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走快エイトの気まぐれ人生

家族・スポーツ・スペシャルオリンピックス・教育・消防団・仕事・テレビ番組などの話題を、気ままに綴っていきます。

頼もしい広報メンバー

2008年04月27日 17時51分54秒 | PTA&学校(19年度~)
昨日の土曜は、午前中にPTA 広報委員会の引継ぎパート2があり、町の公民館まで出かけてきました。通常、土日や祭日は学校のPTA室が使えないためです。新しい委員長のAさんは、昨年も学年学級の委員長をしていた方で、リーダーシップもしっかり取れており、安心して後を任せそうです。また、唯一広報の経験者であるBさんと、現役の小学校教師であるCさんの存在も大きいです。

前回の引継ぎでは、私の他に会計担当のDさんがいらっしゃいましたが、今回は私一人で色々なノーハウを後任者に伝授しました。皆さん、活発な意見が出たり、とても和やかな良い雰囲気でした。最初の広報紙発刊に向けての話が具体的に決まっていくと、なんとCさんが「私、ちょっとパソコンを持って来て文章を打つわ。」と言い出し、退室しました。凄い積極性に驚きました。

10分余りしてCさんが再び現れると、パソコンの他にコーヒーや牛乳、お煎餅などまで用意して来てくれ、さすが先生だけあって気配りの達人だと感心しました。私は言いたいことだけ言って、後はリーダーのAさんに任せました。他のメンバーの方もきちんと意見を述べ、Cさんはパソコンで先生方の紹介に使うアンケート用紙を作成し始め、どんどん作業ははかどっていきました。

昨年の広報は、私のリーダーシップ不足が影響してか、これほど良い雰囲気で活動出来ませんでしたので、羨ましく思えました。そう言えば、学校のPTA室以外の場所で活動したことがありませんでした。それなのに、新しいメンバーの皆さんは既に公民館を利用したり、私たちが出来なかったことを積極的にしていってくれそうです。5月末の発刊予定の広報紙がとっても楽しみです。

気になる言葉

2008年04月21日 22時38分47秒 | PTA&学校(19年度~)
先日、女房が中学に行った際、偶然に野球部副顧問の先生にお会いしたそうです。次男がキャッチボール練習の時に一人きりで相手がいない光景をよく見かけるので、自分から仲間に声をかけてボールを回してもらえるよう、積極性を促したいとの言葉があったそうです。中学から野球を始めた次男は、少年野球経験者の仲間からは邪魔者に見えるのでしょうか?

次男は、たまに部活動がなくて私がいる日は、キャッチボールをしたがるので、なるべく相手をしています。次男にとっては、部活動でボールを回してもらえないような「仕打ち」にあっていたから、自宅でその分ボールを投げたかったのでしょう。今日は、学校で他校のチームが練習試合に来たそうですが、帰宅した次男は、すぐに自主トレを始めました。

庭には、一人でも練習できるよう、丈夫な板を垣根に設置してあり、ボールが板にぶつかる音が聞こえてきました。そのうち、予想通り「お父さん、キャッチボールやろう!」と次男からの誘いの言葉があり、私は板の前でキャッチャー役をしました。今日は、女房がビデオカメラを持って庭に現れ、その光景を撮影してくれました。親子の絆を感じてくれたのかな?

PTA事務局の役員選考

2008年03月22日 09時30分24秒 | PTA&学校(19年度~)
昨日、次男が学校から「平成20年PTA事務局役員選考結果報告」という文書をもらってきました。新年度のPTAを担う屋台骨となる事務局のメンバー(会長・副会長2名・幹事3名・会計監査2名)の名前が記されていました。

我が中学では、2学期後半に各専門委員会から1名ずつ選ばれた保護者と教頭先生が役員選考委員会を立ち上げ、次年度事務局役員を選んでいます。例年、会長ポストだけがなかなか決まらず、公表がこの時期に遅れています。

以前は、3月初めに公表していたものです。今回は、女房の兄が会長を継続することだけでなく、弟の奥さんが幹事に選ばれたことに驚きました。まだ中学の経験がなくても、小学校でのPTA役員実績から白羽の矢が向けられたのでしょうか?

4月から、子どもが中学校・小学校・幼稚園と通うことになり大変なのに、PTA事務局を引き受けるとは、よくぞ決断したものです。正式にはPTA総会での承認待ちですが、実際は入学式から活動が始まりますので、頑張って欲しいものです。

涙の卒業式

2008年03月18日 12時24分59秒 | PTA&学校(19年度~)
今日は、夜勤で正午から勤務でしたが、2時間の有給休暇を利用し、地元小学校の卒業式に来賓として出席しました。今年は、弟の長女が卒業するとあって、いつもより楽しみにしていました。先日の中学の式と違って、児童数も少なく、地元の自治会役員の方たちも招待され、和気藹々と式は進んでいきました。(写真は2年前のものです。→クリック17年度分

校長式辞、教育委員会告示、来賓祝辞(町長代理、町議会議長、PTA会長)は、すべて3分前後でまとめられており、会場の皆さんも集中力して話を聞くことが出来たと思います。式の中で最も感激し、涙ぐんでしまったのが「別れのことば」の中で歌われた5曲の素敵な歌を聴いている時でした。

卒業生がステージに移動し客席に向かうと、別れの言葉が始まりました。卒業生と在校生が向かい合う言葉の投げかけの中に「流れゆく雲を見つめて」「また会う日まで」「飛行船」「この星に生まれて」「旅立ちの日に」の歌が組み込まれ、まるでショーのようでした。特に、最後の曲は弟の長女がピアノ伴奏をしたので、感動しました。

第61回卒業式

2008年03月11日 13時54分13秒 | PTA&学校(19年度~)
今日は、地元の中学校で第61回卒業式がありました。私はPTA会長を退任後も元会長として来賓で招待されているのですが、今回は受付の名簿上は青少年相談員会長という肩書きになっていました。これまで2年連続で式の次第は詳しくブログで書いていますので、今回は省略させて頂きます。(式次第など気になる方は、過去のブログもご覧下さい→クリック2006年2007年

今回の来賓祝辞は、どなたも3分程度でした。 きっと長い話をしてもきちんと聞いてもらえないということを考慮し、話を短くしたのでしょう。ここで、各来賓の印象に残った言葉をご紹介します。町長「故郷を忘れないで/人生山あり谷あり」議会議長「学校・地域・家庭の連携に尽力下さった先生方に感謝します」PTA会長「仲間を大切に/夢を目標にかえて、一歩踏み出すとき」

前生徒会長が述べた「卒業のことば」終盤には、卒業生全員がステージに上がり、ベートーベンの第九をドイツ語で合唱しました。昨年の卒業式で初めて試みたのですが、それを見ていた彼らも卒業の際は是非歌いたいと思い実現したのでしょう。感動的なシーンでした。その後の式歌では、昨年同様在校生が「明日へ」卒業生が「旅立ちの日に」全学年で「大地讃頌」を合唱しました。

入場から退場まで2時間20分かかったのですが、あっという間のようでした。卒業式ではいつも大変厳かな空気に包まれているとか、時間の進み方が違うような気がします。来賓室では、式前はお茶のみ、式後はお茶と饅頭1個をごちそうになり、来賓同士で歓談しました。顔見知りの町内2校の小学校の校長先生とも話ができて、有意義な時間を過ごせました。

テンプレートを春>青い桜から年末年始に使っていたJAZZ>トランペットに戻しました。



広報紙コンクール

2008年03月08日 14時35分51秒 | PTA&学校(19年度~)
例年開催されています印旛郡市PTA広報紙コンクールへ、私たちが精魂込めて作った作品を応募すべく、委員長の私が出品票を作成することになりました。コンクールへの応募資格は、年2回以上発行されていることで、応募基準は細かく10も規定されているので、そのうちの4点をご紹介させて頂きます。

①「学校便り」とは性格の違いが明確に区別・編集されている。②PTA会員の意識を高め、行動を促す内容が記載されている。③積極的な企画性、アイディアが見られ、特に訴えたいことが強調されている。④学校と地域社会との密接な連携がとられ、自分たちのPTAの課題が表現されている。

さて、出品票に記載する最も重要な部分である「広報紙発行概要 編集意図・特徴等」ですが、私が一人で考えた後に、最後の集まりで出席した皆さんに印刷して検討して頂きました。その場では特に意見などはなかったのですが、帰宅後に広報委員のAさんから素敵な文章をメールで頂くことができました。

同じ広報紙についての文章が、書く人間によってこれほど違うのかと驚きました。簡単に言えば、私の文章は修飾語や余分な言葉をなるべく省いて、字数を少なくしているもの。それに対しAさんのものは、作り手の気持ちをストレートに表現し、感動を呼ぶ文章でした。ここで内容を書けないのが残念です。

最終的な出品票では、Aさんの文章を土台に、多少ですが私の考えた文章も加えて、体裁良くまとめました。広報委員として、広報紙を2回無事に発行できたこと、やり遂げられた達成感で一様は満足なのですが、欲を言えばコンクールに応募するので、多くの方に見てもらいたい、何かの賞を受賞したいものです。

最後の別れ2件

2008年03月05日 00時17分43秒 | PTA&学校(19年度~)
4日は公休でしたので、朝9時半から広報委員会の集まりに出席しました。先日、広報紙と共に配布したアンケートの集計と印刷&配布準備、そして発行した2回の広報紙作成に係る資料を、次の役員のためにファイルへ整理しました。予餞会(3年生を送る会)がありましたので、あまりメンバーは集まらないかもと心配していましたが、予想外にたくさん集まり嬉しく思いました。

3年生の委員さんは、最後だから少しでも予餞会を見に行けばいいのにと心配になりました。出席者の皆さんは、いつものように明るく楽しく活動されており、一安心しました。アンケート結果を印刷する際に、色合いが調整できず戸惑いましたが、担当者の機転で何とか窮を凌げました。皆さん、なんとか達成感を味わって頂けたでしょうか?雰囲気的に横浜への転勤の話は出来ませんでした。

夜になると町民体育館でソフトバレーがありました。通常、水曜に地元の小学校体育館で行うのですが、特別に火曜でしかも違う場所でしたので、自然にいつもの場所に行ってしまい、遅刻してしまいました。それでも、普段と変わりなくゲーム中は楽しくプレイでき、些細なことで一喜一憂しながら90分を過ごしました。勤務の都合上、今回が最後となり感慨深かったです。

PTAとスポーツを比べるのもおかしいですが、リーダーの重責もなく身体を動かし快い汗を流したソフトバレーの方が居心地は格段に良かったです。前回のように5連勝とはいきませんでしたが、納得のいくサーブ・レシーブ・スパイク・ブロック・トスなどが随所にできました。別れ際には、きちんと転勤の話と「お世話になりました。」と別れの挨拶もでき、すっきりしました。

3連続の会議

2008年02月23日 13時18分37秒 | PTA&学校(19年度~)
今日の正午から明日の11時まで、本来は夜勤でしたが、大切な行事が重なったので仕事を休みました。午前中は、9時から第6回PTA運営委員会、10時半から引き続き同じ会議室で第2回PTA全体委員会に出席しました。運営委員会は通常は9時半からですが、今日は会議が続くため30分早かったせいか、欠席や遅刻する委員が続出でした。

校長先生に至っては、現れたのが会議終了直前でしたので、会議に先立ってPTA会長あいさつの次に話すところを、最後のしめで挨拶して頂きました。二つの会議は、予想に反して特に問題なくスムーズに終わりました。大きな会議はこれで終わり、広報でも昨日配布したアンケートを回収・集計する作業を3月4日に行えば終了となります。

正確に言えば、平成20年度になっても私は前年度広報委員長として、4月12日の第1回全体委員会に出席し、新役員に引継ぎをする必要があります。また、5月2日の定期総会でも同じ肩書きで半強制的に出席せざるを得ません。私は、PTA活動を楽しんでしまうことが多いので、新年度も役員を続けようとバカなことさえ考えてしまいます。

18時からは、地元の青年館で区の評議員や歴代の区長経験者による会議があります。これまでも何度か集まり解決できなかった「青年館の建て替え問題」について、話し合います。たった65軒前後しかない小さな自治会だというのに、どうしてなかなか意見がまとまらないのか、不思議でなりません。個人の利益より区全体のことを考えて欲しいものです。

広報紙の発刊

2008年02月22日 12時17分08秒 | PTA&学校(19年度~)
今日、ようやくPTA広報紙の発刊となりました。9時ちょっと前にPTA室に行き、他の広報メンバーと準備をし、9時25分ころには印刷会社の方が550部の広報紙を届けて下さいました。昨日のうちに預金から降ろし用意しておいた12万円を支払った後、「4月以降の役員にも引き継いでおきますので、今後もよろしくお願いします。」といったリップサービスも忘れずにしておきました。

その後、早速メンバー全員で広報紙の印刷状況を一部ずつ点検し、配布先ごとに部数をとりまとめ、配布準備をしました。完成品は、ゲラ刷りとは比べ物にならないほど写真もきれいに印刷されており、全員満足していました。校医や教育関係の諸機関にも、広報紙を手渡すことになっています。私は、写真屋・交番・社会福祉協議会・役場・教育委員会への配布を担当することにしました。

PTA広報紙コンクールに応募すべく、出品票に記載する文面を委員長の私が自宅に持ち帰って考えることにしました。「広報紙発行概要・編集意図・特徴等」を簡潔にまとめる必要があり、苦労しそうですが、なんとか自分なりに考え、次回の集まりで、メンバーに披露したいと思います。明日は仕事を休んで、三つの行事をこなします。写真は広報紙の表紙を飾った写真の1枚です。

卒業式への誘い

2008年02月20日 18時00分37秒 | PTA&学校(19年度~)
昨日までに、近所の小学校2校と中学校から卒業式の招待状が届いています。A小からは、青少年相談員の会長として、B小からは学校に土地を無料で貸している地主として、C中からは元PTA会長としてです。可能なら、3校とも式に出席したいのですが、あいにく毎年小学校は同じ日なので、今年は姪っ子が卒業生となるB小の方へ出ることにします。

昔は町にA小しかなかったので、A小が私や父の母校なのです。またA小の体育館は私が入学した当時に建てられたのですが、来年度の創立100周年に合わせて建て替えられることが決まっています。つまり、現在の老朽化した体育館での最後の卒業式となるわけです。それでも、かわいい姪の晴れ姿の方が自分には大切と判断しました。

委員長の責任~携帯

2008年02月17日 15時07分27秒 | PTA&学校(19年度~)
15日の午前中に広報紙のゲラ刷りが学校に届きました。私は夜勤で行けませんでしたが、16日に4名の有志が登校し、長時間にわたりチェックして下さいました。メールで知らされたのですが、もっと頑張りたかったが、部活が終わり顧問の先生方も帰られるため、保護者だけでは学校に残れない旨を注意されたとのこと。

18日が最後の校正ですが、私は仕事を休めないため、今日破れかぶれで朝から登校しました。次男が野球部の練習をしているので、PTA室内に入れないなら、部活動の風景でも見て帰ろうと考えながら、チャンスを待ちました。40分位グラウンドと職員室前を往復していたところ、運良く吹奏楽部顧問のA先生が現れました。

事情を話すと、A先生は快く職員室内からPTA室の鍵を取ってきて下さいました。その際は、私を信じてくれたA先生が仏様に見えました。単独でPTA室内に入り、これで広報委員長の責任が果たせると意気揚々と作業に没頭出来ました。明日は22日発行の完成品に向かって最後の校正となりますが、なんとかなりそうです。

広報紙の完成間近~携帯

2008年02月13日 17時36分16秒 | PTA&学校(19年度~)
今日は公休でした。午前中は登校し、広報紙2回目の校正を印刷会社の担当者に依頼しました。今回は完成品を意識した大幅なレイアウトの入れ替えやら、文章の誤字脱字の訂正がありました。15日のお昼前にはゲラ刷りが学校に届くそうですが、早く校正済みのゲラ刷りが見たいものです。

急逝された副会長さんの訃報は、本人が執筆された事務局からの文章と同じ2ページにと考えたのですが、校長先生からの指示で最終ページに掲載することになりました。表紙をめくってすぐだと広報紙の印象が悪くなるという理由でした。不満を訴える方が多かったのですが、私は納得出来ました。

PTA大激震~携帯

2008年02月12日 20時34分16秒 | PTA&学校(19年度~)
信じられないかもしれませんが、我が校のPTA副会長が昨夜のうちに急死されました。今朝、会長をしている義兄から電話連絡を受けた時は、本当に驚きました。先日、PTA運営委員会でお会いした際に、元気がないように見えたのが気になってはいましたが、全く前兆というか予告がありませんでした。明日の広報の集まりは大変なことになりそうです。

ただでさえ広報紙の校正で苦労しているのに、副会長の訃報を加えるために、一工夫しなければなりません。驚きと悲しみの中で、広報委員会の責任を果たすというのは、つらいとこです。バソコンは明日の午後に専門店へ持っていき修理してもらう予定です。故障した9日が購入してからちょうど3年目でした。

多忙な1日

2008年02月08日 23時15分13秒 | PTA&学校(19年度~)
今日は夜勤明けで、朝仮眠ベッドを5時半に起床で、11時過ぎまで勤務でした。帰宅後は昼食をとって一休みし、通常は特に何もしないようにしているのですが、今日は違い、過密スケジュールで大忙しでした。5日に校正依頼をした広報紙のゲラ刷りが届いたので、PTA広報委員長として登校し受取ってきました。顧問の先生が気を利かして校長先生に回覧し、コメントをもらって下さっていたので助かりました。

顧問の先生が、校長先生の指摘を詳しく教えて下さり、時間が節約できました。3部あるゲラ刷りは、義兄であるPTA会長に届けるため私が1部預かり、残りはPTA室内にある広報委員会専用の棚に置いて帰宅しました。広報メンバーは、ゲラ刷りを都合の良い時間にチェックし、13日の第2回校正に臨むことになっています。帰宅後すぐに、広報メンバーにゲラ刷りが届いたことをメールで連絡しました。

そして、次は町役場へ青少年相談員会長として出かけました。各種ボランティア団体の集まりで、私が代表で議長をするため、事前の打合せを事務局(教育委員会の担当者)と行い、会議に臨みました。会議自体は和やかに45分前後で終わったのですが、別のことで事務局と私だけが残って話し合い長引いてしまいました。事務局は子ども会や町の行事も担当し、色々大変そうでした。

どうしても行事がたてこんでしまう時期があり、いかにして各行事を重ならないで開催するか、日程を調整するのに手間取りました。おまけに、青少年相談員メンバーは殆どが消防団員ですので、消防団の活動も関わってくるのでした。会議と同じくらい時間をかけて打合せを済まし、その後PTA会長である義兄宅(女房の実家)に寄って、広報紙のゲラ刷りを届けようやく自宅に戻れました。

素敵な想い出になる?

2008年02月06日 13時19分10秒 | PTA&学校(19年度~)
昨日は、PTA広報紙「○☆」第123号の校正依頼がありました。先週チェックをお願いした校長先生からの指摘が想定外に多かったものですから、担当者は集合時間より早く登校し、印刷会社への校正依頼準備をしました。一番早いAさんは、仕事で9時半からの集まりに出席できないということで、8時前に登校し自分の担当分だけ直して引き継いでいかれました。

私も9時15分には到着できるよう早目に家を出るつもりでしたが、Aさんからメールを頂いたときには、驚くやら感動するやらで、9時には登校できるよう支度をせざるを得ませんでした。案の定、Aさんから連絡を受けたらしい数名は、PTA室で既に校正準備をしており、本当に頭が下がりました。広報メンバーのヤル気は、やはり半端ではありませんでした。

小学校でPTA事務局(執行部または本部とも呼ばれます)をしていたBさんCさん、小・中で広報を経験しているDさんEさんなど、凄いメンバーがたくさんいるので、いざとなれば頼りになりました。印刷会社の方には、来校時間を10時から12時に変更して頂き、作業を続けました。結局は午後1時頃までかかりましたが、皆と雑談もできて楽しかったです。