東京新聞より
東京新聞を材料に、政治や経済、社会の出来事などを自分なりに整理する。年末から始めたが、正月休みが終わったら早くも停滞した。やはり時間が足りない。極めて個人的なノートになっている。ツイッターなどを絡めたうまいやり方を考えねばならないが、考えると手が止まるので、とりあえず同じ形で続ける。1月6日(月)から9日(木)まで。
1月6日(月)
【社説 「幸せの循環」創りたい】
『2060年には総人口は九千万人を割る一方、高齢化率は六十年前の5%から40%に上がります。制度を支える現役世代には低賃金の非正規雇用が増えました。既に労働者の4人に1人、約一千万人は年収200万円以下の給与所得者です。』
→日本社会は高齢化を迎え、その先には人口減少が起こる。そのような変化に合わせて社会制度をうまく回していかねばならない。制度維持には負担が必要となる。その負担をする現役世代の状況が厳しい。非正規雇用は労働者の3人に1人以上。そして4人に1人が年収200万円以下だ。非正規雇用と低賃金は景気の動向とは関わりなく、これからの社会構造となるだろう。つまり、格差社会である。
この格差社会とTPPなどで安い牛肉や米を輸入することは連動しているのではないか。安い牛肉が輸入できれば、牛丼は200円以下で提供できるという。低賃金労働者向けにはちょうど良い価格だ。穿った見方だろうか?
【8歳少女 自爆テロ未遂 アフガン、タリバン幹部妹】というものだ。アフガニスタン南部のヘルマンド州というところで、自爆テロを試みようとしていた8歳の少女を軍が拘束した、というニュースだ。少女は反政府武装勢力タリバンの有力幹部の妹とみられている。自爆テロ用のベストを着用して、国境警備警察を狙うように兄から促されていた。
→なんとも嫌な話だ。僕の次男は9歳だ。どうしても重ねて考えてしまう。こういう話しは、タリバンは非道な組織だ、叩くべし、という結論に行き着く。そして「テロとの戦い」と言えば、中身を考えるまでもなく正しい行為に聞こえる雰囲気が醸成される。自分の妹に自爆テロをさせる「兄」。どうすればそういう人間になるのだろうか。生まれつき極悪非道なのか。そうであればそれは治療や矯正の対象だ。アフガンで育つうちにそうなってしまったのか。だとすれば、そのような人間が育つアフガンを変えることが必要になる。
ある出来事を引き起こした主体に責任を求めることは必要だ。その一方で、主体にそのような出来事を起こさせた状況を変えることも必要だ。前者は単純、局所的で、感情的な解決に繋がる。後者は複雑、全体的で、長期的な取り組みが必要になる。
1月7日(火)
【首相年頭会見 中韓に「無条件会談を」】
『首相の靖国神社参拝で批判を強める中国、韓国に対しては「困難な課題や問題があるからこそ前提条件をつけず首脳同士が胸襟を開いて話をすべきだ」と無条件での首脳会談を求めた。』
→これはコミュニケーション力の問題。安倍ちゃんが一貫しているのは、自分の立場や意見が常識的で、それを理解できないのは相手が非常識であったり、間違っていると思っていることだ。端的に言って、自分の意見と相反するものに直面した時に、「もしかしたら、自分が間違っているのかもしれない」と思う力の欠如である。
「首脳同士が胸襟を開いて」という当たりが何とも言えない。自分はオープンで前向きだが、相手が小さなことにこだわってごねている、という印象を持たせるような言い方だ。これ、立場も利害も異なる相手に発した時に、すごく嫌な響き方をするはずだ。だとすると、これは国内向けの言葉だと受け止めた方が良い。靖国問題を巡っての日本と中韓(本当はアメリカやEUやロシアも批判もしているのだが)の関係がギクシャクしているのは、中国、韓国側が話し合いをしないからだ、と国民に思わせたいのだろう。
靖国問題に関してもメディアは質問の仕方を考えるべきだ。
1、首相が戦没者の慰霊を行うことに問題はあるか?
2、首相がA級戦犯の慰霊を行うことに問題はあるか?
3、靖国神社は戦没者とA級戦犯が合祀されている。首相が靖国神社を参拝した場合、日本人と諸外国では参拝の意味が大きく異なる可能性があるとは思わないか?
「1」については諸外国も反対しないだろう。しかし「2」には反対するはずだ。今回のアメリカやEUやロシアなどの反応がそれだ。日本人の多くは首相の靖国参拝は、日本と中国、韓国の問題だと思っているようだが、それだとこの反応の理由が理解できないだろう。A級戦犯を慰霊することは、近隣諸国との感情的な問題を引き起こすだけではない。アメリカなどにとっては、東京裁判やサンフランシスコ講和条約からつながる戦後の体制を否定することになるのだ。それは戦後の日本の経済的な発展とも無縁ではない。少なくとも、日本人がそのような広がりの中でこの問題を考える必要がある。(靖国問題は、政教分離の観点からも考えねばならない。賛否どちらであれ、少なくとも憲法20条と関わりは意識しなければならない)。
「首相が戦没者の慰霊をするのは当然である。だから靖国参拝は賛成だ、それに異を唱えるのはおかしい」という直線的な思考ではダメだ。対話の糸口が存在しない。合祀以後、昭和天皇も参拝できなかった理由を想像してみるのも良い。とはいえ、このあたりに関しては、僕自身も一度きちんと調べた方が良さそうだ。断片情報を自分の中でつなげている部分もありそうだ。
1月8日(水)
【除染技術実用化4件 国支援14億円 開発62件 採算、効率性に課題】
福島の原発事故により放射性物質がまき散らされた。その放射性物質を除去するための新技術の開発を国が支援している。しかしその大半は実用化されないままとなっている。そんな記事だ。
→原発事故の収束には膨大なお金と長い時間がかかるだろう。そして健康などへの被害が本格的に現れるのはこれからだ。今回は記事の内容とは関係ないところに疑問を呈する。「除染」という言葉だ。僕は言葉に注意するようにしている。じつは震災後の「絆」という言葉はちょっと嫌だった。一時的に流行して、すぐに人々から忘れ去られるのだろうと思った。
「除染」という言葉は、事故直後から疑問に思っていた。実態を示すふりをしながら、隠蔽しているからだ。「除」という言葉によって、何かをそこから「無」くすような印象を与え、「染」によって「放射性物質」というより、単なる「汚れ」のような印象を与える。しかし行っているのは放射性物質の移動でしかない。実際に放射性物質を「無」くすには時間がたつのを待つしかない。そして同様の問題は、使用済み核燃料でも起こる。事故とは関係なく起きる。除染をなおざりにする心性は、使用済み核燃料問題をなおざりにする心性と同じだ。
【生活保護受給216万4000人 昨年10月過去最多】
→これは見出しのみ書いた。こういう見出しを見ると、生活保護の受給者を何とか減らさないとという文脈に繋がりやすい。特に不正受給者の問題などはよく指摘される。しかし生活保護には違う問題もある。補足率の問題だ。日本の生活保護の補足率は受給資格者に対して多くて20%程度とされている。つまり80%の人が受給資格があるにも関わらず、受給されていない。それに対して、不正受給者の割合は0.4%だ。
質問です。ある制度が運用されているます。一方でその補足率が20%しか達成されていません。もう一方でその制度を不正に利用している人が0.4%います。制度運用の観点から、どちらのほうが大きな問題でしょうか?
メディアにはこの程度の質問はしてほしい。「生活保護の不正受給をどう思いますか?」と質問すれば、誰だって「良くないことだ」と答えるに決まっている。そこから「生活保護受給者」のイメージをマイナス方向に引っ張ることは容易いことだ。
「貧困者を政府が助けるべきか?」というアンケートに対して、「必要ない」と答えたのは、ヨーロッパでは8%くらい、アメリカでは24%くらい、日本はダントツで30%くらいだと聞いた。これは世界でも群を抜いているらしい。日本人、そんなことで大丈夫なのか。
【米、景気回復の陰で広がる格差 NY「飢え最悪 金融危機時より悪化 食事不十分140万人】
10~12年の数字。市民の16%が十分な食事をとれていない。子どもの場合は22%。ブロンクス地区では子どもの49%。金融危機の08年頃より悪化している。
→『(株)貧困大国アメリカ』(堤未果著、岩波新書)を読んでいるので、意外な話ではない。問題は、日本もこれから同じような道を辿るだろうということだ。ちなみに同書では、アメリカがこうなった原因をグローバル企業の動きに求めている。簡単に言えば、自分たちが利益を上げやすい規制を国会議員を通して作っていくというものだ。TPPもその流れにある。グローバル企業にとっては国境は関係ない。市場として価値があるかどうかだ。安倍ちゃんが、企業が活動しやすい国にする、とか言ったことの危険性はこのあたりにある。
1月9日(木)
【自民14年運動方針案 安倍カラー保守鮮明 改憲「対話集会」で理解】
自民党は八日、二〇一四年の運動方針を発表した。「『日本を取り戻す』飛躍の1年」と題し、改憲に向けた機運を高めるための対話集会の開催や、「心のノート」を活用した道徳教育の充実など、安倍晋三首相の意向を反映した保守色の濃い内容となった。
→政治家の言葉にはとくに注意したい。言葉は人間のあいだの最後の砦だからだ。言葉に対する信頼がなくなった共同体は、行為でしか判断が出来なくなる。行為は限られた場所での現在的なものだ。将来のこと、抽象的なことをやりとりするためには、言葉に対する信頼が共有されていなければならない。
「日本を取り戻す」というときの「日本」とは、「いつ」の「どのような状態」を指すのか?「心のノート」って一体なんなんだ?何となく分かったような気がする言葉というものは、多様な解釈が可能な言葉だ。多様と言えば聞こえが良いが、状況次第でいかようにも中身を変えられるということだ。
問題は「聞き手」にある。ある言葉を聞いて、自分の文脈において分かった気になる、というのは危険だ。語り手がその言葉をどのように好き勝手に使えるか、聞き手が頭を使わねばならないのはそこである。「日本を取り戻す」という言葉を聞き、かつての良かった時の自分を思い出し、「いいねぇ」などと言っていてはダメなのだ。
東京新聞を材料に、政治や経済、社会の出来事などを自分なりに整理する。年末から始めたが、正月休みが終わったら早くも停滞した。やはり時間が足りない。極めて個人的なノートになっている。ツイッターなどを絡めたうまいやり方を考えねばならないが、考えると手が止まるので、とりあえず同じ形で続ける。1月6日(月)から9日(木)まで。
1月6日(月)
【社説 「幸せの循環」創りたい】
『2060年には総人口は九千万人を割る一方、高齢化率は六十年前の5%から40%に上がります。制度を支える現役世代には低賃金の非正規雇用が増えました。既に労働者の4人に1人、約一千万人は年収200万円以下の給与所得者です。』
→日本社会は高齢化を迎え、その先には人口減少が起こる。そのような変化に合わせて社会制度をうまく回していかねばならない。制度維持には負担が必要となる。その負担をする現役世代の状況が厳しい。非正規雇用は労働者の3人に1人以上。そして4人に1人が年収200万円以下だ。非正規雇用と低賃金は景気の動向とは関わりなく、これからの社会構造となるだろう。つまり、格差社会である。
この格差社会とTPPなどで安い牛肉や米を輸入することは連動しているのではないか。安い牛肉が輸入できれば、牛丼は200円以下で提供できるという。低賃金労働者向けにはちょうど良い価格だ。穿った見方だろうか?
【8歳少女 自爆テロ未遂 アフガン、タリバン幹部妹】というものだ。アフガニスタン南部のヘルマンド州というところで、自爆テロを試みようとしていた8歳の少女を軍が拘束した、というニュースだ。少女は反政府武装勢力タリバンの有力幹部の妹とみられている。自爆テロ用のベストを着用して、国境警備警察を狙うように兄から促されていた。
→なんとも嫌な話だ。僕の次男は9歳だ。どうしても重ねて考えてしまう。こういう話しは、タリバンは非道な組織だ、叩くべし、という結論に行き着く。そして「テロとの戦い」と言えば、中身を考えるまでもなく正しい行為に聞こえる雰囲気が醸成される。自分の妹に自爆テロをさせる「兄」。どうすればそういう人間になるのだろうか。生まれつき極悪非道なのか。そうであればそれは治療や矯正の対象だ。アフガンで育つうちにそうなってしまったのか。だとすれば、そのような人間が育つアフガンを変えることが必要になる。
ある出来事を引き起こした主体に責任を求めることは必要だ。その一方で、主体にそのような出来事を起こさせた状況を変えることも必要だ。前者は単純、局所的で、感情的な解決に繋がる。後者は複雑、全体的で、長期的な取り組みが必要になる。
1月7日(火)
【首相年頭会見 中韓に「無条件会談を」】
『首相の靖国神社参拝で批判を強める中国、韓国に対しては「困難な課題や問題があるからこそ前提条件をつけず首脳同士が胸襟を開いて話をすべきだ」と無条件での首脳会談を求めた。』
→これはコミュニケーション力の問題。安倍ちゃんが一貫しているのは、自分の立場や意見が常識的で、それを理解できないのは相手が非常識であったり、間違っていると思っていることだ。端的に言って、自分の意見と相反するものに直面した時に、「もしかしたら、自分が間違っているのかもしれない」と思う力の欠如である。
「首脳同士が胸襟を開いて」という当たりが何とも言えない。自分はオープンで前向きだが、相手が小さなことにこだわってごねている、という印象を持たせるような言い方だ。これ、立場も利害も異なる相手に発した時に、すごく嫌な響き方をするはずだ。だとすると、これは国内向けの言葉だと受け止めた方が良い。靖国問題を巡っての日本と中韓(本当はアメリカやEUやロシアも批判もしているのだが)の関係がギクシャクしているのは、中国、韓国側が話し合いをしないからだ、と国民に思わせたいのだろう。
靖国問題に関してもメディアは質問の仕方を考えるべきだ。
1、首相が戦没者の慰霊を行うことに問題はあるか?
2、首相がA級戦犯の慰霊を行うことに問題はあるか?
3、靖国神社は戦没者とA級戦犯が合祀されている。首相が靖国神社を参拝した場合、日本人と諸外国では参拝の意味が大きく異なる可能性があるとは思わないか?
「1」については諸外国も反対しないだろう。しかし「2」には反対するはずだ。今回のアメリカやEUやロシアなどの反応がそれだ。日本人の多くは首相の靖国参拝は、日本と中国、韓国の問題だと思っているようだが、それだとこの反応の理由が理解できないだろう。A級戦犯を慰霊することは、近隣諸国との感情的な問題を引き起こすだけではない。アメリカなどにとっては、東京裁判やサンフランシスコ講和条約からつながる戦後の体制を否定することになるのだ。それは戦後の日本の経済的な発展とも無縁ではない。少なくとも、日本人がそのような広がりの中でこの問題を考える必要がある。(靖国問題は、政教分離の観点からも考えねばならない。賛否どちらであれ、少なくとも憲法20条と関わりは意識しなければならない)。
「首相が戦没者の慰霊をするのは当然である。だから靖国参拝は賛成だ、それに異を唱えるのはおかしい」という直線的な思考ではダメだ。対話の糸口が存在しない。合祀以後、昭和天皇も参拝できなかった理由を想像してみるのも良い。とはいえ、このあたりに関しては、僕自身も一度きちんと調べた方が良さそうだ。断片情報を自分の中でつなげている部分もありそうだ。
1月8日(水)
【除染技術実用化4件 国支援14億円 開発62件 採算、効率性に課題】
福島の原発事故により放射性物質がまき散らされた。その放射性物質を除去するための新技術の開発を国が支援している。しかしその大半は実用化されないままとなっている。そんな記事だ。
→原発事故の収束には膨大なお金と長い時間がかかるだろう。そして健康などへの被害が本格的に現れるのはこれからだ。今回は記事の内容とは関係ないところに疑問を呈する。「除染」という言葉だ。僕は言葉に注意するようにしている。じつは震災後の「絆」という言葉はちょっと嫌だった。一時的に流行して、すぐに人々から忘れ去られるのだろうと思った。
「除染」という言葉は、事故直後から疑問に思っていた。実態を示すふりをしながら、隠蔽しているからだ。「除」という言葉によって、何かをそこから「無」くすような印象を与え、「染」によって「放射性物質」というより、単なる「汚れ」のような印象を与える。しかし行っているのは放射性物質の移動でしかない。実際に放射性物質を「無」くすには時間がたつのを待つしかない。そして同様の問題は、使用済み核燃料でも起こる。事故とは関係なく起きる。除染をなおざりにする心性は、使用済み核燃料問題をなおざりにする心性と同じだ。
【生活保護受給216万4000人 昨年10月過去最多】
→これは見出しのみ書いた。こういう見出しを見ると、生活保護の受給者を何とか減らさないとという文脈に繋がりやすい。特に不正受給者の問題などはよく指摘される。しかし生活保護には違う問題もある。補足率の問題だ。日本の生活保護の補足率は受給資格者に対して多くて20%程度とされている。つまり80%の人が受給資格があるにも関わらず、受給されていない。それに対して、不正受給者の割合は0.4%だ。
質問です。ある制度が運用されているます。一方でその補足率が20%しか達成されていません。もう一方でその制度を不正に利用している人が0.4%います。制度運用の観点から、どちらのほうが大きな問題でしょうか?
メディアにはこの程度の質問はしてほしい。「生活保護の不正受給をどう思いますか?」と質問すれば、誰だって「良くないことだ」と答えるに決まっている。そこから「生活保護受給者」のイメージをマイナス方向に引っ張ることは容易いことだ。
「貧困者を政府が助けるべきか?」というアンケートに対して、「必要ない」と答えたのは、ヨーロッパでは8%くらい、アメリカでは24%くらい、日本はダントツで30%くらいだと聞いた。これは世界でも群を抜いているらしい。日本人、そんなことで大丈夫なのか。
【米、景気回復の陰で広がる格差 NY「飢え最悪 金融危機時より悪化 食事不十分140万人】
10~12年の数字。市民の16%が十分な食事をとれていない。子どもの場合は22%。ブロンクス地区では子どもの49%。金融危機の08年頃より悪化している。
→『(株)貧困大国アメリカ』(堤未果著、岩波新書)を読んでいるので、意外な話ではない。問題は、日本もこれから同じような道を辿るだろうということだ。ちなみに同書では、アメリカがこうなった原因をグローバル企業の動きに求めている。簡単に言えば、自分たちが利益を上げやすい規制を国会議員を通して作っていくというものだ。TPPもその流れにある。グローバル企業にとっては国境は関係ない。市場として価値があるかどうかだ。安倍ちゃんが、企業が活動しやすい国にする、とか言ったことの危険性はこのあたりにある。
1月9日(木)
【自民14年運動方針案 安倍カラー保守鮮明 改憲「対話集会」で理解】
自民党は八日、二〇一四年の運動方針を発表した。「『日本を取り戻す』飛躍の1年」と題し、改憲に向けた機運を高めるための対話集会の開催や、「心のノート」を活用した道徳教育の充実など、安倍晋三首相の意向を反映した保守色の濃い内容となった。
→政治家の言葉にはとくに注意したい。言葉は人間のあいだの最後の砦だからだ。言葉に対する信頼がなくなった共同体は、行為でしか判断が出来なくなる。行為は限られた場所での現在的なものだ。将来のこと、抽象的なことをやりとりするためには、言葉に対する信頼が共有されていなければならない。
「日本を取り戻す」というときの「日本」とは、「いつ」の「どのような状態」を指すのか?「心のノート」って一体なんなんだ?何となく分かったような気がする言葉というものは、多様な解釈が可能な言葉だ。多様と言えば聞こえが良いが、状況次第でいかようにも中身を変えられるということだ。
問題は「聞き手」にある。ある言葉を聞いて、自分の文脈において分かった気になる、というのは危険だ。語り手がその言葉をどのように好き勝手に使えるか、聞き手が頭を使わねばならないのはそこである。「日本を取り戻す」という言葉を聞き、かつての良かった時の自分を思い出し、「いいねぇ」などと言っていてはダメなのだ。