とんびの視点

まとはづれなことばかり

心地よい夏の早朝に重い体でランニング

2011年07月25日 | 雑文
早起きをして岩淵水門までランニングをする。11kmの基本コースだ。夏の朝、空は青く、東の空の太陽はまだ暑さを存分には発揮していない。緩やかに流れる川に太陽の光が斜めから差し込む。風もまだ涼しい。1日が始まろうとしている。その心地よさと裏腹に、朝一番のランニングはきつい。体が重い。筋肉がこわばっているし、息もすぐにあがる。周りの世界はこんなにも心地よいのに自分はひどい状態、調和が取れていない。明日も早朝に走りたいという思いと、このきつさはゴメンだという思いが半々のまま走る。

走りながらPodcastでヴォイニッチの科学書を聞く。今日は、人類は「耳垢がカサカサのタイプとネバネバのタイプ」の2つに分けられるという話だった。日本人は9割近くがカサカサのタイプで、とくに京都にカサカサ派が多いらしい。北米ではカサカサとネバネバは半々くらい。南米に至るとほとんどがネバネバだそうだ。

もともと人類はネバネバタイプだったそうだ。それが数万年(数十万年か?走りながらなので忘れてしまった)前に、中国北部かモンゴル辺りでカサカサの人が出現して、それが主にアジア圏に広まったそうだ。話を聞きながら、綿棒というのはネバネバの人たちが必要としていたものなのだと気づいた。カサカサの日本人は耳かきで十分なのだ。

そんなことを考えながら走っていたら体も楽になってきた。でも反対に、太陽の力が強くなり気温も上がり出した。汗が流れる。ここのところ風邪を引き、その後台風が来て気温が下がったので、流れる汗をぬぐいながら走るのは久しぶりだ。今日のランニングで今月は106km。目標の135kmまであと29km。月初めには余裕だと思っていたが、ギリギリの感じだ。1日でもコケたら達成できない。この1年ばかり、こういう緊張感を持たずにランニングをしていた。その結果、6月の4時間3分という記録に繋がったのだろう。とにかく週の初めの朝をランニングでスタートできたのは良かったのだろう。

個人的な思いだが、ブログを書くのと掃除をするのは似ている。別に掃除などしなくても生きていくことはできる。ちょっと部屋がほこりっぽかったり、床が汚れていたり、物が散乱していても生きていくことはできる。集中力がある人間なら、その状況でも立派な仕事も成し遂げるだろう。でも僕は掃除ができていないとどうしてもだらけてしまう。結局、そういう性格はすべてに及ぶもので、日々の出来事とか、読んだ本とかを「掃除」しておかないとどうしてもだらけてしまう。

そんなわけでちょっと過去を振り返る。先週の金曜日は学校の個人面談に行く。小学5年の長男と1年の次男の2人分のはしごである。長男の担任は30代前半の明るい男性教師で、3年連続の担任になる。何度も面談では話をしているのでけっこう気心も知れている。担任も父親が面談に来るのは珍しいらしく、僕が行くことを楽しみにしているようだ。自分の子供の話もするのだが、毎回、教育全般についての話をする。

自分たちは小学生の時から将来の仕事など考えていただろうか、という話をする。ある女の子が「将来の夢がない人はどうすれば良いのですか?」と授業中にたずねたらしい。小学生の内からそんなに将来を考えさせることはないと思う。僕も担任の先生も、小学生の時には将来のことなんて考えていなかった。それでも何とかなっている。子どものうちは(本当は大人もそうだが)、将来の手段のためではなく、いまそれ自身を楽しむために全力を注ぐべきなのだ。そんな話を長男の担任とする。

次男の担任は30代前半の女性教師だ。元気ではきはきしていてとても感じのよい人だが、ちょっと頑張りすぎて時々、電池が切れそうな感じだ。総体としては非常にできる人なのだろうが、けっこうポカもやっていそうである。でもその辺りの完璧でなさそうなところが、子どもにとっては良いのだろう。まあ、初めましてという感じでいろいろ話をする。子どものことはよく見ている自信があるので、自分から見えている子どものことを伝える。共通していた問題点は「姿勢の悪さ」である。(合気道ではしっかりしているのだが……)

面談の後は、土屋カバンに餞別用の皮小物を買いに行く。10年くらい前にエストニアから来た友人がついに日本を離れ英国に行くことになったのだ。そして夜には、近所の家族が遊びに来る。(忙しかった。やっとご近所さんを引っ越し後に招待することが出来た。)

そして昨日の日曜日。午前中はボクシングの練習につき合う。月末には試合があるので最終調整だ。いつものことだが、試合直前にはやることを絞り込んで、確実に出来ることを丁寧に復習する。練習で自然にできないことを試合で出来るわけがない。だから試合では大切なのは、練習で出来たことを確実に出せるようにすることだ。そうは言うものの(予想通り)少し崩れていた。ボクシングの練習では試合直前に身心ともに追い込む。減量の問題とか試合に向けてハングリーさを出させるためだろう。個人的には、身心のバランスを崩すのはあまり良くないと思う。(しっかりとした型を持っていない人なら良いのだけど)

昼まで練習して帰宅。ボクシングの練習を1時間半、往復は自転車で15km。けっこうな運動量だ。疲れた体を引きずって、相方と池袋まで買い物。引っ越してからずっと、壁掛けの時計を買わねばと思っていたのがやっと買い物に行けた。(でも気に入ったものがなく、結局、ネットで買うことにした)。その他、ジュンク堂で『詩の礫』と『おおきなかぶむずかしいアボカド』を買う。世界堂でポスター用(カンディンスキー展のヤツ)のフレームを買う。フランフランで知り合いの結婚祝いの品物を買う。すごく久しぶりに買い物をした感じだ。子どもたちだけで留守番が出来るようになったのだ。相方と2人でゆっくりと買い物をしたのは何年ぶりだろう。こうやって、少しずつ子どもたちが離れていくのだろう。

あと、いろいろ本も読んだのだが、それはまた今度書こう。

記憶を作っている

2011年07月18日 | 雑文
風邪を引いてから1週間。まだ咳は完全には抜けていない。結局、1週間ランニングをしていない。6月下旬から心を入れ替え、良い感じできていたと思ったらこれだ。何度も書いているが、計画的にランニングをしていると、目標が簡単に実現しないことをしょっちゅう思い知らされる。でも本当にできていない時は、計画すら立てない。だから「実現できていない」ことにも気づけない。出来ていないことに気づけているのは、少しは良いことなのだろう。

昨日は一日中、日本武道館にいた。全日本少年少女武道錬成大会(合気道)に小学5年の長男が参加したので一日つき合う事になった。ほとんどの時間を3階の観客席に座って、目の前で繰り広げられるイベントを見るともなく見ていた。

大会には全国から100以上の団体、小学1年から中学3年までの2000人以上が参加した。凄い人数である。いくら武道館とは言え、それだけの人間が1度に合気道をするスペースはない。多くの人が1日のほとんどを待ち時間として過ごしていた。

午前10時頃に武道館に入り、12時の開会式まで観客席で新聞を読みながら待つ。すでに子どもたちは飽きて、周りで勝手な遊びを始めては、注意されている。こんな時間が夕方の5時まで続くのかと思うと少々、うんざりする。

おまけに少しばかり「蒸し暑い」。「節電」の文字が電光掲示板に表示されている。なぜか館内には大音量でオーケストラが奏でる「鉄腕アトム」が流れている。この蒸し暑さを打ち破るには「原子の力」に頼るしかないとプロパガンダしているかのようだ。あるいはサブリミナル効果を狙っているのだろうか。

長男が実際に参加するのは、小学4年と5年全員が行なう「基本錬成」と、道場ごとに行なう「演武錬成」の2つである。「基本錬成」は30分くらい取っているが、700人近くの子どもたちが1度に稽古をするので十分なスペースはない。吊り革が半分くらい埋まっている電車の中で合気道の稽古をやるような感じだ。道場ごとの演武は持ち時間が「2分」。実際、長男が体を動かしたのはこの2分程度だろう。

「ほとんどが待っている時間で疲れたよ」というのが長男の本音だ。僕も3階の観客席で待っていて疲れた。「錬成大会で、すごく楽しいと思っていた人っていると思う?」と長男にたずねてみた。同伴の保護者も暑い日に大変だし、参加している道場の責任者も大変だし、参加している子どもたちはそもそも言われているから来ているだけだし、来賓達もずっと見ている分けでもないし、運営側も大変そうだった。「誰も楽しいと思っている人はいないと思う」というのが長男の答えだった。

僕もそう思う。おそらく「楽しい」ということを目的にやっている人はいないだろう。毎年大会がやって来るから(今年で33回目だ)それを成功させねばならない。そのためにみんなで役割を分担してがんばろう、そんな感じだ。そういうケースでは「そもそも、なぜ大会を行なっているのか。なぜ続ければならないのか。何のために行なっているのか」が問われることがない。行なう目的や理由を確認するよりも、中止しないことが優先される。

実際、開会式の挨拶でまず言及されたのが「震災以後の状況で、大会の開催が危ぶまれたが、何とか実施できて本当に良かった。そのために尽力いただいた、関係各所にお礼を言いたい」ということだった。中止せずに続けることが大切なのだ。厳しい状況で続けることの理由や目的が問われることはあまりないのだろう。それは行なっていることに、簡単に目的や理由をつけられることでもある。

驚いたのは、開会式、閉会式のほとんどの挨拶が「震災、原発」と関連付けられていたことだ。まず、開会に先立って「黙とう」を捧げる。そして挨拶を行なう人がみな、「震災、原発」に触れる。東北では大変な目にあっている人がいる、その人たちのことを思って一生懸命ら合気道を行なおう、そんなことを言う。子どもの述べる「誓いの言葉」も同じようなものだ。みんなが「震災、原発」と大会を結びつけようとしている。

震災地や原発を意識した具体的なプログラムが存在しているわけではない。おそらくやっている事は、(震災も原発事故もなかった)去年とまったく同じだと思う。まったく同じ事をしながら、そこに「震災、原発を思い」という言葉をのせていくだけで、そのための大会であるかのようになる。

記憶を作っている、という言葉が浮かんだ。記憶というものは、もともと事実の記録ではなく、求める文脈にしたがって出来事を再構築する事である。こうやって、毎年恒例の大会に「震災、原発」という言葉を繋げることで、そういう記憶が作られる。おそらくこれと似たようなことが日本中で行われているのだろう。毎年変わらずに行われていることが、震災、原発と結びつけられ、特別な記憶として残る。日本中が震災や原発に負けずに頑張った1年だったと。

共同体を維持するためには共同の記憶というものが必要なのだろう。それ自体は善でも悪でもない。ただ気になるのは、「震災、原発」のことを言いながら、結局やっていることはいつもと同じ、そんな事態になることだ。「震災、原発」のことをつねに思う事は必要だと思う。(「震災、原発」だけでは少ないくらいだ。日本に限定されすぎている)。しかし「震災、原発」をつねに思っても、そのことを自分の日常と簡単に繋げるべきではない。

本来、簡単に繋がるものでもないと思うし、(どうして子どもが集まって合気道をやることが「震災、原発」と簡単に繋がるのだろう)、簡単に繋げることで短絡的な思考しか出来なくなる。それは今まで、東京の電力を供給するために地方に原子力発電所を造ってきたことに気づかなかった思考と対して変わらないのだ。





原発について勉強する

2011年07月13日 | 雑文
Newton7月号『原発と放射能』に何度目かの目を通す。震災以降、原発が話題になっているが、自分が原発についてほとんど知らないことに気づいた。不思議なもので、私たちはある言葉を知っていて、その言葉を使って会話ができれば、それについてわかっているつもりになってしまう。

「原発」についてもそうだ。誰もが原発という言葉を知っているし、震災以後、原発という言葉を使って会話もしているだろう。そして原発についていろんな意見を述べているに違いない。しかし私たちは原発についてあまり知らないのではないだろうか。何かについて意見を言えることと、それについて十分に知っていることは別である。

たとえば、僕は「放射能」と「放射線」と「放射性物質」という言葉の違いも正確には理解していなかった。「放射能」とは放射線を出す能力のことであり、放射能を持つ物質が「放射性物質」である。そして「放射線」とは、原子核が不安定な状態にある放射性物質が、別の原子核か同じ原子核のより安定した状態に変わる時に出るものである。この過程を「放射性崩壊」と言い、1秒間に1回崩壊することを1「ベクレル」という単位であらわす。

とまあ、こんな感じの説明が続く。読んで何とか理解する、が、次の瞬間には忘れていく。そんな感じだ。読み終わって、分かっていないことは分かるが、何が分からないのか言葉で整理できない。本当に入り口の段階である。

それでも原発には大きな問題点があることが感じられた。それは「核廃棄物処理」の問題だ。これは今回の事故とは別の問題である。原子力発電を行なうと必ず「核廃棄物」が出てくる。高レベル放射性廃棄物だ。高レベル放射性廃棄物は「ガラス固化体」というものにする。これは人間が直接触れようものなら、わずか20秒で致死量の放射線量を浴びてしまうものだ。この処理先が今のところ決まっていない。

日本はアメリカなどとは違って使用済みの核燃料を再処理して「核燃料サイクル」の方針をとっている。(これによって核廃棄物を減らそうとしているのだろう)。MOX燃料を使ったプルサーマル発電(日本で4基ほど実施、その1つが福島第一の3号機)や、高速増殖炉なども「核燃料サイクル」の流れにあるのだろう。しかし、実際には核燃料の再処理は試験的な段階だし、高速増殖炉も「もんじゅ」もナトリウム漏れの事故を起して以来、15年近く運転停止となっている。

結局、使用済みの高レベル核廃棄物である「ガラス固化体」は、十分にバリアした上で地下300メートルより深い場所に埋めることが検討されている。この「ガラス固化体」の放射能が、それを製造するのに必要なウラン鉱石と同程度の放射能に減るには「数万年」かかるという。そのやり場がないから地下深くに埋めてしまおうというのである。この地震が多い日本で。(ちなみに2002年から処分場建設の公募を行なっているがいまだに場所は決まらないそうだ。)

テレビや新聞でも原発に賛成か反対かのアンケートをしょっちゅうやっている。これだけ原発が話題になり、また節電で不自由な思いをしているのだから、誰もが賛成や反対の意見を述べることはできるに違いない。しかし意見を言えることと、それについて十分に知っていることは別のことである。

「使用済み核燃料の処理という観点から考えて、原発は賛成か反対か?」と問うた時、どれくらいの人が明確に答えられるのだろうか?(よく知らなかったのは僕だけなのだろうか?)




近況

2011年07月12日 | 雑文
風邪をひいた。熱はほぼ下がったが、まだ咳が残っている。何よりも体も気持ちもだらーっと水平的になり、しまりがない。自分を垂直に立ち上げるために、ここ数日のことを言葉にしてみる。

風邪をひくまでは今月のランニングは良い感じだった。今月の目標は135km。数字としては大したことはないが、毎年、7月、8月は1ヶ月に100kmも走れていないので、妥当な目標だ。先週末で60kmを達成。このまま行けば150kmは軽く超えるのではと思っていたが、風邪をひいて黄色信号がともった。距離を逆算して日々走っていると、ちょっとした状況の変化にも反応できるようになる。この辺りの、きめ細かさというか、ちょっとしたストレスが、結果的には自分をコントロールすることに繋がるのだろう。

先週の土曜日はいつもの道場とは違うメンバーで合気道の稽古をした。総勢25名程度。半数以上は知らない人。白帯は(僕を含めて)たったの4人で、4段以上の人が10人を超えた。節電のためエアコンはなし。広い道場なのでそれなりに風は通るが、ちょっと動くと汗が噴き出す。特に上級者と稽古をするといいようにあしらわれる。相手は涼しい顔だが、こっちは必死だ。いつもとは比べ物にならないほどの疲労だった。

それでも、手をつかませる角度とか、力がぶつからないように腕を回すこととか、相手の位置を考えながら正しい位置に脚を捌くとか、近ごろの稽古ではまったく習えなかったことを意識することができた。やはり合気道はたくさん稽古をするという量の問題と、技の理合をきちんと考えることが必要なのだと気づかされた。(どちらもこのところおざなりにしていた)。

9時から11時まで稽古をして、その後、自転車で8kmほど炎天下の中を帰ってきた。稽古以上にきつかった。自転車をこぎながら熱中症のようになった。家に帰ってからはほとんどゴロゴロしていた。(そして風邪の兆候が出始める)

日曜日は合気道のメンバーが6人ほど遊びに来て、新築祝いをしてくれた。(ここで完全に風邪をうつされたのではないかと思っている)。昼過ぎに集まって、夕方まで飲んだり食べたりしていた。途中、みんなで遠藤征四郎先生のDVD(合気道)を見た。すぐに飽きるだろうと思っていたが、みんな真剣に画面を見ている。あまり話をする人もいない。見ながら手や肩を動かしたりしている。なるほど合気道のメンバーなのだと思う。

夕方、6時すぎには風邪が本格化し始める。凄い頭痛がして、体が暑く寒い。暑くて汗をかいているのに寒気がする。シャワーを浴びて7時前には布団に入ってしまう。夜中、目が冴えて眠れない。頭痛は治まったが、熱は残っている。仕方がないので2時間ほど『宇宙は何でできているのか』を読む。理解した瞬間に抜け出ていってしまう感じだ。

月曜日。やはり頭痛と熱を感じる。昼過ぎから毎年恒例(と言っていいだろう)の天祖神社での体験学習のお手伝いがある。常盤台にある友人の天祖神社に毎年、中学生が職場体験にやって来る。そこで40分程度「仕事」に関する話をするのだ。今回で3回目になる。一昨年と去年は「分ける」と「分かる」について話をしたが、さすがに3回同じ話をするのは芸がないので、違うものを用意した。(もちろん生徒は毎回違うのだけど)。

今回は、「X=A→B」の話をする。Xとは「やること」、Aとは「ある物事や状況」、Bとは「別の物事や状況」。つまり「私たちが何かをすることは、ある物事や状況を、別の物事や状況に変えることだ」と、自覚的に整理してみようという話をした。

生徒は10人。男子2人で女子が8人。学校とは違う場所で、見知らぬ男が目の前で今まで聞いたことがないような話をする。最初は誰もが探るような目だ。僕としても40分程度の話で初めて会った中学生全員を惹きつけられるとは思っていない。1度は全員が顔を上げてくれて、2、3人が話に食いついてくれば良い。

結果的にはそれほど悪くはなかった。良い意味で反省点も見えた。1番面白かったのは、「お祭りをする」と「初詣でをする」という言葉を、生徒と神職の人がそれぞれ「X=A→B」に整理した時だった。生徒にとっては「お祭りをする」というのは「お祭り前のわくわくした状態」が「お祭りが終わって楽しかった」と変わることが「お祭りをする」ということであり、「初詣で」とは「願い事が叶っていない状態」から「願い事が叶うようにする」ということだった。

これに対して神職の人からは、「お祭り」という言葉の捉え方が中学生たちと全く違うことが口にされた。中学生にとっては「お祭り」とは、1年に一度のイベントで、そこではお神輿を担いだり、縁日でお小遣いを使うことだ。しかし神職にとってはお祭りとは毎日行なうことである。(中学生の意識がすべて集まったのは、お祭りを毎日行なうという話が出た時だ。神社では毎日のように隠れてお祭り騒ぎをしてると勘違いしたのかもしれない)。初詣でに関しても、神様に挨拶をする日であり、自分自身を見つめ直す、整える日だという話が神職から出た。

「お祭り」や「初詣で」というのは当たり前の言葉である。言葉が同じなら、その意味も(あるいは、思い浮かべることも)同じはずだと、どこかで思い込んでいる。自分が思っている「お祭り」や「初詣で」の内容と神職が捉えている内容は違う。同じ言葉を使っていても、考えていることはそれぞれ違う。その辺りをきちんと確認することが仕事でも大切だ。そんな話をする。(実は、途中から熱でちょっと朦朧としていて、口が勝手にしゃべっていたのだけれど)。

昼過ぎに帰宅したら風邪は絶好調。その後、17時間くらい断続的に眠る。今朝になって熱がだいぶ下がったが、午前中はベッドでゴロゴロ。午後になり、復活のためにこの文章を書いた次第である。

諸悪莫作

2011年07月04日 | 雑文
久しぶりに、家中に箒をかけ、雑巾がけをした。僕は周りに引きずられやすい方で、家が汚れていると精神状態もだらーっとしてしまう。反対に家がきれいになっていると、体の動きも良くなるし、頭の回転も(無駄に?)速くなる。

おまけに包丁でケガをした左手親指のバンドエイドも取れた。ちょっとした解放感だ。さらに先週は45kmほどランニングをした。暑さの中、汗がだらだらと流れる。最初は脂っぽい感じだが、だんだんとサラサラとした汗になる。汗と一緒に自分の中の汚れが出ていく感じがする。こうして少しずつ、体が良い感じになっている。(残りは左足の中指だ)

ふと思いつき、1月から6月までのランニング距離を合計してみた。半年で709kmだ。少ない。すごく少ない。最低でも900kmは走るはずだったし、目標は1100kmだった。ガタガタである。原因は明らかだ。目標の距離を月割り、週割り、日割りにし、その数字に自分を合わせて走らなかったからだ。(そしてこの期間、ブログの更新頻度も少ない。明らかにランニングとブログは連動している)

これではレースでタイムが落ちるのも当たり前だ。ケガは副次的な理由に過ぎない。目標に合わせて走らず、自分都合で走っていれば、結局のところ自分を超えることなどできはしない。ちょっと苦しいくらいが人を成長させるのだ。四の五の言わずに走り込み、四の五の言わずに書き続けよう。

道元の『正法眼蔵』の中の『諸悪莫作』というのを読んだ。道元の言葉は僕にとって非常に捉まえにくい。(一般的に難解だと言われている)。ただ、すごいことが書かれている予感はあるので何度も読んでしまう。そのうち「ああ、そう言うことか」と理解できるようになる。でも理解したことをコンパクトに要約してもあまり意味がないような気がする。道元が独特な言い回しをしたのは、そう言わなければならない理由があったからだ。コンパクトに要約した表現でよいなら、道元自身がそうしていただろう。

というわけで、ここで書くのは『諸悪莫作』の解説ではなく、読んで、僕が考えたことだ。

「諸悪すでにつくられずなりゆくところに、修行力たちまちに現成す」という一文がある。「もろもろの悪が作られず出来事がすすむところに、修行力がただちに現れる」とでもなろうか。言葉としてはそれほど難しいものではない。しかしこの言葉遣いからは、私たちとは違う考え方を想像することができる。

「悪を作らないところに修行力がただちに現れる」。修行力を「善」と読み替えれば、「悪を作らなければ善がそのまま現れる」ということになる。悪を作らないというのは単に悪が存在しないだけでなく、善をそのまま出現させることに繋がっているのだ。つまり悪か善しか存在していないことになる。

これは私たちの日常的な捉え方とは違う。私たちの多くは、悪と善とその中間、つまり「善でも悪でもないもの」の3つに分けて出来事を捉えている。(仏教の術語では「善、悪、無記」となる)。そして多くの出来事は善でも悪でもないその中間に収まっているし、中間の出来事が多いほど、平穏な日常を過ごすことができる。強度のある善や悪は、日常を非日常化する力を持つからだ。

善でも悪でもない中間の出来事というのは、2つの点で私たちの心性にマッチしている。(と、いま思いついた)。1つは、客観的に物事を捉えるという考え方と絡みやすいことである。主観的な判断を交えずに、まずそこに何が存在しているのかを客観的に理解することは、私たちが学校教育などを通して叩き込まれてきた方法だ。善悪の判断を交えずに物事を捉えることは良いこととされるのだから、中間的な出来事が多いほど、私たちは正しいとされる物事の捉え方をすることになる。

もう1つは、善でも悪でもない中間の出来事には無関心でいられることだ。善でも悪でもない出来事は、差し当たり自分にそれほどの影響を及ぼすことはない。自分に影響を及ぼさないのだから、それは自分とは関係のない出来事である。つまり中間の出来事が多ければ多いほど、私たちはさまざまなことに無関心でいられる。裏を返せば、自分の好きなやり方でさまざまな出来事と関係を結べるという誤った思い込みを持つことになる。自分のやりたいことをやりたいようにやればいい、という訳だ。

震災以後、善でも悪でもない中間の出来事、自分が無関心でいられる中間の出来事の幅がだいぶ狭くなったことは確かだ。原発は善でも悪でもなかったが、関係ないとは言えなくなった。そして今後、私たちはさまざまな場面で、今まで中間だと思っていた出来事に対する態度表明を迫られることになるだろう。つまり出来事は善、悪、無記の3つの分け方から、善、悪の2つへの分け方に向かうだろう。

しかしここで注意しなければならないのは、あのブッシュ大統領が世界中に迫ったような、善悪二元論に陥ってはならないということだ。ブッシュがやったのは、中間的な存在を認めず、世界を善と悪に二分したことだ。世界には白か黒しかなく灰色は許さないと言うわけだ。(日本はいち早く「自分も白だ」と表明した)。

善と悪しか存在しないという意味では、ブッシュの二元論は道元の「善と悪しか存在しない」という考えと似ているように見える。しかしこれは決定的に違う。道元ならブッシュに「善と悪しか存在しないというお前の言葉は間違いである。正しいのは善と悪しか存在しないということなのだ」と言うだろう。(道元の難解さ、コンパクトな要約が意味を成さないのは、道元のこういう言葉遣いが理由の1つだ)。

ブッシュに代表される(そして多かれ少なかれ私たちが採用している)善悪二元論とは、「白か黒」の世界であり、「白は白」「黒は黒」の世界である。そこには「灰色」は認められず。白と黒は戦いを通して相手を殲滅することが求められる。(だから実際に戦争に向かっていった。積極的に避けようとする姿勢は感じられなかった)。

道元の善悪はそれとは違う。仏教が提示している善とは「悪を善に向かわせている状態」であり、悪とは「自らの悪によって善を機能させている状態」である。つまり、善は善として白いままで存在せず、悪は悪で黒のまま存在できないのだ。善は自らの白さの中に悪の黒さを抱え込み、ひとたび灰色となって、その浄化作用で相手を黒から白へと近づけさせる。その意味では、悪と離れた真っ白な善などに存在価値はないのだ。(現場から離れたところで正論ばかり言っている批評家みたいなものだ)。

だから世界は善と悪の戦いにはならない。一方が他方を殲滅することにはならない。白か黒かの世界ではない。それどころか常に世界は灰色となる。限りなく白に近い灰色から黒に近い灰色まで、常に変化する斑模様の灰色が世界の全体となる。

それは結局のところ、世界には自分とは関係のない中間的な出来事など存在しないということ受け入れ、その上で、出来事に善悪のレッテルを貼るのではなく、出来事と自分がどのような関わりを持つのかを1つ1つ問うことである。自分の力が弱ければ自分は黒くなっていくし、自分の力が強ければ少しは灰色を白っぽくできる。あとは自分の力をつけておくだけである。その力こそ修行力である。だから、悪がなされないところ(黒に呑み込まれないところ)では、修行力(灰色を白に近づける力)がたちまちに現れるのである。