文京区小日向にある曹洞宗慈照山日輪寺。
この辺りは寺が多くある。
日輪寺はもと真言宗の寺院で平安時代の初期
武蔵国豊嶋郡小日向村の惣鎮守氷川神社
(小日向神社)の別当寺として、現在地に草創
されたと伝えられている。
慶長13年(1608年)、松梄用鶴大和尚に
よって曹洞宗に改められた。
昭和27年現本堂が落慶して寺容が整えられた。
本堂裏手の近陵には境内墓地がある。
矢田揮雲の「江戸から東京へ」の中で
「東京市内でも、最も優勝な地勢を占め、品川辺の
寺々より眺望絶佳である」と書いてある通り、
遠くに高層ビルが見え、素晴らしい眺めだ。
日輪寺はかつて旗本寺とも呼ばれた禅利で
墓地には名の知られた人々が多く眠っている。
明治11年、仙台に生まれた劇作家、真山青果の
墓がある。青果は明治40年、短編集「南小泉村」
で文壇に登場。大正13年「玄朴と長英」を
著し「平将門」「元禄忠臣蔵」など綿密な
資料研究を基礎にした情熱的な歴史劇
を多く残した。
昭和23年没。
墓はご覧のように、雑草が繁り
荒れ果てていた。
江戸後期の経世家林子平一門の墓
林子平は元文3年(1738年)生まれ、高山彦九郎
蒲生君平と共に「寛政の三奇人」といられた
寛政5年(1783年)没し、墓は仙台市
龍雲院にある。
日輪寺境内には、今も清水がこんこんと湧き
庭内の蓮池に注いでいる。この湧水は
どんな干ばつの時でも枯れることがなかった
という。それは池に竜神が住んでいたから
といわれている。
そして、この池に今年初めて、カルガモ親子
が住みついたと住職から聞いた。
浅草寺のほうずき市で買われた風鈴の音が
夏の風情を醸し出している。時空を超えた日本の夏が
ここにもあった。