スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

青山墓地 PARTⅡ(その2)

2019-02-25 06:31:56 | ご近所情報

その1では12名の著名人のお墓を紹介したが

その2では13名のお墓をアップしました。

東芝の創業者「田中久重翁」のお墓。氏は寛政11年(1799年)

筑後国久留米に生まれた。からくり時計の最高傑作

「万年時計(万年自鳴鐘)」を完成。日本第一細工師として

名を世に知ら渡らせた。明治8年銀座8丁目に工場兼店舗を構えた。

これが東芝の創業となる。明治14年82歳で没した。

第29代内閣総理大臣「犬養毅」のお墓。犬養は安政2年生

昭和7年5月15日没。号は木堂。尾崎行雄とともに憲政の神様と呼ばれた。

昭和7年5月15日日曜日、総理公邸で寛いでいた所、

夕方海軍陸軍の青年将校の一団が乱入。有名な文句

「話せば分かる」を口にしたが、興奮した青年が

「問答無用、撃て」と呼び、暗殺してしまった。五・一五事件である。

犬養毅のお墓の前には犬養と親しかった「頭山満」(安政2年―

昭和19年 89歳没)の墓があった。頭山は明治から昭和前期にかけて

活動したアジア主義者の巨頭。玄洋社の総帥でもある。

玄洋社は日本における民間の国家主義運動の草分け的存在であり

後の右翼団体の道を開いたとされる。

1861年(文久元年)大久保利通と妻満寿子の次男として生まれ

利通の義理の従兄弟にあたる牧野吉之丞の養子となった

「牧野伸顕」。氏は外務大臣、農商務大臣、文務大臣、内大臣

宮内大臣、枢蜜顧問などを務めた政治家、娘婿が吉田茂

曽孫に麻生太郎、武見敬三がいる。

薩摩藩出身の軍人、政治家「樺山資紀」(天保8年ー大正11年84歳没)

第3代警視総監、第4、5台海軍大臣、初代台湾総督、

第11代内務大臣、第14代文部大臣

このお墓(「西周」)を捜すのも苦労した。墓石には西家の墓。

墓誌を見てはじめて分かった。一番新しい故人で平成元年の子孫が居る。

西周(文政12年~明治30年 68歳没)は江戸時代後期から

明治時代初期の日本の哲学者、教育者、啓蒙思想家、

幕臣、官僚である。石見国津和野藩の御典医の家柄で

川向いには西周の従甥にあたる森鴎外の生家がある。

たまたま霊園内を散策していたら神主が、祭祀になった納骨の方々と

遭遇してしまった。少人数であったが、

青山墓地の雰囲気にあって厳かな空気が流れていた。

青山墓地には大きな一区画に警視庁の墓地がある。

各警視総監はじめ警察幹部の方々。又殉職者の墓地もある。

小説金色夜叉の作者で有名な小説家「尾崎紅葉」慶応3年生―

明治36年没 35歳という若さで、没した。明治18年、

山田美妙らと硯友社を設立し「我楽多文庫」を発刊。

幸田露伴と併称され明治期の文壇の重さをなした。

乃木希典(嘉永2年―大正元年9日)は長府藩士軍人、教育者。

日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇の後を

慕って殉死したことで国際的にも著名だ。軍の階級は陸軍大将。

第10代学習院長に任じられ、昭和天皇の教育係も務めた。

乃木大将は乃木将軍と呼ばれることも多く、「乃木神社」や

「乃木坂」に名前を残している。乃木希典を一躍有名にさせた

日露戦争において難攻不落と謳われた旅順要塞の攻略は

評価が賛否分かれている。

乃木将軍の墓所のエリアはアップアンドタウンヒルになっていて

そこを通る道路は乃木将軍通りと呼ばれている。

青山墓地には今までも紹介した通り、多勢の著名な方々が眠っているが

その中でもこの乃木将軍の墓所が最も有名なようだ。

広大な青山霊園の中には2ヶ所の立体埋蔵施設がある。

ここ第2区は東側の一番端にある。

「片山東熊」(嘉永6年~大正6年 63歳没)は明治期に活躍した

建築家で山口県生まれ。 日本人建築家の養成を行うべく来日した

ジョサイア・コンドルによる最初の学生の1人で、代表作として

旧東宮御所(現迎賓館)は明治期以降の建築として初めて

国宝に指定された。他の作品として京都国立博物館、

東京国立博物館表慶館、新宿御苑御休所などがある。

小説家、劇作家の「岡本綺堂」(明治5年―昭和14年)。

代表作として半七捕物帳、番町皿屋敷、修禅寺物語などがある。

「後藤新平」(安政4年―昭和4年 71歳没)は日本の医師、

官僚、政治家。台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁、

逓信大臣、内務大臣、外務大臣、東京市第7代市長、ボーススカウト

日本連盟初代総長、東京放送局(NHK)初代総裁、

拓殖大学第3大学長を歴任した。計画の規模の大きさから

「大風呂敷」とあだ名された植民地経営者であり、都市計画家でもあった。

甥に政治家椎名悦三郎、娘婿に鶴見祐輔、孫に哲学者の

鶴見俊輔などが居る。なぜか後藤家の墓所には太い幹の樹が繁っていた。

森永製菓創業者の「森永太一郎」の墓所。(慶応元年―昭和12年 71歳没)

安倍晋三首相の妻・昭恵は外曾孫娘にあたる。

NHKの名物司会者「宮田輝」(1921年―1990年 69歳没。

ラジオ三つの歌、のど自慢、素人演芸会、NHK紅白歌合戦

思い出のメロディーふるさとの歌まつりなどの司会。

その後参議員議員となる。

歴史の森を散策してみませんか?そんな趣旨かどうか分からないが

大勢のシルバー世代のグループが青山墓地を歩いていた。

墓地というマイナスイメージを払拭すれば、青山墓地は

東京のど真ん中で広大で静かで、人気が無い、まさに散歩するには

最高の場所だと思う。周辺には各国大使館が多く有り、

外国人の家族が、ランニングなどに興じていた。

 

今回でほぼ3分の2は歩いたか?残りあと1回は来る必要がある。

今年の桜の咲いた季節にもう一度訪ねてみよう。