とにかく、シェフは厳しい。
でも、オーナーは、レジのお金を持って遊びに行ってしまうし、
給料は、自分の財布から出していた。
ある時など、当時僕は95000円の給料だったのだが、
財布から、9万円を取り出し僕に渡すと、「5千円足りな~い。後は明日!!」と言われた。
ティファニーは、一応株式会社だったので、もちろんちゃんと給料袋に入って、明細書も入っていたし、源泉徴収もされていた。
あまりの違いに、僕はびっくりしたけど、まだ無知な僕は、小さい店はこんなものなのか・・・?と、思っていたりした。
それでも、やっぱりシェフは厳しかった。
ラ・フーマには、3人一緒に入ったのだが、
1週間で2歳年下の先輩は、親の具合悪くなったということで、来なくなった。(もちろんウソで、新宿で働いていたらしいが・・・。)
今まで2人に厳しかったシェフは、人数が減ったイライラも合わせて、僕1人に厳しくなった。
これがまた不思議なもので、ティファニーと同じ状況になった。
3人メンバーが、2人になってしまった。しかも2番目が抜けてしまったのだ。
仕方がないので、当然の事ながらシェフが、全精力を傾け、僕にいろいろ教え込み始めた。
そんな事は、普段なら許されるはずも無いのに、まるで授業のようにメモする事が許された。
僕は、書きなぐった。そしてそれをノートに清書した。
「ぶどうの木」という、当時は珍しかったデザートレストランのパテシェを呼んでくれて、
それこそ個人授業のように、デザートを教わった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/11/c6efe3a171d5d66bd2c9a51731474031.jpg)
でもシェフには、良く殴られた。
その時僕は、「そんなことしなっくったって、ていねいに話せば分るのに・・・」と、思っていた。
でも今は、そうじゃないと、はっきり分る。何か技術を身につける時は、回り道をしなくっちゃ。
小さな困難を、何度も越えていかなくっちゃ、本当の技術は、身に付かない・・・と、今は思う。
僕は、シェフに怒られたり殴られたりしても、1度たりとも彼を憎んだ事は無い。本当だ。
じゃあ、誰を憎んだかって言うと、自分だ。
シェフに教わった仕事を一発で出来ない、自分自身に、腹が立った。
夜は泊り込みで、昼間失敗した仕込みをやり直した事も、何度かある。
朝も早く来て、教わった仕込みをしていると、シェフが来て・・・・
「おはようございます。」
「あ~おはよう。どれ、できたか?」と、覗き込んだ途端、パンチを食らった事もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/bf/bb8eb7d4734d0caa0d5fc969efd6a5ca.jpg)
でも、当時のシェフの気持ちもよ~く分る。そりゃ、大変だったと思いますよ。
自分の作りたい料理を作ろうにも、技術を持ったスタッフがいない。
少しでもいい料理を作れる様に、早く彼を(僕)仕込まなくっちゃ・・・と焦っていたんだろうと思う。
おかげさまで、たった9ヶ月の間に、たくさんの知識と技術を・・・
そして、料理に対する「厳しさ」というものを学んだ。
今思えば、彼は、そんなに凄い料理人って言う訳ではなかったけど、
料理に対する情熱は、本当に凄かった。
厨房では、メチャクチャ厳しかったけど、プライベートでは、びっくりするくらい優しい人でした。
今どこで何をしているのだろう?やっぱり、料理を作りまくっているのだろうか?
それでは、また。
でも、オーナーは、レジのお金を持って遊びに行ってしまうし、
給料は、自分の財布から出していた。
ある時など、当時僕は95000円の給料だったのだが、
財布から、9万円を取り出し僕に渡すと、「5千円足りな~い。後は明日!!」と言われた。
ティファニーは、一応株式会社だったので、もちろんちゃんと給料袋に入って、明細書も入っていたし、源泉徴収もされていた。
あまりの違いに、僕はびっくりしたけど、まだ無知な僕は、小さい店はこんなものなのか・・・?と、思っていたりした。
それでも、やっぱりシェフは厳しかった。
ラ・フーマには、3人一緒に入ったのだが、
1週間で2歳年下の先輩は、親の具合悪くなったということで、来なくなった。(もちろんウソで、新宿で働いていたらしいが・・・。)
今まで2人に厳しかったシェフは、人数が減ったイライラも合わせて、僕1人に厳しくなった。
これがまた不思議なもので、ティファニーと同じ状況になった。
3人メンバーが、2人になってしまった。しかも2番目が抜けてしまったのだ。
仕方がないので、当然の事ながらシェフが、全精力を傾け、僕にいろいろ教え込み始めた。
そんな事は、普段なら許されるはずも無いのに、まるで授業のようにメモする事が許された。
僕は、書きなぐった。そしてそれをノートに清書した。
「ぶどうの木」という、当時は珍しかったデザートレストランのパテシェを呼んでくれて、
それこそ個人授業のように、デザートを教わった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/11/c6efe3a171d5d66bd2c9a51731474031.jpg)
でもシェフには、良く殴られた。
その時僕は、「そんなことしなっくったって、ていねいに話せば分るのに・・・」と、思っていた。
でも今は、そうじゃないと、はっきり分る。何か技術を身につける時は、回り道をしなくっちゃ。
小さな困難を、何度も越えていかなくっちゃ、本当の技術は、身に付かない・・・と、今は思う。
僕は、シェフに怒られたり殴られたりしても、1度たりとも彼を憎んだ事は無い。本当だ。
じゃあ、誰を憎んだかって言うと、自分だ。
シェフに教わった仕事を一発で出来ない、自分自身に、腹が立った。
夜は泊り込みで、昼間失敗した仕込みをやり直した事も、何度かある。
朝も早く来て、教わった仕込みをしていると、シェフが来て・・・・
「おはようございます。」
「あ~おはよう。どれ、できたか?」と、覗き込んだ途端、パンチを食らった事もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/05/61b127592b20a646a463bf8f8269a62e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/bf/bb8eb7d4734d0caa0d5fc969efd6a5ca.jpg)
でも、当時のシェフの気持ちもよ~く分る。そりゃ、大変だったと思いますよ。
自分の作りたい料理を作ろうにも、技術を持ったスタッフがいない。
少しでもいい料理を作れる様に、早く彼を(僕)仕込まなくっちゃ・・・と焦っていたんだろうと思う。
おかげさまで、たった9ヶ月の間に、たくさんの知識と技術を・・・
そして、料理に対する「厳しさ」というものを学んだ。
今思えば、彼は、そんなに凄い料理人って言う訳ではなかったけど、
料理に対する情熱は、本当に凄かった。
厨房では、メチャクチャ厳しかったけど、プライベートでは、びっくりするくらい優しい人でした。
今どこで何をしているのだろう?やっぱり、料理を作りまくっているのだろうか?
それでは、また。