館山若潮マラソンに行ってきた。例年通り、知り合いのセカンドハウスに前日泊まる。子どもたちと夏みかんと柚子と金柑の収穫をするためだ。残念なことに今年は夏みかんが12個(いつもは50個以上)、柚子か2個、金柑が少々と不作だった。
その埋め合わせではないが、庭の手入れをする。夏に行ったときはいつも芝刈りをするのだが、今回は木にからまった蔦を切る。10年以上も放っておいたのでどれが蔦でどれが枝だか分からないくらいだ。蔦の根元を切り力の限り引っ張る。がっちりと木や枝に絡んでびくともしない。小刻みに切っては蔦を力の限り引っ張る。汗が流れ寒空の中Tシャツになる。おかげで腕には何ヶ所も擦り傷ができる。やれやれ、明日はレースだというのにこんなことをしていてよいのだろうか。それでも子どもたちが楽しそうに手伝っているのを見ると辞めることが出来ない。結局、握力がなくなり、上半身が筋肉痛になるまでやってしまう。
簡単に夕食を済ませ、風呂に入り、早めに眠りにつく。
翌朝6時に起床。庭の木が風で揺れているのが窓から見える。外に出る。風は強く、そして冷たい。去年よりはだいぶ厳しいレースになりそうだ。餅を5つほど食べる。靴にタグを結びつけ、シャツにゼッケンを着ける。出発までストレッチをする。だんだんと緊張感が高まってくる。
会場で荷物を預け、スタート地点に並ぶ。相方とお互いに頑張ろうと言葉をかわす。やはり風が冷たい。気温は4℃ちょっとで北北西の風が5m。(昨年は11℃で無風だった)。スタートまであと5分。何を思ったのか、靴ひもを締め直すことにする。(いつもは紐をすごくゆるめにしている。紐をほどかなくても簡単に靴を脱いだり履いたりできる)。いつもは感じられない靴のフィット感。身も心も引き締まる感じがする。
スタート1分前。いつもの高揚感だ。ランナー達が少しずつ歩き出しスタートラインに近づく。午前10時にスタート。ラインを過ぎるまでに1分ほどかかる。昨年よりも参加者が多いのか3km近くまでは思うように走れない。人混みを縫うように走る。とにかく最初の5kmは息が上がらないことを心がける。
5kmを26分30秒。スタート後の人混みを考えれば、ほぼ1km5分に近い。予定通りだ。7km過ぎで子どもたちが応援してくれる。体も十分に温まったので被っていたゴミ袋を脱いでわたす。(70ℓの透明のゴミ袋に頭と手が出る穴を開けて防寒具にしている)。ちょっとだけ長男が並走する。
10kmで51分30秒。時計を見ないで走っていたがきっちりと1km5分を守れている。この辺りからランナー達のざわめきがなくなり、足音だけが耳に響くようになる。そして房総半島の突端に向けて上りがしばらく続く。洲崎灯台を抜けて外房に出ると、道が広くなり、太陽の光が燦々と降り注ぐ。冬とは思えないような暖かい日差しだ。(だが空気は冷たく、日陰で風が吹くと一挙に寒くなる)。
途中トイレに寄るものの、15km地点でも1時間16分30秒。全くのイーブンペースだ。あとはどこかでスイッチが入ってくれれば3時間半も不可能ではない。18kmを過ぎた辺りで足の裏が痛くなってくる。靴擦れだ。靴ひもを締めたのが裏目に出た。左右ともに足の裏に水膨れができた。そのまま痛みを無視して走ることにする。
中間地点が1時間46分30秒。悪くない。残りの21キロで1分半を縮めればよい。脚の疲れもないし、呼吸もまったく楽なままだ。何よりスタートして15分くらいしか走っていないような感覚だ。あとはどこかで3時間半のペースランナーを捕まえて、それに食らいついていくだけだ。ただ、足の裏に痛みがある。
25kmくらいまではペースを維持するが、急に脚が動かなくなる。足の裏の痛みはなくなったが、脚全体が重く、筋肉がパンパンになっている。スピードが落ちてくる。どうらら3時間半は無理だ。仕方がない。3時間40分に目標を変える。やはり絶対的な練習量が足りなかったのだろうか。3時間40分が現実的な目標だったのだな。走りながら反省する。
若潮マラソンで1番厳しいアップダウンが始まる。いつもなら上りで人を抜き、下りで人を抜く。抜かれることはほとんどない。でも、まったく脚が上がらない。周りのランナーとペースは変わらない。速いランナーには抜かれ、諦めて歩いているランナーを抜かす程度だ。上りも下りもまったくだめだ。このまま3時間40分を狙ったら潰れるかもしれない。潰れたら歩いてしまうかもしれない。歩いたら4時間を切れないだろう。仕方がない目標を5分だけ延ばそう。3時間45分、何とかそれでレースをまとめよう。
それにしてもいったい何が起こったのだろう。自分の体じゃないみたいだ。単なる練習不足とは思えない。もしかしたらランナーとしての力が下り坂に来てしまったのだろうか。老いたのか?だとすれば、永遠に3時間半を切ることは出来ないかもしれない。絶望的な気分になりながら、何とか1km6分程度のペースを維持する。
再び海沿いに出る。33km地点だ。ここから緩やかなアップダウンが6kmほど続く。(レース終盤のランナーにはずっと続く上り坂にしか感じられない)。これ以上はスピードが出せないというぎりぎりで走る。それでも後から来るランナーに抜かれる。僕を抜いていくランナーはみんな苦しそうな表情をしているし、息も上がっている。不思議なことに僕は、息も上がらず精神的にも疲労感はない。でも脚だけが動かない。
1kmまた1kmと距離の表示が変わっていく。歩道からみんなが応援してくれる。精神的には余裕があるので笑顔で応えられるのだが、脚が動かないので走りは遅い。笑顔で遅い僕を苦しい表情のランナーが抜いていく。ラスト1km。さすがに少しはスパートをかけてみようかという気になる。スピードを上げる。靴擦れが凄い痛みだ。だが痛みを無視して走る。するとどうだろう。楽にスピードが上がる。
なるほどそういうことだったのか。靴擦れの痛みを無意識に避けるうちにフォームが崩れていたのだ。崩れたフォームで走っていたからスピードは出ない。おまけにふだん使っていない筋肉を使うことで異常な筋肉疲労が起こったのだ。そうとなれば足の裏の痛みを我慢すればよい。そんなわけで最後の1kmは人に抜かされることなく、何人かを抜いて走った。
結果は3時間42分半くらい。ゴールして座り込んだら何度も脚がつった。初めてフルマラソンを走ったときのような脚の痛み方だ。(そんな状態でも、家に帰って違う靴に履き替えたら結構なスピードで走れた。少なくともランナーとしての下り坂でなかったようだ)。ほぼ同時にゴールしたランナーと話しをしながら一休みする。そして豚汁を2杯食べる。ここで食べるレース後の豚汁は本当に美味しい。
着替えを済ませて、ゴール前で相方を待つことにする。何百人もの人間が僕の目の前を通ってゴールしていく。苦しそうな表情で脚を引きずる人、歩きながらゴールする人、全力疾走で凄い速さで走る人(途中、もっと走れるはずだ)、仲良く一緒にゴールする老夫婦、ゴール直前で転び起き上がろうとしてはまた転び、それでも助けに来る係員の手を借りずに走る老人、感極まって泣き出しそうな表情でゴールする人(僕も初めてのマラソンはそうだった。ちょっともらい泣きしそうになった)、いろんな人たちがそれなりの苦労をしてここまで来たのだ。拍手して迎えようという気になる。
そんなランナー達を眺めていたら、どこかで見たような顔がゴールに向かってくる。なんと村上春樹である。顔は本人そっくりだし、年齢的にも同じくらい、何より写真で見るランニングフォームと一緒だ。それと若潮マラソンは村上春樹にとってなじみのある大会だ。(おそらく8割がた本人だろう)。
ふらふらと彼がゴールした方に歩いていきそうになる。何しろ村上春樹は10代の後半からずーっと読み続けている。彼の本がなければフルマラソンなんて走ってなかったかもしれない。おまけに今回のレース前にも『走ることについて……』を読んで自分を鼓舞している。お礼の1つでも言わなくちゃならない。そう思って、ふらふらと歩き出しそうになったが、何かが僕を押しとどめた。
そうだ、相方を待っていたんだ。僕はゴールに向かう相方をここで迎えなければならない。そう思い直す。しかし、相方には毎日会えるが村上春樹には二度と会えないかもしれない。村上春樹に会えた話しをすれば相方も喜ぶかもしれない。間違った考えが連鎖する。それにこんな時に声を掛けられたら村上春樹も迷惑かもしれない。それではファンとは言えない。第一、人違いだったら大変だ。その間に相方がゴールしようものならとんだ失態である。今のままなら村上春樹がゴールのするのを見た(気がする)と言える。第一、僕は相方を迎えるためにこんな寒いところで40分以上も立っているのだ。
その後、10分ほどいろんな人たちがゴールするのを眺める。時おり声を出して応援したり、拍手したりしながら。相方が最後のストレートに入ってくる。思ったよりしっかりした足取りだ。大きく手を振って笑顔で右手の親指を立てる。相方も笑顔で小さく右手に親指を立てて応える。5時間8分。直前にインフルエンザにかかった割には悪くないタイムである。
そんなわけで1年ぶりに相方とフルマラソンを走った。途中、ランナーとしてもう駄目なのかと絶望的になるが、何とかまだ記録に挑戦できそうだ。靴ひもは締め過ぎないようにという教訓も手に入れた。村上春樹がゴールするところを見たと相方にも自慢が出来た。初めてフルマラソンを走った後のような筋肉痛が残っているが、自分が走っている姿を想像すると嬉しくなってくる。
その埋め合わせではないが、庭の手入れをする。夏に行ったときはいつも芝刈りをするのだが、今回は木にからまった蔦を切る。10年以上も放っておいたのでどれが蔦でどれが枝だか分からないくらいだ。蔦の根元を切り力の限り引っ張る。がっちりと木や枝に絡んでびくともしない。小刻みに切っては蔦を力の限り引っ張る。汗が流れ寒空の中Tシャツになる。おかげで腕には何ヶ所も擦り傷ができる。やれやれ、明日はレースだというのにこんなことをしていてよいのだろうか。それでも子どもたちが楽しそうに手伝っているのを見ると辞めることが出来ない。結局、握力がなくなり、上半身が筋肉痛になるまでやってしまう。
簡単に夕食を済ませ、風呂に入り、早めに眠りにつく。
翌朝6時に起床。庭の木が風で揺れているのが窓から見える。外に出る。風は強く、そして冷たい。去年よりはだいぶ厳しいレースになりそうだ。餅を5つほど食べる。靴にタグを結びつけ、シャツにゼッケンを着ける。出発までストレッチをする。だんだんと緊張感が高まってくる。
会場で荷物を預け、スタート地点に並ぶ。相方とお互いに頑張ろうと言葉をかわす。やはり風が冷たい。気温は4℃ちょっとで北北西の風が5m。(昨年は11℃で無風だった)。スタートまであと5分。何を思ったのか、靴ひもを締め直すことにする。(いつもは紐をすごくゆるめにしている。紐をほどかなくても簡単に靴を脱いだり履いたりできる)。いつもは感じられない靴のフィット感。身も心も引き締まる感じがする。
スタート1分前。いつもの高揚感だ。ランナー達が少しずつ歩き出しスタートラインに近づく。午前10時にスタート。ラインを過ぎるまでに1分ほどかかる。昨年よりも参加者が多いのか3km近くまでは思うように走れない。人混みを縫うように走る。とにかく最初の5kmは息が上がらないことを心がける。
5kmを26分30秒。スタート後の人混みを考えれば、ほぼ1km5分に近い。予定通りだ。7km過ぎで子どもたちが応援してくれる。体も十分に温まったので被っていたゴミ袋を脱いでわたす。(70ℓの透明のゴミ袋に頭と手が出る穴を開けて防寒具にしている)。ちょっとだけ長男が並走する。
10kmで51分30秒。時計を見ないで走っていたがきっちりと1km5分を守れている。この辺りからランナー達のざわめきがなくなり、足音だけが耳に響くようになる。そして房総半島の突端に向けて上りがしばらく続く。洲崎灯台を抜けて外房に出ると、道が広くなり、太陽の光が燦々と降り注ぐ。冬とは思えないような暖かい日差しだ。(だが空気は冷たく、日陰で風が吹くと一挙に寒くなる)。
途中トイレに寄るものの、15km地点でも1時間16分30秒。全くのイーブンペースだ。あとはどこかでスイッチが入ってくれれば3時間半も不可能ではない。18kmを過ぎた辺りで足の裏が痛くなってくる。靴擦れだ。靴ひもを締めたのが裏目に出た。左右ともに足の裏に水膨れができた。そのまま痛みを無視して走ることにする。
中間地点が1時間46分30秒。悪くない。残りの21キロで1分半を縮めればよい。脚の疲れもないし、呼吸もまったく楽なままだ。何よりスタートして15分くらいしか走っていないような感覚だ。あとはどこかで3時間半のペースランナーを捕まえて、それに食らいついていくだけだ。ただ、足の裏に痛みがある。
25kmくらいまではペースを維持するが、急に脚が動かなくなる。足の裏の痛みはなくなったが、脚全体が重く、筋肉がパンパンになっている。スピードが落ちてくる。どうらら3時間半は無理だ。仕方がない。3時間40分に目標を変える。やはり絶対的な練習量が足りなかったのだろうか。3時間40分が現実的な目標だったのだな。走りながら反省する。
若潮マラソンで1番厳しいアップダウンが始まる。いつもなら上りで人を抜き、下りで人を抜く。抜かれることはほとんどない。でも、まったく脚が上がらない。周りのランナーとペースは変わらない。速いランナーには抜かれ、諦めて歩いているランナーを抜かす程度だ。上りも下りもまったくだめだ。このまま3時間40分を狙ったら潰れるかもしれない。潰れたら歩いてしまうかもしれない。歩いたら4時間を切れないだろう。仕方がない目標を5分だけ延ばそう。3時間45分、何とかそれでレースをまとめよう。
それにしてもいったい何が起こったのだろう。自分の体じゃないみたいだ。単なる練習不足とは思えない。もしかしたらランナーとしての力が下り坂に来てしまったのだろうか。老いたのか?だとすれば、永遠に3時間半を切ることは出来ないかもしれない。絶望的な気分になりながら、何とか1km6分程度のペースを維持する。
再び海沿いに出る。33km地点だ。ここから緩やかなアップダウンが6kmほど続く。(レース終盤のランナーにはずっと続く上り坂にしか感じられない)。これ以上はスピードが出せないというぎりぎりで走る。それでも後から来るランナーに抜かれる。僕を抜いていくランナーはみんな苦しそうな表情をしているし、息も上がっている。不思議なことに僕は、息も上がらず精神的にも疲労感はない。でも脚だけが動かない。
1kmまた1kmと距離の表示が変わっていく。歩道からみんなが応援してくれる。精神的には余裕があるので笑顔で応えられるのだが、脚が動かないので走りは遅い。笑顔で遅い僕を苦しい表情のランナーが抜いていく。ラスト1km。さすがに少しはスパートをかけてみようかという気になる。スピードを上げる。靴擦れが凄い痛みだ。だが痛みを無視して走る。するとどうだろう。楽にスピードが上がる。
なるほどそういうことだったのか。靴擦れの痛みを無意識に避けるうちにフォームが崩れていたのだ。崩れたフォームで走っていたからスピードは出ない。おまけにふだん使っていない筋肉を使うことで異常な筋肉疲労が起こったのだ。そうとなれば足の裏の痛みを我慢すればよい。そんなわけで最後の1kmは人に抜かされることなく、何人かを抜いて走った。
結果は3時間42分半くらい。ゴールして座り込んだら何度も脚がつった。初めてフルマラソンを走ったときのような脚の痛み方だ。(そんな状態でも、家に帰って違う靴に履き替えたら結構なスピードで走れた。少なくともランナーとしての下り坂でなかったようだ)。ほぼ同時にゴールしたランナーと話しをしながら一休みする。そして豚汁を2杯食べる。ここで食べるレース後の豚汁は本当に美味しい。
着替えを済ませて、ゴール前で相方を待つことにする。何百人もの人間が僕の目の前を通ってゴールしていく。苦しそうな表情で脚を引きずる人、歩きながらゴールする人、全力疾走で凄い速さで走る人(途中、もっと走れるはずだ)、仲良く一緒にゴールする老夫婦、ゴール直前で転び起き上がろうとしてはまた転び、それでも助けに来る係員の手を借りずに走る老人、感極まって泣き出しそうな表情でゴールする人(僕も初めてのマラソンはそうだった。ちょっともらい泣きしそうになった)、いろんな人たちがそれなりの苦労をしてここまで来たのだ。拍手して迎えようという気になる。
そんなランナー達を眺めていたら、どこかで見たような顔がゴールに向かってくる。なんと村上春樹である。顔は本人そっくりだし、年齢的にも同じくらい、何より写真で見るランニングフォームと一緒だ。それと若潮マラソンは村上春樹にとってなじみのある大会だ。(おそらく8割がた本人だろう)。
ふらふらと彼がゴールした方に歩いていきそうになる。何しろ村上春樹は10代の後半からずーっと読み続けている。彼の本がなければフルマラソンなんて走ってなかったかもしれない。おまけに今回のレース前にも『走ることについて……』を読んで自分を鼓舞している。お礼の1つでも言わなくちゃならない。そう思って、ふらふらと歩き出しそうになったが、何かが僕を押しとどめた。
そうだ、相方を待っていたんだ。僕はゴールに向かう相方をここで迎えなければならない。そう思い直す。しかし、相方には毎日会えるが村上春樹には二度と会えないかもしれない。村上春樹に会えた話しをすれば相方も喜ぶかもしれない。間違った考えが連鎖する。それにこんな時に声を掛けられたら村上春樹も迷惑かもしれない。それではファンとは言えない。第一、人違いだったら大変だ。その間に相方がゴールしようものならとんだ失態である。今のままなら村上春樹がゴールのするのを見た(気がする)と言える。第一、僕は相方を迎えるためにこんな寒いところで40分以上も立っているのだ。
その後、10分ほどいろんな人たちがゴールするのを眺める。時おり声を出して応援したり、拍手したりしながら。相方が最後のストレートに入ってくる。思ったよりしっかりした足取りだ。大きく手を振って笑顔で右手の親指を立てる。相方も笑顔で小さく右手に親指を立てて応える。5時間8分。直前にインフルエンザにかかった割には悪くないタイムである。
そんなわけで1年ぶりに相方とフルマラソンを走った。途中、ランナーとしてもう駄目なのかと絶望的になるが、何とかまだ記録に挑戦できそうだ。靴ひもは締め過ぎないようにという教訓も手に入れた。村上春樹がゴールするところを見たと相方にも自慢が出来た。初めてフルマラソンを走った後のような筋肉痛が残っているが、自分が走っている姿を想像すると嬉しくなってくる。