小田原城は、15世紀中頃に大森氏が築いた城を前身とし、
北条早雲(伊勢宗瑞)に始まる小田原北条氏の本拠となって以降、
関東支配の拠点として整備された。この小田原城の雄姿は
遠くから幾度となく見て来たが、中に入ったのは初めてだ。
小田原城は、江戸幕府の三代将軍家光の乳母。春日局の子
稲葉正勝が寛永9年(1632)城主になると、大規模な工事が行われ、
石垣を備える近世城郭として整備された。二の丸東堀は本丸・二の丸を
守る堀の中で最も大きなもので、幅は最大40mもある。
東堀に懸る馬出門土橋。堀には相模湾に近い城らしく
なんとカモメの群れがエサをねだっていた。
平成9年に復元された銅門(あかがねもん)。馬屋曲輪から
二の丸に通じる位置にあり、二の丸正門にあたる。渡櫓門の
大扉は「銅門」の名の由来となった銅版・銅鋲で美しく装飾されている。
この土塀の模型は銅門を復元する際に事前に製作されたもので
江戸時代の左官の工法や材料がよくわかる。
新年明けて早々というのに城址公園にはもう梅が咲いていた。
ここ数年、ブログに春を告げる花をアップしてきたが、
この梅が一番早いブログになったのでは。
昭和46年に再建された常磐木門。小田原城本丸の正門で、
最も大きく堅固に造られていた。常磐木とは常緑樹の意味で、
門のそばにあった松になぞられてこの名がつけられたと言われている。
江戸時代に造られた模型や引図を基に昭和35年
鉄筋コンクリート造で復興された天守閣。その時の総工費が
8000万円というから戦後の建築費の変動がわかる。
今復興したら数十億ひょっとして100億円を超えるかも。(私の直感)
この天守閣は昨年耐震補強工事、展示の大規模リニューアルが終わり、
しかも昨年のNHK大河ドラマ「真田丸」で高嶋政伸が演じた
北条氏政が話題となって今回行ってみようという気になった。
城址内では甲冑・忍者の着付け体験が大人300円小人200円でできる。
簡単に武士や忍者、お姫様に変身、このグループは
フィリピンかどこか外国人の家族の様だった。
いよいよ本丸天守閣へ。新年早々から結構な見物客が来ていた。
私みたいな駅伝応援の人もいた。
館内は5層に分かれて、1Fシアター、ショップ江戸時代の小田原城
2F体験展示、休憩コーナー、戦国時代の小田原城、3F企画展示
(甲冑・刀剣小田原城周辺の発掘調査成果など)
4F、その後の小田原城、そして5Fは後程。
第5代当主北条氏直。父は北条氏政。父と共に
後北条氏の最大版図を築き上げたが、外交の失敗で
豊臣秀吉のよる小田原征伐を招き関東支配は終焉を迎えた。
第3代当主北条氏康は小田原城を難攻不藩、無敵の城を築き、
上杉謙信、武田信玄の攻撃に耐えた。その最大の特徴は
広大な外部八幡山から海側に到るまで小田原の町全体を
総延長9kmの土塁と空掘で取り囲んだことだ。
5階は江戸時代に天守にまつられていた摩利支天像の安置空間を再現した。
参考に、「小田原評定」という言葉を良く聞くが、北条側から
和義と抗戦継続をめぐって議論したが一向に結論が
出なかったことの故事をいう。
天下最上階展望デッキから相模湾方面を望む。眼下に常磐木門。
これは小田原駅方面。新幹線に乗ると皆さんは右側の
小高い所に鎮座している小田原城をかならず見ているはずです。
この写真ではちょっとずれてしまいましたが、右側に豊臣秀吉の
天下統一の総仕上げ小田原合戦の石垣山城(太閣一夜城)が見える。
この一夜城は笠懸山の山頂に構築。小田原城から見えない様に築き、
完成後に周囲の木を伐採。北条氏側に一夜にして築城されたかのように
見せて驚かせ、戦闘意欲を失わせたと言われている。
展望デッキを巡っていたら青空の中、とても印象的な雲を見たのでパチリ。
早春の花というともう一つは「蝋梅の花」。梅に続き城址公園に
咲いていたのでパチリ。やはり小田原は暖かくしかもここ
城址公園は陽だまりになっていて特に暖かいのでは。
城を降りてくる途中で出会った着飾った3匹の犬と
観光客に愛嬌を振りまいていたオームの「シロ」チャン。
最後になりましたが、これが小田原城の案内図です。