スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

文京シビックセンターと礫川公園

2019-02-08 06:15:21 | 建物

交通安全国民運動中央大会で表彰を受ける為、

地下鉄で文京シビックセンターへ行った。

ここは地下2階で東京メトロ丸ノ内線、南北線後楽園駅、都営三田線、

大江戸線の春日駅に直結しているアクセスの良いビルだ。

地下道を向かう途中PRの案内板がありパチリ。

この写真の文京シビックホールの大ホール(正式名称響きの森文京公会堂)は

1802席あり、伝統的にクラシック音楽を中心とした音楽イベントに

使われることが多い。というのは旧文京公会堂は音響の良さから

主にクラシックコンサートなどのイベント、第1回日本レコード大賞授与式会場や

「8時だヨ!全員集合」などの会場として使われた。

その文京公会堂は建物が老朽化し消防法改正などの理由で

1977年閉鎖、その跡地に高層棟が1994年に完成、

1999年11月に文京シビックセンターが竣工した。

設計は日建設計で地下4階地上28階高さ142M、総工費は約810億、

東京23区の区役所の中では(庁舎単位では)最も高い建物になった。

文京区役所庁舎の25階北側に議場を半周囲むように

展望室があり、無料で20:30迄東京の景観を楽しむことが出来る。

又、ここからの景色は関東の富士見百景にも選出されている。

この文京シビックセンターの中には文京区役所本庁舎は勿論の事

文京区保健所、文京シビックホール大ホール小ホール

行政情報センター(2F)文京区観光案内所、JTB、ファミリーマート

レストラン椿山荘、カフェなどが入居している。

地下鉄駅から歩いていくとこのフロアー(上の写真)に出る。

このフロアーを上から見ると、一見すると模様のように見えるが

何か街の地図にも見える。実際は何だか分からないので後日調べてみよう。

吹抜けホールにはシースルーエレベータがなんと10基もある。

これがこのビルの最大の特徴だとか。

文京シビックセンターの向かい側にある公園が礫川公園。

小石川台地の東端に造られた公園でかつてこの一帯は軍用地だった。

戦後、都営住宅、中央大学、戦没者慰霊堂、公園用地に分割され

昭和39年都が公園を造り文京区に移管した。公園の造りは高低差を

活かした3段の構造になっており、下段は2本の大きなケヤキを

中心とした広場、上段はブランコなどのある遊び場、

中段と上段をつなぐ階段には高さ10Mに及ぶカスケードがあり、

公園のシンボルとなっている。

礫川公園から見た文京シビックセンター。礫川の名は一帯が

千川・江戸川や周囲の高台から流れた細流が合流する地帯で、

それらに含まれる川水の小石が多く含まれることから小石川と呼ぶようになり、

この小石川のれき・つぶて・こいしの意味が礫となった。

サトウハチロー作詞の童謡「小さい秋みつけた」のモデルになった

ハゼノキは平成13年サトウハチロー記念館跡地から

高さ1Mほどの切株の状態でこの公園に移植された。

平成14年に移植された区内在住の作家青木玉さんから

寄贈を受けたハンカチノキ。4月下旬から5月上旬頃の葉陰に見える白い苞が

ハンカチのように見えることからハンカチノキと呼ばれている。

春日通り側出口あたりの地番の春日は春日局が徳川家光より

拝領した土地に由来しており、昔は春日殿町と呼ばれていた。

それを記念しての「春日局像」が建っていた。

春日1丁目と小石川2丁目の間「とび坂は小石川水戸宰相光圀郷の

御屋敷のうしろ、えさし町より春日殿町へ下る坂、元は此処に

鳶多して女童の手に持たる肴をも舞下りてとる故とび坂と云」と

「紫一本」にある。鳶が多くいたので、鳶坂、転じて富阪となった。

その富坂がこの坂道、左一番奥の坂が中央大学理工学部。