スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

江戸城外堀巡り PARTⅢ(その1)

2019-07-01 06:25:01 | 旅 ~東京

全5回の江戸城外堀ぐるり一周の旅は第3回の溜池から四ツ谷駅までは

都合がつかず残念ながら不参加で、今回の第4回

「今も人気の大正ロマンの神楽坂、水戸徳川縁の地 小石川をあるく」に

参加してきました。

集合場所はJR四ツ谷駅麹町口出口。

そして今回も第1回、第2回に引き続いてガイドさんは

「歩き旅応援社」の歴史に精通した篠原嬢。

3回目になるとお互い、またよろしくネといった感じでアイコンタクトが通じる。

そんな人達が今回も数人いた。

まず、四ツ谷駅の目の前には上智大学のキャンパスが。

久し振りにしみじみと上智大方面を見ると随分変わりました。

上智大学の創立は1913年。

大学が始まったのが1928年と意外に古く、もう100年近い。

風景的に上智大と一体になっている聖イグナチオ教会も

約20年前に建て替えて、余計変わった。

江戸城外堀の門、四ツ谷門(ガイドさんが手に持っている写真)。

現在の新四谷見附橋の場所に橋が架かり、その東側に城門があった。

現在も城門の石垣の一部が残っている。

江戸時代には半蔵門を起点とする甲州道中にあり、

江戸城防御のための城門だった。

寛永16年(1636年)に長門萩藩主・毛利秀就によって

この城門石垣が作られたが、現在は一部しか残っていない。

特に四ツ谷駅麹町口駅舎下の所は深くのぞくとよく見えた。

4枚目の髙低差のある土塁は寛永13年(1633年)に

仙台藩・伊達家をはじめとする東国52家の大名により

牛込(飯田橋駅)から赤坂(赤坂見附)へ開削されたもの。

この外堀普請は約30年にわたった大規模なもので

これで江戸城建設は締めくくられた。

外堀の内側、雙葉中・髙等学校の校舎と

四ツ谷駅のプラットホームとはかなりの髙低差がある。

又、2枚目の写真は昭和4年に中央線複々線化工事の際に

四ツ谷駅北側の堀は埋め立てられて外濠公園となった。

現在は千代田区が管理しており、野球場やグランドなどが設けられている。

この公園と外堀通りとの髙低差も3枚目の写真を見れば一目瞭然だ。

市ヶ谷駅と外堀通りから市ヶ谷見附に向かう道路は

立派な石垣でできているのがわかる。

この日は米国トランプ大統領ご夫妻が令和に成って初めての国賓として

来日ということで都内はいたる所で厳重な警備が成されていた。

この地も然りである。

市ヶ谷駅ホーム、路線と外濠とはこのように背中合わせなのがよくわかる。

ガイドの篠原嬢が持っているのが市ヶ谷門の古い写真。

そして市ヶ谷交番の裏手に市ヶ谷御門の橋台の石垣石がある。

赤坂から四谷・市ヶ谷・牛込橋にいたる掘割や土手、

外郭門の石垣などが昭和31年に江戸城外堀跡として国の史跡に指定された。

CMやドラマで見かけた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

市ヶ谷駅ホームから見える釣堀の市ヶ谷フィッシュセンター。

私はここの思い出が沢山あり、久し振りに来て(おそらく50数年振り)

大変懐かしくなりました。

というのも昔、我が家では池に鯉を飼っていて

父親に連れられて何回も買いに来た所だからだ。

文明11年(1479年)に太田道灌が

鶴岡八幡宮から勧請して建立した市谷亀岡八幡宮。

こんな所に立派な神社があるなんて知らなかったナー。

江戸時代には境内に時の鐘があった。

銅鳥居は新宿区唯一のもので文化元年(1804年)造。

又、この水鉢台座は几号水準点に成っている。

境内には他に祭礼の時などに村人が力くらべをした力石が合計7個奉納されている。

一番古い力石は寛政6年(1794年)奉納されたものがある。

ここ八幡宮は髙台にあり、近くに防衛省本省の建物が見えた。

防衛省のある市ヶ谷台は明治7年に陸軍士官学校が開校したことがスタート。

そんな関係でか神社近くの境界地に今でも陸軍省所轄という

石標が残っていることには驚いた。

本当に名も無い路地にひっそりと眠っているという感じだ。

坂の上に浄瑠璃の芝居小屋があったことからこの坂を浄瑠璃坂と呼ばれた。

宇都宮藩・奥平家の家老同士の喧嘩から

仇討ち事件の現場になったことでも知られている。

神楽坂の手前に築土神社という小さな神社がある。

ここには堀兼の井という史跡がある。

この井の意味は掘りかねるというところから来ており

掘っても掘っても水が出ない為、皆が苦労してやっと掘った井戸という史跡だ。

神楽坂若宮八幡神社は鎌倉時代に源頼朝公により建立された由緒ある御社で、

御祭神は仁徳天皇、応神天皇だそうだ。


最新の画像もっと見る