とんびの視点

まとはづれなことばかり

2014.1.27月 東京新聞より1NHK会長慰安婦発言 2原発再稼働反対60% 3生活保護法改正

2014年01月27日 | 雑文
2014.1.27月の東京新聞

今日も東京新聞から気になる記事を3つ選んだ。
1、NHK会長慰安婦発言 国内外で波紋(一面)
2、原発再稼働反対60% 共同世論調査(二面)
3、生活保護法改正 現場に寒風 申請への圧力じわり(こちら特報部)

この数週間続けていた本文の書き抜きは、基本的には行わないことにした。必要とあらば、個人的なノートを別に作れば良い。また当初の目的、自分の意見の情報源を示すことに関しては、新聞名と日付を示せば一応クリアできる。おかげで時間的にはかなり楽になった。その分、考える時間をとれるようになる。良いことだ。

さて、まず1の記事。NHKの籾井勝人会長の問題発言だ。予想通りの反応である。民主党の大畠幹事長と日本維新の会の松野幹事長が問題視しているし、籾井氏を会長に選出したNHK経営委員も困惑している。海外では当然のように韓国与党が批判している。

まず気になるのは、アメリカがこの発言をどう捉えるかである。少なくとも、安倍色の強い人材が日本の巨大な報道機関の会長になったことはつかんでいるはずが。そういう人間のこういう発言を、昨年末の安倍首相の靖国参拝とつなげて考える可能性はないだろうか。安倍政権はただでさえオバマからは好感を持たれていない。日米同盟を最重要に考える勢力にとっては面倒な話のはずである。

今日の夕刊には籾井氏本人の釈明と、菅義偉官房長官の発言が載っていた。籾井氏本人は『「個人的意見としても言うべきではなかった。非常に不適切だったと思う」と述べ、発言は適切ではなかったとの認識を示した』そうだ。さすがに「誤解がある。丁寧に説明する」とは言わなかったが、簡単に撤回せねばならない発言をしてしまうのはNHK会長としての資質に問題があると思う。

一方、菅官房長官は記者会見の一問一答で「籾井会長が個人として発言されたものと承知している」「会長(としての発言)ならばすべて取り消すと言っているので、問題ない」と言ったそうだ。やれやれ。発言内容に問題があるかどうかは、賛否があるだろう。僕としては、会長として聞かれたことに、個人として答えてしまうような人物は、お粗末だと思う。少なくとも、その発言によって国内外からマイナスの反応が起こっている。自民党は身内(なのだろうな)に対してこそ、もっと厳しくしないと日本が損なわれる。

2の記事。自民党政権が原発の再稼働を推し進めているのは周知の事実だ。衆院選と参院選という二度の国政選挙で原発問題を争点化を避けた。おまけに「すぐにとは言えませんが、原発は減らしますよ」などと言っていた。(記憶が定かでないが)衆院選での自民党の得票数は、民主党に政権を奪われたときよりも少なかったはずだ。それに参院選では、野党の合計の得票数の方が、自公の合計よりも多かったはずだ。そういう状況での世論調査での60%の原発反対である。ないがしろにはできないはずだ。

問題はきちんとした手順なのだ。欲しいもの、達成したいことは誰にでもある。しかし、姑息なやり方はダメだ。(僕が姑息というのは、子供たちに胸を張ってまねをしろと言えないようなやり方だ)。少なくとも長期的な視点で、共同体をよくしようとするなら、手間がかかってもきちんとした手順を踏まねばならない。原発事故はまだ終わってはない。福島第一原発でメルトダウンした核燃料を取り出すための技術も確立されていないし、何十年もかかるとされる。福島ではいまだに十五万人が避難生活をしている。そういう情報が断片的にであれ、人々に知れ渡っているからこそ、60%もの人が再稼働に反対しているのだ。

東京都知事選での原発の争点化に対して、政府は「原発の再稼働は国が決めることだ」と言っている。間の抜けた言い草だ。2回の国政選挙で争点化を避けたからこそ、こういう形で争点化せざるを得ないのだ。国が決めるというのは政府が決めるということではない。国民が、国民の代表である政治家が決めるということだ。だとしたら、国民投票か、原発問題をきちんと争点化した国政選挙でもやるべきなのだ。


記事3の生活保護について。これは記事の概要を示すためにリード文を引用する。『困窮者と信じ、生活保護の申請に付き添った大阪の支援団体が昨年、家宅捜査を受けた。「制度見直しの一連の動きにつながっている」と支援者らはみる。昨年末、生活保護法が改正された。できる限り申請を受け付けない「水際作戦」強化で、本当に必要とする人が排除されないよう注意が必要だ』というものだ。

まず、昨年末は、特定秘密保護法が問題になったせいで、生活保護法の改正はあまり話題にならなかったが、本当はもっと話題になっても良いものだったらしい。この問題についてはあまり理解していないので、基本的なことをいくつか確認しておく。

前にも書いたが、「貧困者を政府が助けるべきか」という質問に対して、日本では3割の人が反対したという。これはアメリカよりも上で世界でトップらしい。政府が助けるべきではない、と言う人が、人々の相互扶助で何とかすべき、と考えているわけではないだろう。自己責任で、ということだろう。だとすると、国も生活保護の申請者を減らそうとし、国民の多くも自己責任でやれ、というのが日本の社会ということになる。

追いつめられる人が出てこないのだろうか。その人は社会や市井の人々をどのような目で見て、何を思うだろう。ぎりぎりまで追いつめられたとき、どんな行動に出るだろう。孤独死か社会への復讐だろう。ある生活困窮者の個人の問題や責任を云々することもできる。その一方で、住み心地の良い社会を作るという観点から貧困問題を見ることも大切だろう。

ちなみに、生活保護を受けている人は過去最多の状態にある。受給者は昨年10月現在で、全人口の1.6%、約216万4000人(159万5000世帯)だ。そして13年度の保護費の総額は約3.8兆円だ。とはいえ生活保護の補足率は多くても2割だという。受給資格があるのに受給できていない人が8割もいるのだ。単純計算すると、生活保護受給資格者は全人口の8%、1090万人ということになる。とてつもない数だ。全員に支給できる財源があるのかはわからない。不安である。
ちなみに不正受給は約35500件、約173億円。少なくはないが、不正受給は受給者全世帯の2.4%、保護費総額では0.5%である。

「生活保護」という言葉を中心に、不正受給という問題を考えることもできるし、日本の貧困問題の現状を考えることもできる。日本社会を長期的な視点で良いものにするためには、どちらの問題の方が大切なのか、そのあたりからみんなで整理していくことが必要なのだろう。

1.26㈰の東京新聞⑴工場契約社員逮捕⑵NKH新会長問題発言⑶子宮頸癌ワクチン問題

2014年01月27日 | 雑文
2014.1.26㈰の東京新聞から三つ記事をあげる。
⑴工場契約社員逮捕 冷凍食品農薬混入の疑い 群馬県警(一面トップ)
⑵秘密保護法しょうがない・慰安婦どこにもあった NKH新会長問題発言(一面)
⑶子宮頸癌ワクチン問題(こちら特報部)

⑴の記事で考えたこと。一面トップには新聞社が最も重要だと思うものが来るはずだ。確かに冷凍食品の農薬混入はインパクトが大きい事件だった。しかし重要度とはインパクトの大きさだけではない。一見地味でも、その問題を通して社会や時代の問題が見えてくるようなものも重要だ。

この手の事件では、二つのことをうまく切り分ける必要がある。一つは、事件の個別性をしっかり追いかけ、一人の人間がある犯罪を犯すに至った、その道筋を言語化することである。言い方を換えれば「どうして、こういう出来事が起きたのか」を捕まえることである。

「どうして」という言葉はデリケートに扱わねばならない。「どうして」という言葉には「どのように」と「なぜ」という二つの意味が含まれるからだ。「なぜ」という問いに求められるのは、容疑者(犯人ではない)の「意図」である。容疑者が明確な目的を持って計画的に何かを行った。そういう話は理解しやすいし、私たちはそういうものを求めがちである。そんなことを考える人間は(自分とは違う)悪い人間であり、そんなヤツには刑罰を与えれば良い、となるからだ。しかし、往々にしてこの手の犯罪における「意図」は、逮捕後の取り調べで事後的に「言語化」されるものである。(事件前に手記や犯罪計画書が作られていれば別だが)。全体としてつじつまが合うような言語化されたような意図などなかったのではないかと思う。(そのことが犯罪に対する処分を軽くする理由になるとは思わない)。

もう一方で「どのように」ということを考えることが必要だ。ある一人の人間がどのような道をたどって、このような犯罪を起こすことになったのか。それを丁寧にたどるのだ。おそらくであるが、可能性や多様な選択肢をもって生まれたはずの一人の人間が、時間とともに可能性や選択肢が狭められ、最後には追いつめられるように、ある行動に行き着く姿が見えてくるだろう。本人にとっては選びようのない一本道しか見えなかったのだろう。しかしあくまで、本人にとっては、だ。傍から見れば、その途中にいくつもの選択肢が見えたはずである。

つまり、傍から見ればいくらでも選択肢があるにも係わらず、歩んでいる本人は一本道だと思い、悲惨な方向へと突き進む。そんな姿が見えてきそうな気がする。この出来事を、個人の犯罪ではなく社会の問題とするならば、選択肢が見えなくなっている個人に、ほかの可能性を示すような豊かな人間関係が、いまの私たちの社会に存在しているか、という問いになる。

⑵の記事。やれやれ、である。こういう考え方の人がいることは知っている。そして安倍ちゃんと仲の良い人らしい考えであることも分かる。しかし、NHKの会長がこういう発言をすることの意味が分かってるいのだろうか。国内、国外またいろんな反応が来るだろう。この人も「誤解がある。正していく」とか言うのだろうか。

⑶の記事。やはり東京新聞は「こちら特報部」が面白い。ときどき外した企画もあるし、中には粗っぽい記事もあるのだが、ちょっと立ち止まって考えるのに良い記事が多い。子宮頸癌ワクチンを接種した女子中高生に副作用らしい原因不明の体調不良が出ている、ということは知られているだろう。副作用の症状としては、全身各部位の痛み、倦怠感や記憶障害、計算障害など多岐にわたる。年単位で学校にも通えない人もいるようだ。

副作用らしい原因不明の体調不良、と書いたのは、ワクチンによる副作用だという因果関係が証明されていないからだ。もちろん時系列的に事象を並べれば、ワクチンを接種した。その結果、体調がおかしくなった。ということははっきりしている。医者に行っても「精神的なものだろう」とか「ワクチンは関係ないから、忘れなさい」と言われた人もいる。

もちろん個々の医師の多くは、きちんと症状に向き合って対処しているのだろう。(とは言え、副作用と認められないと、医療費とか、症状による学校通学への影響は自己の責任になってしまうだろう)。しかし問題は、副作用問題以後に、医師ら十五人の委員で作る専門部会のメンバーのうち、九名が製薬会社から資金提供を受けていることだ。そして専門部会は「接種時の痛みや不安感が症状として現れたものだ。ワクチンが神経の異常や中毒、免疫反応を引き起こしている可能性は低い」との見解で一致している。

断片的な知識しかないが、水俣病やカネミ油症事件、原発事故後の福島県立医大の健康調査などと、今回の問題も構造的に似ているようだ。冒頭、一面トップではインパクトの強いものが扱われやすいと書いた。日々の出来事を追いかける新聞となると、どうしても出来事の個別性の強さを求めてしまう。しかし、出来事の表面は違うが、同じことが繰り返されているという観点からインパクトを強めることもできるはずだ。そしてそのような「繰り返し」の認識は、出来事の記憶につながり、考えに時間的な広がりを持たせることになる。