スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

とげぬき地蔵の街 巣鴨

2020-03-14 06:12:04 | 旅 ~東京

巣鴨地蔵通り商店街は旧中山道にある。

江戸の中期から現在に至るまで商業や信仰の場として発展してきた。

全長約780m、店舗数は約200ある。(2018年時点)

実は前々からこの地に来たいと思っていたが

初めて今回仕事の関係で奥の庚申塚の方から商店街を歩くことができた。

すがも史跡まっぷによるとこの周辺には多くのお寺があり有名人の墓がある。

本妙寺には遠山金四郎、千葉周作、歴代の本因坊の墓が。

慈眼寺には司馬江漢、小林平八郎、芥川龍之介、谷崎潤一郎の墓、

勝林寺には田沼意次、意知父子の墓がある。

又、この一帯は染井の地名で桜の染井吉野の発祥の地でもある。

この通り、街は「おばあちゃんの原宿」と言われ、

やすらぎと生活空間が同居する活気にあふれた街だが、

今、新型コロナウイルスの為、この通り、とげぬき地蔵尊はガラガラであった。

曹洞宗の高岩寺(通称とげぬき地蔵)の創建は1596年(慶長元年)、

扶岳太郎が江戸神田湯島に開いた。

1891年(明治24年)に現在の地、巣鴨に移転。

1945年(昭和20年)東京大空襲で建物を全焼し、

現本堂は1957年(昭和32年)に再建されたものである。

本尊は地蔵菩薩(延命地蔵)で秘仏につき非公開となっている。

とげぬき地蔵の由来は江戸時代、

武士の田付又四郎の妻が病に苦しみ、死に瀕していた。

又四郎が夢地に立った地蔵菩薩のお告げに従い

地蔵の姿を印じた紙一万枚を川に流すと、

その効験あってか妻の病が回復したという。

これが寺で配布している「御影」の始まりであるとされる。

その後、毛利家の女中が針を誤飲した際、地蔵菩薩の御影を飲み込んだ所、

針を吐き出すことができ、吐き出した御影に針が刺さっていたという伝承もあり

「とげぬき地蔵」の通称はこれに由来する。

そこから他の病気の治癒改善にもご利益(りやく)があるとされ、

現在に至るまでそのご利益を求めて高齢者を中心に参拝者が絶えない。

境内に立つ石造の聖観音像で「洗い観音」と通称される。

自身の治癒したい部分に相応する観音像の部分を洗う、

または濡れタオルで拭くとご利益があるという。

かつては像の表面をたわしで擦っていたため摩擦が激しく、

2代目の像が製作された。

現在の像は平成4年に奉納されたものである。

この観音像の前にはステンレス製のウエイティング用の柵が設けられているが、

ひょっとしてこの像をとげぬき地蔵と勘違いしている人が多いのではないか?

山門の横にはちょっとしたポケットパーク的休憩エリアがある。

年配者の参拝者が多いので休む場として普段は混むのだろうが、

コロナウイルスの影響のせいか、ベンチもほとんど空いていた。

線香、お札販売の所に売られていた「健康十訓」手ぬぐい。

少と多を使った4文字熟語十訓。

ちょっと気に成ったのが

「少言多行」べらべらしゃべっている間に行動を開始せよ。

「少欲多施」自分の欲望のために走らず他人のために走れ。

「少憂多眠」くよくよしたって同じ、とっとと寝てしまおう。

昨日アップしたときわ食堂庚申塚店の姉妹店の巣鴨地蔵通り店。

この時期売りのかきフライののぼりに書かかれた2文字がすごい。

「最幸」又「魚、足りてますか!?」の文字、意味不明。

大学いもで有名な「おいもやさん興伸」。

当店は明治9年の創業でなんと140年の歴史を持つ。

その間、関東大震災、第二次世界大戦の艱難辛苦はわかるが

昭和45年ファーストフード元年が大学いもにとって逆風とは

随分業界によってちがうものだ。

当店の大学いもは当店おすすめの「さつま」と

ほくほくした甘みの「あずま」がある。

いかにも3時のおやつで食べたくなったので会社へのお土産として買ってしまった。

生活衣料のマルジさんは創業1952年。

巣鴨に来るおばあちゃんに元気な素敵生活を提案。

靴下コレクションは日本一と書かれてある。

この大型店の前には日本一の赤パンツで有名な女性用と男性用の店がある。

数多く売られているパンツの色はすべて真っ赤だ。

他にも昔懐かしいはんてんの店。

還暦3点セットなどを売っている店。

杖専門に売っている店など高齢者向けの

他の商店街にはない独特の店が並んでいた。


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