とんびの視点

まとはづれなことばかり

館山若潮マラソン

2011年01月31日 | 雑文
館山若潮マラソンに行ってきた。例年通り、知り合いのセカンドハウスに前日泊まる。子どもたちと夏みかんと柚子と金柑の収穫をするためだ。残念なことに今年は夏みかんが12個(いつもは50個以上)、柚子か2個、金柑が少々と不作だった。

その埋め合わせではないが、庭の手入れをする。夏に行ったときはいつも芝刈りをするのだが、今回は木にからまった蔦を切る。10年以上も放っておいたのでどれが蔦でどれが枝だか分からないくらいだ。蔦の根元を切り力の限り引っ張る。がっちりと木や枝に絡んでびくともしない。小刻みに切っては蔦を力の限り引っ張る。汗が流れ寒空の中Tシャツになる。おかげで腕には何ヶ所も擦り傷ができる。やれやれ、明日はレースだというのにこんなことをしていてよいのだろうか。それでも子どもたちが楽しそうに手伝っているのを見ると辞めることが出来ない。結局、握力がなくなり、上半身が筋肉痛になるまでやってしまう。

簡単に夕食を済ませ、風呂に入り、早めに眠りにつく。

翌朝6時に起床。庭の木が風で揺れているのが窓から見える。外に出る。風は強く、そして冷たい。去年よりはだいぶ厳しいレースになりそうだ。餅を5つほど食べる。靴にタグを結びつけ、シャツにゼッケンを着ける。出発までストレッチをする。だんだんと緊張感が高まってくる。

会場で荷物を預け、スタート地点に並ぶ。相方とお互いに頑張ろうと言葉をかわす。やはり風が冷たい。気温は4℃ちょっとで北北西の風が5m。(昨年は11℃で無風だった)。スタートまであと5分。何を思ったのか、靴ひもを締め直すことにする。(いつもは紐をすごくゆるめにしている。紐をほどかなくても簡単に靴を脱いだり履いたりできる)。いつもは感じられない靴のフィット感。身も心も引き締まる感じがする。

スタート1分前。いつもの高揚感だ。ランナー達が少しずつ歩き出しスタートラインに近づく。午前10時にスタート。ラインを過ぎるまでに1分ほどかかる。昨年よりも参加者が多いのか3km近くまでは思うように走れない。人混みを縫うように走る。とにかく最初の5kmは息が上がらないことを心がける。

5kmを26分30秒。スタート後の人混みを考えれば、ほぼ1km5分に近い。予定通りだ。7km過ぎで子どもたちが応援してくれる。体も十分に温まったので被っていたゴミ袋を脱いでわたす。(70ℓの透明のゴミ袋に頭と手が出る穴を開けて防寒具にしている)。ちょっとだけ長男が並走する。

10kmで51分30秒。時計を見ないで走っていたがきっちりと1km5分を守れている。この辺りからランナー達のざわめきがなくなり、足音だけが耳に響くようになる。そして房総半島の突端に向けて上りがしばらく続く。洲崎灯台を抜けて外房に出ると、道が広くなり、太陽の光が燦々と降り注ぐ。冬とは思えないような暖かい日差しだ。(だが空気は冷たく、日陰で風が吹くと一挙に寒くなる)。

途中トイレに寄るものの、15km地点でも1時間16分30秒。全くのイーブンペースだ。あとはどこかでスイッチが入ってくれれば3時間半も不可能ではない。18kmを過ぎた辺りで足の裏が痛くなってくる。靴擦れだ。靴ひもを締めたのが裏目に出た。左右ともに足の裏に水膨れができた。そのまま痛みを無視して走ることにする。

中間地点が1時間46分30秒。悪くない。残りの21キロで1分半を縮めればよい。脚の疲れもないし、呼吸もまったく楽なままだ。何よりスタートして15分くらいしか走っていないような感覚だ。あとはどこかで3時間半のペースランナーを捕まえて、それに食らいついていくだけだ。ただ、足の裏に痛みがある。

25kmくらいまではペースを維持するが、急に脚が動かなくなる。足の裏の痛みはなくなったが、脚全体が重く、筋肉がパンパンになっている。スピードが落ちてくる。どうらら3時間半は無理だ。仕方がない。3時間40分に目標を変える。やはり絶対的な練習量が足りなかったのだろうか。3時間40分が現実的な目標だったのだな。走りながら反省する。

若潮マラソンで1番厳しいアップダウンが始まる。いつもなら上りで人を抜き、下りで人を抜く。抜かれることはほとんどない。でも、まったく脚が上がらない。周りのランナーとペースは変わらない。速いランナーには抜かれ、諦めて歩いているランナーを抜かす程度だ。上りも下りもまったくだめだ。このまま3時間40分を狙ったら潰れるかもしれない。潰れたら歩いてしまうかもしれない。歩いたら4時間を切れないだろう。仕方がない目標を5分だけ延ばそう。3時間45分、何とかそれでレースをまとめよう。

それにしてもいったい何が起こったのだろう。自分の体じゃないみたいだ。単なる練習不足とは思えない。もしかしたらランナーとしての力が下り坂に来てしまったのだろうか。老いたのか?だとすれば、永遠に3時間半を切ることは出来ないかもしれない。絶望的な気分になりながら、何とか1km6分程度のペースを維持する。

再び海沿いに出る。33km地点だ。ここから緩やかなアップダウンが6kmほど続く。(レース終盤のランナーにはずっと続く上り坂にしか感じられない)。これ以上はスピードが出せないというぎりぎりで走る。それでも後から来るランナーに抜かれる。僕を抜いていくランナーはみんな苦しそうな表情をしているし、息も上がっている。不思議なことに僕は、息も上がらず精神的にも疲労感はない。でも脚だけが動かない。

1kmまた1kmと距離の表示が変わっていく。歩道からみんなが応援してくれる。精神的には余裕があるので笑顔で応えられるのだが、脚が動かないので走りは遅い。笑顔で遅い僕を苦しい表情のランナーが抜いていく。ラスト1km。さすがに少しはスパートをかけてみようかという気になる。スピードを上げる。靴擦れが凄い痛みだ。だが痛みを無視して走る。するとどうだろう。楽にスピードが上がる。

なるほどそういうことだったのか。靴擦れの痛みを無意識に避けるうちにフォームが崩れていたのだ。崩れたフォームで走っていたからスピードは出ない。おまけにふだん使っていない筋肉を使うことで異常な筋肉疲労が起こったのだ。そうとなれば足の裏の痛みを我慢すればよい。そんなわけで最後の1kmは人に抜かされることなく、何人かを抜いて走った。

結果は3時間42分半くらい。ゴールして座り込んだら何度も脚がつった。初めてフルマラソンを走ったときのような脚の痛み方だ。(そんな状態でも、家に帰って違う靴に履き替えたら結構なスピードで走れた。少なくともランナーとしての下り坂でなかったようだ)。ほぼ同時にゴールしたランナーと話しをしながら一休みする。そして豚汁を2杯食べる。ここで食べるレース後の豚汁は本当に美味しい。

着替えを済ませて、ゴール前で相方を待つことにする。何百人もの人間が僕の目の前を通ってゴールしていく。苦しそうな表情で脚を引きずる人、歩きながらゴールする人、全力疾走で凄い速さで走る人(途中、もっと走れるはずだ)、仲良く一緒にゴールする老夫婦、ゴール直前で転び起き上がろうとしてはまた転び、それでも助けに来る係員の手を借りずに走る老人、感極まって泣き出しそうな表情でゴールする人(僕も初めてのマラソンはそうだった。ちょっともらい泣きしそうになった)、いろんな人たちがそれなりの苦労をしてここまで来たのだ。拍手して迎えようという気になる。

そんなランナー達を眺めていたら、どこかで見たような顔がゴールに向かってくる。なんと村上春樹である。顔は本人そっくりだし、年齢的にも同じくらい、何より写真で見るランニングフォームと一緒だ。それと若潮マラソンは村上春樹にとってなじみのある大会だ。(おそらく8割がた本人だろう)。

ふらふらと彼がゴールした方に歩いていきそうになる。何しろ村上春樹は10代の後半からずーっと読み続けている。彼の本がなければフルマラソンなんて走ってなかったかもしれない。おまけに今回のレース前にも『走ることについて……』を読んで自分を鼓舞している。お礼の1つでも言わなくちゃならない。そう思って、ふらふらと歩き出しそうになったが、何かが僕を押しとどめた。

そうだ、相方を待っていたんだ。僕はゴールに向かう相方をここで迎えなければならない。そう思い直す。しかし、相方には毎日会えるが村上春樹には二度と会えないかもしれない。村上春樹に会えた話しをすれば相方も喜ぶかもしれない。間違った考えが連鎖する。それにこんな時に声を掛けられたら村上春樹も迷惑かもしれない。それではファンとは言えない。第一、人違いだったら大変だ。その間に相方がゴールしようものならとんだ失態である。今のままなら村上春樹がゴールのするのを見た(気がする)と言える。第一、僕は相方を迎えるためにこんな寒いところで40分以上も立っているのだ。

その後、10分ほどいろんな人たちがゴールするのを眺める。時おり声を出して応援したり、拍手したりしながら。相方が最後のストレートに入ってくる。思ったよりしっかりした足取りだ。大きく手を振って笑顔で右手の親指を立てる。相方も笑顔で小さく右手に親指を立てて応える。5時間8分。直前にインフルエンザにかかった割には悪くないタイムである。

そんなわけで1年ぶりに相方とフルマラソンを走った。途中、ランナーとしてもう駄目なのかと絶望的になるが、何とかまだ記録に挑戦できそうだ。靴ひもは締め過ぎないようにという教訓も手に入れた。村上春樹がゴールするところを見たと相方にも自慢が出来た。初めてフルマラソンを走った後のような筋肉痛が残っているが、自分が走っている姿を想像すると嬉しくなってくる。
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あとは想像するだけ

2011年01月28日 | 雑文
今日と来週の月曜日にブログをアップすれば、1週間に2本(1年で100本)というノルマを今月は何とか達成できる。1年に100本というのはブログを書き始めたときに決めた目標で2年くらいは続いていた。去年のどこかで書くのがきつくなったときに、やっつけで週に2本無理に書くくらいならきちんとしたものを週1本書いた方が良いだろう、ともっともらしい理屈をつけて楽な方に逃げた。

でも、かえってきつくなったくらいだ。週1本だからきちんとしたものを書かなくては、そう思っては書くのが億劫になった。放っておいたら、下らないものを書くくらいなら何も書かない方がましだろう、ともっともらしい理屈をつけて書かなくなるかもしれない。そんなわけで再び、週2本書くことにした。

1ヶ月続けて、週2本というのは書き続けるためにはいいペースだと再確認した。内容の良し悪しは別にして、ペースを維持するためにはとにかくキーボードを打たなければならなくなる。キーボードに向かう時間が増えると、言葉が自然と出てくるようになる。書く前に「よいしょっ」と気合いを入れる必要がなくなるし、書いた後に「はーっ」と息つくこともなくなる。

そういう意味では、文章を書くのはランニングに似ている。週に1回程度のランニングだと走る前に気が重くなるし、走り終わっても疲れが残る。週に何度か継続的に走ることで、走ることが楽しくなり、走っても疲れなくなる。

走ることと言えば、週末は若潮マラソンだ。1年ぶりのフルマラソンになる。ランニングに関する僕の目標は3つ。「ウルトラマラソンを1度は走る」「フルマラソンで3時間半を切る」「死ぬまでにフルマラソン以上の大会を100回完走する」。(最初は「1度でよいからフルマラソンを完走する」が目標だったが、それが「ウルトラマラソンを完走」になり、1つじゃ物足りないから他の2つが追加された。半分ノリである)。

ウルトラマラソンは1年半前にサロマ湖100kmを完走してクリア。残りはあと2つ。完走100回以上は20年くらいかかるだろうから、今の時点ではあまりリアリティーがない。いざとなれば年老いてから集中的に走ればいいや、という感じだ。問題はフルマラソン3時間半だ。才能のあるランナー、練習の時間を十分に取れるランナーなら大した目標ではないだろう。でも僕にとってはちょっときつい目標だ。

ランニング中心に生活のすべてをアレンジできるのであれば、おそらく簡単に達成できるだろう。でも実際には、仕事や家事や子育てや考え事などの合間に何とか時間を作ってランニングをしている。そうするとどうしても、ランニングにとれる時間はこれくらいだよな、という限界が見えてくる。その限界ぎりぎりをきちんと守れば、上手くすれば僕でも3時間半が切れるかもしれない、そんな感じの目標だ。もちろん、物事はそれほど上手くいかない。限界ぎりぎりを維持するためには体調も崩せないし、天候にも恵まれなければならない。でも大抵の場合、体調も天候もきちんと崩れる。

去年の若潮マラソンは3時間31分40秒くらいだった。レース前は3時間40分くらいを目標にしていたのだが(練習もそんな感じだった)、走り出したら調子が良く途中から3時間30分を狙った。あとちょっとで達成できたのにという残念な気持ちと、きちんと練習すれば(つまり限界ぎりぎりで行けば)3時間半に手は届くという確信があった。

結論から言えば、今回は限界ぎりぎりまで行けていない。11月の半ばから本格的に練習に取り組んだ。1ヶ月半で400km近く走り(ペースとしては僕の中では最高だ)、今月に入ってからの練習では12kmのタイムも良い(これも今まで最高だ)。にもかかわらず、3時間半を切れる気がしない。1つには絶対的な練習量が足りていないからだ。後1ヶ月早く本格的な練習を始めるべきだったのだ。

もう1つは(こっちの方が重大だが)、「3時間半を切りたい」という思いがほとんど沸いてこないことだ。「3時間半」が目標だということは理解している。本当に上手くやれば何とかなるくらいまで体も作った(体重も2キロ落とした)。でも「なんとかしてやろう」という気持ちにならないのだ。あるいは、僕が走ることに慣れてしまったので、良い意味で落ち着いているだけなのかもしれない。レース当日になれば、アドレナリンが一気に体中に充満して、気持ちの入ったポジティブな走りが出来るのかもしれない。

しかし淡い期待に身を委ねることは出来ない。出来ることはしておこう。そう思い、村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』を取り出して読む。僕はレースの前にはこの本に目を通すようにしている。サロマ湖にまで持っていった。読んでいると、それまでの練習や過去のレースの記憶が甦ってくる。実際に走っている感じがしてくる。そう感じる度に、モチベーションが上がってくる。

残念ながら、今回はそれほどモチベーションが上がってこなかった。(それよりも文章の書き方で学ぶところが多かった)。それでも何とか役立ちそうな部分を探し出した。こんな文章だ。

『僕が手にしているのは経験と本能だけだ。経験が僕に教えるのは、「もうやるだけのことはやったんだ。今更何を考えても仕方がない。あとは当日が来るのを待つしかないよ」ということだ。本能が僕に告げるのはただ一言、「想像しろ」ということだ。僕は目を閉じて思い浮かべる。……』

これを見つけて、以前はよくレースのことを想像していたことを思い出した。練習をしながら、道を歩きながら、コースの地図を眺めながら。周りの景色を想像し、一緒に走っているランナーの息遣いと足音を想像し、自分が苦しみながら走っている姿を想像していた。そうしているときには自然とモチベーションが上がっていた。

いま上の文を書きながら、海の向こうの富士山や、椅子に座って応援している老人ホームのおばあさん達や、3時間半のペースランナーやその集団、終盤に続く上りで力尽きていく自分がリアルに甦ってくる。そしてワクワクしてちょっとだけ鳥肌が立つ。

絶対的な練習量は足りなくても、11月半ばからはやれるだけのことはやった。あとは想像するしかない。想像してレースを楽しめるだけ楽しもう。いずれにしろ2日後の今ごろにはレースは終わっているのだから。
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贈り物

2011年01月26日 | 雑文
ここのところ「贈与」という言葉によくぶつかる。先日、新聞で柄谷行人の『世界史の構造』という本を紹介していた。その中で、この行き詰まりつつある市場原理社会において必要となっているものは「贈与」である、というようなことが書いてあった。また近ごろ読んでいる『フィロソフィア・ヤポニカ』の著者、中沢新一も「贈与」の重要性についてさまざまなところで書いている。

この「贈与」という言葉を辿っていけば、もちろんマルセル・モースの『贈与論』に行き着く。そして構造主義のレヴィ=ストロースなどに大きな影響を与えた。正確に理解するためにはかなりきちんと勉強しなければならない。このあたり僕は素人なので、同じく「贈与」の重要さを常に書いている内田樹の言葉を断片的にひいてみる。

「あらゆる贈り物がそうであるように、それを受け取って「ありがとう」と言う人が出てくるまで、それにどれだけの価値があるかは誰にもわからない。それが自分宛の「贈り物」だと見做す人が出現してきて、「ありがとう」という言葉が口に出されて、そのとき初めて、それには「価値」が先行的に内在していたという物語ができ上がる。」

「交易の場に置かれるのは、価値の分からないものでなければならない。価値の分かるものだと等価交換が起こってしまい、贈与が起こらない。」

「無意味な偶然的な音響を「自分を呼ぶ声」だと聞き違えた人間によって世界は意味をもち始める。世界を意味で満たし、世界に新たな人間的価値を創出するのは、人間のみに備わった、どのようなものをも自分宛の贈り物だと勘違いできる能力のではないか。」

「私は贈与を受けた、と思いなす能力、それは言い換えれば、疎遠であり不毛であると見做される環境から、それにも関わらず自分にとって有用なものを先駆的に直観し、拾い上げる能力のことだ。言い換えれば、疎遠な環境と親しみ深い関係を取り結ぶ能力だ。同じことは人間同士でも起こります。自分にとって疎遠と思われる人、理解も共感も絶した人を、やがて自分に豊かなものをもたらすと先駆的に直観して、その人のさしあたり「わけの分からない振るまい」を自分宛の贈り物だと思いなして「ありがとう」と告げること。人間的なコミュニケーションはその言葉からしか立ち上がらない。」

いささか強引だが、ここからいくつかのことを読み取り、勝手なことを書く。1つ目は、贈り物というのは受け取った側がそれを贈り物だと認めたときに「贈り物」となるということだ。言い方を換えれば、贈る側には贈り物の価値を決めることは出来ないということだ。贈り物をする側は、相手がそれを喜ぶか自信を持てない。場合によっては、相手に失礼なのではないかとすら思う。そのような不安を抱えながら、それでも相手にとって善いと思えるものを差し出すのが贈り物である。これは2つ目に繋がる。

2つ目は贈り物の価値が分かってはいけないというものだ。価値が起こると等価交換が起こってしまうからだ。市場原理社会でやり取りされる「商品」は価値が決まっている。そしてその価値は値段で表される。品物を売る側は、それがどれほど相手に役立つのか、どれほど相手の得になるのかを声高に叫ぶ。買わないと損だとまで言う。買う側もその価値を品定めし、それを金額で表現する。自分の欲するものの価値を低く見積もることが、値引きをするということになる。売り手も買い手も、品物の価値を決め、それを金額で表現できる世界に生きている。

そのようなマインドで贈り物をしようとすれば、相手が贈り物を喜ぶか不安に思うこと自体を忌み嫌うようになる。相手が価値を認めると分かっているものを自分は贈り物にしたい。贈り物につきものの不安を抑圧する。その結果、贈り物を金額換算することでその価値をはかり、安心しようとする。

3つ目は、贈り物が成り立つためには受け取る側の誤解する能力が大切だということだ。もしかしたら偶然そこにあったものを自分宛の贈り物かもしれないと誤解する能力。相手の意図とは別の価値を贈り物に見いだしてしまう(つまり過大な価値を見いだしてしまう)能力。そんなものが贈り物を成り立たせる。

結局、「贈与」とは、贈る側が、価値の定まらないものを、相手に善い物であってほしいと不安とともに差し出し、受け取る側は、ある種の勘違いとともにそれを自分宛の贈り物として受け取ってしまう、そんなときに成り立つのかもしれない。そこでは、贈る側の「願い」と受け取る側の「感謝」という両者の心が、価値の定まらないものを媒介して一つに繋がる。(もちろん、これは学問的な「贈与」という言葉の説明ではない)

贈り物の価値が定まらないためには、贈った人が誰であるのか受け取る側に分からない方がよい。贈る側も受け取る人間がはっきりと見えていない方がよい。私はあなたが不足しているものをリスト化できているので必要な物を無駄なく提供しますというのは、贈り物ではなく援助である。

誰が贈ったのか分からない。でも贈り物によって「感謝」の気持ちが生まれる。その感謝を贈り主に返せないとき、その気持ちは別の贈り物のかたちをとって別の誰かに向かうのかもしれない。市場原理社会のぎしぎしした等価交換のやり取りの中で、そんなことを求める気持ちが出てきたのかもしれない。

「タイガーマスク現象」を新聞で見ていてふと、そんなことを思ったのだ。
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買った本は読むまずに、図書館の本を読む

2011年01月24日 | 雑文
相方のインフルエンザがほぼ終わったかと思った週末の夜、長男が38℃の熱を出すが、一晩ぐっすり眠ったら翌朝には熱はすっかり下がっていた。(医者に尋ねたら、瞬間的にはインフルエンザにかかっていただろうとのことだった)。相方の体調もまだまだランニングに耐えられるほどには回復していない。僕の咳も完全には抜けていない。おまけに次男が微熱気味(すごく元気だが)である。まだまだ気を抜けない。

ほぼ1週間ぶりにランニングをする。1週間走ってなかったので筋肉疲労はだいぶなくなっているが、走力が落ちていないか心配だった。走ってみたら、自宅から岩淵水門までの往復12kmのコースで60分を切っていた。悪くない。このペースで走り続ければフルマラソン3時間半を切る事が出来る。もちろんこれは計算上のことだ。フルマラソンで何度も実感させられるのは、ものごとは計算通りに行かない、ということだ。思い通りに練習が出来ないままのレース、体重オーバー、ケガが治り切らない、当日の風が強かった、予想していた場所に食べ物の補給がなかった、そんなことばかりだ。

淡い期待のようなものが、現実に打ち破られていく。期待が破られたからといってレースは終わらない。そして期待ではなく現実の厳しいレースを数時間走ることになる。フルマラソンを走った人のほとんどの人が達成感を感じるのは、たとえ数時間でも生身一つで厳しい現実と向き合うからだろう。そこには等身大の手応えがある。それは淡い期待に彩られた観念の世界の悲喜とは違う。

ちょっと前にチェーホフの短編を読んだ。岩波文庫から出ている『可愛い女 犬を連れた奥さん』だ。戦前の翻訳なので言葉遣いに多少違和感はあったが、なかなか面白かった。チェーホフを読むのは20年ぶりくらい。かつて何を読んだのかもあまり覚えていない。村上春樹が小説やエッセーの中でよくチェーホフ名前を出すので機会があれば読み直さねばと思っていた。

僕は活字を読むことがあまり得意ではない。文章のリズムやスピードに自分をあわせることが苦手なのだろう。だから急いで読んで何も残らないか、すごく時間をかけてきちんと読むかのどちらかになる。結果、読めないままの本が積み上げられていく。積み上げられた本を見て、きちん本を読まなくてはと思い、また目に付いた本を買ってしまう。そして読まない本がまた増える。悪循環だ

そんなわけである時期から本をあまり買わないようにした。それでも時おり、新しい本がほしくなる。そんなときには、とりあえず図書館で借りることにした。どうせ積み上げて読めないのだから図書館からちょっと借り出してしばらく手元に置いておけば気分も晴れるだろう。その間に、積み上げられた本を少しずつ読んでいけばよい。そう思っていた。

ところが図書館から借りた本には返却期限がある。これがプレッシャーになり借りた本のほとんどを読んでしまう。その結果、図書館から借りたちょっと気になる本ばかり読んで、自分で購入した、読まねばならない本は積み上がったままになっている。

チェーホフも図書館から借りて読んだ。おそらく自分で買っていたら表紙を眺めて本棚に積んでしまっただろう。読んだ本は手元になく、読んでいない本ばかり手元にたくさんある。こういうのも本を読むのが苦手な人間が陥りやすい状態なのかもしれない。


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タミフル

2011年01月19日 | 雑文
次男を迎えに保育園まで歩いた。空は水色でまだ明るさが残っている。夕方の5時を過ぎている。気づかないうちに日がだいぶ延びてきたようだ。明日は大寒。水曜日に僕が次男を迎えに保育園に行くわけは、相方が風邪をひき寝込んだからだ。

インフルエンザのA型である。感染源は僕。先週末、風邪で寝込んでいたのが実はインフルエンザだったらしい。節々は痛んだが熱は7度5分くらいしか出なかったのでただの風邪だと思っていたが実はインフルエンザだったようだ。

相方が病院でタミフルをもらってくる。ベランダから飛び降りたら大変だ、などとふざけたことを言っていたが、実際、タミフルを飲んでしばらくすると「しまじろうの声がする」などと言い始めた。そんなもの聞こえないよ、と僕が言うが、相方は「本当にするんだよ」と言い張る。

一眠りすると今度は「鼓笛隊の音がする」と言い出す。しまじろう、鼓笛隊、やれやれこれじゃあ次男がうなされているのと変わらない、子どもの世界である。やっとこさっとこ飛び出したぁー、おもちゃのマーチだらっ、たっ、たっ。僕の頭の中でしばらく音楽が鳴り続ける。

しばらくすると、布団から出て、ベランダの方にふらふらと歩く。ついに飛び降りかと思ったら、「ガラス越しに人の姿が見えた気がした」などと言っている。あと2日タミフルを飲み続けることになっている。一人にしておいて大丈夫だろうか。タミフルおそるべし。
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風邪の週末

2011年01月16日 | 雑文
金曜日の夕方前から一気に体がだるくなる。鼻水が流れ、咳が止まらない。風邪を引いたようだ。おかげで今年に入りとりあえずノルマ通りに書いていたブログも滞るし、最後の追い込みのランニングもできなくなった。本来なら、週末にタイムを意識しながらの30km走をするつもりだった。

予定していた練習がきちんと出来ないのは良いことではない。しかし、考え方によってはレース2週間前に風邪を引くというのは悪くないのかもしれない。確率的に言えば、いま風邪を引いておけば2週間後にもう一度風邪を引くことはまずないからだ。実際に起こった良くないことの中にポジティブなものを見いだしていくのは大切な処世術だ。少なくともその反対よりは100倍も良いだろう。

さて、とにかく今日は何でも良いからある程度の言葉を書いて、ブログをアップすることだ。何か書くことはないかと探していたら、だいぶ前に読んだ『街場のメディア論』(内田樹著)からの抜き書きがあったのでそれをネタにしてみる。

とりあえず、面白いと思ったのは、市場原理を持ち込んだ病院で起こった出来事を紹介した部分だ。こんな話しだった。病院経営にも市場原理を持ち込もうということで、患者を「患者様」と呼ぶようにしたらしい。すると病院内でいくつかの際立った変化が起きたそうだ。1つは、入院患者が飲酒、喫煙、無断外泊などの院内規則を守らなくなった。1つは、ナースに暴言を吐くようになった。もう1つは、入院費を払わずに退院する患者が増えた。

市場原理により私たちの心性に擦り込まれていくのは、金銭をすべての基準にできるということだ。金銭でその価値を計る事が出来ないものは視界から追いやられていく。目に映るものはすべて値札がついている。少しでも自分が得をするようなやり取りが出来ることが推奨される。だからお金を払う側に回ったときには自然と横柄になるし、お金を貰う側になったときには必要以上に腰を低くせねばならない。

おそらくそんな風にして、「患者様」という言葉が使われるようになり、実際に横柄な患者が増えたのだろう。おそらく病院以外でも似たようなものだろう。これは想像なのだが、お金を払うときも貰うときも横柄な人というのはそれほど多くはないのではないか。お金を払うときに横柄な人が増えているのは、お金を貰う側になったときに必要以上に腰を低くしないといけないというルールに組織的によって縛られているからではないだろうか。

物を買いに行ったのにお礼も言わない店員というのも近ごろではほとんど見ない。小さな子どもにも大人に対するようにお礼を言う。(いささかマニュアルチックだが。)ちょっと遅れただけで何度も謝る車内アナウンスは聞いてて居心地が悪くなる。あんな謝り方をしたら、謝られた方は自分が偉いと勘違いしてしまうのではないかと思うほどだ。

店員も車掌も自然な気持ちから言葉を発しているのではないのだろう。役回りとして仕方なくやっているのだろう。だからどこかでストレスがたまる。そこで自分がお金を払う側になったときにその役回りとして横柄な態度に出ることになるのだろう。そう考えると、人格というものは常に一貫しているものではなく、状況に応じて入れ替わるものとなる。もちろん、いままでも職場と家庭ではまるで別人のようだというのはあった。しかし現在では、お金を払う側になったときと、お金を貰う側になったときで大きく変化するのかもしれない。

と、とりあえずここまで思いつくままに書いてみた。確かに必要以上にお礼を言われたり、謝罪の言葉を耳にすることがある。その一方で些細なことで腹を立てている人を目にすることも増えた。それでも幸いなことに、横柄な人間と個人的な知り合いにならなくてすんでいる。このまま行きたいものである。
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3時間走、読書

2011年01月10日 | 雑文
フルマラソン本番3週間前なので、日曜日に3時間走を行なう。ゆっくり走って3時間で28kmくらい行ければと思っていたのだが、結果的には31km以上走った。家を出て15分かけて土手に出る。土手沿いを北区、板橋区と走り、1時間半かけて埼玉県の和光市まで行く。折り返した瞬間に弱い向かい風を受け、帰り道の長さを思いちょっとうんざりする。

この日は谷川真理のハーフマラソン大会が実施されていた。僕が土手に着いたときにはレースも終盤だった。目の前のランナー達は制限時間内にはゴールできない人たちだった。脚を引きずりながらも何とか走ったり、諦めて歩いていたりした。風もゆるい追い風(走っていると無風状態)で、日差しも暖かいので歩いてもあまり過酷な感じはない。

それにしてもレースに対する諦め方というのは人それぞれだ。脚を引きずりながら何とか走ろうとして顔をゆがめて、結局、頭を横に振りながら立ち止まる人もいる。あるいは、脚などどこも痛んでなく、まるで散歩でもしているかのようにさわやかな顔で歩いている人もいる。簡単に気持ちが切れたのだろう。

僕はフルマラソン以上でなければ大会では走らない。そして今まで15回以上は走っているが、レース中に歩いたのは1度だけだ。風邪で熱があるのに参加し、おまけに15メートルくらいの向かい風が吹いたときだ。それまでは苦しみながら走っている僕の横をランナーが歩いているのを見ると、楽をしおってと思っていた。しかし自分が歩いて初めてわかった。レース中に歩くとてもきついのだ。

歩くと1kmがとても長く感じられる。体が冷えて疲れがどっとくる。心が折れて、再び走り出してもすぐに歩きたくなる。そしてゴールしても達成感がない。もちろん時間内にゴールすれば「完走」という扱いになる。しかし歩いての完走と走っての完走ではだいぶ達成感が違う。レース中きつい上に、ゴールしても達成感が減るとなれば歩いて完走は避けたい。そんな訳でレース中に涼しい顔で歩いている人の横を歯を食いしばって3時間も1人で走ることになる。

土手を25分ほど走り、マラソン大会のゴール地点を通り過ぎる。最後の力を振り絞って脚を引きずりながらゴールをくぐる人。すでに服を着込み帰り道を歩いたり、自転車に乗ったりする人。ゴールに戻ってくるランナーの中に意中の顔を求め、手を組み背伸びをするように遠くを見る人。閉会式の抽選会の声がスピーカーから聞こえてくる。そんな中を走っていると自分が3週間後にマラソンを走ることが急にリアルに感じられ、ちょっと緊張感が出てくる。

その1時間半後、帰りに再び同じ場所を通ったときには、ランナーや応援の人たちは誰もいなくなっていた。冬の太陽が西に傾きかけ、弱い山吹色の光の中で大会関係者達が会場の撤去作業をしていた。いささか疲れ始めた身体に、大会後のゆるい雰囲気が心地よく感じられる。

3時間で31kmちょっと。予想より距離は伸びたが、予想よりも疲労と痛みがひどい。あとレベルを1つ上げないと3週間後にかなり厳しいレースを走ることになりそうだ。来週末は30km走だ。今度は距離ではなくタイムを中心に走ることになる。

さて、ここのところ何冊か本を読んだ。まず町田康の『どつぼ超然』。これは小説とエッセーの中間みたいな小説だ。作家の主人公が熱海と思しき街をひたすら移動する。移動の最中に目に付いたものを克明に描写し、そこから出てくる妄想を1つ残らず言語化していく。好みの問題だろうが、僕にはちょっときついものだった。自分がいつも頭の中でやっていることを、わざわざ他人の文章で読みたいとは思はない。何度も投げ出そうとしたが、結局、読んでしまった。

もう一冊も町田康。『人間小唄』という本で、これは小説だった。『告白』や『宿屋めぐり』ほど大きな作品ではないが、町田康の言葉のセンスにはいつもながら感心させられる。言葉を意味によって機能させるよりも、音として機能させる感じだ。歌で言うと歌詞が先にあってメロディーを考えるのではなく、メルロディーが先にあってあとから適当に歌詞を着けた感じだ。メロディーがよければ歌詞が多少意味不明でもその歌のメッセージ性は保たれる。

音楽がない言葉だけの世界でそれをやっている。言葉の中の意味の要素と音の要素をきちんと切り分け、話しの流れという抑揚の中に音としての単語を投げ込むことで、話しが伝わってしまう。そんな場面が所々にある。はやり音楽をやっていた人だからなのだろうか。

物語として小振りな分、直接的にメッセージを語っている部分があった。これはある意味、町田康の中心的な考えだと思う。引用する。

「神々の試しとしてのクイズ。生きていくということはそのクイズに答えることじゃないかと思う。クイズに答えられれば、ここで生きていられる。答えられなかったら追放される。追放されたからといって安心はできない。その、追放された場所にはその場所の神がいて、また問題を出してくる。クイズは永遠に終わらない。そんなだったら、もう生きててもつらいだけだから自殺する、といっても駄目だ。死んでもクイズは終わらないのだ。」

生きることは自分が何ものかに試されること、その試しはしばしば理不尽であること、そしてそれから逃げることは出来ないこと、町田康の作品にはこういうテーマが出てくる。だから登場人物達は主体的に何かを達成するよりも、状況に振り回されていく。そもそも理性的な主体などというものは想定されていない。主体とは妄想が次から次へと溢れ出るものでしかない。

もう一冊は、『女性神職の近代』(小平美香著、ぺりかん社)である。この本は先日、我が家の地鎮祭をしてくれた大学時代の先輩であり友人でもある女性が書いたものだ。専門書なので一般の人向けではないし、僕自身専門外なので正確に理解した自信はないが、しっかりとした構想のもとに丹念に資料を読み込み書かれたとても素晴らしいものだった。地鎮祭ではとても素晴らしいお祭りをしてくれたし、学問的にもきちんとした成果を上げている。僕も学ばねばならない。
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しごと

2011年01月08日 | 雑文
正月休みが明け、仕事始めの週となる。そしていつものように仕事のやり方などについて話をする。ワープロの変換間違いのような、低能な言葉遊びのようなことをしながら仕事について考えてもらう。

仕事を成功させるには「タスクコントロール」が大事だと言う。でも、もしかしたらそれは「仕事」という言葉と根本的に矛盾しているかもしれない。「仕事」っていう字をよく見ると「事に仕える」って書いてある。

「事に仕える」。「私が事に仕える」ということだ。つまり主人は「事」で私は「仕える側」だ。そう考えると、タスクコントロールというは仕事ではなく、「事を使う」つまり「使事」ということになる。主人は「私」で事は「使われる側」だ。でもそこには合意はない。だから「事」の方は「私」の思いとは別に勝手に動き出す。そこで予定通りに仕事がいかなくなり、結局、主人だと思っていた私が、仕事に振り回されていたりする。

しかしそれはそれで悪い事ではない。何とか仕事を達成しようとしているからだ。ひどいのになると仕事中にも関わらず自分勝手なことをやっているヤツがいる。人が何を求めているのか尋ねない。自分が良いと思っていることを頑なにやる。自分が嫌な仕事は極力それから避けようとする。いっけん仕事をしているようで自分のやりたいようにしかやらない。これを「私事」という。当然ながら上手くいくわけがない。しかし失敗しても反省などしない。自分のやり方にしがみついているからだ。失敗は大抵、周りのせいにする。

もっとひどいのも居る。何かやっているようだが、実は何もやっていないような人間だ。何やら動いてはいる。でも何も生み出さない。その人間を経由すると仕事の進みが非常に遅くなる。仕事に内在するエネルギーを受けとめないでどこかに放出してしまう。疲れないこと、最低限の労働で給料をもらおうとする輩だ。その人を経由するとあらゆる仕事がダイナミズムを失ってしまう。そういう人がやる仕事を「死事」という。

とまあ、そんな下らない話しをしながら、仕事について考えてもらう。誰もが日々行なっている「仕事」。毎日行なっているから分かっているつもりになる。分かっているから改めてそれを問い直すことがない。問い直すことがないから、同じやり方を何度も、何度も繰り返す。そして同じような喜びと後悔から抜け出せなくなる。成長が止まる。輪廻ということだ。

仕事とは私が主人でそれをコントロールする対象ではなく、私がそれに使えることによって達成される出来事である。でも本当に考えねばならないのは、「仕事」がなぜ「仕事」と言われるのかということだ。「仕事」が「仕物」でも「仕人」でも「仕金」でもなく、「仕事」なのかを考えること、つまり「事」について考えることが大切なのだ。

タスクコントロールのように、仕事を支配し操作する対象とすること自体、仕事を物的に捉えていることを意味する。物を支配し操作することは可能に見える。それを所有してしまえば自分の思い通りに出来るからだ。それゆえ人は物を所有したくなる。それを「物欲」という。しかし物欲に支配された人間が好ましい姿として語られることはまずない。大抵は物を支配し操作しようとして、結局は自分が振り回される。「物欲」という言葉はあるが、「事欲」という言葉はない。そして「仕事」という言葉には「物」ではなく「事」が使われている。だから「仕えること」でそれは達成されるのだ。
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今年はきちんと走ろう

2011年01月04日 | 雑文
また新しい年が始まった。子供用に買った「ことわざ日めくりカレンダー」の1枚目には「1年の計は元旦にあり」と大きく書いてある。その横には小さな文字で「1年間の計画は、元旦に立てるべきである。何ごとも最初が大切で、まず計画を立てて事にあたるべきだということ」と意味が説明してある。

計画というより課題という感じで今年初のランニングに行く。2時間ほどかけてハーフマラソンの距離を走る。年末、正月とストレッチに専念して疲労を抜いたつもりだったが、体重が2kgほど増え体が重い。おまけに新しいシューズが合わずに靴擦れになる。

思ったより厳しいランニングをしながら、今年はどうしようかと考える。とっさに思いつくのがランニングとブログのことだけ。去年と同じ、停滞している。去年は2月に突発性難聴になってからランニングもブログもペースをつかめないまま過ごしてしまった。(ランニングとブログがよい状態にあると、その他のことも状態が良くなるというやり方をしていたので、ドミノ倒し的に他にも悪影響が出た)。

そういうわけで今年は年間2000kmをきちんと走ること、そしてブログを週2本のペース(年間100本)で書き続けることを目標にした。どちらもコツコツと積み上げれば達成できるが、溜め込んだら達成できない目標だ。要するにこの1年の目標は、怠け者の自分をどれだけ押さえ込めるかということだ。(考えて見れば「怠け者」という性格は子どもの頃から変わらない。子どもの頃は「怠け者」を押さえ込めなかったが、今では多少は押さえ込めるようになった。結局、成長というのはその程度のものなのかもしれない)

ここまで書いて書くことがなくなった。いや、書くことがなくなったというのは正確ではない。書こうと思えば、目の前にある万年筆のインク壺についてでも、子どもたちの姿でも何でも書くことは出来る。問題は書き切ろうという意志が続かないということだ。意志が続かない理由は、書いている内容がつまらないのではないか、とか、もう少し違った書き方があるのではないか、などを意識したときだ。(とくに道元の天才的な言葉を読んでいるとそう思わされるし、実際ここのところよく読んでいる)

年間100本を書き切るためには、内容や技法ではなく「とにかく書く」ことを最優先しなければならない。そんな訳で、12月の下旬に長男の担任と面談したことを書く。

保育園や小学校の個人面談には基本的にすべて参加するようにしている。とくにここのところ長男の面談は僕1人で行っている。長男の担任は30代初めの明るい男性でスポーツも出来そうだ。10歳前の男子にとっては理想的な教師と言える。長男の良いところも足りないところもよく見ている。僕の意見ともそれほど違いがないので、話しは自然と長男のことよりも教育全般の話しになった。

今の子どもたちはすぐに結果を出すことを求められている。そのため試行錯誤を繰り返しながらじっくりと考えさせる教育がなかなか出来ない。教員の間でもベテランと若手が教育についてじっくり話す機会をなかなか持てない。学校教育というのは子ども一人ひとりの成長に焦点を当てることと、国民を作り上げることという一見相反する課題を抱えている。自分の子どもだけ出来るようになれば良いという考えは結局、その子にとっても良くない社会を作ることになるだろう。など話しは多岐にわたった。

とくに気になったのは、国語の授業でのプレゼンの多さには凄いものがあると担任も言っていたことだ。僕も気づいていたが、国語の教科書は僕が子どもの頃とはだいぶ違う。メモの取り方、発表の仕方、質問の仕方に多くのページを割いている。プレゼンが国語能力の大きな部分を占めるようになったのだ。僕が子どものころは、国語で大切なのは言葉を通して世界や他者を理解する力を涵養することであった気がする。だから文学作品を味わうとか、評論文を読み解くとかが大切だった。

確かにあるテーマについて自分で情報を集め、その真偽を精査し、考えを組み立て、他人に分かる言葉で発表するというのは必要なことだ。しかしそんな力は簡単には身に付かない。それこそすぐに結果を求めるのではなく、試行錯誤を繰り返しながらじっくりと考えることが必要だ。手っ取り早くプレゼンの体裁を整えられるやり方だけを教えようとすれば、中身のないことをぺらぺらとしゃべる薄っぺらな人間を作るだけになってしまうだろう。「巧言令色鮮(すく)なし仁」である。

近ごろの子どもたちは「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉を理解できるだろうか、そもそもそんな諺を耳にすることがあるのだろうか、という話しになる。おそらく理解も出来ないだろうし、耳にすることもほとんどないだろうというのがお互いの共通する意見であった。

その後、仕事で30歳前の何人かに「沈黙は金って聞いたことがある?」と尋ねたところ、みんな知らなかった。それはちょっとした驚きだった。


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