走快エイトの気まぐれ人生

家族・スポーツ・スペシャルオリンピックス・教育・消防団・仕事・テレビ番組などの話題を、気ままに綴っていきます。

親友の新刊が売上1位?

2010年01月24日 09時02分33秒 | 
学生時代の親友で、22日(金)には新年会で一緒に飲んだくらい交流のある羽根田君(これから紹介する本の作者ですから、実名を出しました。)が、最近自信を持って書き上げた『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』をご紹介したいと思います。彼は、これまでにも多くの山岳書を執筆してきています。今回の本は、目次しか見ていませんけれど…

19歳の頃、彼の家に泊まったことがあります。アルバムを見せられてビックリ!山登りが好きと話には聞いていてけれど、山の風景や山登り中の写真ばかりでした。世の中には、こんな変わり者がいるのかと、カルチャーショックを受けたものです。現在は、沖縄出身の奥さんの影響か、1年の半分近くは沖縄に住み、海にも興味を持っているとか…

タイトルに書いた売上1位?の意味ですが、神田神保町にある書泉グランデという書店の山岳書コーナーで売り上げが1位を記録したのだそうです。平凡社から出版された1月の新刊で、256ページ税込みで定価798円です。多少でも山に興味のある方は、一読されることをお勧めします。著者紹介を見れば、私こと走快エイトの年齢や出身校が分かるかもしれません。

最後に、この本の概要を掲載させて頂きます。
≫ひんぱんに報じられる山の遭難事故。厳冬期の北アルプスだろうと、ハイキングで行く山だろうと、遭難事故は、いつ、誰に起きても不思議ではない。「自分だけは大丈夫」「私は危険な山には行かない」-------そんなふうに考えているとしたら、あなたも“遭難者予備軍”だ。“明日はわが身”にならないために、今こそ、「山でのリスクマネジメント」を考える。

憧れの大先輩(パート2)

2010年01月24日 07時59分36秒 | 
前回ご紹介しました大先輩は北海道出身で、現在は千葉県にお住まいです。今回の大先輩は、九州出身のBさんという方で平成元年に、私が横浜の出張所から成田空港支局に異動した際、同じ夜勤班で1年だけお世話になった男性です。その後、Bさんは福岡局をはじめ故郷の九州方面に異動し、現在は四国の某出張所で所長をされています。背は小さいのですが、耳が潰れており、見た目はヤクザかマル暴担当の刑事って感じで、迫力満点の容姿。

大学までバリバリの柔道少年であり、知り合った当時は仕事がオフの時には、近所の高校の柔道部へコーチに出かけていたとのこと。教員の免許もお持ちとのことで、高校生に会うと、先生にもなってみたかったという気持ちを思い出すと仰っていました。確か、あの当時幼稚園だったお嬢さんは、先生になったと風の噂で聞きました。また、Bさんは、ヤワラちゃんこと女子柔道の谷亮子選手に稽古をつけたこともあるそうで、その人脈の広さは凄いです。

大変に面倒見の良い方で、4日に1度回ってくる日勤の帰りに、何度も飲みに連れて行って下さいました。当然ながら、いつも奢って頂きました。私が何度目かに「代金を支払わせて下さい。」と頼むと、「おまえが将来、後輩に同じようなことをしてやれよ。」と言ってお金を払わせてくれませんでした。演歌が大好きで、特に鳥羽一郎さんの曲を好んで歌われていました。私も、Bさんに憧れた影響で、鳥羽さんの曲をカラオケでよく歌ったものです。
左隅にあるカテゴリーへ「人」を加えました。

憧れの大先輩(パート1)

2010年01月19日 17時46分10秒 | 
かつて、マイ・グレート・ティーチャーと題し、お世話になった多くの先生方の中で、特に想い出深い方をブログで紹介したことがあります。(興味のある方は、左横にあるバックナンバーから2007・5・30/2008・3・12/2008・8・18のブログをご覧下さい。)今回は、職場でお世話になり、憧れた方を紹介していきたいと思います。第1回は、北海道出身のSさんです。

あの方との出会いは、私が就職して2年目の昭和58年まで遡ります。場所は、当時横浜の本牧にあった出張所で、庁舎の脇には社員寮がありました。Sさんは、奥さんと二人のお子さんを連れて、小樽港出張所から転勤されてきたそうです。独身寮に入っていた私は、よく同僚と共にお宅に招待され、ご馳走してもらいました。

とても歌が好きで、北島三郎のショーで前座に唄ったとか、レコードを出した経験があるといった逸話もお持ちでした。Sさんの周りは、いつも人が集まり、賑やかでした。奥さんも明るくて素敵な方でしたので、よくご夫婦で私の人生相談にも乗って下さいました。自分も将来は、Sさんのようになりたいと思ったものです。

私の結婚披露宴では、Sさんに職場代表で出席して頂きました。成田空港時代も、同じ夜勤班になったり、何かとご縁がありました。職場の同僚たちとテニスや野球をしたり、旅行へ行ったり、楽しい思い出がいっぱい作れました。Sさんが退職される際は、彼にお世話になった若手職員が率先してパーティーを開いてくれました。

成田市内のホテルで、大勢の職員が集まり、それは豪華な催しでした。Sさんほど、人に好かれた先輩を私は他に知りません。人を育てることをライフワークとしていたようで、多くの職員がSさんのお陰で育っていきました。未だに年賀状のやりとりは続けているのですが、久し振りにお会いしたくなりました。テンプレートをパズルに変えました。

日野原先生にまつわるエピソード

2009年12月26日 10時43分49秒 | 
昨夜、あるテレビ番組の中で日野原重明先生のことが紹介されていました。成田空港に勤務していた際、直に先生を間近で拝見したことがあります。当時でも90歳を超えていらっしゃいましたが、ご高齢にもかかわらず颯爽と歩く姿が印象的でした。先生は明治生まれであり、西暦でいうと1911年生まれだそうです。私が知っていた知識は、先生が聖路加国際病院の偉い人で、90過ぎでも働いているといった漠然としたものでした。

昨夜の放送では、驚きのエピソードも知ることができました。まずは、先生が59歳の時に、あの「よど号ハイジャック事件」に巻き込まれ、韓国の空港で解放されるまで赤軍派のゲリラに人質とされていたことでした。先生はあの経験で、死生観が変わったと仰っていました。あの事件後、自分の命は「与えられた命」と認識するようになり、いかにしてその命を世の中の為に尽くせるかを一層真剣に考えるようになったそうです。

次に、先生は、東京大空襲の際に満足な医療が出来なかった経験もあり、「過剰投資ではないか」と言う批判を抑えて、大災害や戦争の際など大量被災者発生時にも機能出来る病棟として、1992年に聖路加国際病院の新病棟建設にもご尽力されました。3年後の地下鉄サリン事件の際には、院長であった先生の判断により、事件後直ちに当日の全ての外来受診を休診にして被害者の受け入れを無制限に実施したそうです。

当時、サリンが巻かれたことが判明するまで、様々な情報が錯綜する中、同病院は被害者治療の拠点となり、一躍有名になりました。病院の設備を充実したことや被害者の受け入れに関わった日野原先生こそ、朝の通勤時間帯に起きたテロ事件なのに、犠牲者を最低限に抑えられた最大の貢献者と言えます。先生は現在、日本各地の子どもたちに命の尊さを話して回る活動をされているとのこと、本当に尊敬できる人物ですね。

スーザン・ボイルさんって誰?

2009年12月23日 08時59分30秒 | 
いつだったか、女房から「スーザン・ボイルって知ってる?凄いのよ!」と話しかけられたことがありました。その時は、特に興味もなかったので、当然ながら、その後その名前は私の記憶装置の隅っこに追いやられており、すっかり忘れていました。(写真は彼女の公式サイトから入手したものです。)

ところが、昨夜ある方のブログを見ていたら、彼女の紹介に加え、クリックするだけでYouTubeによるイギリスのオーディション番組「Britains Got Talent 2009」の様子を見ることが出来たのです。事前にブログでだいたいのことは理解していたのですが、彼女の声を聞いた途端に、目から涙が滲むほど感動しました。

教会で12歳の頃から歌っていたという経歴を持つ彼女ですが、既に48という年齢に加え、御世辞にも「ぱっとしない」ごく平凡な、どこにでもいそうな田舎のおばちゃんって感じが第一印象でした。ところが、歌いだすと魂が震えるというか言葉には現わせない程の感動を覚えました。誰もが彼女の虜になったことでしょう。

あのオーディションによって、どこにでもいそうな田舎のおばちゃんから、世界的に注目される歌手へと転身した彼女こそ、今年1年で最も躍進したシンデレラ・ウーマンだと思います。人は、見た目ではなく、中身が大切ってことを、痛感させられました。興味のある方は、実際に彼女の映像と声を聴いてみてください。→クリック

自己啓発の想い出

2009年12月12日 13時03分18秒 | 
高校を卒業してから、好きだった英語を武器にして就職すべく、東京にある英語の専門学校に2年間通っていました。その当時同じクラスで、今でも時々交流がある親友の男性が購読していた「BIG TOMORROW」という雑誌を店で立ち読みし、興味がある記事を沢山見つけたのでそれから欠かさず購読していました。

その雑誌の影響で、年齢相応だったのかもしれませんが、就職活動を視野に自己啓発の努力を色々と実践していました。それは、社会人になってからも長く続きました。先日、歳末大掃除を女房にさせられていた際、今の長男と同じ年齢だった頃に自分が作成した自己啓発の道具を見つけたので、その一例を撮影して掲載しました。

雑誌から、興味のある記事を見つけては、切り抜いておいて、不要になった暦を携帯しやすいように名刺大にして、それを張り付けたものです。来年には4回目の年男を迎える年齢になった私でも、(計算すれば私の年齢がお分りになりますよね。現在は12×4-1です。)未だに当時の切り抜き記事は興味を引かれました。

雨をしょった植木屋さん

2009年11月19日 08時11分36秒 | 
毎年恒例の植木屋さんが、今年も今日から我が家の広い庭に植えられた沢山の木の手入れに来てくれました。かつては、お父さんと息子との二人でしたから3日もあれば仕上がったものです。しかし、数年前からお父さんが引退し、息子一人となったため、昨年は1週間かかりました。日当で払うので、1日でも延ばされると困るのですが、融通がきかないというか、きっちりお茶や食事の時間を取って、夕方暗くなると仕事をやめて帰ってしまいます。

それでも、腕は確かだし、高いところも枝切りなどをしてくれるので、助かります。掲載したのは数年前に撮影したものです。トラックに備え付けられた機械を使って行う高所作業は、見ているだけで怖くなります。高所恐怖症の私には、とても真似ができそうもありません。父曰く、「庭をきれいにしなければ、お正月様をお迎えできない。」つまり、新年を迎えるため植木屋さんの力が必要だということのようです。今年もよろしくお願いします。

あいにくの雨で、午前中は濡れながらでも庭木の手入れをしてくれた植木屋さんですが、午後からは一層雨がひどくなったので今日の作業は取り止めになってしまいました。天気に左右される仕事は、本当に大変ですよね。


中年の星?

2009年11月17日 06時00分51秒 | 
西武ライオンズの黄金期に現在の渡辺監督と共に大車輪の活躍をした工藤投手(46歳)が、ダイエー→ジャイアンツ→横浜と渡り歩いて、再び古巣のライオンズに戻ることが決まったそうですね。ニュースでは、もうすぐ47歳になる彼を、中年の星と呼んでいました。

プロ野球の選手でも、ずっと同じ球団で活躍できる人は、長嶋・王・原など、ほんの一握りのスターばかりのようです。私から見ると、工藤投手は多くの球団を経験していることから、より一般のサラリーマンに親しみを感じられるのかもしれませんね。

確か、かつてイチロー選手がオリックスで活躍している時、工藤投手が最も警戒すべき偉大な選手であることをインタビューで述べていたのを思い出しました。当時、工藤投手はダイエーで投げていたのですが、イチロー選手に対し、最高の戦いを挑んだそうです。

球の速さや球種を変えるだけでなく、最後はランナーがいなくても、クイックモーションで投げてタイミングをはずしてきました。それでも、イチロー選手を抑えることは不可能でしたが、イチロー選手は工藤投手との戦いを、いつも楽しんでいたとか。

確かお子さんが4人もいる彼ですから、怪我に気を付け、多分最期の務めとなる、自分がプロ野球の世界に入った時に世話になった想い出の球団に、最高の恩返しをしてくれることを期待しています。ドラフトで入った菊池投手との関係も興味深いですね。

事故死した臼井儀人氏を偲んで

2009年09月21日 05時43分33秒 | 
不思議な夢を見ました。忘れないうちにブログに書きたいと思って、シルバーウィークで連休中だというのに5時前に起床し、パソコンに向かいました。現在「BALLAD」というクレヨンしんちゃんの映画を実写版にリメイクした時代劇ものが、上映されヒットしています。また、趣味で登山に出かけたクレヨンしんちゃんの作者である臼井儀人氏が数日前から行方不明になったというニュースに続き、残念なことに墜落事故に遭った遺体が見つかったと昨日報道されていたので、多分その二つのことが原因で次のような夢をみたのでしょう。

やはりクレヨンしんちゃんの映画で、実写版にリメイクされた作品の撮影現場に、20歳前後の私が大勢の仲間と共にエキストラで参加していました。何という作品がモデルになっているのか不明ですが、クレヨンしんちゃんに出てくる悪戯小僧風の子どもたちを数名見かけました。多分自分が見た夢だからでしょうが、私一人がエキストラの中から選ばれて、一言二言のセリフをもらえ、まるで俳優にでもなった気分で演技に挑んでいました。ギャラ(契約出演料)は、撮影が終わってから、エキストラのままの仲間よりずっと多くもらえることに…。

作業現場で働くシーンであり、同じことを繰り返し演じていたのですが、なかなか監督からOKがもらえませんでした。屋外撮影のため、途中雨が降ってくると一旦中止となり、雨が止んでから再び続行となりました。1日では撮影が終わらず、数日続きました。スタイリストがつくわけでもなく、撮影中はボサボサの髪型や不精ひげのままでいる必要があり、建設現場の日雇い人夫みたいな姿で街中を歩くのが、カッコ悪くて苦痛で仕方ありませんでした。ここで夢は終わりました。私には、妄想癖があるようですね。臼井氏のご冥福をお祈りします。

勇者の帰還

2009年07月31日 18時50分09秒 | 
日本時間の3月16日に宇宙へ向けて旅立った若田光一さんが、いよいよ4ヶ月半にわたったミッションを無地に終了し、地球に帰還する時間が刻々と迫っています。今夜11時48分の予定だそうですが、無事に元気な姿を見せて欲しいです。通常ですと、泊まり勤務明けのため、9時過ぎには寝たいところです。しかし、今夜は違います。

偉大な史上に残る出来事になることでしょうから、頑張って夜更かしして、テレビ映像を見るつもりです。今まで気が付きもしなかった若田さんのことをネットで調べ始め、偶然見つけたブログを必死に見始める走快エイトおじさんでした。皆さんも興味があれば、前述のブログの文字をクリックしてみて下さい。若田さんのブログが見れますよ。

中3生が獅子舞いデビュー

2009年07月19日 10時05分31秒 | 
町無形民俗文化財となっている獅子舞いが、女房の実家がある地区の香取神社で昨夜行われました。詳細は不詳ですが、江戸時代から伝承されており、五穀豊穣、家内安全、 悪疫退散などの願いをかけて演舞されているそうです。生前の女房の父親も踊っており、その後を継いだ義兄も長い間立派に踊り続けています。そして、とうとう今年は中3になった義兄の三男が獅子舞いのデビューをしました。

携帯のカメラ機能では、激しく動き回る獅子舞いの様子を暗い中で上手く撮影することは出来ませんでした。その代りに、脇で頑張って演奏している人たちを掲載しました。多少はお祭りの雰囲気が伝わるでしょうか?三男の他にも、もう一人中3生が獅子を踊りました。素人の私たちから見れば、多少他の踊り手より動きが遅れているくらいで、無難にまとめ、まあまあの出来だったと思います。

三男は、学校で剣道の大会があったため、遅れて神社に駆けつけました。初めての緊張からか、なかなか集中できず、神社から逃げ出そうと足が外に向いてしまったこともありましたが、家族や獅子舞いの関係者で説得し、なんとか本番までもっていきました。獅子舞いの衣装を身に付け、共に踊る父と舞台に出てきて、音楽が始まると、三男は練習の成果を存分に発揮し、頑張って踊り切り、立派でした。

獅子を舞うことで、中3生が大人の世界に仲間入りしたことは、喜ばしいことです。受験生であり、部活動の最後の大会目指して追い込みの時期に獅子舞いを練習し、さぞ大変だったに違いありません。しかし、昨夜の踊りで、きっと自信がついたことでしょう。来年も、ますます磨きがかかった獅子を舞ってくれることを期待したいと思います。いつか、我が家の次男も踊らせてもらえたら良いのですが。

天からの贈り物

2009年06月20日 07時22分36秒 | 
今朝、NHKハイビジョンで放映された「小さな旅」を偶然見ていると、「天からの贈り物」と呼ばれる物があるので興味を持って見守っていました。今回は山梨県早川町が舞台でしたが、そこはお茶と硯が名産のようでした。我が家でも私が小学生の頃、畑で摘んだお茶の葉や茎を隣町にあるお茶の製造工場に持って行き、加工していたのを覚えています。お茶なんて、今ではあまり飲まなくなりましたが、かつては毎日家族と食後に飲むのが当たり前でした。

さて、「天からの贈り物」とは何か?それは、現地で働く硯職人の方が案内して見せてくれた、硯の原石のことでした。まるで、金(きん)や石炭でも掘るような坑道の中を奥に進んだ地点に、黒光りする原石の密集地がありました。中学の頃までは、授業で習字をすることがありましたので、硯は見たことがありました。しかし、職人さんによる手作りの貴重な硯があるとは驚きでした。私が使っていたのは、機械で大量生産された安物でした。

早川町は、昔から硯の原石で有名であり、硯職人もたくさん働いていたそうですが、今ではたった一人だけだそうです。毎日、7時間も原石を削って硯にする作業を一人で続けている職人さんの姿は、地味ですがとても素晴らしかったです。小学生の男の子が2人いるけれど、この技を受け継いでくれるかどうかは未定だそうです。伝統の工芸として先代の父から引き継いできた匠の技を、興味を持った方が継いで行けば良いのですが。

親友がブログを立ち上げる

2009年06月13日 15時01分58秒 | 
長男が幼稚園に入った頃に知り合い、ずっとお付き合いさせて頂いているA子さんが、とうとうブログを立ち上げたと携帯のメールで知らされました。お互いの子供の一人が同級生で、しかも子供が小学生時代は同じサッカークラブに入っていたことだけでもご縁があるというのに、その方とはもっと深い繋がりがあります。

A子さんのご主人が同クラブのコーチをされていたのです。当然ながら、A子さんとは練習や試合での応援の際に、何度もお会いしました。コーチをされていたご主人とA子さんは、年齢も私たち夫婦と同じくらいだし、とても話が合いました。残念ながら、長男の中学卒業以降はお会いしていませんが、メールで連絡を取り合っています。

サッカークラブの同学年の子の保護者による懇親会が、いつも今頃あるのですが、今年は連絡が届いていません。同じ方に幹事をお任せしているので、参加して楽しむだけの私に文句を言う権利はありません。もし、その懇親会が今年もあるなら、昨年は欠席したので、今年は参加したいものです。A子さんとも再会できたら良いのですが。

A子さんは、匿名で飼い犬「かぼすちゃん」を主人公にしたブログを投稿されています。素敵なワンちゃんとの運命の出会いやら、家族のふれあいが感じられますので、よろしければブックマークからA子さんのブログにも立ち寄ってみて下さい。今後も私の周りでブログへ挑戦される方が現れましたら、またご紹介させて頂きたいと思います。

写真は、天国に旅立ってしまった愛犬ハナクロの、久々の登場です。

ビールマン・スピン

2009年03月29日 12時05分33秒 | 
偶然に、NHK衛星放送で初めて女子フィギュア・スケートで、独創的なスピンを発表した選手の特集を、見ることができました。片足を後ろから上げ始め、頭の真上まで持っていくまで身体をそらせるスピン。今では芸術点でも認められている高度な技ですが、発表された当時は今と事情が違っていたようです。

スイスのデニス・ビールマンという女性と、彼女を支えた両親の努力は素晴らしかったです。あまりの独創性が当時の審査員には受け入れてもらえなかったようで、高得点には結び付きませんでした。しかし、彼女が何度も試合で観客を魅了し、拍車喝采が続くうちに、審査員の考えも変化していったそうです。

フィギュア・スケートの現在のルール・ブックには、人の名前がついた技が5つあるとか。ルッツ、サルコ、アクセル、イナバウアー、ビールマン(スピン)が続きます。浅田真央選手らも取り入れていますが、身体の柔軟性をアピールする大変見栄えがするというか、心から感動させられる美しいスピンだと思います。

ドロンジョー最高!

2009年03月14日 15時50分38秒 | 
女房の仕事と次男の部活が休みとあって、女房の一声で雨の中、家族で朝から映画観賞へ行くことになりました。次男と私は「ヤッターマン」を、長男は「おくりびと」を見ました。女房は、その間に喫茶店で一休みし、買い物をして待ってくれました。残念ながら、長女は部活で一人のけものに。その分、昼食後の帰り際にホワイトデーのプレゼントを奮発しておきました。

さて、映画ですが、どっちを見ようかとギリギリまで迷いましたが、ドロンジョーを演じる深田恭子さんの色っぽい姿に引かれ、「ヤッターマン」を選びました。ストーリーの展開や迫力は、想像を超えていました。主人公は正義の味方であるヤッターマン1号と2号、そしてメカのヤッターワンなのですが、私的には悪役だけど憎めないドロンボー一味の方が魅力的でした。

トンズラーとボヤッキーという2人の男性を統率する女頭(かしら)のドロンジョーが、主人公のようにさえ感じてしまいました。深田恭子さんも、よくぞあそこまでアニメの役に成りきれたものです。ドラマの最後は、私が子どもの頃に見ていたアニメのストーリーとかけ離れており、ちょっと頭を傾(かし)げざるを得ませんでしたが、とても元気のでる作品でした。