語る、シェフ

小さなレストランのオーナーが、日々の出来事を語ります。

  小説 3度目の奇跡 最終回

2010-02-16 02:51:44 | シェフと剣道
僕は、体育館のすみで正座して目を閉じていた。
なぜか、優勝したいとはひとつも思わなかった。ただ、これが最後の剣道の試合になるだろうと、
その思いが僕の心を支配していた。
18年間の人生で、確かに全てが剣道ではなかったけれど、
「いちばん打ち込んできたもの」と言うことは確かだった。
死ぬほど練習したわりには、大して強くもならず、なんか見当違いな努力ばかりしていたような気もした。
でも、とりあえず・・・それも今日で終わりだ。

僕は目を開くと、面をつけた。
相手は、高2のKくん。ここの所めきめき力をつけてきた2年生だと、友達が教えてくれた。
お互いの名前が呼ばれ、礼をして中央に進み竹刀を構えそんきょする。
僕は、無心だった。周りがとても静かでリラックスできた。

勝ちたくて勝ちたくて、あんなに練習して・・・それでも思うように勝てなくて・・・
練習が足りないからだ・・・と、もっと練習して・・・。
負けると、努力した意味を否定した。

でも今は違った。

「はじめっ!!」審判の声と共に最後の戦いは始まった。
彼はとても元気だった。どんどんせめて来る。僕は、後退するばかり・・・。
しかし不思議と余裕があった。彼の間合いを、完全に見切っていた。
なんか、全てがスローモーションで動いているような感じで、彼の動きが良く見えた。
彼は、間合いを詰めるといっきに面を打ってきた。
しかし僕は、余裕を持って彼の面をかわすと、技を出した後の無防備な彼の面を打ち込んだ。
「面抜き面」がきれいに決まり、僕が1本先取した。

2本目が始まった。僕は相変わらずとても静かな会場で、スローモーションで動く彼を相手に試合をしていた。
1本目を攻めながら奪われた彼は、3回戦で対戦した相手と同じ様に、
「今度こそ・・・」と言う気持ちが体に満ち溢れていた。
しかし彼が1本目と同じ様に、間合いを詰め面を打ってきた時・・・勝負は決まった。
「えっ、なぜ・・」と言う表情をした彼の面を僕の竹刀は捉えていた。

僕は優勝し、有終の美を飾る事が出来た。小さな市民大会での優勝だが、
まあ、僕にはお似合いだろう。
それに、優勝したらもっと嬉しいかと思ったけれど、こんなものかな?って感じだった。
先輩から、「もっと喜べよ」と、言われたりもした。
 
 

それから何年かして、努力と結果の意味の違いがわかるような年になったとき、
その時のことを考えると、なぜ、そんなに嬉しくなっかったかわかるような気がした。
「何となく勝ってしまった・・・」からだろうと思う。
もちろん出場する以上は、優勝を狙ってはいるけれど、そんなに強い気持ちはなかったんじゃないか。
それに、技がみんな「待ち」の技だったこと・・・。積極性に欠けていた戦いだったのだ。
ただあの頃僕は、視力が落ちて来ていて、間合いを切った状態では相手の目が見えなかった。
よって、無意識のうちに、打つところを見て打ってしまっていた。(小手なら小手を)
なんでもそうだろうけど、対戦する相手の「目」を見て戦うのは当たり前だ。
それができない事は致命傷だった。

ところが、相手が先に仕掛けてきてくれれば、それをかわしての攻撃なら問題ない。
弱気になったことが幸いして、きっと僕は「すき」だらけに見えたのじゃあないだろうか?
だから相手は、「これは行けるぜ!」とぐいぐい攻めてきた。
ところが、無心の僕は余裕を持って相手の技をかわし1本を取ってしまう。
彼らは、「今のはたまたまだ・・・今度こそ」と攻めてくるが・・・。

確かに、3回戦であの強い彼と対戦した2本目から僕は変わった。
もうダメだと思ったあの時、きっと無心になれたのだろう。
準決勝の時は、確かに作戦通り自分の意思で勝つことが出来た。
決勝は、ダメだとも思わなかったし、勝とうとも思わなかった。
ただ、幸せな気持ちだっただけだ。

  
 高校3年 夏の合宿 3年生では僕1人の参加 後列いちばん右

今、料理人として仕事をしている時も、すご~く忙しい時、頭で段取りを考えるより、
本能で、無心で、感じたままに動く方が断然早くできる。
でもこれも、その時の精神状態や肉体の状況でそうできない時もある。

剣道をやっていた9年間の事は、本当に今でも生きている。
礼儀正しく、人には優しく、努力する事や練習する事の大切さ、負けた時の悔しさ、
勝ったときの喜び・・・そして何をするにも決して1人ではできない事・・・人に感謝する気持ち
本当に剣道をやっていて良かったと思う。
防具もつけていないし、竹刀も持っていないけど、心の中でいつまでも剣道を続けているんだと思う。

   ちなみに、「小説 3度目の奇跡」は、事実と違うところもちょこっとあります。
   あしからず・・・。

  それでは、また。


  小説 3度目の奇跡 その4

2010-02-13 02:52:23 | シェフと剣道
寒い日が続きますね。体調に気をつけてくださいね。
足の調子が悪くてのびのびになっていた距離の延長・・・今日からやっと6Kmです。
予定より、10日ほど遅れてますね。それでも、足の状態は変わらず、だましだましです。


準決勝の相手は、同じ高3の、なんと身長182cmのSくんだった。まあ、順当といえば順当だろう。
僕は、当時でも165cmしかなかったので、17cmの身長差はかなりのハンディだった。
彼は、目立った活躍は無かったが長身を生かした伸びのある「面」は脅威だった。
しかも僕は、背が低い・・・間合いだって彼が断然有利だ。僕は届かなくても彼は、届く。

それでも僕はいつも、自分より背の高い相手と対戦しているので、
彼とどう戦ったらいいか・・・作戦は立てていた。

いよいよ準決勝が始まる。負けても3位なのでまあ良しとしよう。
そんなに緊張もなく、試合に臨む事が出来た。
審判の「はじめ!」の声で、試合が始まった。
僕は作戦通り、相手の面を警戒しながら懐へ飛び込み、つばぜり合いに持ち込んだ。
彼のあごの下に、僕の頭がある。それほどの身長差があった。
相撲でも、大きい力士と戦う小さい力士は、懐に飛び込む。
決して、まともに組んだりはしないだろう。
僕もその作戦を使ったのだ。
僕は、つばぜり合いをしながら動き回った。それでも、絶対に彼から離れなかった。
明らかに彼は嫌がっている。何も出来ないのだ。
必死に僕を突き放そうとするが、そこは小さい僕の事・・・すばしっこく動き回りそうはいかない。
そして、隙は生まれた。僕の竹刀が一閃し、彼の胴を捉えたのだ。
「引き胴」と言って、つばぜり合いの状態から、相手と離れながら胴を打つ技だ。

2本目が始まると、彼は懐に入られまいと、動きが激しくなった。
しかし、動きなら小さい僕の方が有利だ。しかも練習量も、多分僕が勝っている。
僕は、1本目と同じ様に彼の懐へ入り込んだ。彼はよっぽどイライラしていたらしく、
「離れろよ!!」と、審判に聞こえないように、面越しに僕にいった。僕は、
「だって、離れたら負けるぜ」と、答えた。
彼がますます熱くイライラしてくるのが、つばぜり合いの竹刀越しにわかった。
そして彼は、いけないとわかっているはずなのに、しびれを切らしたように強引に「引き面」を仕掛けてきた。
もちろんそれは僕の思う壺だった・・・彼が面を打つ前に、
さっきと同じ様に、僕の竹刀が彼の胴を捉えた。
やった、2-0で僕の勝ちだ!!決勝進出だ!!
この試合は、作戦通りにいったから「勝った」って感じがした試合だった。
こういう勝負の時、力量がそんなに違わなければ、イライラした方が負けだ。
「冷静」に、「熱く」ならなければならない。

僕は、同じ試合場で行われる準決勝のもうひと試合を見ることにした。
どちらも高校2年生で、僕のあまり知らない選手だった。
2年生というのは、現役バリバリだし、対戦もしたことないので、どっちが勝ってもちょっと不安だった。
まあ、とにかくじっくり拝見させてもらって、対策を練ろうと思った。
でもここまで来れば、初優勝目指して、あとは思いっきり戦うだけだ。
やがて、僕の対戦相手が決まる試合が始まった。
僕の剣道人生最後の対戦相手かもしれない。僕は、深呼吸をひとつした。

    それでは、また。

  小説 3度目の奇跡 その3

2010-02-11 02:56:15 | シェフと剣道
僕にとって高校最後の剣道の試合が始まった。
1,2回戦は、全くの予定通りすんなりと勝ち抜く。もちろんN高の彼も、まったく簡単に勝ちあがってきた。
さていよいよ3回戦・・・彼との戦いだ。
しかし、情けない事に僕の心の中は「勝てるわけがない」と言う心で満たされていた。
僕の名前が呼ばれる・・・僕は、返事をすると試合場の中へ入り、続いて反対側で呼ばれた彼を待って、
目を合わせ礼をすると、開始線まで進み出て竹刀を構えそんきょした。

剣道の審判は3人。主審1人に副審2人。両手に白と赤の旗を持って有効な技だと思う方の旗を上げるのだ。
旗が2本以上上がれば、有効となる。
僕は赤、彼は白だった。

「はじめぇ!!」と言う審判の声と共に、互いに立ち上がり間合いを取る。
緊張の一瞬だ。彼は自信満々でぐいぐい攻めてくる。みるみる間合いを詰めて来て・・・
「あっ!!」というまに、「面」を取られた。3人の審判が白い旗を上げている。
開始から30秒もたってない。やっぱり強い・・・もうダメだ。
僕は完全に体の力が抜けてしまった。「勝てない・・・勝ってこない・・・」
そんな言葉が頭中を駆け巡る。
中央に戻って、2本目は立って構えたままから始める。
彼は、さっきよりも余裕の表情をしていた。
「面あり。2本目!!」と言う審判の声と共に、彼はまた、すぐさま間合いを詰めてくる。
僕は、間合いに入られないようにどんどん下がっていく・・・。
しかし、もちろん下がるより進む方が早いに決まってる。
「あっ!!」というまに彼は、面を打ってきた。
しかし審判は、3人とも赤い旗を上げている。
なんと、面を取ったのは、僕だったのだ。唖然とする彼の顔・・・。

「面抜き面」と言う技を、無意識のうちにやっていたのだ。
相手が、届くと思った間合いから面を打ってきた剣を、下がりながら寸前でかわし、
技を出し終わった後の無防備な相手の面を奪う・・・と言う技だ。
その技を、体が勝手に反応して繰り出していたのだった。

再び中央に戻る2人。彼は明らかにいらだっていた。「何であんな面を食らったのか?」そう思っているようだった。
「面あり。勝負!!」と言う審判の声と共に3本目が始まった。
明らかに焦っている彼は、またぐいぐいと間合いを詰めてくる。
僕は、不思議と余裕を持って下がっていく。すると彼がスローモーションのように面を打ってきた。
今度は余裕を持って、彼の面をかわすと、自信を持って面を打ち込んだ・・・「メェ~ン!」

勝ったのだ。僕は勝った・・・。でも実感はあまりなかった。
勝とうと思って勝ったのではない。なんか、本当に勝った様な気はしなかった。
でも、準決勝進出だ。対戦相手は誰だろう?
僕は、先輩や友人に祝福を受けながら、対戦表見に行った。

     それでは、また。

  小説 3度目の奇跡 その2

2010-02-09 03:03:15 | シェフと剣道
試合当日・・・
軽い朝食を済ますと、玄関から大きな声で
「じゃあ、行って来るよぉ~」と、言うと学生服に身を包んだ僕は、
防具を背負うと、玄関を開けた。後ろから母が廊下を走ってきて、
「最後だからねぇ~、優勝しちゃいなよ~!!」と、勝手な事を言う。
僕は、顔だけで振り向くと、微笑みながら頷いた。

会場は、流山高校体育館。交通手段は自転車。
おかげさまで天気は、西高東低の冬型の気圧配置で、素晴らしい晴天だった。
僕は、力強くペダルを踏み込み会場へと向かった。
流山高校付近は、今と違って住宅もまばらで、かなり遠くからでも校舎が見えたものだった。

会場に着くと、先生方や友人に次々に挨拶し、体育館の隅で着替えを済まし、
開会式の前に軽く体を動かす。
時折友人と(とは言っても、対戦相手になるかもしれない)冗談など言いながらも続けていく。
高校総体など、全国大会に出場している友人もいる。それでも、3年生は実質引退しているので、
練習量やモチベーションなどから言って、決して勝てない相手ではないと思っていた。
しばらくして、高校生の部のトーナメント対戦表が張り出された。
それによると、1,2回戦は、対戦相手には悪いが、まず落とす事はなさそうだ。
3回戦で、順当ならN高校のレギュラー当たる。彼とは、小学校は違ったけど、流山の代表として一緒に戦った仲だ。
でも今は、かたや有力高校のレギュラー・・・僕との差は歴然だった。
とりあえず、3回戦だ・・・勝負は。

僕は開会式の間中、どうしたら勝機を見出せるか・・・そればかり考えていた。
でも、彼とは学校のレベルが違いすぎて、高校になってからの対戦はない。
ただ、「強い」しかわからなかった。「やっぱり無理か・・・」弱気の虫が頭をもたげてきた。

悔いのないように精一杯・・・
あわよくば最後に優勝を・・・

そんな事を思っていたのに・・・やっぱり無理だ、3回戦で終わりだ・・・。
ついさっきまで、「チャンスはある」なんて言っていたことが嘘のように、意気消沈してしまった。
それでも、開会式が終わると僕は体を動かし始めた。
開いているスペースを使って、今度は竹刀を使って少し汗ばむ程度まで体を動かした。
体が温まってくると、少し気持ちも前向きになってきた・・・とにかくやるだけだ・・・。

やがて4面の試合場で、審判の「はじめっ!」と言う声と共に、それぞれの試合が始まった。
剣士の気合の乗った声が会場に響き渡った。
僕は、深呼吸をひとつすると、「よしっ」と言い、面と小手を小脇に抱えると竹刀を持ち、
高校生の部の行われている試合会場に向かった。

    それでは、また。


  小説 3度目の奇跡

2010-02-08 02:21:57 | シェフと剣道
その頃僕は、高校3年生最後の大会に向け、猛練習していた。
僕が小学校5年生の時、延長7回の末に敗れ、準優勝した事のある大会・・・
2月11日の建国記念日に行われる市内大会を最後に、剣道をやめるつもりだった。
進路も、調理師学校と決まっていて、後は剣道にけじめをつけるだけだった。

週3日の江戸川台支部での練習と、
もう学校の肩書きを背負って出ることはないが、部活にも参加していた。
この頃僕は、確かに絶好調だった。心技体の一致とはこの事だろうと思うほど充実した練習をしていた。
先生達にも、「いい稽古しているなぁ~!」とよく声をかけられた。

やはり、9年間お世話になった剣道ともうお別れなんだ・・・と言う気持ちと、
今度は竹刀を包丁に持ち替えて、新しい世界・・・料理で勝負していくんだ・・・と言う気持ちが、
僕をこれまでにないほど真剣に、練習に打ち込ませた。

大会まで、あと1週間と迫った練習の帰り・・・
剣道着と防具はつけたままダッフルコートコートを上から着て、
面と小手を入れた袋を竹刀でひっかけ背中に背負うと、
2月の厳冬の中を白い息を吐きながら家に向かっていた。

体が冷えないようにかなりの早歩きで歩いていると、自分の影が、かなり濃い影が、足元についてくる。
僕はふと立ち止まり、空を見上げた。
ちょうど半分ぐらいの月が、僕を照らしていた・・・。
その時、9年間のいろんなシーンが僕の頭の中によみがえった。。

イヤイヤ始めた剣道だったけど、強くなってくると面白くなっていった事。
練習に行ったフリをして家のガレージの中に隠れていた事・・・。
寒稽古の時、飼い犬の「エリ」を連れた母と一緒に、江戸小の体育館まで走っていった事・・・。
練習の後、小学校の体育館でホッケーもどきをして遊んでいて見つかって怒られた事・・・。
練習の帰りに、仲の良かった1歳上の先輩と、将来のことをイロイロと1時間以上立ち話した事・・・。

この道を、何度も何度も防具を背負って往復したんだな・・・と。
それもあと、2回で終わりだ。

僕は寒さで身震いをすると、思わず我に返り、ため息をひとつつくとまた歩き始めた。
とにかく、悔いのない戦いを・・・。
僕は歩きながら、決意を胸に家路を急いだ。

   それでは、また。


  先生

2010-01-25 01:58:28 | シェフと剣道
今日も。独楽を回した。
3回連続を含め、まわった回数は増えたけど、安定しないですねぇ~。
もちろん、息子です。

僕が、高1の時の剣道部の顧問の先生・・・今まで書いたとおりハチャメチャだったけど、
僕は、大好きだった。
「え~」って思うこともあったけど、好きだったです。

僕が、英語のグラマーの成績が悪いと知っていた英語教師の彼はある時・・・
「部活が終わったら、俺んとこ来い。」と言って、僕を彼のアパートまでつれって行った。
途中で、晩ご飯の買物をして、家に、「遅くなる」と連絡させられて、行った。
アパートに着くと、まず晩ご飯を作らされた。
確かお店で買物をしている時、「何が食べたい?」と聞かれたので、
もちろん作ってくれるのかと思ったので、「マカロニグラタン」と答えたのだ。
ところが、アパートに着くと「さぁ、晩飯作ってくれ」と言われて、がんばって作ったのだ。
もちろん、マカロニと牛乳で簡単に作れるホワイトソースがセットになったものを買ってきたので、
そう難しくは無かったけど、具は何を入れたのかな?何も入れなかったような気がするな~。(笑)
それから、勉強したんだけれど、とてもよく分かった。
いつも授業の時は、ほとんど寝てしまうので、真剣にやればわかるんだな~と思ったものです。
しかも、1対1なんて、贅沢ですよね。
9時ごろまで勉強して、駅まで送ってもらって家に帰りました。
もちろんテストの成績も、その時だけは・・・良かったです。(笑)
でも、教わったのはその時、1度だけでした。

2年生になると、先生は顧問も辞めて、全く普通の先生になりました。
僕が、親しげに挨拶をしても、ごく普通に挨拶するだけで、だんだん疎遠になっていった・・・
と言うよりは、避けている感じさえありました。
まあ、先生には先生のいろんな事情があったんでしょう。

就職してから1度だけ・・・会った事があります。
でも、部屋にも上がれず、住まいの近くの道路で数分立ち話しただけ・・・
と言う覚えがあります。よっぽど、僕が高1の時の事は、記憶から抹殺したかったのでしょう。
それ以来、先生の事は思い出になりました。

でも、やっぱり僕にとって、あのハチャメチャな高1の部活は、
今の僕を支えているひとつだと思っています。
そして、先生・・・彼にも感謝しています。
今もきっとどこかで、「人生」なんぞを、生徒に説いていると信じています。(もうそろそろ定年かな?)

    それでは、また。

  僕の高校剣道

2010-01-24 02:01:06 | シェフと剣道
今日も、暗くなるまで独楽回し・・・。
3回に1回ぐらいはまわせるようになったかな・・・。
僕なんて、落っことしただけでまわっちゃうのに、何でまわせないんだろう?

そんな僕も、2年生になると「勝負とは、勝たなければ意味が無い」と思うようになっていた。
どんなに練習しても、勝てなければ練習した意味が無いと思っていた。
精一杯練習しても、負ければ、練習が足りなかったんだ・・・と思ったもんだ。

でも、実際1対1の競技の場合、自分より強い人とやらなければ向上しない。
僕の高校は、全くの無名・・・しかも、同レベルはいても、僕よりはるかに強い人なんていなかった。
そんな訳で、僕はとにかく練習した・・・剣道以外にも。
部活の前には、4Km走り、後にはサーキット練習(今は、あんまり聞かないかな?この言葉)をしていた。
家に帰ってくるのは、いつも9時だった。
担任の先生によく「部活みたいに勉強もしてくれればな~」と言われたものだ。

それでも、学校対抗の団体戦・・・いろんな大会の県予選の事は、あんまり覚えてないんですよ。
2年生の時、ひとつだけ覚えているのが、流山市の大会の高校生の部での試合。
2つ目の奇跡が起こった大会でした。
僕は、身長が165cmしかないので、選手としては小柄な方でした。
そんな訳で、「出小手【デゴテ】」と言う技が得意でした。
これは、相手が打ってくる瞬間のすきを捉える技です。
それがこの日は、もう見えまくり・・・
相手が、「どうぞ小手を打って下さい」と言って、
小手を目の前に出してくれるようにさえ、思ったほど決まりまくりでした。

順調に勝ち進み、準々決勝で優勝候補筆頭と対戦しました。
もう、出小手炸裂!!・・・ところが審判が取ってくれません。
何度、出小手を打っても取ってくれないのです・・・。
結局、1-2で敗れました。でも、勝負に勝って、試合に負けた・・・。
まさにそんな感じでした。
それが証拠に、友人でもある対戦相手は試合後、
「今日は、完全に負けだ・・・出小手を何本も食らったよ」と、僕に言いに来た。
本当にその時の出小手は、気持ちよかった。
昔、巨人の川上哲治と言うプロ野球選手が、バッターボックスで、
「球が止まって見える。」と、言ったことがあるらしいが、まさにそれだった。
でも、負けは負けだ。
審判に取ってもらえないような技しか無い、と言う事だ。
僕は、ますます練習にのめり込んだ。3つ目の奇跡の為に・・・。

   それでは、また。

  部活のこころ

2010-01-23 01:13:42 | シェフと剣道
今日も息子と独楽を回した。
今日は、1回だけすご~くうまくまわせた。
「よ~し」って感じでもう一回やらせたら・・・全然ダメだった。
そうこうしているうちに、近所の子供たちが集ってきて、もうゴチャゴチャ・・・。
仕方がないので、僕だけ帰ってきました・・・メトロに行っていたので、ご飯を食べてなかったんです。
明日こそ、完全にまわせるようなりますように!!

僕が高校の時は、江戸川台発6時40分の電車に乗って、柏で常磐線快速に乗り換え
松戸で新京成に乗り換え、北習志野まで行っていた。
1年生の途中まで、野田から通っている2年生の先輩がいたので、
帰りは一緒だった。そんな訳で、イロイロとやらせていただいた(笑)

最も一般的だったのは、「せみ」
駅の柱?によじ登り、「ミーンミンミンミーン」と先輩が「イイ」と言うまで鳴くのだ。
でも、北習志野駅には他の高校も利用していて、「せみ」ぐらいじゃ、誰も見向きもしない。
そこで次は、積極的におじさんにイロイロ教えてあげようと言う事になる。
先輩が、「あそこのおじさん、ここの駅がなんていう駅か分からないらしいぞ」と言う。
「はいっ」と言って近づくと、おじさんの後ろから、そっと肩を叩く。
振り向くおじさんに、「失礼します!!ここは北習志野駅です。」
と、教えてあげる。だいたいのおじさんは、
「ああ、知ってるよ。」と言う。
「はっ、失礼しました。」

電車内の場合は、「次の駅が分からないらしい」となる。
同じ様に、「失礼します!!次は鎌ヶ谷大仏です。」と教えてあげる。
もちろん「知ってるよ。」と言われる。感謝された事は、1度も無かった。(笑)

それから、いつも松戸での乗り換えの為に、いちばん前に乗っていたので、
途中の駅で、制帽のあごひもをかけ停車中の電車の1番前のドアから、
車掌のように身を乗り出し、片足をホームに着き指差し確認をし、
「出発進行!!」と言って、車掌を困らせながら再び車内に戻る・・・。
いつまでも身を乗り出しているので、車掌もドアが閉められないのだ。
本当に困ったヤツです。

そんな先輩も、夏の合宿前にはやめてしまったので、ほんの一学期のことでした。
僕たちの高校は、津田沼方面に帰る生徒が圧倒的に多かったので、
少数派の松戸方面の先輩はいなかったんです。

こんな事も、本当に1年生の時だけでしたね。
どんどん、学校は変わって行きましたね。
思えばこの頃、「バブル」がすぐそこまで来ていたんですね。

   それでは、また。

  独楽回し(こままわし)

2010-01-22 01:28:36 | シェフと剣道
「独楽」って書いて、「こま」っていうんですね。知らなかったです。
なんて、無知なんでしょう。すみませんでした。(笑)
そうなんです。息子に独楽回しを教えているんですよ。
これがなかなか大変で、つい「ちがぁ~う!!」と叫んでしまうんです。
それでも、今日は7回まわすことが出来ましたよ。
こういうことは、体で覚えてもらう事なので、教えていて歯がゆいですね。
インターネットでも、独楽回しの指導の難しさについて書いてありました。

そういう僕は、子供の時にやったっきりですが、49歳の今でも難なく出来ます。
まわす事はもちろん、直接手のひらに載せてまわしたり、
綱渡りなども出来ますし、まわっている独楽を手のひらに載せる事も出来ます。
ただ、どうやってまわせるようになったかは、全く覚えていません。
あの頃は、近所の友達も自分より年上から年下までイロイロいたので、
そういう中でもまれながら、出来るようになったのでしょう。いい時代でした。


そんないい時代の剣道部。
いつものように道場に行って、着替えを済まし、「さあ、練習」という時に、H先生が入ってきた。
「ちゎーすっ」みんな挨拶する。
うなずく先生・・・そして道場を見渡すと・・・「道場が汚れとる!!そうじせいっ!!」と、命令した。
僕達は、「はいっ」と元気良く返事すると、掃除を始めた。
ほうきで掃きあげ、端から雑巾掛けをした。
若いきびきびと動く僕たちによって、あっという間に道場はピカピカになった。
掃除が終わった事を告げると、先生は僕たちを整列させた。
そして僕たちをひとりひとり見回すと、
「道場が、泣いとるだろ。ちりとりをもってこい。」
1人が、道場を掃いたゴミが入っているちりとりを持ってきた。
武道場は、日大の理工学部のもので、柔道場と剣道場が左右に分かれて入っていた。
そんな訳で、ごみ箱は道場から出て外の通路にあったので、まだ捨ててなかったのだ。
「食え・・。」
僕らは、最初彼が、何を言ったか聞こえたけれど、分からなかった。
多分全員そうだったのではないだろうか?
きょとーん、としている僕たちに、さらに彼は言った。
「食え・・・道場が泣いとるだろ。お詫びに食え・・・。」
僕らは、ようやく彼の言っている意味が飲み込めた。
「はいっ!!」と、僕らは元気良く返事をすると、順番に、食べやすそうなのを選んで唇に挟んだ。
それを見ると彼は、「食え・・・」と、静かに言った。
僕達はゴミをくわえていたので、「ふぁ~い」と返事をすると、
くわえていたゴミを口の中に入れ、飲み込んだフリをした。
それを見ると先生は、
「よ~し、これからはもっとしっかり、道場の掃除をするんだぞ。いいな。それじゃ練習だ。」
僕たちは、口にゴミを含んだまま「はい」と答えると
代わりばんこに、道場の外の通路にあるトイレに行った。
もちろん先生も、口に入っているゴミを吐き出しに行った事ぐらいは知っている。
まあ、今は無き部活動の儀式みたいなものでしょうか?(笑)

  それでは、また。



  決闘2

2010-01-21 00:36:47 | シェフと剣道
ランチ改革をしようかと・・・思っているんです。今月中にやりますよ。
2月から、変えられるように・・・。

さて、決闘!!イヤ、試合。
僕は、一礼するとすり足で三歩進み竹刀を構えそんきょした。(そんきょとは、お相撲さんが手を着く前にやるあれだ)
「はじめ!!」と言う声と共に僕は彼の面を打った。「メェ~ン!!」
しかし、彼はそんな事お構い無で、いきなり付けていた面をかなぐり捨てると、
僕が、彼の頭を直接打っても顔色ひとつ変えずにズンズン向かってきて、いきなり胸ぐらをつかむと、
多少抵抗する僕を、1本背負いで投げ飛ばした。
まだその頃は、受身の「う」の字も知らない僕は、道場の床に叩きつけられた。
彼は、仰向けになった僕に馬乗りになると、いっきに絞めにかかった。
僕は、だんだん意識が薄れていくのが分かった。先生は、なにやらわめいている。
頭の中に、もやがかかったように感じ、先生の声がだんだん小さくなってきた。
「あ~、このまま本当に死んじゃうんだな・・・」と、思った。
その時だった、「これ以上やったら死ぬ。」と彼が手を離したのだ。
僕はゆっくり目を開けた。先生が何やら叫んでいる。
「谷田部~良くやった。相手は試合放棄だ!!お前の勝ちだ。」
やれやれ、どう考えても僕の負けだ。戦場だったらとっくに死んでる。

僕は、道場の隅まで仲間に引きずられ、横になったまま、そこでしばらく休んでいた。
試合は、引き続き行われていたけれど、その後の事は覚えてない。
それにしても、50年近く生きてきたが、
「あ~もう死ぬんだ。」と、本当に思ったのは、後にも先にもあの時だけだ。

しかし、1年生の剣道部・・・まだまだイロイロありましたよ。

    それでは、また。