語る、シェフ

小さなレストランのオーナーが、日々の出来事を語ります。

  調理師専門学校

2009-05-16 02:55:05 | シェフが店を持つまで
調理師学校の1年間は、本当にいろんなことがあったのに、1年だったんだ・・・って感じです。
そもそも、料理の世界に入ろうと思ったきっかけも、とにかく「父から独立したい」という一心からでした。
料理を学び、「地元でレストランを出す!!」
この目的のために、19歳の僕は突っ走りました。
「努力さえすれば、大統領にだってなれる!!なれないのは、努力が足りないからだ」と、
本気で思っていた、あの頃でした。

実習は楽しかったです。いつもいちばん前の席をとり、
なんだか良く分らなくても、ノートだけはきれいに取っていました。
でも、実際に作業をするとなると(班ごとにする)あまりたいしたことは出来ないタイプでしたね。
その時は、分らなかった事でも、後に現場で「あ~なるほど」と、思い出すことは多々ありました。
今みたいに、デジタルカメラがあったら、すごくいいですよね。
 
        

そんな僕も、学科って言うんですか?栄養学とか公衆衛生学とか・・・の授業は苦手でしたね。
苦手って言うか、どうしても寝ちゃうんですよ、やっぱり・・・。(笑)

最初の半年(前期)は、和・洋・中・全部実習するんですけど、
後期は、和・洋・一般に分かれるんです。
もちろん僕は、洋食コースです。その時は、それ以外考えられなかったですね。
       
        

朝、寮の朝食を食べて学校に行って、お昼ご飯も寮に帰って来て自炊して。
学校が終わると、すぐそばの銭湯にみんなで行くんです。当時150円でしたね。煙草が同じぐらいでしたよ。

1回、銭湯で倒れた事があって、大変だったんです。
湯船から出て天井を見上げた途端、「あ~」って感じで倒れちゃて、
タイルに後頭部がぶつかって「あ~痛い!」と思ってから、気を失っちゃったらしいんです。
気が付くと、脱衣場に裸のままタオルをかけられて仰向けに寝てたんです。
僕の顔をのぞきこむ、友達と銭湯のおばさん・・・。
僕が目を開けると、友達が「あ~よかった!!死んじゃったかと思ったよ」と、
本当に心配そうに言ったのが印象的でした。
でも本当に、死んじゃってもおかしくなかったのかも、しれないですね。
僕は「まだもう少し横になっていなさい。」と言うおばさんに[大丈夫」と言って起き上がると、
鏡の前に立って、びっくりした。
まるで死人のように真っ白な顔をしていたからだ。
もちろんそれから今まで、湯船から出たら、絶対に上は向かない様にしている。(笑)

そうそう、インベーダーゲームもはやっていました。
僕は全くダメ、友達がやっているのを見ている時間がほとんどだったので、誘われても行かなかったですね。

お風呂から帰って来て寮の夕食を食べると、寮の廊下の流しで、
みんなで包丁を研ぎましたね・・・毎日、毎日・・・。
そして10:00消灯。まあ、みんなもちろん起きていましたけど。

        
  
寮の中では、喧嘩があったり、夜中窓から出て牛丼買って来たり、隠れて麻雀やったり、
運転免許を取る為に、教習場にも通いました。就職しっちゃったらそんな暇は無いと思ったので
早起きして、頑張りましたよ。
本当に、いろんな事がありました。懐かしいです。

就職する前の、社会に出る前のウォーミングアップとしては、この1年はとても有意義でした。
そして、いよいよ就職する訳ですが、これからが本当の意味でのスタートだった訳です。
1980年 世の中はまさに「バブル」に向かって突っ走っている時でした。

    それでは、また。
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