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走快エイトの気まぐれ人生

家族・スポーツ・スペシャルオリンピックス・教育・消防団・仕事・テレビ番組などの話題を、気ままに綴っていきます。

お巡りさん、ありがとう!

2009年02月10日 05時45分49秒 | 
昨夜の帰宅後、遅い食事を済ませテレビを見ていたところ、22時過ぎに電話がかかってきました。こんな時間に電話してくるなんて親戚の不幸か、次男の野球部の連絡網かなと思って受話器を取ると、驚いたことに相手は隣町の駐在所勤務のお巡りさんでした。盗難届が出されていた娘の自転車をある学生が乗っているのを見つけたので、学生を注意して自転車を確保したので、これから家に届けたいとのことでした。

昨年の12月、駅前の駐輪場から盗まれた当時は、私と女房で休日を使って2~3日かけ駅の周辺地区(大学の駐輪場を含む)や繁華街を探し回ったのですが、見つからず、1週間後に新しい自転車を購入したのでした。遅い時間だし、こちらから引取りに行かねばならないところ、わざわざお巡りさんに届けてもらうなんて申し訳ないと思い、「11日なら休日ですから娘と共に、引きとりに行けます。」と応答しました。

しかし、お巡りさんは盗難届が出ていた自転車を見つけたので、すぐにでもこの事件を終わらせたいらしく、30分で到着するからというので、お願いしました。二人のお巡りさんにより、車で我が家に自転車が届くと、嬉しい気持ちと、こんなに遅くまで働いているお巡りさんに感謝の気持ちでいっぱいでした。聞けば、日勤なのに残業してこの事件に係わったとか。早く帰宅したかっただろうに、本当に感謝、感激です。

他人から見れば、たかが盗まれた自転車1台が見つかり、それが警察官によって持ち主に届けられただけ、大したことではないと思われることでしょう。しかし、被害者にとって、この出来事がどれだけ有り難いことか…。新聞やテレビのニュースに出るようなことではありませんが、お巡りさんのこうした地道な努力、真面目な仕事振りが、国民の安全を守ってくれているんだと再確認できた、そんな出来事でした。

特別支援学級の先生の思い出

2008年08月18日 06時15分54秒 | 
何度かブログでも紹介していますが、現在中学2年で野球部の活動を頑張っている3番目の子は、生まれながらに知的な障碍(しょうがい)を持っています。この子の成長には、現在で言う「特別支援」の先生方の存在が、家族以上に大きく関わっていると感じています。3年保育の幼稚園では、まだオムツがとれない上、口から出る言葉は「アー、ウー」だけでした。しかし、当時の園長先生からは、「この子は言葉が出ないけれど、相手が何を感じているのか、何をして欲しいのか先を読む才能があります。」と褒められたことがありました。

本格的に「特別支援」の先生方と向き合うようになったのは、二男が地元の普通小学校に受け入れてもらってからでした。私は同校で2年間PTA会長をしていたので、校長をはじめ大勢の先生方と深い交流を持たせて頂いていました。入学直前に校長・特別学級・普通学級の先生方と両親で会談を持ち、しばらくは普通学級で様子をみることにしました。そして、他の児童の成長についていけなくなり「遅れ」を自覚する場面が多く見られるようになってから、特別学級への通級を始め、3学期から特別学級へ本格的に編入となりました。

そして、奇跡が起こりました。成長と共に二男の心に「話したい。」という気持ちが高まってきていたせいだと思いますが、編入後間もなく二男の口から言葉が溢れ出てきたのです。今でも先生方には、感謝しています。先生も、きっと二男の豹変に接し、仕事に遣り甲斐を感じてくれたことと思います。毎年のように特別学級の担任は変わりましたが、二男にとっては多くの先生と知り合えて良かったのかもしれません。北総地区の合同行事では、転勤した先生とも会場で再会できるので担任が勢揃いし、同窓会気分で楽しんでいます。

写真は、毎年梅雨の時期に隣町の市民体育館で開催されている「青い麦の子ふれあい運動会」という北総地区にある全校の特別支援学級児童・生徒が集まる合同運動会でダンスを楽しんでいる様子です。先日、NHK教育チャンネルで特別支援学級の教員になるための特集番組を見ました。先生方が障碍を持つ児童・生徒と関わる際に、様々な工夫をして子どもと接している奮闘振りが見事に映されており、心の底から感動しました。

昔アイドルだった白い妖精

2008年08月02日 01時29分52秒 | 
昨夜のNHK衛星放送のスポーツドキュメントという番組で、かつてモントリオール五輪で史上初の10点満点を女子体操で7回も達成した「白い妖精」と言われたナディア・コマネチさんの特集を見ました。実は、私も彼女と同じ年齢でして、当時は体操競技を真面目に取り組んでいましたので、彼女こそ我が愛しのアイドルでした。中1の時からずっと、授業で使っていた透明のケース製の下敷きには、彼女のポスターを入れていた記憶があります。

彼女は幼稚園の頃から、コーチに才能を見出され体操の英才教育を受けていたことを知り、自分との違いを認識できました。私は、小学生の頃にテレビで虜になった仮面ライダーのアクションに憧れ、小4から週に1度授業で行われたクラブの時間に体育クラブを選択し、体操競技の魅力を知りました。運動会では、クラブの仲間とマット運動の演技披露をしたことを覚えています。そして、当然ながら中学に進学しての体操部にすぐ入部しました。

五輪の後も、コマネチ選手の活躍にはずっと注目していました。彼女が来日し、その試合風景がテレビ中継されると、当時はビデオレコーダーがなかったので、各種目の演技中のテレビ解説者の声をテープレコーダーに録音して何度も聞いたものです。番組中では、アメリカに亡命した後の彼女の生活状況についても触れており、現在はアメリカの金メダリストの体操選手と結婚し、共に同じクラブで体操を教えていることを知り、とても感動しました。

陸上のスーパースター

2008年07月27日 10時03分38秒 | 
昨夜衛星放送で放映された番組を録画しておき、今朝ゆっくり再生して見ました。それは、世界の陸上史に残る金字塔「ロス五輪で100m・200m・走る幅跳び・400mリレーの4種目制覇、ロス&ソウル五輪で100mの連続優勝」を達成したカール・ルイス選手(アメリカ)の特集番組でした。彼の偉大な記録とは別に、いくつもの驚かされる事実を知らされ、ブログを書く衝動に・・・

両親が陸上選手だった彼には、二人の兄と一人の妹がいて、子どもの頃は他の兄弟が華々しい活躍をしていた。背が低くて体格に恵まれなかった彼だけは、全く目立たなかったけれど、黙々と両親が経営する陸上クラブで練習を続けていた。ところが、高校になって急に背が伸びた彼は、徐々に力をつけてきて、とうとう大学でテレツコーチとの運命的な出会いがあったそうです。

コーチは、もっと速く短距離を走れる独自の理論を持っており、それを世界で初めて具現化したのがルイス選手でした。この画期的な走法は、筋力がそれほど発達していない彼でも一流選手に成り得るものでした。大学での厳しい練習の末に実力をつけた彼は、23歳でロス五輪に出場し、上記の偉大な記録を達成しました。しかし、彼が生涯最高の記録を出したのは、30歳の時でした。

そのレースでは、6歳年下で同じ大学・同じコーチに学んでいた後輩(世界記録保持者)が出場しており、彼は勝てる自信が持てなかったそうです。その際に助言を求めた彼にコーチは次のようなことを話したそうです。「君はこれまで1度も完璧なレースをしたことがない。自分のレースを完璧にできれば、勝てる。」と。そして、彼は見事に当時の世界新記録で優勝しました。

これまで、彼については、生まれつき陸上の才能に満ち溢れており、幼い頃からトップアスリートとしての英才教育を受け、いわゆる温室育ちのもやしっ子のような印象を持っていました。しかし、この番組により、中学の頃までは背が低くて全く注目されていなかったとか、大学でコーチとの出会いを通じ人生が変わったことなど、多くの事実を知ることができ、とても感動しました。

獅子舞

2008年07月20日 06時49分29秒 | 
昨夜は、女房の実家がある地区の獅子舞を見てきました。いつも7月の今頃の土曜に行われているのですが、成田空港勤務時代はなかなかスケジュールが合わず、ずっと見にいけなかったのです。横浜に異動となってからは、完全に土日は休みなので、本当に久し振りの観戦となりました。野球部の試合から帰ってきた次男と二人で女房に送られて神社まで行きました。(女房は、塾に行っている長女の迎えがあるので、しばらくして帰宅しました。)会場となる神社では、所狭しと大勢の見物客と露天商を担当する地元の方たちで溢れていました。

20年前の結婚した年には、神社の特別な観覧席に招待され、女房と座って獅子舞を見たこともありました。昨夜は、一般の見物客と同じく境内の周りから見物しました。中学でPTA会長をしている女房の兄は踊り手の一人で、ずっと前から猿獅子や、獅子3役を順番に担当されているそうです。そう言えば、女房の亡父も獅子で剣(つるぎ)の舞というトリを飾る大事な役を踊っていたと聞かされたことがあります。千葉県の無形文化財に指定されているそうで、若手を育てるのは大変でしょうが、ずっと獅子舞を続けていって欲しいと思います。

マイ・グレート・ティーチャー②

2008年03月12日 06時06分11秒 | 
昨日の中学卒業式では、久し振りにY小校長のS先生とお会いできました。S先生とは、平成10年度に地元のA小で知り合ってからの長い付き合いです。当時、S先生は他市町村の学校からA小に赴任されてきて、私はA小PTA会長1年目という関係でした。S先生は、気さくで気配りの達人でした。(S先生は4年A小に勤務後、他市町村に移り、再び当町に戻りY小勤務中です。)

また、行政では社会教育を長く担当され、PTAや子ども会との付き合いも良くご存知だそうで、私にとっては良き相談相手・先生でした。私が会長2年目に町P連の会長を兼任した際には、印旛郡市PTA連絡協議会(郡P連)の幹事をされていたS先生は、会議の度に私をマイカーに便乗させて下さり、車内で楽しく話をしながら一緒に開催地の成田市へ出かけたものです。

私がPTA活動で色々なことにチャレンジしようとすると、よくS先生から「お考えは素晴らしいのですが、これまで前例がありません。保護者や地域の方からクレームが出た際には、その処理でお困りになることでしょうから、もう1度良くお考えになった方がよろしいのでは…」と諌められたものです。アイディア家であると同時に、行動には慎重な面もある方でした。

私が会長を退任した後も、言葉が口から出てこなかった次男について、親身になって相談に乗って下さいました。入学式の数日前には、S先生・担任・特殊学級の先生と、次男&私ら夫婦で教育方針について話をさせて頂けました。S先生のお陰でA小に入学できた次男は、まず普通学級に入り、他の児童と比べ遅れが目立ち始めると、3学期から特殊学級に移りました。

そして、間もなく奇跡が起こりました。生まれてからずっと「あ~、う~」しか言えなかった次男の口から、片言の言葉が出てきたのです。それからは、乾いたスポンジが水を吸収するが如く、凄い勢いで言葉を覚えていき、それに比例して学習面でも改善が認められました。A小の先生方には、本当に感謝しています。中でも、S先生は、私にとって人生の恩師です。

昨年の第1回目では、中学時代の英語の先生について書いています。クリック

まさかの偶然

2008年02月09日 09時21分45秒 | 
今朝、高1の娘から興味深い話を聞かされました。千葉県内で実施されている特色科選抜試験のため2日間学校が休みで、友だちと遊びに出かけた時のことです。なぜかNHKで放映中の連続テレビ小説「ちりとてちん」が話題にあがり、大勢の友だちが楽しみに見ているということが分かったのだそうです。女子高生が「ちりとてちん」に興味を持つとは、意外な気がしました。

毎週土曜の午前中に1週間分のドラマをまとめてBS2チャンネルで放映されるので、我が家では私が録画してDVD-RAMにダビングしておきます。それを、娘が暇な時に見ていたところ、私同様にはまったようです。多分、よその家でも同じなのではないでしょうか。毎日2回放映されるとはいえ、学生が8時15分又は12時45分にを見ることができるはずはありませんから。

ドラマの主人公は、女性噺家の「若狭」こと貫地谷しほりさんですが、登場人物がそれぞれ個性豊かで魅力的です。私は一番弟子の草原こと桂吉弥さんが「底抜けに」大好きになりました。彼は本当の噺家であり、ドラマでこそ落語の知識はあるものの「あがり症」で本番に弱い役を演じていますが、本当の腕前は凄いです。古典芸能と言われる落語を、新鮮に感じさせる脚本家の腕前もぴか一です。

もう残りわずかのようですが、毎回見逃さぬようにしたいと思います。実は、3交替制の仕事中も、45分間の昼休みにこのドラマを見ることができるよう時間調整しています。 PTA会長時代、毎回原稿を見ながらでないと運営委員会のあいさつを話すことができなかった私には、長い話を絶妙な「間」をとって話す落語家の業には脱帽です。以前も同じようなことを書いていました。(→クリック

100回目の「ちりとてちん」

2008年01月30日 13時26分28秒 | 
NHK連続テレビ小説「ちりとてちん」は、今日で放送回数が大台に乗りました。「徒然亭草若(つれづれていそうじゃく)」の4番弟子で、これまでは滅多にしゃべらない役の四草(しーそー)が記念する100回目の主人公とは、とても意外でした。落語を扱っている・登場人物がそれぞれ個性の強い素敵な人ばかり・脚本の素晴らしさなど、魅力の多い作品です。

殆ど欠かさず見続けているほど、今回のドラマには夢中になっています。今回は、四草の入門当時のエピソードや現在ホールで落語を披露しているなど、本当に興味深い場面が多かったです。四草を演じている加藤虎之助さんの個性も魅力的で、プライベートでは仮面ライダーのように物凄いバイクを乗り回しているライダーなのだそうで、かっこよすぎます。

掲載した写真は、「ちりとてちん」のHPから以前入手したものです。

障碍を乗り越えた女優

2007年12月27日 17時01分43秒 | 
今朝、先日録画しておいた「一期一会 キミにききたい!」というNHK教育で毎週土曜夜に放送されている番組を見ました。そこには、岡田絵里香さんという生まれつき耳の聞こえない新人女優が出演していました。以前も彼女を芸能ニュースで見かけたことがあったかもしれませんが、彼女の口から『本当に辛い人生を歩んだ経験がある者だからこそ言える言葉』が出た時には驚きました。

何事にも消極的で、挑戦をためらってばかりの女子大生との対談で、絵里香さんが言った強烈な言葉とは…。「あなたは、ドン底に落ちたことないでしょう。」とかいった言葉でした。24歳のかわいい新人女優から、まるで人生を悟ったベテラン評論家が言うような厳しい言葉が出てくるとは…彼女のことが知りたくなり、ネットで調べてみました。興味のある方はどうぞ。(参考→クリック

不思議ちゃん

2007年09月29日 17時40分40秒 | 
今日は、4月に採用されたばかりの職員で、現在同じチームで働いている自称27歳の女性Aさんのことを紹介したいと思います。人気沸騰中の女優「堀北まき」をちょっと小さく地味にした感じのAさんですが、新入社員自己紹介では明かされなかった経歴について先日知らされました。なんと、大学生時代に1年間ディズニーランドでアルバイトをしていたのだそうです。

19日にディズニーランドで研修を受けてきたばかりの私にとって、そこで働いていた経験があるなんて、とっても羨ましく思えました。学んできたことの一部を話すと懐かしそうに頷いていました。また、最初に就職したのは、国内大手のビール会社だったそうです。なんでも、当時は家族で飲むビールさえ自社製品しか許されていなかったとか…本当かどうか疑わしいですが。

私よりずっと若いAさんですが、私の知らない世界を知っていて、話をしていると、興味深い話題が次から次へと出てきます。私にとっては、Aさんこそ正しく「不思議ちゃん」そのものです。この10月には新たに多くの職員が採用されてくる関係で人事異動も多少ありましたので、Aさんをはじめ若い職員たちともチームワーク良く、頑張っていこうと思います。

ウィーバーが完封勝利

2007年08月13日 11時09分48秒 | 
過度の期待を寄せていたマリナーズのウィーバー投手ですが、故障が癒え復帰してから、ようやく今日の試合で本領を発揮してくれたようです。初回こそピンチがありましたが、イチロー選手の好守備(ホームラン性の打球がフェンスのクッションに当たり、跳ね返った直後の処理を的確に行い、相手の得点を阻止したプレー)にも助けられました。

彼が他のチームにいた頃は、憎らしいほど良い球を投げていましたが、マリナーズに移籍してきた今季は、伸び悩んでいました。なかなか勝ち星がつかず、負けが続いての故障リスト登録となりましたが、今日の彼の活躍でチームに勢いがついてきた感じさえします。そういえば、2年前のワールドシリーズを制したカージナルスでは、後半になって大活躍し優勝に貢献していました。今季もマリナーズを優勝に導いて欲しいものです。

マイ・グレート・ティーチャー①

2007年05月30日 21時31分22秒 | 
私が初めて中1で英語に出合った際、英語を好きになるきっかけを作って下さったK先生こそ、私にとってグレート・ティーチャーの一人だと思います。当時の私は、英語が楽しいものだと先生から学びました。今でも、当時習った「サウンド・オブ・ミュージック」に出てくる様々な歌を覚えています。そのK先生が、定年を迎えた後に、うちの中学にスクールサポーターとして週3回派遣されて来ているのです。

昔は、NHKの朝ドラ「さくら」の主人公だった日系人のさくら先生のような感じの先生でした。長男と長女も時々、習熟度別に英語の授業を受ける際にお世話になっていましたので、偶然にも親子でK先生に英語を習えたことになります。K先生と職員室でお会いすると、英語教育のことでよく話が盛り上がります。K先生の年齢を感じさせない、底なしのバイタリティーには毎回驚ろかされるばかりです。

つい先日も、PTA歓送迎会で会場へ向かう送迎バスの中で、K先生と同席させて頂き、最新の英語学習方法などについて熱く語り合うことができました。偶然、私がテレビで見ている英語講座の番組を先生もご覧になっていて、話が合い一層楽しい時間を過ごすことができました。また、ブログのねた切れの際には、マイ・グレート・ティーチャー②をご紹介したいと思います。

カーペンターズの思い出

2007年04月20日 23時55分26秒 | 
今夜、NHKでカーペンターズの特集がありました。私が中学に入って初めて英語の世界を知った時、恩師であるK先生に英語の勉強になるからと推薦してもらったのがカーペンターズの曲でした。昭和50年当時中学生だった私は、(計算すると私の年齢が分かってしまいますね)多くの同級生がビートルズを好んでいたようですが、私はカーペンターズを中心にポップスを聴いていました。

カーペンターズのデビュー曲は、ビートルズの曲をカバーした「涙の乗車券」だったと知り、なるほどと頷いてしまいました。中3の時、必死に当時ヒットしていた「Only Yesterday」の歌詞を暗記したものです。私にとっては、「Sing」「Yesterday Once More」をはじめ数々のスーパーヒット曲よりも、「Only Yesterday」が青春の1ページと重なって記憶に深く残っています。

懐かしい思い出がカーペンターズのヒット曲と共に走馬灯のように浮かんできます。番組では、学生時代にラジオやレコードで歌を聴くだけだったカーペンターズについて、ステージで歌っている映像を見ることができて新鮮に感じました。明日、出勤の前にカーペンターズのCDを久し振りに聴いてみようと思います。

18から52へ

2007年03月23日 09時34分46秒 | 
21日放映された「スポーツ大陸」“大リーグへの道・桑田39歳の挑戦”の録画を後で見て、とても感動しました。桑田投手は、21年間活躍した日本プロ野球界を去り、現在大リーガーになるため2軍のマイナーからの挑戦中です。背番号もエース・ナンバーの18から52と変わりました。球威こそ全盛期に比べ落ちたとはいえ、彼の真骨頂である投球術は大リーガーと対等の勝負を続けているようです。

番組では、彼の日本球界での歩みの中で、壁にぶちあたった時のことも紹介していました。彼は、小学校3年から野球を始め、投手として順調に成長してきました。しかし、PL学園へ入学直後メッタ打ちにされ、一時は投手を諦めようとしたところ、幸い当時のコーチに可能性を見出され再び投手を続けようと血の滲むような努力をしたそうです。彼は投手生命をコーチに救ってもらったことになります。

彼は自ら作った少年野球チームの選手に対し、日本を去る前に「失敗してもいい。だるまさんを思い出して。プロの選手でも失敗はする。君たちがしても当たり前だから。大事なのは、失敗しないことではなく、起き上がってくることなんだ。そのとき大事なのが努力だ。自分が頑張った分しか返ってこないよ」と話していたのが、心に響きました。松坂投手だけでなく、桑田投手にも一花咲かせて欲しいものです。

今日から選抜高校野球大会が開幕しました。球春を祝いテンプレートを春「青い桜」からスポーツ「野球」に変えてみました。母校の成田高には、昨年のセンバツで2回戦敗退でしたので、是非今回は2勝以上してもらいたいです。

二人の母

2006年10月25日 16時48分48秒 | 
私は、両親と同居を続けています。毎日顔を合わせる母は、私を産んでくれた人で、人間的にも素晴らしい女性です。父が倒れてからというもの、献身的な介護を続けています。父が外出する際は運転手として同伴していますし、私の子どもの面倒も大変良く見てくれています。

しかし、たまには愚痴も出てしまいます。年をとれば、動きも鈍くなり、物忘れも多くなるのは当然です。また、せっかちな性格のため、何度も同じことを指摘してくると、家族としては「またかよ。」って気になってしまいます。

女房の母は、たまにしか会わないこともあり、私の目からは欠点の見当たらない魅力的な女性に見えます。今日、用があって女房の実家へ行くと、義母が近所のおばあさんと話をしていました。輪に加わるよう促されたため、二人のおばあさんを相手にすることになりました。

いざ話し出すと、それぞれの家庭のこと、子ども(孫)の教育のこと、世間一般のことなどで話が盛り上がり、あっという間に時間が過ぎてしまいました。義母の人柄のせいか、昔から女房の実家は敷居が低く、近所の人がよく集まって井戸端会議をしやすいようです。

女房に聞いたのですが、義母は人柄が良く口が硬いので、近所の人たちからよく相談を持ちかけられるそうです。元教師のように博識である上にユーモラスなところもあり、いつも前向きに生きており、尊敬できる人生の大先輩です。明日、二人の母は老人クラブの日帰り旅行で、一緒に渡良瀬峡谷方面へバスで出掛けるそうです。