先週の土曜日は、長男の学校で「学校公開日」があった。昔で言うところの「授業参観日」だ。僕が子どものころの授業参観というと、ちょっとだけ着飾った親達が教室の後に並んで静かに授業を見ているというものだった。ところが今の「学校公開日」というのはもっとくだけている。土曜日の1時間目から4時間目まで、好きなときに行って好きなだけ授業を見ることができる。突然奇声を発するような小さな子を連れていっても構わない。かなり自由な雰囲気である。
公立の小学校だからなのかもしれないが、子どもたちには非常にばらつきがある。先生のすべての質問に背筋を伸ばして手をあげて答える子がいると思えば、教科書の波に合わせて鉛筆を転がしている子もいる。ずーっと消しゴムで机をこすりながらケシカスを長くしている子もいる。母親と祖母が真後ろに立って、やれ教科書を開け、ノートを丁寧に取れ、と怒っているものもある。子どもは、黙っていると言ったじゃないか、と文句を言っている。さらには一切を放棄して完全に飛んでしまっている子もいる。
学力をつけるという観点から考えれば、習熟度別にクラスを編成した方がよっぽど効率的だろう。ただ、雑多な種類の人間が1つの場所に集まって、何とかみんなが生き延びていけるような共同体を作るのも人類的には悪くないのだろう。で、我が長男はどうかと言うと、授業は聞いているが半分飛んでいるという感じだ。時おり、後を振り向いて、目が合うとにやりとする。ぎすぎす勉強するのでもなく、落ちこぼれるのでもない。細く長く生きるにはいい感じである。
4時間目には、高橋勇市さんというアテネパラリンピックでマラソンの金メダルを取った人の講演会があった。1年生から6年生までが体育館に座り話しを聞く。希望する保護者も聞くことができる。マラソンということなので僕も話しを聞くことにした。話しをする高橋さんの姿を見て、ああこの人かと思った。僕が荒川の土手にランニングに行くと、時おり見かける人だった。〈盲人〉というタンクトップを着てランニングをしている人だ。いつも奥さんが伴走をしている。ずいぶん脚の速い人だなと思いながらいつも見ていた。
質問の時間に、子どもが「何が一番辛かったですか?」と訊いたら、「練習です」と即答した。それを聞いて、そうだろうな、と妙に納得してしまった。フルマラソンは本番よりも練習の方が厳しいというのは、僕程度の市民ランナーにもわかる。練習では、伴走を見つけるのが大変だったそうだ。最初は知り合いに自転車で、次はスクーターで、さらにはタクシーの料金を払って伴走してもらったそうだ。そんなことをしているうちに、やっと伴走をしてくれる人が出てきたとのこと。
伴走の話しを聞いていたら、去年のサロマ湖ウルトラマラソンで、知的障害の二十歳くらいの子どもの伴走をしている父親を見かけた。確か70kmを過ぎたあたりでしばらく一緒に走った。親子で100km一緒に走る。当然、長い時間いっしょに練習をしてきたのだろう。2人の姿を見ていて少し力を貰えた。
そんなふうに時おり、サロマ湖100kmのことを思い出す。実は、昨日の日曜日は第25回サロマ湖ウルトラマラソンだった。口蹄疫の件で開催が危ぶまれたようだし、当日の気温は30度を超え半数以上がリタイアしたそうだ。今年トライしていたら完走できたか怪しいものである。想像するとちょっと怖くなるが、また走りたいなと純粋に思う。
東京で気の抜けた日曜日を過ごしながら、時おり腕時計に目をやる。もし走っていたら今ごろ、サロマ湖の湖畔に出た頃だとか、今ごろはレストステーションで着替えている頃だとか、今ごろはワッカ原生園を走ってる頃だとか、いろいろ想像してしまう。想像というより、一瞬、自分がサロマにいるような気分になる。僕はこういう感覚がとても好きだ。今ここにいながら、別の時間の別のところにいる。現在の東京と過去のサロマが1つに重なっている。何というのか、世界がちょっとだけ厚みを持ったように感じる。
そういえば去年、100kmを走り終わったあと、同じ宿のメンバーと銭湯に行った。(サロマに銭湯があるということにちょっと驚いた)。少しでも疲れを取るためだ。湯船を跨ぐときみんな、あっ、と声を上げていた。お湯が熱いからではない。筋肉痛で脚がやられているからだ。僕は早めに風呂を出て、一人銭湯の外でほおけていた。レースの活気が嘘のようにシンとしている。あたりは少しずつ青い空気で覆われ、薄暗くなる。川の水が蛇行しながらゆったりと流れている。風が草を揺らす。
僕は何を思うでもなく、そんな世界に溶け込んでいた。それほど印象的な風景ではなかった。その時、心地よかったことは覚えているが、ずっと覚えているとは思いもしなかった。時おり、銭湯の外でほおけて面に座っていた自分になる。ふとそのことを自覚した瞬間に、その出来事はもう終わってしまったのだと気づく。終わってしまったと気づいたとき、またあそこに行きたいなと思う。明日は去年のサロマ湖からちょうど1年。おそらく、1日のうち何度も腕時計を見ることになるのだろう。
公立の小学校だからなのかもしれないが、子どもたちには非常にばらつきがある。先生のすべての質問に背筋を伸ばして手をあげて答える子がいると思えば、教科書の波に合わせて鉛筆を転がしている子もいる。ずーっと消しゴムで机をこすりながらケシカスを長くしている子もいる。母親と祖母が真後ろに立って、やれ教科書を開け、ノートを丁寧に取れ、と怒っているものもある。子どもは、黙っていると言ったじゃないか、と文句を言っている。さらには一切を放棄して完全に飛んでしまっている子もいる。
学力をつけるという観点から考えれば、習熟度別にクラスを編成した方がよっぽど効率的だろう。ただ、雑多な種類の人間が1つの場所に集まって、何とかみんなが生き延びていけるような共同体を作るのも人類的には悪くないのだろう。で、我が長男はどうかと言うと、授業は聞いているが半分飛んでいるという感じだ。時おり、後を振り向いて、目が合うとにやりとする。ぎすぎす勉強するのでもなく、落ちこぼれるのでもない。細く長く生きるにはいい感じである。
4時間目には、高橋勇市さんというアテネパラリンピックでマラソンの金メダルを取った人の講演会があった。1年生から6年生までが体育館に座り話しを聞く。希望する保護者も聞くことができる。マラソンということなので僕も話しを聞くことにした。話しをする高橋さんの姿を見て、ああこの人かと思った。僕が荒川の土手にランニングに行くと、時おり見かける人だった。〈盲人〉というタンクトップを着てランニングをしている人だ。いつも奥さんが伴走をしている。ずいぶん脚の速い人だなと思いながらいつも見ていた。
質問の時間に、子どもが「何が一番辛かったですか?」と訊いたら、「練習です」と即答した。それを聞いて、そうだろうな、と妙に納得してしまった。フルマラソンは本番よりも練習の方が厳しいというのは、僕程度の市民ランナーにもわかる。練習では、伴走を見つけるのが大変だったそうだ。最初は知り合いに自転車で、次はスクーターで、さらにはタクシーの料金を払って伴走してもらったそうだ。そんなことをしているうちに、やっと伴走をしてくれる人が出てきたとのこと。
伴走の話しを聞いていたら、去年のサロマ湖ウルトラマラソンで、知的障害の二十歳くらいの子どもの伴走をしている父親を見かけた。確か70kmを過ぎたあたりでしばらく一緒に走った。親子で100km一緒に走る。当然、長い時間いっしょに練習をしてきたのだろう。2人の姿を見ていて少し力を貰えた。
そんなふうに時おり、サロマ湖100kmのことを思い出す。実は、昨日の日曜日は第25回サロマ湖ウルトラマラソンだった。口蹄疫の件で開催が危ぶまれたようだし、当日の気温は30度を超え半数以上がリタイアしたそうだ。今年トライしていたら完走できたか怪しいものである。想像するとちょっと怖くなるが、また走りたいなと純粋に思う。
東京で気の抜けた日曜日を過ごしながら、時おり腕時計に目をやる。もし走っていたら今ごろ、サロマ湖の湖畔に出た頃だとか、今ごろはレストステーションで着替えている頃だとか、今ごろはワッカ原生園を走ってる頃だとか、いろいろ想像してしまう。想像というより、一瞬、自分がサロマにいるような気分になる。僕はこういう感覚がとても好きだ。今ここにいながら、別の時間の別のところにいる。現在の東京と過去のサロマが1つに重なっている。何というのか、世界がちょっとだけ厚みを持ったように感じる。
そういえば去年、100kmを走り終わったあと、同じ宿のメンバーと銭湯に行った。(サロマに銭湯があるということにちょっと驚いた)。少しでも疲れを取るためだ。湯船を跨ぐときみんな、あっ、と声を上げていた。お湯が熱いからではない。筋肉痛で脚がやられているからだ。僕は早めに風呂を出て、一人銭湯の外でほおけていた。レースの活気が嘘のようにシンとしている。あたりは少しずつ青い空気で覆われ、薄暗くなる。川の水が蛇行しながらゆったりと流れている。風が草を揺らす。
僕は何を思うでもなく、そんな世界に溶け込んでいた。それほど印象的な風景ではなかった。その時、心地よかったことは覚えているが、ずっと覚えているとは思いもしなかった。時おり、銭湯の外でほおけて面に座っていた自分になる。ふとそのことを自覚した瞬間に、その出来事はもう終わってしまったのだと気づく。終わってしまったと気づいたとき、またあそこに行きたいなと思う。明日は去年のサロマ湖からちょうど1年。おそらく、1日のうち何度も腕時計を見ることになるのだろう。