とんびの視点

まとはづれなことばかり

2014.1.30木 東京新聞より 1NHK脱原発に難色 2派遣労働の期間 3「万能細胞」新手法

2014年01月31日 | 雑文
2014.1.30木 東京新聞より

今日は1月31日。早いもので今年も1ヶ月が終わろうとしているわけだ。今日は天気も穏やかで、空気にも暖かさの粒子が混ざっているようだ。もう数日もすれば、暦の上では春。

さて、昨日の新聞より3つの記事。

1、NHK脱原発に難色 ラジオ番組 「都知事選中はやめて」 抗議の大学教授降板(1面トップ)
2、派遣労働の期間 無制限に 企業優先 使い捨て懸念(1面第2)
3、「万能細胞」新手法 iPSより簡単 マウスで成功 理研チーム(1面第3)

まずは1の記事。先日の籾井新会長の「政府が右と言うものを左とは言えない」という言葉にぴったりと重なる。籾井会長からの直接の指示などあるはずはない。現場が「忖度」して行ったのだろう。だとすればこれは大きな問題だ。ルールや制度など「表向き」は自由が約束されているが、現場では忖度による「自主規制」が行われる。当然のことだが、何か問題があったときには、「表向き」のルールや制度の説明をして「問題はない」という説明を行う。

それは「言葉」と「実態」が乖離する事態だ。最もおそれるのは、「言葉」と「実態」がずれることによって、人々がお互いの「言葉」を信頼しなくなることだ。言葉が機能しなければ、話し合いが成り立たない。そうなると力でものごとを決めるようになる。そういうことが、日本と外国の間、国家と国民の間、(NHKも含め)企業や組織の中、市井の人々の間で起こる。国家間では戦争、国内では弾圧やテロ、組織内ではハラスメント、市井では騙しあい、そういう事態につながる。

NHKの広報局は「都知事選では原発をめぐる問題が一つの争点になっており、選挙期間中はより公平性を期する必要がある」とコメントを出している。「表向き」のつるんとした言葉だ。ラジオに出演する予定だった中北徹教授は、特定の候補者を応援しようとしたわけではない。「経済学の視点からリスクをゼロにできるのは原発を止めること」とコメントしようとしただけだ。

たしかに、その内容は原発推進派には気に入らないだろう。しかしこの発言が公平性を欠いているというのなら、選挙期間中どのような発言なら放送できると、NHKは考えるのだろう。「CO2削減のためにも原発は必要である」と述べても、それは公平性を欠くことになる。なぜなら、原発については賛否両論があるからだ。賛否両論というのはマスレベルでもそうだし、個々人の中でもそうだろう。(もちろん個々人では「賛成」か「反対」がはっきりしていることもある。)

そういう時に、公平性のため賛成の意見も反対の意見もいっさい放送しない。(究極的には「原発」という言葉すら出さないことになる)。それが公共放送の役割なのだろうか。別にこれは「原発」だけではない。「東京五輪」についてもそうだ。開催を取りやめるという候補者はいないだろうが、開催方法については意見が違う。公平性を考えるなら「五輪」についてのさまざまな意見はは放送しない。論理的にはそうなる。選挙期間中、争点となるような話題に関しては、何一つ放送しないつもりなのか。(あるいは、時の政権が嫌がるものに関してのみ放送しないのか。だとすれば、それは民主主義国家の公共放送ではなく、独裁国家の国営放送のようなものだ。)

どうも日本は、国にかかわる大事なことを国民に考えさせないようになっている。国民が考えるのは、日々の自分の生活、おカネ、楽しいこと、感情的にフックすること、そういうものでよいとされているようだ。特定秘密保護法もそうだし、先の2回の国政選挙で原発が争点化しなかったこともそうだ。その一方で、経済というより金もうけの話、オリンピック、生活保護不正受給というたぐいのものが人口に膾炙する。

「国民が国の大切な事柄についてさまざまな情報をもち考えている」。「国民が国の大切な事柄について知らず、自分のことしか考えていない」。どちらが健全な民主主義の社会と言えるだろうか。放送法第一条3には放送の目的として「放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」とある。公共放送は、選挙期間中に争点について賛否さまざまな情報を提供するべきなのか、まったく触れない方がよいのか。どちらが健全な民主主義の発達に資すると考えるのか。


次に2の記事。派遣労働についてである。派遣労働は日本社会の重要な用件であるが、詳しい知識を持っていないので内容には触れ込まず、今後の自分への課題確認も含めて簡単に書いておく。

法改正に関して私たちはもっと注視した方がよい。法改正をすれば、先日までの違法行為が、今日は合法となる。つまり法改正や立法は社会の仕組みの大きな転換点なのだ。また言葉による改正は一瞬だが、現実の変化は時間をかけてじわじわと起こる。変化に違和感があっても合法だから止めようがない。改正されて行政の運用が始まると、変化を押しとどめることはできない。立法や法改正を、無料アプリを試しにインストールするような感覚で受け入れてはいけない。

派遣労働法の改正は良いか悪いか、という二択で考えるのは良くない。今回の改正によって、利益を受けるのは誰か、不利益を被るのは誰か、という観点から整理することが必要だ。そしてこの情報に触れる個々人が、自分の居場所がどちらの側に近いのかを確認することだ。そしてその視点からきちんと見ることだ。市井の人が日本のことを考えようとすると、無自覚に為政者の視点から見てしまうことがある。それこそが為政者の望んでいることだ。


最後に3の記事。これは理研の小保方晴子さんという30歳の女性が画期的な方法で「万能細胞」の作成にマウスで成功したと言うものだ。体細胞を弱い参世の溶液に入れ刺激を与え作る、というシンプルな方法だ。「刺激惹起性多能性獲得」の英語の頭文字からSTAP細胞と命名した。人の細胞でも可能となれば、これから先の再生医療分野に大きな影響を及ぼすだろう。明るいニュースである。基本的にはわるくない、でも。

これは朝刊では1面の3番目の記事だったが、夕刊では1面トップとなる。そして内容は、研究の内容や社会的な意味よりも、小保方さん個人の紹介になる。曰く、小保方さんは、お風呂の時もデートの時でも四六時中、研究のことを考えていた。実験できるのは白衣ではなく、祖母からもらった割烹着。「おばあちゃんに応援されているような気がするから」。実験室の壁はピンク色。机や棚にはムーミンのグッズ。研究室にはペットのスッポン。「この子が来てから実験が軌道に乗ったので、幸運の亀なんです」とのこと。(後半は他の研究者のコメント)

別にこういう情報を載せるのは悪いことではない。小保方さんは好感の持てそうな人だ。ただ、これがその日の夕刊の一番重要な情報だったのだろうか。3面あたりであれば、1ページの特集でも気にならなかっただろう。こういうことをあまり書くと、ただの偏屈な人間に見えそうなのでやめる。ただ、テレビニュースにしろ新聞にしろ、客観報道といっているが、実際には情報に濃淡がついてしまう。こういうとき、本当は他社の新聞と比較するとよいのだが、そこまでの時間はない。ただ、東京新聞はこの日の夕刊で読者に伝えるべき最も大事なことは、「かっぽう着の異彩リケジョ(理系女子)」ということだったようだ。

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