僕は、体育館のすみで正座して目を閉じていた。
なぜか、優勝したいとはひとつも思わなかった。ただ、これが最後の剣道の試合になるだろうと、
その思いが僕の心を支配していた。
18年間の人生で、確かに全てが剣道ではなかったけれど、
「いちばん打ち込んできたもの」と言うことは確かだった。
死ぬほど練習したわりには、大して強くもならず、なんか見当違いな努力ばかりしていたような気もした。
でも、とりあえず・・・それも今日で終わりだ。
僕は目を開くと、面をつけた。
相手は、高2のKくん。ここの所めきめき力をつけてきた2年生だと、友達が教えてくれた。
お互いの名前が呼ばれ、礼をして中央に進み竹刀を構えそんきょする。
僕は、無心だった。周りがとても静かでリラックスできた。
勝ちたくて勝ちたくて、あんなに練習して・・・それでも思うように勝てなくて・・・
練習が足りないからだ・・・と、もっと練習して・・・。
負けると、努力した意味を否定した。
でも今は違った。
「はじめっ!!」審判の声と共に最後の戦いは始まった。
彼はとても元気だった。どんどんせめて来る。僕は、後退するばかり・・・。
しかし不思議と余裕があった。彼の間合いを、完全に見切っていた。
なんか、全てがスローモーションで動いているような感じで、彼の動きが良く見えた。
彼は、間合いを詰めるといっきに面を打ってきた。
しかし僕は、余裕を持って彼の面をかわすと、技を出した後の無防備な彼の面を打ち込んだ。
「面抜き面」がきれいに決まり、僕が1本先取した。
2本目が始まった。僕は相変わらずとても静かな会場で、スローモーションで動く彼を相手に試合をしていた。
1本目を攻めながら奪われた彼は、3回戦で対戦した相手と同じ様に、
「今度こそ・・・」と言う気持ちが体に満ち溢れていた。
しかし彼が1本目と同じ様に、間合いを詰め面を打ってきた時・・・勝負は決まった。
「えっ、なぜ・・」と言う表情をした彼の面を僕の竹刀は捉えていた。
僕は優勝し、有終の美を飾る事が出来た。小さな市民大会での優勝だが、
まあ、僕にはお似合いだろう。
それに、優勝したらもっと嬉しいかと思ったけれど、こんなものかな?って感じだった。
先輩から、「もっと喜べよ」と、言われたりもした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/af/bb78fdc1a509a07d3304beb7b5ff5757.jpg)
それから何年かして、努力と結果の意味の違いがわかるような年になったとき、
その時のことを考えると、なぜ、そんなに嬉しくなっかったかわかるような気がした。
「何となく勝ってしまった・・・」からだろうと思う。
もちろん出場する以上は、優勝を狙ってはいるけれど、そんなに強い気持ちはなかったんじゃないか。
それに、技がみんな「待ち」の技だったこと・・・。積極性に欠けていた戦いだったのだ。
ただあの頃僕は、視力が落ちて来ていて、間合いを切った状態では相手の目が見えなかった。
よって、無意識のうちに、打つところを見て打ってしまっていた。(小手なら小手を)
なんでもそうだろうけど、対戦する相手の「目」を見て戦うのは当たり前だ。
それができない事は致命傷だった。
ところが、相手が先に仕掛けてきてくれれば、それをかわしての攻撃なら問題ない。
弱気になったことが幸いして、きっと僕は「すき」だらけに見えたのじゃあないだろうか?
だから相手は、「これは行けるぜ!」とぐいぐい攻めてきた。
ところが、無心の僕は余裕を持って相手の技をかわし1本を取ってしまう。
彼らは、「今のはたまたまだ・・・今度こそ」と攻めてくるが・・・。
確かに、3回戦であの強い彼と対戦した2本目から僕は変わった。
もうダメだと思ったあの時、きっと無心になれたのだろう。
準決勝の時は、確かに作戦通り自分の意思で勝つことが出来た。
決勝は、ダメだとも思わなかったし、勝とうとも思わなかった。
ただ、幸せな気持ちだっただけだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/ad/15fdb74f7fd563df22ac4cff587f9d91.jpg)
高校3年 夏の合宿 3年生では僕1人の参加 後列いちばん右
今、料理人として仕事をしている時も、すご~く忙しい時、頭で段取りを考えるより、
本能で、無心で、感じたままに動く方が断然早くできる。
でもこれも、その時の精神状態や肉体の状況でそうできない時もある。
剣道をやっていた9年間の事は、本当に今でも生きている。
礼儀正しく、人には優しく、努力する事や練習する事の大切さ、負けた時の悔しさ、
勝ったときの喜び・・・そして何をするにも決して1人ではできない事・・・人に感謝する気持ち
本当に剣道をやっていて良かったと思う。
防具もつけていないし、竹刀も持っていないけど、心の中でいつまでも剣道を続けているんだと思う。
ちなみに、「小説 3度目の奇跡」は、事実と違うところもちょこっとあります。
あしからず・・・。
それでは、また。
なぜか、優勝したいとはひとつも思わなかった。ただ、これが最後の剣道の試合になるだろうと、
その思いが僕の心を支配していた。
18年間の人生で、確かに全てが剣道ではなかったけれど、
「いちばん打ち込んできたもの」と言うことは確かだった。
死ぬほど練習したわりには、大して強くもならず、なんか見当違いな努力ばかりしていたような気もした。
でも、とりあえず・・・それも今日で終わりだ。
僕は目を開くと、面をつけた。
相手は、高2のKくん。ここの所めきめき力をつけてきた2年生だと、友達が教えてくれた。
お互いの名前が呼ばれ、礼をして中央に進み竹刀を構えそんきょする。
僕は、無心だった。周りがとても静かでリラックスできた。
勝ちたくて勝ちたくて、あんなに練習して・・・それでも思うように勝てなくて・・・
練習が足りないからだ・・・と、もっと練習して・・・。
負けると、努力した意味を否定した。
でも今は違った。
「はじめっ!!」審判の声と共に最後の戦いは始まった。
彼はとても元気だった。どんどんせめて来る。僕は、後退するばかり・・・。
しかし不思議と余裕があった。彼の間合いを、完全に見切っていた。
なんか、全てがスローモーションで動いているような感じで、彼の動きが良く見えた。
彼は、間合いを詰めるといっきに面を打ってきた。
しかし僕は、余裕を持って彼の面をかわすと、技を出した後の無防備な彼の面を打ち込んだ。
「面抜き面」がきれいに決まり、僕が1本先取した。
2本目が始まった。僕は相変わらずとても静かな会場で、スローモーションで動く彼を相手に試合をしていた。
1本目を攻めながら奪われた彼は、3回戦で対戦した相手と同じ様に、
「今度こそ・・・」と言う気持ちが体に満ち溢れていた。
しかし彼が1本目と同じ様に、間合いを詰め面を打ってきた時・・・勝負は決まった。
「えっ、なぜ・・」と言う表情をした彼の面を僕の竹刀は捉えていた。
僕は優勝し、有終の美を飾る事が出来た。小さな市民大会での優勝だが、
まあ、僕にはお似合いだろう。
それに、優勝したらもっと嬉しいかと思ったけれど、こんなものかな?って感じだった。
先輩から、「もっと喜べよ」と、言われたりもした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/af/bb78fdc1a509a07d3304beb7b5ff5757.jpg)
それから何年かして、努力と結果の意味の違いがわかるような年になったとき、
その時のことを考えると、なぜ、そんなに嬉しくなっかったかわかるような気がした。
「何となく勝ってしまった・・・」からだろうと思う。
もちろん出場する以上は、優勝を狙ってはいるけれど、そんなに強い気持ちはなかったんじゃないか。
それに、技がみんな「待ち」の技だったこと・・・。積極性に欠けていた戦いだったのだ。
ただあの頃僕は、視力が落ちて来ていて、間合いを切った状態では相手の目が見えなかった。
よって、無意識のうちに、打つところを見て打ってしまっていた。(小手なら小手を)
なんでもそうだろうけど、対戦する相手の「目」を見て戦うのは当たり前だ。
それができない事は致命傷だった。
ところが、相手が先に仕掛けてきてくれれば、それをかわしての攻撃なら問題ない。
弱気になったことが幸いして、きっと僕は「すき」だらけに見えたのじゃあないだろうか?
だから相手は、「これは行けるぜ!」とぐいぐい攻めてきた。
ところが、無心の僕は余裕を持って相手の技をかわし1本を取ってしまう。
彼らは、「今のはたまたまだ・・・今度こそ」と攻めてくるが・・・。
確かに、3回戦であの強い彼と対戦した2本目から僕は変わった。
もうダメだと思ったあの時、きっと無心になれたのだろう。
準決勝の時は、確かに作戦通り自分の意思で勝つことが出来た。
決勝は、ダメだとも思わなかったし、勝とうとも思わなかった。
ただ、幸せな気持ちだっただけだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/ad/15fdb74f7fd563df22ac4cff587f9d91.jpg)
高校3年 夏の合宿 3年生では僕1人の参加 後列いちばん右
今、料理人として仕事をしている時も、すご~く忙しい時、頭で段取りを考えるより、
本能で、無心で、感じたままに動く方が断然早くできる。
でもこれも、その時の精神状態や肉体の状況でそうできない時もある。
剣道をやっていた9年間の事は、本当に今でも生きている。
礼儀正しく、人には優しく、努力する事や練習する事の大切さ、負けた時の悔しさ、
勝ったときの喜び・・・そして何をするにも決して1人ではできない事・・・人に感謝する気持ち
本当に剣道をやっていて良かったと思う。
防具もつけていないし、竹刀も持っていないけど、心の中でいつまでも剣道を続けているんだと思う。
ちなみに、「小説 3度目の奇跡」は、事実と違うところもちょこっとあります。
あしからず・・・。
それでは、また。