とんびの視点

まとはづれなことばかり

ヒョウにも負けず、にやっと笑う

2010年03月29日 | 雑文
快調である。花粉症の影響か鼻とノドの調子が少し悪いが1ヶ月前とは体の重さが全く違う。(体重は少しオーバーだが)。木曜日には久しぶりに合気道の稽古を真剣にやる。(真剣にやっても相変わらず下手なままだが)。金曜日にはボクシングの練習に付き合う。ここ1ヶ月ほどは座って見ていただけだが、この日は一緒に体を動かすことができた。土曜日には5kmほどジョギング。日曜日には長男と次男を連れて5kmほどジョギング。長男は1.3kmほどランニング、次男は2.5kmほど補助輪なし自転車で並走。

そして今日は昼休みに土手まで10kmのジョギング。春休み中の長男が自転車で一緒に来る。土手に着くと、北の空のどんよりとした雲から雨が落ちているのが見える。そして強く冷たい北風が吹いている。場合によっては雨に捕まるかもしれない。そう思いながら少しペースを上げて走る。長男は寒そうな表情をしながら自転車を漕ぐ。強い風に乗って雨粒が横から体に当たりはじめる。やはり捕まったか、と思う。雨足がどんどん強くなる。そのうち雨に白いものが混じり出す。「あられ」である。

あられが横殴りに降る。顔に当たり、耳に入る。当然のことながら、ちょっとワクワクしてくる。自転車で並走している長男も「ひょうだ、ひょうだ。痛い、冷たい」と喜びながら被害を訴えている。長男を喜ばせようと「オレさまはティーガー、世界一のティーガー、飛~び跳ねる」と飛び跳ねながら走る。「何で?」と尋ねる長男に「ティーガー(トラ)は、ヒョウより強いから。ひょうに負けないように」と答える。

それにしても寒いし冷たい。指先の感覚がなくなってくる。風の強さに長男の自転車が流される。長男の表情が弱々しくなる。顔つきをしっかり、と走りながら言う。顔が負けているぞ、顔が負けると気持ちも負ける、だからきつくてもいい顔つきをしていろ、と。気を取り直し、締まった顔つきになり、僕の方を向く。僕は笑顔を返す。それを見て長男も得意そうに、にやっと笑う。いい感じだ。こうやって少しずつ成長していくのだろう。

途中から風も弱まり、あられも雨に変わる。少し楽になったが、やはり体の先端は冷たくなっていく。こんなに寒くて冷たいのに、家の近くでは桜の花がかなり咲いている。桜の花の下を走って長男と家まで帰る。

毎年、春に桜が咲く。そのたびに、あと何回、桜が咲くのを見るのだろうと思う。夏に決まっていく館山の海に行った時もそうだ。砂浜まで歩いていくアスファルトに映る浮輪を持った真っ黒の影を見るたびに、あと何回、と思う。秋に紅葉した桜の葉が散るときにも、あと何回。冬の夕方に富士山の近くに沈む夕日を見た時にも、あと何回。そう思いながら平均寿命に照らして残りの回数を数えているわけではない。来年だって約束されているわけではないのだ。あと何回、と思いながら、どこかでこれが最後かもしれないと思っているのだ。そう思えば、その時が少しばかり大切になる。

物心ついた頃からこういう性向はあったと思う。(もちろん後の学習による強化もかなりのものだが。)結局のところ、これは「死」を意識することにほかならない。これが最後かもしれない、そう思ったときに漠然と続くと思っていた将来、そして将来を前提にした現在の意味がどんどんと希薄になる。自分がやっていることの根拠があやしくなってくる。

ブログを書くことについてもそうだ。「何を書こう」「どのように書こう」。普段はそんなことを考えているのだが、ときおり「なぜ書くのか」という問いがやってくる。ここしばらくそういう時期が続いていた。(体調が悪かった時期と重なっている)。何を書こうかとテーマを考えても、どんなものも究極的には意味がないように感じられる。どのように書こうかと技法を考えても、どこかで執着する心が生まれない。

「なぜ書くのか」、そんな疑問が浮かび、足が止まりそうになる。でも止めない。なぜ書くのか、という問いに答えるために書いている。正確に言うなら、問いに答えることで新たな問いを見いだすために書いている。そう自分でわかっているからだ。それは「なぜ生きるのか」と問うことと同じだ。「生きること」そのものに意味などない。ないにもかかわらず、そこに意味を作り出さねば生きていけないのが人間である。問いの前で足を止めても仕方がない。足を動かすことでとりあえずの答えが出て、その答えがまた問いになる。そしてまた答える。答えが問いになる。そんなことを繰り返しながら、行けるところまで行く。

とてもシンプルだ。シンプルだけど決して楽ではない。ランニングと同じだ。桜が咲く季節。強い北風の中あられに打たれながら走る。1歩1歩、シンプルに前に出るだけだ。とてもシンプルだが、楽ではない。楽ではないが、しっかりした顔つきで前に進む。顔が負けると気持ちも負けるからだ。しっかりした顔つきで前を向いて、ときどきにやっと笑ったりするのだ。
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風の中のマラソン大会

2010年03月26日 | 雑文
すでに何日も経ってしまったが、このまえの日曜日には荒川市民マラソンを走っているはずだった。はずだった、というのには二重の意味がある。一つはマラソン自体が中止になってしまったことだ。週末にはすごい風が吹いた。木々は激しく揺れ、人が歩くのも大変そうだった。そのうえ黄砂も飛んでいた。開けていた窓のわずかな隙間から砂が入り込み、部屋の中はざらざらになってしまった。

マラソンが中止というのはこれまでで初めての経験だ。雨だろうと雪だろうと風だろうとやるものだと思っていた。実際、数年前にもすごい強風のなか荒川市民マラソンは開催され、とても辛い走りをしたことを覚えている。沿道の人がふつうに立っているのが大変なくらいの風で、正面から風を受けると走っていても押し戻されるほどだった。だから中止という言葉は思いつかなかった。辛いレースなのだろうと思った程度だ。

でもよく考えてみると、強風でマラソンが中止というのは本質的な部分でマラソンらしいのかも知れない。僕のような梅ランナーにとって、マラソンとは自分の肉体と精神との戦いであると同時に、風や雨や気温などの自然条件との戦いである。走ること自体も楽ではないが、ある自然条件のもとで走る、その「条件」がけっこう苦楽に影響する。だから強風という自然条件がマラソンそのものを中止に追いやるというのは、案外、マラソンらしいのかも知れない。

でも、僕はその日は子どもや姪っ子達と葉山の海岸にいた。荒川市民マラソンに出場しないためである。2月に体調を崩しマラソンの参加を悩んでいた。どう考えても今回は参加を見送るのが妥当である。頭ではわかっていた。それでも大会当日に家にいたらきっと「ちょっと走ってくる」と言いそうな気がしたので、早めに予定を入れて出かけてしまったのだ。結果的には大会に振り回されずにすんだ。それに、本当は走れたはずなのに逃げたのではないかという気持ちにもならずにすんだ。

葉山の海岸にいたからといって風がなかったわけではない。それどころかすごい強風だ。風が砂を飛ばし、その砂が顔に当たる。風は海から海岸に向かって吹き続ける。引き潮のせいで、傾斜のない平らな砂浜が寄せては返す波で湿り、濃い灰色が広がっている。

砂浜にはいろいろな物が打ち上げられている。表面が擦れて白っぽくなったペットボトル、ボール、プラスチックのバケツ、海藻、流木、ロープ。そんな一つ一つを眺めながら海岸線を歩く。2人の息子と2人の姪っ子は引く波に合わせて海の方に近づき、波が寄せてくると歓声をあげながら逃げるのを繰り返していた。ちょっと離れていても、子どもたちの声が風に乗って流れてくる。

波が引いた瞬間の砂浜はかなり水を含んでいる。そこを海の方に歩くのだから少しずつ靴は湿っていく。そして時おりやって来る勢いのよい波が少しずつ靴にかぶる。きっと靴の中には海水が入り靴下まで濡れているのだろう。でも4人とも気にならないようで、嬉しそうに飛び跳ねている。

子どもたちが夏みかんを見つけた。夏みかんは時おり海岸で見かけるのだが、見る度にちょっとした違和感をもつ。その違和感は言葉になることはないのだが、言葉にすれば、どうして海から夏みかんがやってくるのだろう、となるだろう。その瞬間、夏みかんがいちど海に落ちてそれが打ち上げられたのだという言葉が浮かび、違和感はなくなってしまうに違いない。海岸で夏みかんを見つけたら、言葉にせずにその違和感の中にいたほうが、世界の不思議に触れている感じになれる。

当然のように子どもたちは夏みかんを海に投げる。夏みかんは波に乗って砂浜に戻ってくる。湿った砂に夏みかんの黄色が心地よい。波のリズムとは少しズレて夏みかんが転がる。子どもたちは飽きずに、何度も、何度も繰り返す。海岸にしゃがんでそんな子どもたちの姿を眺める。歓声が風に乗ってやってくる。波のしぶきが風に乗ってやってくる。ぼんやりと眺めながら、自分が走っていたかも知れない風の強いマラソン大会について思いを馳せていた。中止されているとも知らずに。
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雑記、MRI、ボクシング、長谷川等伯

2010年03月18日 | 雑文
久しぶりのブログ更新である。先週ひどい体調だったからだ。今週に入りやっと回復。たまった雑務を整理し、やっとブログに手を付けることができた。このブログが整理の最終段階。これを書いてやっと以前の日常に戻れるようになる。ようするに今回も雑記である。

先週のことを振り返ってみる。(この1ヶ月ずっと良くなかったが)火曜日にはとくに体調がすぐれなかった。頭から顔、そして首にかけて左側のしびれがひどい。夕方には舌にも少ししびれを感じろれつが回らなくなってくる。さすがにこれはまずいと思い、仕事を早めに切り上げる。

水曜日。かかりつけの医者に相談に行く。突発性難聴にかかったが、耳鼻科で、別に問題はない、ふつうに日常生活をしてよい、スポーツをしても良い。そう言われたが本当に大丈夫なのかと尋ねる。かかのつけの医者によると、突発性難聴は原因不明だが、有力なものとして「ウイルス説」がある。ウイルスであれば神経に影響して「しびれ」が出ることは十分に考えられる。ただ脳の異常があるといけないので一応検査をした方がよいと言われ、即日、別の病院でMRIの検査を受けることになる。

その状況で心配しても仕方がないので、人生初めてのMRI検査を楽しむことにする。自分の脳や血管が立体的に映し出され、モニターの中で回転するのを見ながら説明を受けるのは楽しかったが、それ以上に検査そのものが心地よかった。台の上に寝て頭を固定される。音がうるさいから耳栓を貸してくれる。あとは機械の中に頭を突っ込んで20分くらいジッとしているだけだ。

ジッとしているあいだ、「だーーーーーー」という振動そのものに近いくらいの低音が鳴り続ける。そこに「どっ、どっ、どっ、どっ」と別の低音が乗っかる。しばらく聞いているとテクノ系のライブのように思えてくる。体には少しだが振動が伝わる。耳栓をはずせば大音量で楽しめそうである。ライブであれば、全部で4曲程度だった。1曲ごとに拍手をしようかと思ったくらい心地がよかった。

すぐに結果を説明してもらう。脳にも血管にもまったく異常はないとのこと、その日の体調に合わせれば、運動も問題ないと言われる。

木曜日にはボクシングの試合を後楽園ホールに見に行く。ときどき一緒に練習しているY君の試合である。見事にKO勝ちを収める。これで日本ランキング入りは間違いないだろう。試合後、頭痛がひどくなる。

金曜日には相方と上野の東京国立博物館に『長谷川等伯展』を見に行く。入館するまでに30分列に並び、入館してからも大晦日の明治神宮初詣で状態。体力的にはちょっと消耗した。個人的には「萩芒図屏風」を再見するのを楽しみにしていた。とても心地よい絵である。描かれた芒のあいだを抜けていく風がきちんと感じられる。でもよく見ていると「大作」ではないということに気づく。よい絵だが大作ではない。案外、重要文化財指定も入っていないのはこういうことなのかなと想像する。

やはり圧巻は「松林図屏風」だった。これは想像よりはるかによかった。まさしく「大作」である。松林に漂う空気の湿度や静けさという音まで伝わってきそうだ。絵から視覚だけでなく、触覚や聴覚も刺激を受けるというのも不思議なものである。よい作品とはそういうものなのだろう。とても満足して会場を出る。

会場を出て、道を1本へだてると上野公園である。そこには人々が地面に座って並んでいる。よく見ると炊き出しである。ホームレス風体の人たちがすくんだ色の服を来て地面に座っている。「等伯展」を見るために列を作る人と、「炊き出し」を待って列を作るホームレスの間にはわずかに道が1本である。春の日差しがどちらも容赦なく照らし出す。カミュの『手帖』の言葉を思い出した。

『貧者の世界に沈潜するものは、目と鼻の先にある医者のアパルトマンのことを、《あっち》というふうに言わなければならない』

等伯展に来ている人にとっては炊き出しを待つ人たちは《あっち》の人で、ホームレス風体の人にとって自分たち以外は《あっち》なのかもしれない。距離がどれだけ近くても《あっち》なのだ。これから先、いろいろなところに《あっち》が出現するのだろうと思う。離れた2つの場所を繋ぐこと、そこに通路を作り出すこと、そういうことが大切な時代になるのだろう。

帰宅すると体調が一気に悪化する。だまし、だまし、その日の仕事をこなす。でも土曜日、日曜日は完全にダウン。ずーっと布団のなかで眠っていた。そのおかげか月曜日には体調がとても良くなる。1ヶ月続いた体調不良も吹っ飛んでいる。リハビリを兼ね昼休みに土手まで軽いジョギングに行く。柳の黄緑が一段と濃くなり、すっかり春の感じだ。

その後、水曜日まで3日かけて何とかかつての日常にもどすべく雑務を整理する。そして最後の整理がこのブログ。明日は久しぶりの合気道の稽古。ほぼ1ヶ月ぶり。ちょっと楽しみである。
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雑記、久しぶりのジョギング

2010年03月08日 | 雑文
先週は風邪の1週間だった。熱が出てるのはわかっていたが気づかないふりをしていた。金曜日についにダウン。一日中眠っていた。後で想い出そうとしても何も出てこない1日。日付の感覚がズレる。土曜日には父親の墓参りに行く。今にも雨が降り出しそうな中、雑草を抜き、剪定をし、墓石を磨き、花を供える。紅白の梅とミモザの黄色がどんよりとした曇り空に映える。線香の煙がゆらゆらと揺れながら上に流れていく。

いつの間にか自然に終わってしまう出来事もあれば、きちんと終わらせなければならないこともある。別れたつもりの昔の恋人、捨て切れない夢、借りっぱなしになっていた昼飯代。きちんと終わらせないと後で化けて出てきたりする。

机の上に内田樹の『日本辺境論』がある。もう1ヶ月以上も前に読んだ本だ。ちょこっとブログに書いて「終わり」にしようと思った。ところが書く機械を逸して、いつの間にか今日に至る。書くのも面倒くさいが、書かないと化けて出てきそうだ。でも、20万部以上も売れ、新書大賞を受賞した本についてあまり書く気はしない。雑学的なことを2つほど書いて読んだ印としよう。

「つねにその場における支配的な権力との親疎を最優先に配慮すること。それが軍国主義イデオロギーが日本人に繰り返し叩き込んだ教訓だった……。とりあえず今ここでつよい権力を発揮しているものとの空間的な遠近によって自分が何者であるかが決まり、何をすべきかが決まる。……ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを私は本書ではこれ以後「辺境人」と呼ぼうと思います。」

同書で著者が日本人は「辺境人」だと書いた部分である。引っかかったのは「権力との親疎」「距離の意識」というとこだ。距離の間隔。そういえば大野晋がどこかで日本語の敬語について書いていた。日本語の敬語は上下関係ではなく、近さと遠さの距離によって決まっている。遠い存在には敬語を使う、と。そんな記憶がある。もちろん内田樹の距離とは華夷秩序に基づく空間的な側面が強いし、大野晋の親疎は心理的な距離感の側面が強い。しかし2つの考えをぶつけてみれば、日本人の距離や空間の捉え方の特徴が見えてみるかも知れない。などということを思いついた。

もう一つは難読症(ディスレクシア)と失読症について。ディスレクシアは村上春樹の『1Q84』の登場人物「ふかえり」がそうであったことから新聞などでも取り上げられることが多くなった。知的能力にはとくに異常はないが、書かれた文字を読むことが出来ない。読めても意味がわからないというものだ。左脳のどこかに障害があるようだが、原因は特定されていない。同書によれば、文字がほぼ発音通りに表記されるイタリア語話者では少なく、綴り通りに発音されない英語やフランス語では発症しやすい。とくに英語圏では症例が多く、アメリカでは人口の10パーセントがディスレクシア問題を抱えているらしい。

これを受けて失読症の話しが出てくる。失読症とは生得的なディスレクシアとは違い、文字処理を扱っている脳部位が外傷によって破壊されたものである。欧米語圏では失読症の病態は文字が読めなくなるという1つしかない。ところが日本人の場合には病態が2つある。1つは「漢字だけが読めない」場合、もう1つは「仮名だけが読めない」場合である。

漢字は「表意文字」で、仮名は「表音文字」である。失読症は脳の損傷による。にも関わらず、日本人は「漢字」か「仮名」のどちらかだけが読めなくなる。つまり日本人は「漢字」と「仮名」を脳の違う部位でそれぞれ処理していることになる。著者に言わせれば、これは世界的にも非常に珍しいそうだ。(そしてこの「漢字」と「仮名」の関係が日本人の辺境意識へと繋げて語られていく)。

日本人の失読症には2種類がある。それだけである。こういうどこにも繋がらない情報を集めることを「雑学」という。同書にはもちろん雑学以上のことが書いてある。でもとにかく、これで『日本辺境論』は終わりである。

今日は久しぶりに荒川の土手までランニングに行った。4週間ぶりだ。突発性難聴になり、しばらく大事をとって運動は控えていた。今日もランニングというよりはジョギングである。信じられないくらいゆっくり10kmほど走った。曇り空、緩い北風が吹き少し寒かったが、遠くに見える柳が心なしか薄緑色をしている。枝の隙間からその向こうが見えるのだが、わずかに薄緑色のもやがかかっている。芽吹いてきたのだ。春も近い。

今月の21日にはこの土手で荒川市民マラソンが開催される。5年連続で参加している。今年で6年目のはずだった。先日、大会事務所からエントリーシートも郵送されてきた。でも結局、今年は大事をとって参加しないことに決めた。無茶をして家族に迷惑をかけるわけには行かないし、心配してくれる人たちもいる。土手をジョギングしていると過去の大会を思い出す。今年も出場したいなと思う。でも我慢である。21日の大会を思いちょっとさびしい気持ちで土手をランニングする。
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無駄な話し

2010年03月03日 | 雑文
風邪を引いた。子どもにうつされたようだ。頭痛がする、咳が出る、鼻が詰まる。起きている間、薄ぼんやりした人間になっている。眠って治してしまおうと思う。でも、のどの渇きで何度も目が覚める。鼻づまりで口を開けたまま眠っているからだ。息苦しくなって目を覚ます。その度に疲れがます。水を飲みのどを潤し、そして眠る。また息苦しくなって目を覚ます。水を飲む。繰り返しだ。

よほど辛かったのだろう。呼吸が出来ずに苦しむ夢を見た。苦しんで、苦しんで、これじゃあとても生きていけないと思う。もう終わりにしよう。手には先の尖った大きなガラスの破片が握られている。両手でしっかりとそれを握り、自分の首に向かって一気に突き刺す。

突き刺さる瞬間に目が覚めた。上半身を起して一息つく。ちょっと汗ばんでいる。夢とは言え緊張した。やれやれ鼻詰まりにも困ったものだ。そう思った瞬間、左側の鼻がすっかり通っていることに気がついた。死の恐怖を前にして、体の方が調節したのだ。横になり呼吸をする。左だけとはいえ、鼻から楽に呼吸ができる。のども渇かない。そのまま朝までゆっくり眠ることが出来た。

この経験で、昔から気になっていることが1つ解決した。時おり、新聞などで強盗事件の記事を読む。手足を縛られ、口にはガムテープが貼られ、金庫から現金を奪われたというような事件だ。読む度に、自分が被害者で鼻が詰まっていたらどうなるのだろうと考えてしまう。鼻詰まりで口にガムテープを貼られる。息が出来ない。恐ろしいことだ。強盗に事情を説明しても相手にしてくれないだろう。発見されたときには窒息死しているかも知れない。翌日の新聞には「被害者男性、鼻詰まりで窒息死」という記事が載るかもしれない。

そんなことを思い、ときどき不安になっていた。でも夢のおかげで、ガムテープを貼られても大丈夫なことがわかった。いざとなれば体の方が調節をしてくれるのだ。という話しをさっそく人にした。「えーっ、そんなこと(鼻が詰まっているときに強盗にガムテープを貼られること)あるわけないじゃないですか」という人と、「そうそう、そのことは私も心配だったんですよ。現実的に起こる可能性があるじゃないですか」という人がいた。

相変わらず鼻は詰まったままである。口をぽかんと開けて、薄ぼんやりとしながら、無駄なことを書いている。
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半分というのがだめなんだ

2010年03月01日 | 雑文
「そもそも半分というのがだめなんだよな」。相方と台所で洗い物をしていたら、こんな言葉が頭に浮かんだ。「そもそも半分というのがだめなんだよ」と口に出してみる。手元ではぬるいお湯がコップの洗剤を洗い流す。「何が?」、当然である。いくら相方とは言え、これだけの言葉で理解できるはずもない。「半分」の何がダメなのか。その言葉に至った妄想を巻き戻してみる。

突発性難聴になったことは前にも書いた。その後、悪くもならず良くもならず、という感じだ。つまり以前よりは聴力が落ちたが、日常生活に不自由を感じるほどでもない程度だ。一応、通院もしているし、医者もこのまま様子を見ながらと言っているので、僕としては極めて平穏な日々を送っている。

驚いたことに、周りの人がすごく心配してくれる。ありがたいことだ。人に何かを期待することは一切しないが、何かあったにときに心をこちらに向けてくれる人がいる。そのことを知るのはとても嬉しい。嬉しい反面、相手に心配をかけさせては悪いと思い、自分がぜんぜん不安ではないことを伝える。

医者に通っているし、日常生活もそれほど不自由ではない。確かに以前と比較したら聴力は落ちている。でもそれを嘆いても仕方がない。以前はあった聴力が、いまはない。あった時は、あるのが現状。なくなった今は、ないのが現状。何ごとも現状を受け入れることからしか始まらない。というようなことを話したり、話さなかったりする。

こういう話しをするとたいてい、ポジティブですね、という反応が返ってくる。確かにそうかもしれない。内田樹が神戸で震災にあった時のことを書いたものをだいぶ前に読んだ。震災後に人々は2種類にわかれた。失ったもののリストを作り上げる人間と、残っているもののリストを作り上げる人間。そして残ったものリストを作り上げた人間のほうが明らかに再建に向けて前向きであったと。(by不確かな記憶)

そのとおりだろうと思う。僕も残っているリストを作り出すだろう。でもそれは、失ったものが大切ではなかった、ということではない。自分がなぜそれを失うことになったのか、もし失わなければどのような世界が待っていたのか、失ってしまったからにはそれなしでどう生きていくか、そういうことにきちんと思いは巡らせる。

失ったものをきちんと考えることと、失ったことを嘆くことは別のことだ。きちんと考えることで、失ったものを葬り、それなしでも大丈夫でいられるようになる。嘆くことは、その喪失を受け入れられないことだ。いつまでたっても、それなしではやっていけない。手厚く葬ってやらないから、化けて出てきたりする。

ある時ある場所でたまたま自分が所有していた。すべてがそんなものである。昨日あったものが今日なくなることは不思議なことではない。今日あるものが明日も絶対になくならないとは誰も言えない。これが最後かもしれない。そう思うとさまざまな出来事が大事に見えてくる。その一方で、何かを失っても、以前と比較して現在を喪失と捉えるのでなく、新たな現状としなければならない。過去と現在を比較して、「ある」とか「ない」とかを言ってはだめなのだ。

ということを考えていたら、巷でよく使われる話しを思い出した。「コップに半分だけ水が入っている。これをまだ半分〈ある〉と捉えるのか、もう半分しか〈ない〉と捉えるのか。あなたはどっちだ」というヤツである。僕もこの質問を受けたことがあるし、人々がやり合っているのを見たこともある。正直に言うと、何をやっているのかピンと来なかった。何かが間違っている気がしていた。

そんなことを妄想しながら洗い物をしていた。そして、ふと気づいた。「そもそも半分というのがだめなんだよ」と。「半分」という言い方をしたときに、コップの水は「一杯」との比較によって捉えられている。「半分ない」という欠落状態である。その「半分ない水」を「ある」と捉えるのか「ない」と捉えるのかという問いになっている。

気持ちは分かるが、問い方が間違っている。きちんと問いたいなら、半分ほど水の入ったコップを目の前に置いて「どうだ?」と尋ねるべきである。何も説明しない。ただ「どうだ?」と尋ねるべきなのだ。きっと何を尋ねられているのかわからなくて、いろいろ考え出すだろう。そのときに情報が足りないから考えられないとその欠落を言うのか、その状況でも何とか考えようと現状を受け入れるのか、その違いが見えてくるはずである。洗い物をしながらの妄想である。
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