先週の金曜日、次男が小学校を卒業した。それは同時に僕の2年間のPTA会長の仕事が終わったことも意味する。卒業式での最後のお祝いの言葉、練習しただけあって多くの人たちに良かったと言ってもらえた。前にも書いたが、この手のスピーチでは原稿やメモは持たないようにしている。だから事前にかなりの練習が必要だった。
内容を自分の言葉で組み立てる。声に出し、話し言葉として滑らかになるように調節する。そして暗記。何度も声に出して練習する。声に出すだけじゃない。全部の流れをイメージする。来賓席に座っている。名前を呼ばれる。返事をして立ち上がる。来賓と校長にお辞儀をする。壇上まで上る。そして生徒にお辞儀をする。話をする。お辞儀をして、壇上からおりる。そして校長と来賓にお辞儀をして着席する。その一連のプロセスを何度もイメージし、実際に練習する。(仕事先の会議室でも行った)。まあ、それだけやれば、それなりに良いものにはなる。
そんな自分を見ているもう1人の醒めた自分がいる。曰く、お前さん、夏休みの自由研究の宿題に、本気で夏休み全部を使っている子どもみたいだ。みんながプールに行ったり、家族旅行をしたり、塾の夏季講習に行っているのに、ひとり図書館に通って調べ物をして、家で何かを作っている。そんな子どもの大人みたいだ。エネルギーを注ぎ込むのもいいけど、もう少し別のことにしたほうがいいんじゃないの。収入増やすとか。
でもどういうわけか、そういうアサッテの方向に行ってしまう。頭悪いと言えばそれまでだけど、こういうのをきっと〈業〉っていうんだろう。まあ、これでも何とか生きてこれたので、いいか。
なぜそこまでエネルギーを注ぎ込んじゃうかというと、卒業式をたんなる形式的な場にしたくないからだ。僕はもともと形式的なことが嫌いだ。誰が決めたかもわからず、何のためにやっているのかもわからず、慣例だから続いていることが嫌いだ。でも儀礼とか儀式は大切だと思っている。そして卒業式や入学式は大事な通過儀礼のひとつだと思っている。
儀礼というのはある種の非日常な聖なる時間であり空間である。それは簡単に日常的な俗なる形式主義に陥ってしまう。決められたことを、決められたようにこなす。滞りなく進めることが最優先される。雰囲気だけは厳かだし、当事者たちは少しは緊張する。でも心がべつのところにある。せっかくの卒業式をそんな形式的な場にしてはもったいない(まーたい)。
子どもたちがここまで生きてきた。そして次の世界に移る。そのことを祝う。そういう卒業式が本来の儀式というものだろう。そのために自分ができること。そう考えると、それなりのエネルギーを注ぎ込んでみるかという気になる。
卒業式。来賓席のよい場所に座っているので、証書の受け取る卒業生が目の前を通り、来賓席に向かってお辞儀をする。昨年度は自分の挨拶が気になり、ちょっと注意が散漫になった。今年は全員にきちんとお辞儀を返した。7割くらいの子どもと目を合わせることもできた。そのおかげかもしれない。子どもたちも〈お祝いの言葉〉をきちんと聞いてくれた。
とにかくゆっくり話そう。それが今回の課題だった。「6年生のみなさん、卒業おめでとうございます」。最初の一文を口にする。間を取るために余裕を見せて卒業生を見渡す。間をとったら、次の言葉が逃げていった。出てこない。思い出せない。次の言葉が。時間が過ぎる。空白の時間。子どもたちが少し怪訝な表情になる。
追いつめられている。やばい。でも、そのやばさを楽しんでいる自分もいる。笑顔で見渡す。やはり、言葉が出てこない。こりゃ本当にやばいぞ、そう思った瞬間に自然と言葉が出てきた。「ついに、王子小学校での最後の日を迎えることになりました」。(「ついに」というのがこの状況を演出しているようだ、と醒めた自分)。みんなはわざと引っ張ったのかと思ったらしいが、ほんとうは危ないところだった。
卒業式の後、いろんな人に「挨拶、とてもよかった」と言ってもらえた。握手してくれた先生もいたし、泣いていた保護者もいたそうだ。僕としては、卒業式が少しでも濃密なものになり、記憶に残るものになってくれたなら大満足だ。それに、家に帰ってから次男が「死ぬまで生きるって言い言葉だね」と言ってくれたのが嬉しかった。
とにかく、これで2年間のお役目が終わった。けっこうなエネルギーを使った気もするが、それなりに楽しめた。いろいろ考えることはあるが、それは今後の課題としよう。
最後に、今回の卒業式での「お祝いの言葉」を載せておく。
卒業式のお祝いの言葉
6年生のみなさん、卒業おめでとうございます。ついに王子小学校での最後の日を迎えることになりました。きっと皆さんの胸の中には言葉にならないいろんな思いがいっぱいあるのだろうと思います。
さきほど、皆さんが卒業証書を受け取る姿をずっと見ていました。一人一人の姿を見ながら、この子はこれまでどんなことを経験してきたのだろか。これから先どんなことが待っているのだろうか。そんなことを想像していました。当たり前のことですが、卒業生には誰一人同じ人はいません。一人一人が自分の顔を持ち、それぞれの体を持ち、違う考えを持っている。他の誰かでもかまわない、いなくてもいい、そんな子はひとりもいません。王子小学校には本当にいろんな子どもがいる。みんなちがって、みんないい。
誰一人として同じ生徒はいない。でも、ある一点でみなさんは同じです。それは王子小学校の立派な卒業生だということです。今日のみなさんの姿はとても立派です。
このように立派に成長した子どもたちの卒業を迎えることができ、保護者のみなさま、卒業、おめでとうございます。私自身も保護者の1人としてとても嬉しい思いです。
そして、子どもたちが立派に王子小学校から巣立って行けるのは、戸倉校長、清水副校長、廣野先生、高橋先生、渡辺先生をはじめとするすべての先生方の努力、そして職員のかたがたの暖かいサポートのおかげだと思います。長い間、どうもありがとうございました。
また、王子小学校で先生と生徒がともに学びあう。そんな日々を安心して過ごせるのは、地域というしっかりとした器があるからであり、地域のかたがたのつねなるご協力があったからです。これまで、どうもありがとうございました。そしてこれからも王子小学校をよろしくお願いします。
さて、それでは最後に卒業生のみなさんへの私からの言葉です。じつを言うと、私もこういう場所で話をするのは今日が最後です。月並みな言い方をすれば、私もみなさんと一緒に卒業というわけです。これまでこういう場で話をするときには、自分の言葉で話すことに決めていました。でも、最後に人の言葉を借りて、みなさんに贈ります。
谷川俊太郎さんの「さようなら」という詩です。詩の中では「ぼく」という言い方をしていますが、女子のみなさんは王子小学校で身に付けた豊かな想像力で補って聞いてください。
ぼくもう行かなきゃなんない すぐ行かなきゃなんない
どこへいくのかわからないけど 桜並木の下をとおって
大通りを信号でわたって いつも眺めてる山を目印に
ひとりで行かなきゃなんない すぐ行かなきゃなんない
どうしてなのか知らないけど お母さんごめんなさい
お父さんにやさしくしてあげて
ぼく好き嫌いいわずなんでも食べる
本も今よりたくさん読むと思う
夜になれば星を見る
昼はいろんな人と話をする
そしてきっといちばん好きなものを見つける
見つけたら 大切にして 死ぬまで生きる
だから遠くに行ってもさみしくないよ
ぼくもう行かなきゃなんない
これからさき、みなさんにはいろんな出来事があって、いろんな経験をすると思います。
でも恐れることなく勇気を持って、前へ、前へ、踏み出してください。
これからのみなさんに、よいことが、たくさんのよいことがあることを心から祈っています。
卒業、ほんとうにおめでとう
内容を自分の言葉で組み立てる。声に出し、話し言葉として滑らかになるように調節する。そして暗記。何度も声に出して練習する。声に出すだけじゃない。全部の流れをイメージする。来賓席に座っている。名前を呼ばれる。返事をして立ち上がる。来賓と校長にお辞儀をする。壇上まで上る。そして生徒にお辞儀をする。話をする。お辞儀をして、壇上からおりる。そして校長と来賓にお辞儀をして着席する。その一連のプロセスを何度もイメージし、実際に練習する。(仕事先の会議室でも行った)。まあ、それだけやれば、それなりに良いものにはなる。
そんな自分を見ているもう1人の醒めた自分がいる。曰く、お前さん、夏休みの自由研究の宿題に、本気で夏休み全部を使っている子どもみたいだ。みんながプールに行ったり、家族旅行をしたり、塾の夏季講習に行っているのに、ひとり図書館に通って調べ物をして、家で何かを作っている。そんな子どもの大人みたいだ。エネルギーを注ぎ込むのもいいけど、もう少し別のことにしたほうがいいんじゃないの。収入増やすとか。
でもどういうわけか、そういうアサッテの方向に行ってしまう。頭悪いと言えばそれまでだけど、こういうのをきっと〈業〉っていうんだろう。まあ、これでも何とか生きてこれたので、いいか。
なぜそこまでエネルギーを注ぎ込んじゃうかというと、卒業式をたんなる形式的な場にしたくないからだ。僕はもともと形式的なことが嫌いだ。誰が決めたかもわからず、何のためにやっているのかもわからず、慣例だから続いていることが嫌いだ。でも儀礼とか儀式は大切だと思っている。そして卒業式や入学式は大事な通過儀礼のひとつだと思っている。
儀礼というのはある種の非日常な聖なる時間であり空間である。それは簡単に日常的な俗なる形式主義に陥ってしまう。決められたことを、決められたようにこなす。滞りなく進めることが最優先される。雰囲気だけは厳かだし、当事者たちは少しは緊張する。でも心がべつのところにある。せっかくの卒業式をそんな形式的な場にしてはもったいない(まーたい)。
子どもたちがここまで生きてきた。そして次の世界に移る。そのことを祝う。そういう卒業式が本来の儀式というものだろう。そのために自分ができること。そう考えると、それなりのエネルギーを注ぎ込んでみるかという気になる。
卒業式。来賓席のよい場所に座っているので、証書の受け取る卒業生が目の前を通り、来賓席に向かってお辞儀をする。昨年度は自分の挨拶が気になり、ちょっと注意が散漫になった。今年は全員にきちんとお辞儀を返した。7割くらいの子どもと目を合わせることもできた。そのおかげかもしれない。子どもたちも〈お祝いの言葉〉をきちんと聞いてくれた。
とにかくゆっくり話そう。それが今回の課題だった。「6年生のみなさん、卒業おめでとうございます」。最初の一文を口にする。間を取るために余裕を見せて卒業生を見渡す。間をとったら、次の言葉が逃げていった。出てこない。思い出せない。次の言葉が。時間が過ぎる。空白の時間。子どもたちが少し怪訝な表情になる。
追いつめられている。やばい。でも、そのやばさを楽しんでいる自分もいる。笑顔で見渡す。やはり、言葉が出てこない。こりゃ本当にやばいぞ、そう思った瞬間に自然と言葉が出てきた。「ついに、王子小学校での最後の日を迎えることになりました」。(「ついに」というのがこの状況を演出しているようだ、と醒めた自分)。みんなはわざと引っ張ったのかと思ったらしいが、ほんとうは危ないところだった。
卒業式の後、いろんな人に「挨拶、とてもよかった」と言ってもらえた。握手してくれた先生もいたし、泣いていた保護者もいたそうだ。僕としては、卒業式が少しでも濃密なものになり、記憶に残るものになってくれたなら大満足だ。それに、家に帰ってから次男が「死ぬまで生きるって言い言葉だね」と言ってくれたのが嬉しかった。
とにかく、これで2年間のお役目が終わった。けっこうなエネルギーを使った気もするが、それなりに楽しめた。いろいろ考えることはあるが、それは今後の課題としよう。
最後に、今回の卒業式での「お祝いの言葉」を載せておく。
卒業式のお祝いの言葉
6年生のみなさん、卒業おめでとうございます。ついに王子小学校での最後の日を迎えることになりました。きっと皆さんの胸の中には言葉にならないいろんな思いがいっぱいあるのだろうと思います。
さきほど、皆さんが卒業証書を受け取る姿をずっと見ていました。一人一人の姿を見ながら、この子はこれまでどんなことを経験してきたのだろか。これから先どんなことが待っているのだろうか。そんなことを想像していました。当たり前のことですが、卒業生には誰一人同じ人はいません。一人一人が自分の顔を持ち、それぞれの体を持ち、違う考えを持っている。他の誰かでもかまわない、いなくてもいい、そんな子はひとりもいません。王子小学校には本当にいろんな子どもがいる。みんなちがって、みんないい。
誰一人として同じ生徒はいない。でも、ある一点でみなさんは同じです。それは王子小学校の立派な卒業生だということです。今日のみなさんの姿はとても立派です。
このように立派に成長した子どもたちの卒業を迎えることができ、保護者のみなさま、卒業、おめでとうございます。私自身も保護者の1人としてとても嬉しい思いです。
そして、子どもたちが立派に王子小学校から巣立って行けるのは、戸倉校長、清水副校長、廣野先生、高橋先生、渡辺先生をはじめとするすべての先生方の努力、そして職員のかたがたの暖かいサポートのおかげだと思います。長い間、どうもありがとうございました。
また、王子小学校で先生と生徒がともに学びあう。そんな日々を安心して過ごせるのは、地域というしっかりとした器があるからであり、地域のかたがたのつねなるご協力があったからです。これまで、どうもありがとうございました。そしてこれからも王子小学校をよろしくお願いします。
さて、それでは最後に卒業生のみなさんへの私からの言葉です。じつを言うと、私もこういう場所で話をするのは今日が最後です。月並みな言い方をすれば、私もみなさんと一緒に卒業というわけです。これまでこういう場で話をするときには、自分の言葉で話すことに決めていました。でも、最後に人の言葉を借りて、みなさんに贈ります。
谷川俊太郎さんの「さようなら」という詩です。詩の中では「ぼく」という言い方をしていますが、女子のみなさんは王子小学校で身に付けた豊かな想像力で補って聞いてください。
ぼくもう行かなきゃなんない すぐ行かなきゃなんない
どこへいくのかわからないけど 桜並木の下をとおって
大通りを信号でわたって いつも眺めてる山を目印に
ひとりで行かなきゃなんない すぐ行かなきゃなんない
どうしてなのか知らないけど お母さんごめんなさい
お父さんにやさしくしてあげて
ぼく好き嫌いいわずなんでも食べる
本も今よりたくさん読むと思う
夜になれば星を見る
昼はいろんな人と話をする
そしてきっといちばん好きなものを見つける
見つけたら 大切にして 死ぬまで生きる
だから遠くに行ってもさみしくないよ
ぼくもう行かなきゃなんない
これからさき、みなさんにはいろんな出来事があって、いろんな経験をすると思います。
でも恐れることなく勇気を持って、前へ、前へ、踏み出してください。
これからのみなさんに、よいことが、たくさんのよいことがあることを心から祈っています。
卒業、ほんとうにおめでとう