かつて5年間PTA会長をさせて頂いたことから、広報委員会とは広報紙の原稿を通しての付き合いが続いていました。当時は、1年間に3回発行していましたので、最初の回にはPTA会長の抱負を語ったあいさつ、最後の回は1年を振り返っての原稿依頼があったものです。昔から筆まめの方でしたので、文章は自分なりに推敲を繰り返しましたが、それがけっこう楽しみでした。
自分の顔写真が文章とともに広報紙に掲載される、それも表紙をめくって次のページですから、うす恥ずかしい気がしました。広報紙と言えば、PTA会員のほかにも、役場や公民館など公共施設にも何部か届けられるし、回覧板で地域住民の皆さんにも見てもらっています。また、コンクールにも出品されるとあって、PTAだけでなくその学校の代表のような存在といっても過言ではないでしょう。
今では、そんな広報紙作成に係われるうえ、広報委員長という肩書きがまた私にとっては「やる気」の源になっています。今になって思うと、会長時代はPTAの代表という重責を感じながら、二人の優秀な副会長や教頭先生の指示に従ったり、また伺いをたてたうえで行動することが多く、どちらかと言えばあまり独創的な言動をおさえられていた気がします。しかし、今はいきいきと活動に取り組んでいます。
広報委員の皆さんとは、会えなくても携帯電話・メールなどで連絡を緊密に取り合うことが実践できているので、各グループが分担された作業を29日の入稿日に向かって順調に進めている手応えを少しずつ感じてきています。昨年より広報紙の早期発行を実現しようと精進していますが、2回予定している校正が1回で済むようなことがあれば、更に1週間も早まり6月20日となるので、今後の進み具合が楽しみです。
自分の顔写真が文章とともに広報紙に掲載される、それも表紙をめくって次のページですから、うす恥ずかしい気がしました。広報紙と言えば、PTA会員のほかにも、役場や公民館など公共施設にも何部か届けられるし、回覧板で地域住民の皆さんにも見てもらっています。また、コンクールにも出品されるとあって、PTAだけでなくその学校の代表のような存在といっても過言ではないでしょう。
今では、そんな広報紙作成に係われるうえ、広報委員長という肩書きがまた私にとっては「やる気」の源になっています。今になって思うと、会長時代はPTAの代表という重責を感じながら、二人の優秀な副会長や教頭先生の指示に従ったり、また伺いをたてたうえで行動することが多く、どちらかと言えばあまり独創的な言動をおさえられていた気がします。しかし、今はいきいきと活動に取り組んでいます。
広報委員の皆さんとは、会えなくても携帯電話・メールなどで連絡を緊密に取り合うことが実践できているので、各グループが分担された作業を29日の入稿日に向かって順調に進めている手応えを少しずつ感じてきています。昨年より広報紙の早期発行を実現しようと精進していますが、2回予定している校正が1回で済むようなことがあれば、更に1週間も早まり6月20日となるので、今後の進み具合が楽しみです。