早起きをして岩淵水門までランニングをする。11kmの基本コースだ。夏の朝、空は青く、東の空の太陽はまだ暑さを存分には発揮していない。緩やかに流れる川に太陽の光が斜めから差し込む。風もまだ涼しい。1日が始まろうとしている。その心地よさと裏腹に、朝一番のランニングはきつい。体が重い。筋肉がこわばっているし、息もすぐにあがる。周りの世界はこんなにも心地よいのに自分はひどい状態、調和が取れていない。明日も早朝に走りたいという思いと、このきつさはゴメンだという思いが半々のまま走る。
走りながらPodcastでヴォイニッチの科学書を聞く。今日は、人類は「耳垢がカサカサのタイプとネバネバのタイプ」の2つに分けられるという話だった。日本人は9割近くがカサカサのタイプで、とくに京都にカサカサ派が多いらしい。北米ではカサカサとネバネバは半々くらい。南米に至るとほとんどがネバネバだそうだ。
もともと人類はネバネバタイプだったそうだ。それが数万年(数十万年か?走りながらなので忘れてしまった)前に、中国北部かモンゴル辺りでカサカサの人が出現して、それが主にアジア圏に広まったそうだ。話を聞きながら、綿棒というのはネバネバの人たちが必要としていたものなのだと気づいた。カサカサの日本人は耳かきで十分なのだ。
そんなことを考えながら走っていたら体も楽になってきた。でも反対に、太陽の力が強くなり気温も上がり出した。汗が流れる。ここのところ風邪を引き、その後台風が来て気温が下がったので、流れる汗をぬぐいながら走るのは久しぶりだ。今日のランニングで今月は106km。目標の135kmまであと29km。月初めには余裕だと思っていたが、ギリギリの感じだ。1日でもコケたら達成できない。この1年ばかり、こういう緊張感を持たずにランニングをしていた。その結果、6月の4時間3分という記録に繋がったのだろう。とにかく週の初めの朝をランニングでスタートできたのは良かったのだろう。
個人的な思いだが、ブログを書くのと掃除をするのは似ている。別に掃除などしなくても生きていくことはできる。ちょっと部屋がほこりっぽかったり、床が汚れていたり、物が散乱していても生きていくことはできる。集中力がある人間なら、その状況でも立派な仕事も成し遂げるだろう。でも僕は掃除ができていないとどうしてもだらけてしまう。結局、そういう性格はすべてに及ぶもので、日々の出来事とか、読んだ本とかを「掃除」しておかないとどうしてもだらけてしまう。
そんなわけでちょっと過去を振り返る。先週の金曜日は学校の個人面談に行く。小学5年の長男と1年の次男の2人分のはしごである。長男の担任は30代前半の明るい男性教師で、3年連続の担任になる。何度も面談では話をしているのでけっこう気心も知れている。担任も父親が面談に来るのは珍しいらしく、僕が行くことを楽しみにしているようだ。自分の子供の話もするのだが、毎回、教育全般についての話をする。
自分たちは小学生の時から将来の仕事など考えていただろうか、という話をする。ある女の子が「将来の夢がない人はどうすれば良いのですか?」と授業中にたずねたらしい。小学生の内からそんなに将来を考えさせることはないと思う。僕も担任の先生も、小学生の時には将来のことなんて考えていなかった。それでも何とかなっている。子どものうちは(本当は大人もそうだが)、将来の手段のためではなく、いまそれ自身を楽しむために全力を注ぐべきなのだ。そんな話を長男の担任とする。
次男の担任は30代前半の女性教師だ。元気ではきはきしていてとても感じのよい人だが、ちょっと頑張りすぎて時々、電池が切れそうな感じだ。総体としては非常にできる人なのだろうが、けっこうポカもやっていそうである。でもその辺りの完璧でなさそうなところが、子どもにとっては良いのだろう。まあ、初めましてという感じでいろいろ話をする。子どものことはよく見ている自信があるので、自分から見えている子どものことを伝える。共通していた問題点は「姿勢の悪さ」である。(合気道ではしっかりしているのだが……)
面談の後は、土屋カバンに餞別用の皮小物を買いに行く。10年くらい前にエストニアから来た友人がついに日本を離れ英国に行くことになったのだ。そして夜には、近所の家族が遊びに来る。(忙しかった。やっとご近所さんを引っ越し後に招待することが出来た。)
そして昨日の日曜日。午前中はボクシングの練習につき合う。月末には試合があるので最終調整だ。いつものことだが、試合直前にはやることを絞り込んで、確実に出来ることを丁寧に復習する。練習で自然にできないことを試合で出来るわけがない。だから試合では大切なのは、練習で出来たことを確実に出せるようにすることだ。そうは言うものの(予想通り)少し崩れていた。ボクシングの練習では試合直前に身心ともに追い込む。減量の問題とか試合に向けてハングリーさを出させるためだろう。個人的には、身心のバランスを崩すのはあまり良くないと思う。(しっかりとした型を持っていない人なら良いのだけど)
昼まで練習して帰宅。ボクシングの練習を1時間半、往復は自転車で15km。けっこうな運動量だ。疲れた体を引きずって、相方と池袋まで買い物。引っ越してからずっと、壁掛けの時計を買わねばと思っていたのがやっと買い物に行けた。(でも気に入ったものがなく、結局、ネットで買うことにした)。その他、ジュンク堂で『詩の礫』と『おおきなかぶむずかしいアボカド』を買う。世界堂でポスター用(カンディンスキー展のヤツ)のフレームを買う。フランフランで知り合いの結婚祝いの品物を買う。すごく久しぶりに買い物をした感じだ。子どもたちだけで留守番が出来るようになったのだ。相方と2人でゆっくりと買い物をしたのは何年ぶりだろう。こうやって、少しずつ子どもたちが離れていくのだろう。
あと、いろいろ本も読んだのだが、それはまた今度書こう。
走りながらPodcastでヴォイニッチの科学書を聞く。今日は、人類は「耳垢がカサカサのタイプとネバネバのタイプ」の2つに分けられるという話だった。日本人は9割近くがカサカサのタイプで、とくに京都にカサカサ派が多いらしい。北米ではカサカサとネバネバは半々くらい。南米に至るとほとんどがネバネバだそうだ。
もともと人類はネバネバタイプだったそうだ。それが数万年(数十万年か?走りながらなので忘れてしまった)前に、中国北部かモンゴル辺りでカサカサの人が出現して、それが主にアジア圏に広まったそうだ。話を聞きながら、綿棒というのはネバネバの人たちが必要としていたものなのだと気づいた。カサカサの日本人は耳かきで十分なのだ。
そんなことを考えながら走っていたら体も楽になってきた。でも反対に、太陽の力が強くなり気温も上がり出した。汗が流れる。ここのところ風邪を引き、その後台風が来て気温が下がったので、流れる汗をぬぐいながら走るのは久しぶりだ。今日のランニングで今月は106km。目標の135kmまであと29km。月初めには余裕だと思っていたが、ギリギリの感じだ。1日でもコケたら達成できない。この1年ばかり、こういう緊張感を持たずにランニングをしていた。その結果、6月の4時間3分という記録に繋がったのだろう。とにかく週の初めの朝をランニングでスタートできたのは良かったのだろう。
個人的な思いだが、ブログを書くのと掃除をするのは似ている。別に掃除などしなくても生きていくことはできる。ちょっと部屋がほこりっぽかったり、床が汚れていたり、物が散乱していても生きていくことはできる。集中力がある人間なら、その状況でも立派な仕事も成し遂げるだろう。でも僕は掃除ができていないとどうしてもだらけてしまう。結局、そういう性格はすべてに及ぶもので、日々の出来事とか、読んだ本とかを「掃除」しておかないとどうしてもだらけてしまう。
そんなわけでちょっと過去を振り返る。先週の金曜日は学校の個人面談に行く。小学5年の長男と1年の次男の2人分のはしごである。長男の担任は30代前半の明るい男性教師で、3年連続の担任になる。何度も面談では話をしているのでけっこう気心も知れている。担任も父親が面談に来るのは珍しいらしく、僕が行くことを楽しみにしているようだ。自分の子供の話もするのだが、毎回、教育全般についての話をする。
自分たちは小学生の時から将来の仕事など考えていただろうか、という話をする。ある女の子が「将来の夢がない人はどうすれば良いのですか?」と授業中にたずねたらしい。小学生の内からそんなに将来を考えさせることはないと思う。僕も担任の先生も、小学生の時には将来のことなんて考えていなかった。それでも何とかなっている。子どものうちは(本当は大人もそうだが)、将来の手段のためではなく、いまそれ自身を楽しむために全力を注ぐべきなのだ。そんな話を長男の担任とする。
次男の担任は30代前半の女性教師だ。元気ではきはきしていてとても感じのよい人だが、ちょっと頑張りすぎて時々、電池が切れそうな感じだ。総体としては非常にできる人なのだろうが、けっこうポカもやっていそうである。でもその辺りの完璧でなさそうなところが、子どもにとっては良いのだろう。まあ、初めましてという感じでいろいろ話をする。子どものことはよく見ている自信があるので、自分から見えている子どものことを伝える。共通していた問題点は「姿勢の悪さ」である。(合気道ではしっかりしているのだが……)
面談の後は、土屋カバンに餞別用の皮小物を買いに行く。10年くらい前にエストニアから来た友人がついに日本を離れ英国に行くことになったのだ。そして夜には、近所の家族が遊びに来る。(忙しかった。やっとご近所さんを引っ越し後に招待することが出来た。)
そして昨日の日曜日。午前中はボクシングの練習につき合う。月末には試合があるので最終調整だ。いつものことだが、試合直前にはやることを絞り込んで、確実に出来ることを丁寧に復習する。練習で自然にできないことを試合で出来るわけがない。だから試合では大切なのは、練習で出来たことを確実に出せるようにすることだ。そうは言うものの(予想通り)少し崩れていた。ボクシングの練習では試合直前に身心ともに追い込む。減量の問題とか試合に向けてハングリーさを出させるためだろう。個人的には、身心のバランスを崩すのはあまり良くないと思う。(しっかりとした型を持っていない人なら良いのだけど)
昼まで練習して帰宅。ボクシングの練習を1時間半、往復は自転車で15km。けっこうな運動量だ。疲れた体を引きずって、相方と池袋まで買い物。引っ越してからずっと、壁掛けの時計を買わねばと思っていたのがやっと買い物に行けた。(でも気に入ったものがなく、結局、ネットで買うことにした)。その他、ジュンク堂で『詩の礫』と『おおきなかぶむずかしいアボカド』を買う。世界堂でポスター用(カンディンスキー展のヤツ)のフレームを買う。フランフランで知り合いの結婚祝いの品物を買う。すごく久しぶりに買い物をした感じだ。子どもたちだけで留守番が出来るようになったのだ。相方と2人でゆっくりと買い物をしたのは何年ぶりだろう。こうやって、少しずつ子どもたちが離れていくのだろう。
あと、いろいろ本も読んだのだが、それはまた今度書こう。