという「意味不明な出来事」を、「意味のある出来事」にするような物語を求めているのだ。

同じようなことは身近な人が亡くなったときにも起こる。飲酒運転の車が信号無視をして交差点に突っ込んできたので亡くなったのです。新聞に載せるならこのような説明でも十分だ。しかし、朝「行ってきます」と出ていった家族が再び帰ってこないときにこのような説明は意味をなさない。「なぜ、あの人があんな事故に遇わねばならないのか」、簡単には見つからない答えを求めてしまう。

日常感覚では処理できない「出来事」が起きたときに私たちは「なぜ」と問う。反対の言い方をすれば、日常におこる大抵の「出来事」がどんな「意味」を持っているのかほとんど考えることなく、私たちは生活していることになる。意味がない出来事だから「やり過ごしているか」、意味があるにも関わらず「やり過ごしている」のかでは大きな違いである。

前者を取れば、日常の大半は無意味な出来事の連続であり、時おり(幸いであれ、災いであれ)大きな意味を持った出来事が起こる。そのような世界に生きていることになる。後者を取れば、(理解できるか出来ないかは別にして)あらゆる出来事には意味がある。そんな世界に生きていることになる。

前者と後者の断絶に着目してそれを強調すれば、前者は自由や意志、対象の操作という人間中心的な世界観に繋がる。後者は世界に対する受動的な姿勢、すべてはあらかじめ決められている世界、人間を超える何者かの意志という宗教的な世界観に繋がる。両者は内容的には大きな違いがあるが、その志向型においては大した違いはない。結局のところ、どちらも「出来事に意味を求めざるをえない」のだ。

重要なのはその「意味」がどのように成立するかである。世界に対して「私の意味」を押し付けるのか、私が「世界の意味」を聴き取るのか。それは大きな違いである。同時に1つの出来事の表裏である。突発性難聴は中途半端に聴いていることへのちょっとした警告というのは、私が世界に意味を押し付けているのか、世界が私に意味を囁きかけてくれているのか。さて、どうだろう。



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突発性難聴

2010年02月20日 | 雑文
左耳の調子が悪いと書いたら、突発性難聴のおそれがあるから医者に診てもらった方がよいですよ、との書き込みを頂いた。(どうもありがとう)。確かに、風邪は良くなってきたが、耳の調子はあまり変わっていない。何十年ぶりかで耳鼻科に行くことにした。

冷たい雨の降る夕方、傘を差して病院に向かう。ガラスからもれる白い光が雨に濡れた黒いアスファルトを照らす。ドアを開けて中に入る。白く光る蛍光灯。いささか暑すぎる暖房。そして鼻をつく薬品の匂い。待合室には誰もいない。典型的な古いビルの一室だ。分厚いコンクリートの壁は何度もペンキで塗られている。リノリウムの床はところどころ端がめくれ上がっている。待合の長いソファーは少し傾き、クッションが死んでいるので座りにくい。バランスボールに座っているような感じだ。

天上のスピーカから呼び出しの声が聞こえる。受診用の椅子に腰かけて医師に症状を告げる。1週間くらい前に風邪を引き、その時から左耳の聞こえが悪い。風邪の影響かと思ったが、風邪が良くなった割に耳は治らない、と。医師は60歳くらいの白髪の男性。優しそうな人だ。ただその優しさは気の弱さという現れ方をしそうだ。ちょっと乱れた髪、顔に刻まれたしわ、使い込まれた機器、いささか古ぼけた診察室。長い時間の積み重ねによって作り出された絶妙のバランスだ。

左右の鼓膜の状態を調べ、鼻の状態を調べ、咽を調べる。「鼓膜には問題がないようですね。耳が抜けていないのかも知れないので、空気を送ってみましょう。これを左耳に入れてください」。そう言って、両側にイヤホンのようなものがついた50センチくらいの管をさし出す。僕が左耳にその1つを差し込むと、もう1つ自分の右耳に差し込んだ。向かい合った2人の男が耳から出ている管で繋がった。先の曲がった銀色の棒を出して、僕の左鼻に差し込む。そして何度か空気を送り込む。なるほど、この空気で耳が抜ければ、その振動が管を通って医師の右耳に伝わるわけだ。

「抜けないようですね。では聴力検査をしてみましょう。じゃあ、お願いします」。すると、部屋の端で背中を向けて何やらやっていた女性が「こちらに」と僕を誘う。たたみ半畳くらいの小さな部屋だ。音が漏れないようにコルク製の壁になっている。コルクは煙草のヤニを何層も塗り重ねたような茶色だ。椅子に座ってヘッドホンをつける。「音が鳴ったら押してください」とボタンを手渡される。正面の壁には1枚の花の絵が無造作にピンで留めてある。この花を眺めてください、と書いてある。

左側には小さな窓があって、女性が機器を操作しているのが見える。患者がそっちを見ないための絵だろう。赤い花だ。カーネーションのような感じだが、ちょっとぼってりしている。何という花だろう。わからない。「花」という言葉は知っていても、花については何も知らない。知っているつもりだが知らない、そんなことばかりだ。「ピーッ、ピーッ」。気がつくと小さな音が流れている。花のことを考えていてすっかり聞き逃していたようだ。慌ててボタンを押す。花を眺めるのはやめて、目をつぶって集中する。

「やはり左耳の聴力が落ちていますね」と紙を見ながら説明をする。「突発性難聴だと思われるので、少し強めの薬を出します。それを4日ほど飲んで様子を見て、もういちど検査をしましょう」。医師は言いにくそうに続ける、「場合によっては、このまま聞こえない状態のままかも知れません。でもとにかく、4日ほど薬を飲んでみてください」。優しさが気の弱さになりかかっている。下からのぞき込むようにこちらを伺う。

「わかりました。4日薬を飲んで様子を見ればいいのですね。そしてまた受診に来る」。ムダな心労を取り除くようにはっきりと答える。はっきり答えすぎたのか、医師の目がさらに弱気になる。明らかに迷っている。この患者は話しを理解できているのだろうか。もしかしたら自分の置かれている状況がわかっていないのかも知れない。ひょっとして頭が弱いのかも知れない。そんな表情でこちらを眺めている。

大丈夫です先生。きちんと理解しています。今の段階ではどうなるかわからない。4日薬を飲んでみる。治るかも知れないし、このままの状態かも知れない。治るなら治る、それでよい。治らないならまたその時に考えればよい。治らなかったらどうしようなどと動揺しても仕方ないですよ。(動揺して治るなら動揺するけど。)第一、先生の「場合によっては、このまま聞こえない状態のままかも知れません」というその言葉、しっかり聞こえています。とは口に出さなかった。

「しばらくの間、日常生活で気をつけることはありますか」と話しの方向を変える。「何かあるのですか」と疑心暗鬼で聞き返えす。「いや、3月の20日すぎにフルマラソンの大会があります。その練習でランニングをしなければと思っているので、大丈夫かなと思って」。そう言うと、「まあ、安静が必要ですから、しばらくは休んだ方がいいでしょう。人によっては入院して治療することもあるくらいですから」。「わかりました。じゃあ、しばらくは休みます」。会話がかみあってきた感じを受けたのか、先生の表情が明るくなってくる。「ちょっと強い薬ですけど、少しずつ弱めていくので大丈夫です」。ちょっとズレているが、やさしいフォローの言葉で診察が終わる。

支払いを済ませ、雨のなか薬局に向かう。外はすっかり暗くなっている。傘に雨が当たる音を聞きながら歩く。薬局ではきちんとした感じの初老の男性が対応してくれる。処方せんを受け取ると、薬を揃えるために奥のガラス張りの部屋に入る。姿勢正しく、正確な手つきで引き出しから薬を出し袋に入れ、飲み方の説明書を作成している。

「お待たせしました。今回は少し強いお薬が出ております」。とてもきちんとした言葉づかいだ。まるで執事のようだ。「袋は2つあります。こちらの袋に入っている薬は2種類で、いずれも食後、1日3回飲んでください。こちらの袋に入っている薬は1種類ですが、飲み方が変わります。こちらの①と書いた方は1回2錠ずつです。いずれも食後で1日3回、3日間ほど飲みます。そして4日目からはこちらの②と書かれたものを1回1錠、1日4回です。朝、昼、晩の食後と寝る前にお飲みください」。

「失礼ですが、お疲れになるようなことがあったのでしょうか」と丁寧に尋ねる。上品な気遣いが感じられる。「はい、尋ねている意図とは違っているかもしれませんが」と僕の口調も丁寧になる。「ここのところ、定期的にフルマラソンの大会に出ているので、その影響で疲れが多少たまっているのかもしれません。でも、おかげさまでストレスとは無縁の生活をしています」と笑顔で答える。「そうですか。あまりご無理をなさらないように気をつけてください」。そう言って丁寧に頭を下げる。

不思議な感じだった。傘を差しながらそう思う。薬局で薬を買った感じがしない。薬局の主人は本当にあんな口ぶりだったのだろうか。違ったのかも知れない。突発性難聴。左耳の聞こえが少し悪くなった。単に聞こえなくなったのではなく、世界の音が少し違って響き始めたのかも知れない。そんなことを思いながら雨の中を歩く。心なしか、傘に当たる雨の音も違って聞こえる。

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無駄飯を召し上がれ

2010年02月15日 | 雑文
昨日の日曜日は、長男と岩淵水門まで写真を撮りに行く。長男は自転車で、僕はランニングで。片道7km、往復で14kmのコースだ。長男は小学校3年生。社会科で「地域に古くからあるもの」について学習している。そして、地域に古くからあるものを調べてまとめよ、という宿題が出たわけだ。題材を選んで簡単に説明を書き、あとは絵か写真をつけるというものだ。

「岩淵水門」は、現在の荒川と隅田川を仕切る水門だ。東京都北区の志茂にある。現在、「荒川」と呼ばれている川はかつて「荒川放水路」と呼ばれた人工河川である。そして、現在「隅田川」と呼ばれている川がかつては「荒川」であった。岩淵水門はこれらの分岐点にある。現在、水門は2つある。1924年に完成した旧水門(通称「赤水門」)と1982年に完成した新水門(通称「青水門」)だ。旧水門が新水門より300メートルほど上流にある。

ウィキペディアからの抜粋である。宿題の説明もウィキペディアを利用した。でも丸写しではない。文をコンパクトにし、難解な単語を分かりやすいものに置き換える。自分が理解している文章を書くためだ。丸写しだと単なる「検索」でしかない。ネットで検索してその説明を丸写しする。写真もネットから引っ張ってきてプリントアウトして貼り付ける。それでは調べ学習にはならない。というわけで岩淵水門まで写真を撮りに行く。

新荒川大橋の欄干から下流を見ると、赤水門と青水門を1枚の写真に収めることが出来る。小さなデジカメを長男に持たせ、自分で写真を撮らせる。欄干にファインダーが引っかからないように、腕を伸ばしぎみにしてカメラを構える。カメラが小刻みに動き、焦点が定まらない。カメラが止まったところで、丁寧にシャッターを押す。そして大切そうにカメラをポケットにしまう。

午後の長い時間をかけて写真から絵を起す。さいわい絵なら相方が教えることができる。手書きなら何時間もかかるが、写真をプリントアウトして貼り付けるなら10分とかからない。先生は写真でもよいと言ったそうだ。ウィキペディアで検索、コピー&ペーストして、デジカメの写真をプリントアウトして貼り付ける。それじゃあダメな大人がやっていることと同じだ。効率よくものごとを捌くために、なに1つ自分というフィルターを通さずに素通りさせる。そして何も身に付かない。

ウィキペディアの説明を自分なりに組み換える。そして手書きで原稿を作る。デジカメの写真をもとに自分の手で絵を描く。どちらも手間のかかる作業だ。でもその分、得るところが多い。ムダは省くが、手間はかける。それを成し遂げるために必要なエネルギーと時間をきちんと提供する。あと10年も経てば、こういう意見が主流になっていることだろう。

風も穏やかで、日差しも暖かい。たくさんのランナーが走ったり、少年野球のチームが試合をしたり、若い夫婦がベビーカーを押しながら散歩している。僕の横を長男が自転車で走る。自転車のスピードのぶんだけ風が吹き、長男の髪の毛を揺らしている。太陽の光で顔が明るい。遠くを見るような表情で心地よさそうに自転車に乗っている。こういう状況にいると本当によい表情をする男だ。家では間抜けな感じだが、案外、器が大きいのかもしれない。

ランドセルを背負い、手提げ鞄を持ち、玄関に座り込んで靴を履く。靴ひもが上手く結べない。やっとのことで「いってきまーす」と家を出たら、手提げ鞄を忘れている。雨の中、傘も差さずに濡れ鼠のようになり学校から帰ってくる。学校に傘を忘れたと言う。家からスイムパンツを履いてスイミングスクールに行く。でも着替えのパンツを持っていくのを忘れる。冬の寒い日に濡れたスイムパンツを履いたままの家路は辛かろう。普段はそんな感じだ。

でも土手で風を受け、遠くを眺めながら自転車をこぐ姿は悪くない。10年近く経っても同じ表情ができれば、カッコいいと思ってくれる女の子もいるに違いない。10年経っても彼は同じ表情が出来るだろうか。子どもを育てることを考えると、どうしても「何を教えれば良いのか」という方に向かってしまう。でも考えるまでもなく、子どもにはよいところがたくさんある。大人よりもたくさんあるだろう。何かを教えることも大切だが、良いところをなくさないように育てることも、それに劣らず大切だ。

だいぶ前だが、内田樹がブログで「スケールの大きな能力は膨大な無駄飯を食わないと起動しない」と書いていた。「世の中には長い時間をかけないとできないことがある。たいせつなことのほとんどはそうである」と。

土手で風を受けて、良い表情で遠くを眺めることが出来る。これは大切なことだろうか。僕は大切なことだと思う。そういう能力を失わないためには、膨大な無駄飯を食べさせることが必要なのだろう。たとえば、ネットで検索して文書や写真をコピペするのではなく、自分の手で文章を書き、暖かな冬の日にわざわざ写真を撮りに行き、それを描き直すような、そんな無駄飯が必要なのだろう。お腹がはち切れんばかりにたーんとお食べ。

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左耳、調子悪し

2010年02月13日 | 雑文
ここ数日、左の耳がよく聞こえない。風邪で鼻がやられたせいだと思う。時おりはっきりと音が入ってくるが、何だか出来の悪い耳栓を入れているような感じだ。耳がよく聞こえない、と人に言うと、「早く医者に行った方がいい」と忠告してくれる。なるほどその通りである、僕が人から、耳がよく聞こえない、と言われたら、間違いなく「早く医者に行け」と言うだろう。でも何となく、そのままである。風邪が抜けても治らないようなら医者に行けばいいや。それまではちょっと耳が聞こえない状況を楽しもう、そんなふうに思ってしまうのだ。(右耳は聴こえているのだから日常生活に問題はない)。

先日、カレーチャーハンを作った。自分で言うのも何だが、チャーハンを作るのは得意である。ポイントは高温の油がご飯の一粒一粒をしっかりとコーティングすることだ。一粒の米を取り出したとき、表面はかりっと焦げて中には柔らかさが残っている。すべてがそんな状態になるように意識して調理する。

こりゃ、上手くいかないな。作りながらすぐにわかる。ご飯を炒める音がよく聞こえないのだ。いつもそれほど意識していたわけじゃない。聞こえなくなって初めて気づいた。自分は音で判断していたのだと。昔、全盲の人に、炒め物は匂いと音で判断する、という話しを聞いたことを思い出した。いまひとつぴりっとしないカレーチャーハンを食べながら、音のことを考える。

そういえば、ランニングの時もそうだ。今でもiPodで音楽やPodcastを聞きながらランニングをするが、集中してランニングをするときには音が聞けるようにしている。自分の足音を聞くためだ。靴が擦れるように着地をしていれば、ズッ、ズッという音が聞こえるし、ドシン、ドシンと音がしていれば腰が落ちているということがわかる。ランニングというと視覚情報に頼って走っている感じがするが、案外、音からの情報も大切である。

確かに私たちは目からの情報に大きく依存している。「百聞は一見に如かず」と言うように、何度話しを聞いてもわからないことが、一目見ればすぐにわかることはある。しかしそのわかりやすさに騙されることもある。近ごろ合気道で気づいたことだ。稽古によっては目をつぶってしまった方が上達が早いのだ。

合気道というのは、2人一組で稽古するものだ。まずは道場町や師範が手本を見せる。門弟どもはそれを正座して見ている。つまり目から情報を手に入れているわけだ。始めて見る型や覚えていない型を演じられたら、よく見て覚えるしかない。右手を内側にひねる。同時に右足を1歩出して相手の背後に入り込む。左手で首を軽く押さえ引き込んで……。まさに目で見て動作を覚えるのだ。

自分も相手に同じことをやろうとする。当然、上手くいかない。理由は簡単だ。手本の動作の「かたち」を真似ようとしているからだ。合気道では型も重要だが、相手との関係が大切である。「1つの頭と手足が2本ずつの人間が2人いるのではない。2つの頭と8本の手足のあるひとつの生き物を自分がどうコントロールするつもりで……」というようなことを読んだことがある。

相手が引いたら合わせて押す。相手が押したら合わせて引く。そういう中で相手をコントロールしていく。相手の力を自分の動作のために活かす。そんな身体の使い方が要求される。そのためには自分がやりたい動作を行なってはダメだ。相手の微妙な動きを察知しなければならない。そのためには目をつぶってしまった方がかえって良い場合がある。

相手が腕をつかんでくる。目があいていると生半可見えているから相手の動きが分かっている気がしてくる。そのため微妙な力の方向などをキャッチできずに、相手を無視した動きをしてしまう。目を閉じていると皮膚感覚に頼るしかない。相手の掌が腕をつかむ。掴み方の強さがわかる。皮膚の表面を軽く押さえているのか、肉をつかんでいるのか、骨をつかんでいるのか、そういう強さがわかる。腕をつかんで止まっているのか、引っ張っているのか、押しているのか、微妙な力の方向も分かる。わかるからその力に合わせて自分も動くことが出来る。こういう稽古はとても面白い。でも、こういう稽古が出来るためには、型を覚えていなければならない。しかし僕が覚えている型はまだまだわずかである。まずは型をきちんと覚えねばならない。そのためには眼でよく見ることである。幸い、耳の聞こえが少しくらい悪くても型を覚えるのにはそれほど影響は出ない。

右、左で言えば、この間から痛めているのは左膝だ。視力に関して右は1.2で左が0.2である。そして今回、左耳をやられた。(たしか藤原新也が書いていたと記憶しているが、)人間の身体は左右非対称だというようなことを読んだことがある。手足の長さが微妙に違うとか、眼の形が違うとか、唇の端が違うというのではない。どちらか半身が弱いという意味で非対称なのだ。そして非対称であるから、ファインダーを除く眼を変えると違うものが見えてくる。そういう意味では、ここのところは左半身が弱っているのかも知れない。非対称なりの上手い使い方を考えてみよう。




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成長を実感できますか?

2010年02月08日 | 雑文
昨日までの風もおさまったので、昼休みに土手をランニングする。膝の痛みは抜けず、筋肉疲労も残り、リバウンドで体重が増えているにもかかわらず、悪くないペースで走れた。ランニングから帰り、ポストを明けると、若潮マラソンの結果を伝えるハガキが届いていた。記録は3時間31分51秒。次の大会は3月21日の荒川市民マラソンだ。3時間半を切るべく、スピードトレーニングをしばらく続けよう。

ここのところブログを書く時間が上手く取れずに難儀しているので、今日は小ネタで勝負することにする。

先日、新聞でこんな記事を見た。バブル崩壊以降の子どもたちは成長を実感したことがない。日本生産性本部の調査によると、「食べていけるだけの収入があれば十分」と答えた新人が、昨年、過去最高の47%に達した。出世についても「発揮した能力で評価され、同期入社でも差がつく職場」を好む若者が減り、「年齢や経験によって平均的に昇格する職場」を望む新人が過去最高の40%に達した、というものである。

「成長を実感したことがない」ということが上手く実感できない。僕はバブルの最後の時期に大学生だった。つまり生まれたときから経済はずっと成長し続けていた。でも成長を実感してきたわけではない。ずっと成長し続ける社会にいれば成長を意識することはない。生まれながら高地で暮らしていれば空気が薄いことに気づかないのと同じだ。ただ振り返ってみると、確かに気前のよい時代だったと思う。

そういった時代を過ごすことで、成長の実感とは違うものを擦り込まれた気がする。真面目にやっていれば何とかなる、というのがそれだ。逆に言えば、上手くいかないのは自分が怠けていたからだ、ということになる。当然だが、この時代に「自己責任」という言葉を聞くことはなかった。真面目にやっていれば何とかなる。失敗するのは自分のせいだ。そう言える社会が存在するときには「自己責任」という言葉はなく、個人の努力だけではどうしようもないような状況が増える社会で「自己責任」という言葉を耳にするようになったのは皮肉なことである。

経済が成長する中を過ごし、努力次第で何とかなるという考えを内面化した人たちが、今の30代後半以上である。自己責任という言葉を受け入れる素地があったのだろう。しかしその言葉を受け入れてみると、どうも様相が違う。かつてのように、真面目にやっていれば何とかなる、失敗するのは自分が怠けていたからだ、そう言える環境ではなくなっていたのだ。

その辺りのことを見ていた世代が、バブル崩壊以降の子どもたちなのかもしれない。成長し続ける社会に生きてきた人間が成長を実感できないのと同じように、成長がない社会に生きてきた人間には「成長」が何を意味するのか実感できない。カレーを食べたことがない人間は、カレーの辛さを実感できないのと同じだ。そのような人に「じゃあ、カレーは好きですか?」と尋ねても答えられるはずはない。

そう考えると、バブル崩壊以降の子どもたちが「食べていけるだけの収入があれば十分」と答えるのもそんなに不思議なことではない。社会から中間層が減っている。一部の人たちは収入を増やしているかもしれないが、多くの人たちの給与は伸びない。しかし成長が当たり前だと思っていた人たちは、収入が増えることを予想した生活設計をしている。現実的には多くの人たちが「食べていけるだけ収入があれば十分」という状況になっているのではないか。(「食べていけるだけの収入」というのは「そこそこの暮らしが出来る」ということだろう)。

そうなれば、「食べていけるだけの収入」を得るために、どんな働き方をするかが問題になる。「発揮した能力で評価され、同期入社でも差がつく職場」よりも「年齢や経験によって平均的に昇格する職場」がいいというのが答えである。平たく言えば「ガツガツやるより、仲良くやっていこうよ」ということじゃないだろうか。みんなで仲良く仕事をしながら、何とか食べていけて、そこそこの暮らしが出ればいいじゃないか。

成長が当然であった世代からすれば、こういう考え方には覇気が感じられないかも知れない。ただ、当然であった成長のモデルそのものにクエスチョンマークがついているのも事実である。環境を開発の対象として成長を維持するモデルはもう限界に来ている。成長が限界になったときに、成長を前提としない人たちが増えてきたと予想することは不可能だろうか。成長というゲームの中で勝ち負けをつけるなら、今の若者たちに、やる気がないと「負け」のレッテルを貼ることは可能である。

もしかしたら成長とは別のゲームがすでに始まっているのかも知れない。若者たちは無自覚のうちにそれに対応しようとしているのかも知れない。それはどういうルールのゲームなのだろうか。あるいはプレーヤーたちが「これをルールにしたらどうだろう」と声をあげながら、ゲームを作っていくことが必要なのかも知れない。
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満月派

2010年02月06日 | 雑文
館山若潮マラソンから早くも1週間が過ぎようとしている。今日は久しぶりにランニングをしようと思ったのだが、あまりに風が強いので、弱気になりブログを書くことにした。書こうと思ってずっとキーボードを叩いているが、書いてはイヤになり何度も破棄している。書き始めたときには青空だった窓の外には、やがてオレンジを背景にした黒いシルエットの富士山が見え、いつの間にか星が輝くようになった。まだ風は吹いている。

マラソンでは思ったより体力と精神力を使ったようだ。この1週間は基本的に受け身の日々だった。僕だけでなく、相方も同じような感じだ。仕事をしようとキーボードに向かうが、5分もすると額とキーボードが5センチも離れていない状態になる。僕もやってくる出来事を受け身で捌く限りは問題ないが、自分から何かを作り上げるという気力はない。(だから何回目かの書き直しの今回は、必死で精神力を持続させながら書いている。一気に書き切って終わりにするつもりだ。)

しかしこのテンションの低さはマラソンのせいだけではないかも知れない。もともと僕は満月派である。満月に向かってテンションが上がっていく。そして満月が過ぎると徐々にテンションが落ちてくるのだ。今は半月である。

そういえば、若潮マラソンの前夜は満月だった。レース中に高い目標を立てて一気に自己新記録を打ち立てられたのも満月の力のおかげかも知れない。でも満月が良いことばかりを引き起こしてくれるわけではない。テンションが高くなるので、余計なことを口にしてトラブルに巻き込まれることもある。10年以上も前のことだ。何となく自分が周期的にトラブルに巻き込まれているような気がしたので、ちょっと観察してみた。そうしたら満月の頃に限ってトラブルを起していることに気がついた。

満月でなく、新月に引っ張られる人もいるようだ。満月の話しを知り合いにしたところ、自分は新月派だと言い出したのである。人間の精神状態が月に影響を受けていることはよく知られている。英語でも「lunatic」は「精神異常の、狂気の」という意味だが、この「lunar」とは「月の、太陰の」という意味である。

聞いた話では、満月と新月の時期には殺人事件などが多いそうだ。(一方、半月の時には交通事故が多いらしい。集中力が低くなるからだ)。満月と新月というと、狼男と吸血鬼ドラキュラである。満月派の僕はさしずめ狼男派ということになるのだろう。人間は思ったほど自分をコントロールできる存在ではないのだ。

ここで話しがぱたっと止まる。何を書こうか。(さっきまでのパターンだとここで書く気が失せて、文書を破棄していた)。だいぶ前に聞いた話しを思い出した。森で迷ったときにまっすぐ歩いているつもりが、実は同じところをぐるぐる回っていた、という話しは誰もが耳にしたことがあるだろう。これを科学者が実験したところ、やはり人間は同じところをぐるぐるするという結果が得られたらしい。

見通しの利かない広いところで被験者たちをまっすぐ歩かせたところ、結局、みんな円を描いていた。人によっては半径(直径だったかな?)20メートルくらいの円をぐるぐる回っていたそうだ。(個人的には「右回り」とか「左回り」とかのきまりがあるのかが気になった)。これなども人は思ったほどには自分をコントロールできないという点で月の話と繋がる。こういう話しをたくさん集めたときに、人間の主体性はどのくらい残るのだろうか。案外、少ないのではないかと思っている。

この「まっすぐ歩いているつもりが、ぐるぐる回っていた」という話しは僕にとってはとても興味深い。「直線」と「円環」というのは折りに触れて考えるテーマの1つだ。例えば、時間について「直線」と「円環」という見方が出来る。直線というのは、例えば2000年の2月7日から2010年の2月7日までの時の推移は一直線である。しかしその期間、元旦も、春分の日も、終戦記念日も、勤労感謝の日も、クリスマスイブも繰り返し、繰り返しやって来た。「円環」である。

この「円環」の時間というのは出来事に厚みをもたらす。あらゆる出来事は1回限りで通りすぎていくものである。それは捉えることが出来ない。(「あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風にして生きている」@『風の歌を聴け』)。そんな1回限りの出来事が繰り返されることによって出来事に厚みが出てくる。

桜の花が咲くのをあと何回見ることが出来るのだろうか。毎年のように思う。こういう思いは明らかに「円環」によって支えられている。時を直線的に表象すれば、つねに異なった点を通ることになる。しかし円環的に表象すれば、私たちは同じ地点を何度も通ることになる。つねに異なった場所を通るのであれば、私たちはつねにこの世界に対するストレンジャーである。何度も同じ場所を通るのであれば、世界は私たちに親密さを示してくれるかも知れない。

世界に対してストレンジャーであると同時に世界と親密であること。私たちはそんな風な存在なのかも知れない。そしてそれは、今年も新たな気持ちで、去年と同じマラソンコースを走ることと同じである。

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館山若潮マラソン2010

2010年02月01日 | 雑文
さてさて、下半身は厳しい筋肉痛。そして左の膝は予想通りにひどいことになっている。いったん座り込むとスムースに立ち上がれない。歩いても油の切れたぜんまい仕掛けのロボットのようにビョッコ、ビョッコしている。そう、昨日は館山若潮マラソンだった。

週末からの流れを簡単に記録しておく。金曜日の夜に相方の実家、葉山へ行き1泊をする。明けて土曜日、朝食後、家族4人と義母の5人で館山まで出発。昼過ぎに館山に着き、ジャスコ内で食事と買い物。午後3時に参加ハガキとゼッケン、RCタグを交換する。海を右手に眺めながら、車を走らせる。15分ほど走り宿へ。宿といっても、知り合いのセカンドハウスである。毎年、夏には海水浴で借りている。

簡単な掃除を終え、庭で夏みかんとゆずと金柑を収穫する。そのまま食べたり、ジャムにするのだ。子どもたちにとっては1年に1度の楽しい経験である。翌日のレースに備え、夕食を簡単に済ませ、早めに寝ることにする。寝る前に庭に出て空を見上げる。見事な満月。そういえばブルームーンだ。5歳の次男は月の明るさを生まれて初めて実感したように「お月さま、明るいねぇ~」と言っていた。

さて、若潮マラソンの結果である。見事に相方がフルマラソンを初完走する。実は今回は僕と相方、夫婦揃ってのフルマラソンの参加だった。「バカと一緒にいるとバカがうつる」とはよく言ったものだが、ついに相方もフルマラソンを走ることになった。彼女は11月、12月と苦しみながらも月間150kmを走りレースに備えた。そして1月は1度だけ長い距離を走りあとは調整という予定だった。

僕は今回のレースはどちらかというとサポートに回るつもりだった。(別に並走するということではない)。週末には相方のペースに合わせて一緒に走ったりした。自分主体の練習はそれほどしなかった。完走4時間程度を目標にしていたのもそのためだった。ところが、である。相方は1月に入り、脚と腰の疲労が故障のレベルに達する。接骨院に毎日のように通い、最後は自己負担で鍼治療まで行なう。フルマラソンでは予想外のことが当たり前のように起こるものだ。

その上、レース前々日の金曜日から体調を崩す。普段なら絶対に走らないような状態でレースに臨むことになる。しかし見事に完走した。タイムは5時間半を切ったが、故障と体調不良がなければ確実に5時間を切っていただろう。何よりも見事なのは、1度も歩かずに走り続けたことである。だいたい、4時間半を以上のペースになると、周りに歩いている人たちを散見するようになる。5時間を超えるペースならかなりの人たちが後半は歩いている。そんな中、どれだけ苦しくても歩くことなく走り続けたのは大したものである。(本人いわく、「上り坂で、目の前を歩いている人と同じ早さで走っていることに何の意味があるのかわからないけど、とにかく走ったよ」。)

そんな訳で今回の主役は相方のはずであった。僕は適当に4時間を切る走りをするはずだった。しかし、マラソンでは予想外のことが起こるものなのだ。思い出のために僕のレースを書いておこう。

午前9時現在、気温は10℃をわずかに切る程度。晴れで風はない。走り出すと少し暑いかも知れないが、僕くらいのランナーには理想的なコンディションと言えるだろう。スタート前に列に並び、暖かな日差しを浴びながら一気に集中力を高める。いくら相方中心のレースとは言え、あまりいい加減なことをすればひどい目に遭う。深く深呼吸をしながら1つ1つの筋肉を意識する。

スタート1分前とアナウンスがあると、周囲のざわめきに少しばかりピンとした空気が張りつめる。スタート10秒前、人々が少しずつ前に動き出す。スタートの号砲とともに拍手が起こる。さあ、始まりだ。ゆっくりと走りはじめる。スタートラインを越える時にストップウォッチのボタンを押す。

どの大会もスタートから30分くらいは思い通りには走れない。人が多すぎるのだ。好タイムを狙う人は人を縫うようにして走るしかない。僕も何度かそういう走りをしたこともあるのだが、結局レース終盤には脚がダメになる。今では、ゆっくりと息が上がらない程度に走り、その日の調子を確認することにしている。目安としては最初の5kmを30分切るくらいだ。

スタートをしてから海岸沿いの平坦な道をしばらく走る。海上自衛隊の施設に突き当たって、T字路をいったん右に折れる。少しまっすぐ走って折り返す。まっすぐ走って坂を軽く上り右に曲がってしばらく行くと5km地点だ。時計を見ると26分。思ったより調子が良い。

さて、5kmを過ぎてしばらく走ると、長男、次男と義母が道端に立って応援してくれる。でも声をかけたと思った瞬間には通り過ぎている。振り返って大きく手を振る。あっという間に10km地点。時計を見ると49分。1km4分30秒。速すぎるくらいだ。おまけに左の膝が少しずつ痛みはじめる。10km過ぎからしばらくはちょっとした上りが続く。上り終わると、外房の海が目の前にひらける。そして道が緩やかに下りはじめる。

この辺りになると、話しながら走っていた人たちもそれほど余裕がなくなり、走ることに集中し出す。誰もが集中している雰囲気が伝わってくる。みんなの足音だけが妙に耳に響く。暖かい日差しがのどかにランナー達に降り注ぐ。太陽の光と、走る影と、足音と、顔を上げると大きな海。のどかである。

15km地点を通過。タイムは1時間13分。ほとんど落ちていない。さてさてどうしようか、この辺りで考えはじめる。このペースであれば怪我でもしない限り4時間を切るのは簡単である。少し目標を上げねばならない。とりあえず3時間50分を最低ライン。その上は、去年の3時間42分を上回るタイムにする。相方も厳しい状態で走っているのだから、自分も少しはハードルを上げねばならない。

フラワーラインをまっすぐに走る。20kmを過ぎ、ハーフ地点を過ぎる。タイムは1時間43分。全くペースは落ちていない。もともとフルマラソンをイーブンペースで走るのは得意としている。単純に2倍すれば、3時間26分となる。魅力的だ。というのは僕のランニングに関する目標は3つあって、その内の1つがフルマラソンで3時間半を切ることである。(ちなみに自己ベストは3時間34分である)。しかしこのコースは後半のアップダウンが厳しい。単純に2倍できるコースではない。どうしようかと考えながら走る。

24kmくらいだった。目の前にランナーの集団が見えてくる。先頭の人間は風船を持っている。ペースメーカーだ。陸上部の大学生が3時間半のペースメーカーをしているのだ。これに着いて行けば3時間半を切れる。久しぶりに苦しい思いをしてみよう。自分の持ち札をすべて使い切ってみよう。そんな風に思い、集団に加わった。

もともとランニングは1人で出来るのが魅力で始めた。レースに参加するのだって1人でも構わない。まして、人と一緒に走るなんて想像したこともなかった。あくまで自分のペースを維持するためだけに一緒に走ろうと思った。ところがペースメーカーが走りながらいろいろアドバイスをしている。「このあたりからちょっと上りが続きます。少しペースを落としますが安心してください。」とか、「だいぶ、疲れがたまってきたと思いますが、リラックスしてください」とか。給水所があると1人で先に走り、コップを両手に持って、「水がとれなかった人はいませんか」と声を掛けている。

ちょっと嬉しくなった。人の目標達成のために労を惜しまない人を見たときに感じる、世界も捨てたものじゃない、という暖かい気持ちだ。たまたま彼の横を走ることになる。「坂道ですから。顔をしたに向けてしっかり走ってください」とアドバイスがある。周りの何人かと同時に「ハイッ」とも「エイッ」とも区別のつかない、気持ちの入った返事をする。しかし、だんだんと疲れがたまってくる。息も上がってくる。アップダウンが応えはじめてきた。

下を向いて、ペースメーカーのシューズを見ながら走る。右、左と正確にシューズが入れ替わる。アスファルトがすごいスピードで後に流れていく。自分が走っているのか、地面が流れているのかわからなくなる。意識がぼーっとしながらも、少しずつ苦しさが増していく。「30kmも走っているのだから体が硬くなっています。脚だけで走ろうとせず、全身を使ってください」と声がする。「ハイッ」と大声で返事をする。体育会的なこういう返事を何より嫌っていたはずなのに、何故かすごく心地よい。(おそらくアドバイスしている彼が全然、偉そうにしていないからだろう)

アップダウンを越えて再び海に出る。ゴールまであと10kmを切った。後は来た道を帰るだけだ。とは言え、ここが最後の難関だ。わずかだが、基本的にはゆっくりとした上りが4km近く続く。ペースメーカーの集団に何とか着いて行く。ゴールまで7km地点で長男と義母が応援をしている。大きく手を振る。一瞬だけ元気が出る。このペースで行けば、3時間27分だ。

37kmを越えた辺りで力が入らなくなる。ガス欠だ。今回のレースでは食べ物の補給を一切しないつもりだったが、ここに来て作戦が裏目に出たようだ。力が入らなくなり、スピードが一気に落ちる。その上、ほぼ同時に脚も肉離れの徴候が出始めた。いずれにせよ限界が来たのだ。今回のレースに備えての練習は、ほとんどがゆっくり走るものだった。スピード練習は全くやらなかった。(それは3時間半切りを狙う時にやればよいと思っていた)。気持ちは前に行こうとするのだが、少しスピードを上げると、筋肉がどんどんと張っていくのがわかる。諦めてぎりぎりのスピードで走る。

残り2kmで3時間20分。1km5分なら3時間半切りだ。前半のペースなら問題ない。でも無理だ。絶対に走れないことは脚の張りでわかる。それでも3時間34分の自己ベストは更新できそうだ。そう思い、海岸沿いの道を淡々と走る。ゴールまであと300メートル。前を見ると、ペースメーカーの彼がコース上でランナーを励ましている。思わず帽子を取って「ありがとうございました」と彼に挨拶をする。そして最後の直線を走りゴールする。そしていつものように振り返り、帽子を取って一礼する。

タイムは3時間32分。一応、自己ベストを更新である。結果的に楽なレースにしなくてよかったと思う。きつい思いをした分、確かな手応えがあった。いずれこの日のことを思い出した時に、その日の僕をとてもよい心地にしてくれるのだろう。


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