とんびの視点

まとはづれなことばかり

さよなら王子5丁目団地

2011年04月28日 | 雑文
とにかく今日はブログを書いておきたい。今日が15年くらい生活した王子5丁目団地での最後の日、そう明日は引っ越しだ。年明けて忙しくなり、引っ越し2ヶ月を切りさらに忙しくなり、1ヶ月を切り、2週間を切り、1週間を切り、どんどん忙しくなった。ブログを書く時間も、ランニングをする時間も、立ち止まって物事を考える時間もどんどんなくなっていった。

今年が最後の春だから、窓から見下ろせる桜並木を十分に楽しもうと思っていたのに、いつのまにか新緑の季節になっていた。桜を見逃したのは残念だが、窓から新緑の桜並木を見下ろすと、町中が緑になったようで、それはそれで心地よい。

いろいろ問題のある住宅だったが、窓から見える西の眺めはとても良いものだった。寒くなれば毎年、富士山がはっきりと見えた。最初は雪のない黒っぽいシルエットが冬が深まるにつれ白い模様が付き、最後には真っ白な富士山になる。(その手前には山の上の方に雪を被った丹沢が見える)。秋から冬にかけてはそんな富士山の向こうに夕日が沈む。上手くいけば富士山の山頂に太陽が沈むところを見ることが出来る。自分の部屋からこれだけ富士山を見ることはもうないだろう。頭の中で富士山の姿をはっきりと思い描きながらそう思う。

今、ベランダに出れば池袋のサンシャイン60のビルの明り、その向こうに新宿の高層ビルの夜景が見えるはずだ。(これを書き終えたら、ビールでも飲みながら少し眺めることにしよう)。この部屋から夜の街を見るのも心地よかった。電車も無くなった夜中に、お酒でも手にしてベランダに出る。静かに眠っている街にスクーターの走る音や、自転車に乗りながらの話し声が聞こえたりする。真夜中に黙々とランニングをしている人がいる。わずかだが星を見ることも出来る。

あるいはもう少し早い時間だと、池袋や新宿のビルの光を眺める。僕が家でおとなしくしている時間に、街で活動している人たちがいることを感じることが出来る。そして自分も学生時代には夜中まで街で遊んでいたことを思い出す。そんな思いで街の光を見ていると、そこには学生時代の頃の自分が実際に存在しているような奇妙な感覚になったものだ。ベランダから夜景を見ることももうあまりないのかもしれない。

大雨が降るのを眺めるのも楽しかった。見下ろしたところに見える引き込み線の倉庫の屋根に降った雨が、凄い勢いで流れていくのを飽きずに眺めたこともある。ましてや雪の降る時はたまらなかった。雪が上から落ちてくるというよりも、空中に満たされた雪片が風に舞っているという感じだ。

夏の暑い日には家族でベランダに出てそうめんを食べたりもした。ベランダに家庭用のビニールプールを作り子どもと一緒に入ったりもした。いろいろなことがあった。それも明日で一区切りである。いつまでも忘れないこともあるだろうし、もうすでに思い出すこともできないこともあったろうし、ふとした拍子に思い出すこともあるだろう。

僕の周りには段ボールが山積みになっている。そして明日になれば、一つずつ段ボールが運び出され、最後には空っぽの部屋が残る。その空っぽの部屋を見た時に、きっと何かが終わったことを実感し、一礼して別れを告げるのだろう。


相反するものを抱え込むこと

2011年04月15日 | 雑文
月末の引っ越しに向けてどのくらいやることが残っているのだろう。先日、改めて考えてみたら山ほどやることが残っていた。準備しているつもりだったが追いついていない。あと2週間はこれまで以上に忙しくなりそうだ。

震災以後のブログで、もし原発の問題がなければ、1ヶ月も経てば東京の人間の多くにとっては地震や津波は過去のこと、他人の問題になっているだろうと書いた。しかし原発のトラブルによって、東京の人間は今回の震災を他人事と言えなくなっている。直接被害を受けているわけではないが無関係とも言えない。今回の震災は、私たちがこのような中途半端な状態を抱え込まざるを得ないことを自覚させてくれる。

震災以後、世界中の国々から「日本を救え」との声が上がり、義捐金なども集められた。金持ちや生活に余裕がある人たちだけではなく、貧しい国の人たちも少ないお金を日本のためにと募金している。孤児院の子どもが募金を考えたり、お金のない人がツナ缶を持ってきたという話しも聞いている。

そういう話しを読むたびに、困った人を助けたいという行動にちょっと心動かされると同時に、違和感をもつ。「日本を救えと言って、貧しい人がツナ缶まで持ってきてくれる。でも僕はそれほど困ってはいないよな」と。もちろん、ツナ缶は僕のために提供されたのではない。あくまで困っている日本を救うためであり、受け取るのも僕ではなく日本である。

日本を一つのまとまりとして見た時には困っているといえる。そこに対してツナ缶を提供してくれるのはありがたいことだ。しかし日本人それぞれを考えてみると、ツナ缶一つに困っている人もいるし、買い占めによって食べもしないツナ缶を抱え込んでいる人もいる。

「日本を救え」とツナ缶まで差し出してくれる人がいるみたいだが、(日本人である)僕はそれほどの被害者ではないよな、と戸惑う部分がある。(この戸惑いの原因は、お金がないのでツナ缶まで提供して日本を救おうと思っている貧しい人がいる。相対的には明らかに豊かな僕を含めたかなりの日本人はツナ缶に類するものを余分に持ったままでいる、という後ろめたさでもある)

ここから日本という国家と日本人という個々人のズレを問題にすることも出来る。しかしここで指摘したいのは、僕自身が大した被害も受けず被害者としての実感がなくても、外国からすれば被害を受けた日本人として(十把一からげに)見られているということである。主観的に捉えた自己像(自分でそうありたいと思っているもの)と、関係によって作られた像(外から張られたレッテル)にズレが生じているということだ。これはある意味、原発のせいで東京の人間が今回の震災を無関係と言えなくなったのと同じだ。東京にいてそれほど影響を受けていなくても、震災で被害を受けた日本人としてのレッテルを(自分勝手に)はがすことは出来ないのだ。

同じ図式は、汚染水を海に流すという行為にも当てはまる。あの行為について多くの日本人は「何てことをやってくれたんだ」という気持ちになっただろう。怒るまではいかなくても、困ったことだとは思っただろう。あの行為を見てほとんどの人が「やられた」という受身の感覚を持ったはずで、「やった」と能動的な感覚を持った人はないだろう。その意味で、汚染水を海に流した件については、加害者は東電などでほとんどの日本人は被害者である。

しかし諸外国からすれば、「日本が汚染水を海に流した」ということになる。つまり日本を一つのまとまりとして見た時に、諸外国からすれば日本は加害側である。しかし多くの日本人は加害というよりは被害を受けた側として受けとめているだろう。つまり主観的な自己像としては被害者だが、外からは加害者としてのレッテルを貼られかねない。汚染水の問題でも、被害者と加害者という、相反する2つのものを同時に抱え込むことになる。

外国からの援助に当たって、貧しい人からツナ缶をもらうほど困っている人と、震災の影響もなく食材も余っている人が、日本人であることによって相反する2つのものを抱え込むことになる。汚染水を水に流すことでも、困ったことをされたと感じる人と、外国から困ったことをしてくれたと言われる人が日本人であることによって相反する2つのものを抱え込むことになる。日本人は震災の被害者でありながら、汚染水を海に流す加害者という、相反するものを2つのものを抱え込んだ存在である。

今回の震災によって、個人の好むと好まざるとに関わらず、私たちは相反するものを同時に抱え込まざるをえない、という事実を突きつけられている。相反するものを目の前にした時に、そのどちらかを好きに選べることが自由である。とか、相反するものを目の前にした時に、自己責任でどちらかを選ばねばならない。こういう単純な二分法が現実の世界には通用しないということがあらわになってきたのだ。(急にそういう世界になったのではなく、ずっとそうだったんだけどね)

相反するものを同時に抱え込みながら、どちらかを排除するのではなく、次に繋がる可能性を見いだすようなやり方が必要とされているのだ。

走ることについて考える

2011年04月10日 | 雑文
6月4日に開催されるマラソンにエントリーした。地元のラジオ体操連盟か辺りが開催する小さな大会で、荒川の土手を走るものだ。もちろんフルマラソンである。今年の1月に1年ぶりのフルマラソンを走った時に、レースとレースの間が1年あると勘が鈍るものだと気づかされた。それに年間を通しての走力も安定しない。冬にメインレースを走るのであれば、秋には本格的に走り込む。秋に本格的に走り込むためには、夏にあまり走力が落ちない方がよい。そのためには夏前の大会で1度走っておくのがよい。そんなわけでエントリーしたわけだ。目標は4時間を切ること。今からきちんと走り込んでおけば、個人的にはそれほどハードではない。

3月はあまりランニングが出来なかった。時間的にもきつかったのだが、何よりも震災以後、のんきにランニングなどしていてよいのか、という気持ちになったからだ。そうしたらナイキが「ALL FOR JAPAN」というのをやっていることを相方が教えてくれた。簡単に言うと、僕が1マイル走るとそれが1ドルの寄付になるというもの。これにはナイキ+という距離を計測する機器が必要だ。それを着けて走り、その結果をネットで申告するのだ。

走ることへの大義名分が出来た。「ちょっと寄付に行ってくる」と軽口を叩いて土手までランニングに行けるようになった。5月29日までのプロジェクトなので6月4日のレースの練習にもちょうどよい。とりあえず250マイルくらい走ろうと思った。ところがである。機器の調子が今ひとつだ。走っていても途中で距離の計測をやめてしまう。12km走ったのに計測は5kmくらいで止まっている。そんなトラブルが毎回のように続く。全く計測できないこともないので少しずつは寄付になっているのだが、走った分すべてというわけではない。おそらく2.5マイルで1ドルくらいになっているだろう。まあ、その分、たくさん走ればよい。

それにしても今回の震災にはいろんなことを考えさせる。誰かに迷惑をかけているわけでもない「走る」という行為がためらわれるほどだ。悪意なく自然にやっていることの意味が問われてしまう。すごく倫理的なことである。たしかに僕は走ることに関して以前ほど深くは考えなくなっている。いつの間にか当たり前に走れることに対する感謝の気持ちのようなものがなくなり、走ることはノルマであり、楽しみであり、場合によっては苦行のようなものとなった。

フルマラソンを何回か完走した頃だ。わざわざ1万人もの人間が土手に集まって42kmも走るのは何故なのだろうと思った。レースのスタート直前、人々がコース上に並び、屈伸をしたり、時計の調整などをしている。風は少し冷たいが、晴れていて太陽の光は強い。1万人もの人間がこれから何時間もかけてわざわざ走ろうとしている。すごく不思議な感じがした。おそらくこの瞬間に、食べ物を追い求めて走っている人もいるだろう。銃に追われて逃げるように走っている人もいるだろう。そんな時に自分はスタートラインに立っている。

平和で余裕があるから休日に何時間もかけて42kmも走ることができるんだと実感した。春の日の土手でフルマラソンを走れるというのはけっこう幸せなことなのだ。少しはしんどいかもしれないが、べつに武器をもった敵に追われているのでもないし、人を殺すために逃げる人間を追いかけて走っているのでもない。自分の意志で好きな時に走り、好きな時に止まることができる。それはかなり幸せなことなのだ。

それ以来、スタート直前にはかならず、何かを追いつめたり何かに追いつめられたりして、いやいや走っている人たちのことを思うようにしていた。そして自分がのんきにフルマラソンを走れることに感謝するようにしていた。

おそらくウルトラマラソンを目指した頃からだろう。そういう気持ちが薄くなったのだ。ウルトラマラソンが自分にとって困難な挑戦だったので、いつの間にか自分のことしか気にかけられなくなったのだ。

震災によって、走ることを自覚的に考え直すことになった。僕が何を考え走ったとしても、結局のところそれは個人的な出来事に過ぎない。ただ、個人的な出来事をのんきにやっていられること自体は、個人を超えた大きな何かに感謝するに値するだろう。のんきに走っていられるのは、たまたまラッキーな状態にいるからだ。そのバランスが崩れれば簡単に走ることなど出来なくなる。逆説的だが、だからこそのんきに走れるうちに、たくさん走っておくべきなのだろう。

ではこれからちょっと寄付のために走りに行ってこよう。

そうそうツイッターを始めました。震災で携帯が繋がらない時にツイッターが役立ったと聞いたので、とりあえず自分も使ってみることにした。正直、まだどんな使い方をすればよいのかピンと来ていない。ちょっとした思いつきや状況をタイムリーで人に知らせたいとは思わない。思いつきや状況はゆっくり整理したいからだ。整理するとどうしても書くものが長くなる。理想からすれば、長く整理されたものを極限まで削ぎ落とすことだが、それは困難だ。使いながら考えていくしかない。(興味のある人は、野口聡一tombitonbi、で検索してください。)

今年も桜が咲いた

2011年04月03日 | 雑文
桜の花が咲き出した。ベランダから見下ろす桜並木がつぼみの赤っぽい色でぼんやりとし、その中に薄いピンク色の花がちらほらと咲いている。何度も見てきた風景だが、今年は受け止め方が違う。どこかで原発のことを考えているからだ。

今回の原発問題の厄介さは、解決方法がそのまま次の問題を作り出してしまうという点だ。原子炉を冷やすための水を注入すると、そのぶん放射能に汚染された水が海に流れ込む。水を注げば原子炉は冷える。その意味で解答ではあるが、それがそのまま汚染した水を海に流すという問題を作り出す。

復興自体も同じである。復興という言葉は元の状態に戻すということである。つまり社会を震災以前の状態に戻すことだ。ところが震災以前は原発によって支えられている社会でもある。復興することはばら色の解決ではなく、今回のような問題が再発する可能性を抱え込んだ社会をもう一度作ることになる。

個々の人間という観点から言えば、生きることは問いに答えることだと思う。自分の問い(誰かに背負わされたり、自分で選び取ったりしたものだ)と出会い、試行錯誤しながらそれに答える。答えることにより新たな状況が生じる。そこからまた新たな問いが出てきて、試行錯誤してそれに答える。そんなことを続けられる限り続ける。

その意味では「解答がそのまま次の問題になる」という原発の問題は、その様式自体は目新しいものではない。どちらかといえば、原発を作るということが電力不足やエコ問題への解答であるという観点だけを採用して、それが新たな問題を作り出しているという認識が弱かったことだろう。こういう認識が成り立つのは、問題を局所的なものと切り出してその解答を探しているからである。とりあえずの解答をその問題が持っている本来的な広がりへ投げ返すことが必要なのだ。

「あらゆる解答はそこで終わりではなく、新たな問いを作り出す」。この事実を忘れないようにしなければならない。そう考えれば、いま私たちの周りにあるすべての物事から違った情報を手に入れることが出来る。解答済みで問題なく見えているものの潜在的な危うさを先取りすることが出来る。私たちを困らせている現在の問題が新たな状況を示唆する可能性となる。

何よりも「解答が問いを作り出す」ということを自覚していれば、将来どんな問いと向かい合いたいかを考えてから、現在の答えを出すことが出来る。そのようにして現在と将来を一つに重ね合わせながら出来事を一つ一つ作り上げていく丁寧さが必要なのだろう。桜が毎年、一つ一つ花を咲かせるように。