語る、シェフ

小さなレストランのオーナーが、日々の出来事を語ります。

  レストラン ラ・フーマ

2009-05-31 02:49:08 | シェフが店を持つまで
とにかく、シェフは厳しい。
でも、オーナーは、レジのお金を持って遊びに行ってしまうし、
給料は、自分の財布から出していた。
ある時など、当時僕は95000円の給料だったのだが、
財布から、9万円を取り出し僕に渡すと、「5千円足りな~い。後は明日!!」と言われた。
ティファニーは、一応株式会社だったので、もちろんちゃんと給料袋に入って、明細書も入っていたし、源泉徴収もされていた。
あまりの違いに、僕はびっくりしたけど、まだ無知な僕は、小さい店はこんなものなのか・・・?と、思っていたりした。

それでも、やっぱりシェフは厳しかった。
ラ・フーマには、3人一緒に入ったのだが、
1週間で2歳年下の先輩は、親の具合悪くなったということで、来なくなった。(もちろんウソで、新宿で働いていたらしいが・・・。)
今まで2人に厳しかったシェフは、人数が減ったイライラも合わせて、僕1人に厳しくなった。
これがまた不思議なもので、ティファニーと同じ状況になった。
3人メンバーが、2人になってしまった。しかも2番目が抜けてしまったのだ。
仕方がないので、当然の事ながらシェフが、全精力を傾け、僕にいろいろ教え込み始めた。
そんな事は、普段なら許されるはずも無いのに、まるで授業のようにメモする事が許された。
僕は、書きなぐった。そしてそれをノートに清書した。
「ぶどうの木」という、当時は珍しかったデザートレストランのパテシェを呼んでくれて、
それこそ個人授業のように、デザートを教わった。

 

でもシェフには、良く殴られた。
その時僕は、「そんなことしなっくったって、ていねいに話せば分るのに・・・」と、思っていた。
でも今は、そうじゃないと、はっきり分る。何か技術を身につける時は、回り道をしなくっちゃ。
小さな困難を、何度も越えていかなくっちゃ、本当の技術は、身に付かない・・・と、今は思う。

僕は、シェフに怒られたり殴られたりしても、1度たりとも彼を憎んだ事は無い。本当だ。
じゃあ、誰を憎んだかって言うと、自分だ。
シェフに教わった仕事を一発で出来ない、自分自身に、腹が立った。
夜は泊り込みで、昼間失敗した仕込みをやり直した事も、何度かある。
朝も早く来て、教わった仕込みをしていると、シェフが来て・・・・
「おはようございます。」
「あ~おはよう。どれ、できたか?」と、覗き込んだ途端、パンチを食らった事もある。

  

でも、当時のシェフの気持ちもよ~く分る。そりゃ、大変だったと思いますよ。
自分の作りたい料理を作ろうにも、技術を持ったスタッフがいない。
少しでもいい料理を作れる様に、早く彼を(僕)仕込まなくっちゃ・・・と焦っていたんだろうと思う。

おかげさまで、たった9ヶ月の間に、たくさんの知識と技術を・・・
そして、料理に対する「厳しさ」というものを学んだ。
今思えば、彼は、そんなに凄い料理人って言う訳ではなかったけど、
料理に対する情熱は、本当に凄かった。
厨房では、メチャクチャ厳しかったけど、プライベートでは、びっくりするくらい優しい人でした。
今どこで何をしているのだろう?やっぱり、料理を作りまくっているのだろうか?

   それでは、また。

  第一次増長期

2009-05-30 01:11:00 | シェフが店を持つまで
や~本当に良く降りましたね・・・雨。

厨房での仕事も2年目に入るとだいぶ慣れてきて、図々しくなってきます。
厨房に入ることをやめて、ホールを続ける事になった同期のK君と、本当に偶然なんだけど、
アパートが同じ下北沢だった事もあって、仕事の後、良くつるんで遊んでいましたね。
まあ、だからと言って仕事に支障は無かったとは、思います。

 
 
仕事の方も、入ったときの純粋な気持ちはどこかに忘れて、
「与えられている仕事は、何でもできる」見たいに増長していましたね。
自分でも薄々、気が付いてはいたんですが・・・1人の先輩が忠告してくれなければ、どうなっていたか?
先輩に、「お前は、増長してる。」と言われ、泣きましたね。(もちろん先輩は、もっと気の利いた言葉で忠告してくれましたが。)
「情けない事です。でも、きっと変わりますので、見ていて下さい。」というような事を言ったと思う。
その先輩には、本当に感謝しています。

 

しかし、同じ環境下ではなかなか上手くも行かず、僕は、丸2年になるのを待って、次の店に移ることにした。
いろいろな人に頼んで、何店舗も面接に行った。条件はただ一つ!!「厳しいシェフのところ。」
そして店も決まり、僕の「第一次増長期」は終わった。

念願かなって、「厳しいシェフのところ」にいく事になったのだが・・・。
店の名前は、「ラ・フーマ」、20席のフランス料理のお店だ。六本木通りの1本裏通りにあった。
オーナーが、「風間」という苗字なので、そう付けたらしい。
厳しいシェフ、2歳年下の先輩、そして僕。厨房は3人メンバーだ。
ホールは、基本的にオーナーが1人でやる。たまに、マダム(奥さん)の時もある。

僕は、下北沢から代々木上原で乗り換え、乃木坂で降り六本木まで歩いた。
しかし、結論から言うとこの店には、2月~10月までの9ヶ月弱しかいなかった。
まあ、いろんな意味で凄かった・・・この店は。
でも、僕にとっては「第一次成長期」だったと思う。   困難は、人を強くする。

    それでは、また。

  外はすごい雨!!

2009-05-29 02:28:02 | Weblog
元朝倉さん、実は今の「よしこ」は、2代目なんです。
初代は、5年間、今の二代目は8年目に入りました。
ジャーコは活躍していますか?
「よしこ」は、定期的におじさんが見に来てくれるので、まだまだ元気ですよ。

おおたかのもり駅か・・・。是非作ってみたいけど、あの大きさだと材料が足りないなぁ~きっと。
何年かして、うちの妻が倒れそうなくらい、ブロックがいっぱい増えたら、作ってみよう!!
部品を整理するものも、何か用意しないとな。

ところで、今週に入っておかげさまで少し忙しくなって来ました。
そんな訳で、仕込みに追われブログに支障が・・・って、
ブログ書いていて仕込みに支障が出ると困るので、解って下さい。
でも、昨日、今日とでだいぶ進んだので、明日からは大丈夫です。頑張ります。

   それでは、遅くなっちゃったのでこの辺で・・・。

  レゴにはっまった!!

2009-05-27 02:01:49 | Weblog
元朝倉さん!!そうなんです。「よしこ」ですよ。
でも、苗字は何だったか覚えていますか?
「星崎」です。「星崎 よしこ」が正式名です。
今日も、文句ひとつ言わず、僕が仕込みを終えるまで頑張ってくれました。
ありがとう。

という訳で仕込みをして、パソコンに向かおうと思ったのですが・・・
何とレゴが、僕を呼んでいたので、つい、作っちゃいました。
休憩時間に、息子が「江戸川台駅をつくろう!」と言うので、2人で作り始めたんですが、
結局僕が夢中になってしまって、息子には手出しをさせないという最悪な事態に・・・。
まあ、世のお父さん達にはよくある話でしょうが・・・(笑)

   

しかし、もちろん完成はしなかったんですが、夜、店から上がってくると、
どうしても作りたくなって、1時間ぐらい遊んじゃいました!!
肉を煮込んでいる間、走ったり、お風呂に入ったりはしていたので、そのせいもあったのですが・・・。

   
    プラレールの東武線は無いので、TXでガマン

同じ色がそんなにたくさん無いので、とてもカラフルな駅になっちゃうんです。
全く忠実に、って訳には行かないけど、明日はこれで遊ぶぞ!!
あっ、もちろん息子とですよ。これを作ったのも、「息子のために」ですから・・・
そのところ、間違えないようにお願いします。

     それでは、また。

  洗い場からの始まり

2009-05-26 01:57:46 | シェフが店を持つまで
今日も「例のメトロ」に行ってきましたよ!!
あまりめぼしい物は無かったです。残念・・・でもランチ用にSサイズのトマトを買ってきました。
明日は、オードブルはトマトサラダで行こう!!と思います。もちろんただトマトだけじゃあ、ないですよ。

そんな訳で、洗い場の話。
とにかく僕が入ったばかりの頃に、何と洗浄機が導入されたのです。
アルバイトの時は、全部手洗いだったのに、洗浄機の何と便利な事。
そして1番良かった事は、洗い物に時間がかからなくなった分、他の仕事が覚えられるって事です。
最初は、洗い物中心なんですが、だんだんとサラダ場の先輩から仕事をもらえる様になるんです。
とにかく洗い物をしている時も、サラダ場の先輩のすることを一生懸命見てるんですけど、
もちろんジッとなんて見ていたら、ぶっ飛ばされるので、横目でチラチラですよ。(笑)
そして、先輩から仕事をもらった時に、一発で出来ればしめたもの・・・。
「どうやるんですか?」なんて聞くのは、問題外。僕たちは、そうやって試されていくんです。
 
  「テファニー」の洗浄機はもっともっと大きかった。

相変わらず、朝は1番に来て与えられた仕事をこなすと、先輩が来るのを待って、
先輩の仕事を分けてもらう。何もかもが新しくって、いろんな知識や技術がどんどん身に付いていって、
「楽しくってやめられません!!」って感じでしたね、あの頃は・・・。

私生活でも、以外に1人暮らしは快適で、まあ、ほとんど店にいるし食事の心配もないので、
当たり前と言えば、当たり前なんだけど、下北沢っていう場所も良かったですね。
「もう、一生ここに住んでいたい!」と当時は、思いましたね。
でも、今の人には信じられないかもしれないけれど、
アパートは、「6畳一間、 ガス・水道付き、トイレ共同」って言うのが普通だった。
でも、4畳半が一番多かったかな?3畳に住んでいた友達も居ましたよ。
しかもベッド入れてるんですよ。部屋のほとんどベッド(大笑)
彼は、当時では珍しく、パテシェ志望でしたね。

 

そんな僕も、その年の年末に、お正月用のチーズケーキを270台、僕1人で焼くと言う事になったのです。
明治神宮前の駅の真上と言う事で、お正月は、それはそれはすごい人なんです。
座れれば、何でもいい!!と言うお客様が、ガンガン入ってくるんです。
その時の、「ケーキセット」用に焼くという訳です。
今僕は、もう20年ぐらい使っている卓上ミキシングマシーンを持っているけど、
その頃は、あまり小さい機器は発達していなかったから、全部、文字どうり手作りだった。
来る日も来る日も、他の仕事は洗い物以外、全部免除されていて、焼きまくりました。
もう、手首が痛くて大変でしたが、若かったのですぐに治りましたね。

  20年使っている、僕の[愛機」?

年が明けて、2年目に入ると、人間とは弱いもので、いろいろとダメな事がおきてくるんですね。
それは、また明日・・・かも。(笑)

  料理が出来るまで

2009-05-25 00:34:33 | シェフが店を持つまで
今、すごい雨です。雷もなってます。
そんな中で、今日は包丁も研ぎました!!
妻の包丁も、切れ味が非常に悪いまま我慢してもらっていたので、「やっと」って感じです。
僕の包丁も切れるようになったので、明日から気持ちよく仕事が出来ますよ。

さて、「ティファニィー」で、コックさんとしてスタートした僕は、もちろん洗い場から・・・。
僕が最初、大きな店を選んだのは、
お客さんが料理を注文してから出来上がるまでの過程を知りたかったから。
でも、あまりにも大きいと、歯車として小さすぎるので、
洗い場でも全体が見渡せるぐらいの、大きさの店が良かった。
それがこの店だった訳です。

 

下に図で示してみたのだけれど、オーダーが入るとシェフが読み上げ、それを聞いたスタッフは、
入ったオーダーで、自分のなすべき作業にかかる。
そして、その作業が集約されて、料理の完成となる。
もちろん、オードブルとサラダや、デザートなどは、そのまま完成へ
魚や肉などのポジションの人は、オーダーの料理に合った形体にしてストーブ前の人に回す。
ストーブ前の人は、入ったオーダーにあった調理法で料理を完成させる。
出す前に、シェフがチェックして、お客様へ・・・となる。

普段は、オーダーが入った時に、すぐに対応できるように各ポジションとも仕込み(準備)をしておく。
この準備が出来ていないと、どのポジションも大変なことになる。
そしてこの仕込が、調理場での仕事の最も重要な事なのだ。
ただ、どのメニューもたくさん材料を仕入れて仕込みをすればいい訳じゃない。
出数を予測し、なるべくロスを出さないように仕込んでいく。


                                                                                                                         
  例えば、      サーモンマリネ
                季節のサラダ
                    ・
                ハンバーグ
                真鯛のポアレ
                    ・     
              デザート盛り合わせ


こんなオーダーが入ると、オードブルとサラダのポジションの人が、仕込んでおいた材料を元に、
サーモンマリネと季節のサラダを作りにかかる。
 
  

その間に、魚と肉のポジションの人は、ハンバーグの重さを計り、こねるとストーブ前に回す。
真鯛を取り出し、シェフの決めた大きさにカットし、ストーブ前に回す。
そして、各料理の決められた付けあわせを準備し、ストーブ前に回す。
ソースなどは、鍋に適量入れてストーブ前に回す。

  

デザートのポジションの人は、声がかかったら、すぐに出せるようにカットする物はカットしたりして、準備する。

そして、ホールのスタッフの声かけの元、タイミングよく料理を順番に出していく。


上の図は、コックさんが6~10人いる厨房かな。
各ポジションに2人づついる場合と、1.5人の場合とかいろいろですね。
定休日があると無いじゃあ、これもまた人数が違う。

すごい高級なフレンチになると、人数も増えるしポジションもより細分化されていく。
逆に、小さな店になると、1人のこなすポジションは複数になる。
例えば、ラ・ポンムの場合は、全ポジションを僕がこなしている訳です。

料理を作り、お客様に出すシステムっていうのは、どんな店に行っても普遍です。(と思います)
だから僕は、この店以降、人数の少ない小規模店にだんだんと移っていきます。

   今日は、この辺で・・・。 

  風が強かった・・・日

2009-05-23 00:20:47 | Weblog
今日はすごい風でした。
ちょっと窓を開けておくと、いい風が入ってくるのだけれど、ざらざらになってしまう。
だから窓を閉めると、まだ使いたくは無いのだけれど、エアコンを入れなければならない。
レストランだから、「暑くてもガマンしてください」という訳にはいかないのがつらいところ・・・。

そうそう、この間うちの妻が、お客さんに「暑い!!」と言われて、エアコンをつけたときの事。
しばらくして、僕に「とても涼しくなっているとは思えないんだけど・・・?」と言うので、
「暖房になってるんじゃないの?」とリモコンを見ると・・・やっぱり・・・「暖房」
慌てて、冷房に変えたけど、季節の変わり目には結構ある間違いです。
前にも、夜の女子学生アルバイトが、夏に、ガンガン暖房入れてました。(笑)

とにかく、エアコンのスイッチを入れたら・・・表示の確認は、忘れずに!!

明日は、きーちゃんの娘さん達や、双子の母の双子さん達の運動会なので
雨が降らないことを、てるてるぼーず!!
     
    それでは、また。

  段取りは大切ですね!?

2009-05-22 00:15:49 | シェフが店を持つまで
「ティファニィー」には、もちろん年上のヒトを好きになりに行っただけじゃない。

まず、ギャルソンとしてホールの仕事を覚えるのだが、
な・な・なんと2年目のひとつ上の先輩が2人ともやめてしまったのだ。これは大変!!
急きょ僕たちは即戦力として、短期間で鍛え上げられる事になった。

 

一応、フランス料理店なので、伝票もフランス語で書く。
これは、メニューをアパートに持ち帰って、ひと晩で暗記して、書ける様にした。
シルバー(ナイフ、ホークなど)のセットの仕方は、休憩時間に集中的に基礎から叩き込まれた。
後は実践で教わった事を体験していった。
しかし、ホールの仕事は「こういう時は、こう。あーいう時は、あー」と決まっている訳ではないので、
お客様に対して、そのお客様にあった接客をするという、臨機応変さが求められるので難しい。
そして、料理を出すタイミングを巧みに厨房に通しに行くのだが、これが、また難しい。
最初の頃は、厨房にコース料理のメインを頼んだのに、
出来上がった時お客様は、まだスープを食べていた・・・なんて失敗は結構した。
お客様によって、食べるスピードが違うのはもちろん、料理の種類や忙しさによって、出来上がるスピードも違う。
しかも複数のテーブルを見ながら、前菜からデザートまで、合間にドリンクのサービスをしながらこなしていく。
それから、ホールの連携も大切だ。お互いに助け合いながらホールの中を縦横無尽に歩き回る。
もちろん、さりげなく、静かに、そして優雅に・・・。

  

僕は、コックさんになる為にこの店に入ったのだけれど、ホールの仕事にも、しびれた・・・。
覚えれば、覚えるほど楽しくなる。もちろんいいお客様ばかりではないけれど、段取り通りにいくと快感だ!
実際に、キッチンに入るのをやめて、ギャルソンとして生きていく道を選ぶ人も結構いると聞く。

あの頃は、すごーく若かったから、吸収力はすごかったし、仕事に対する情熱は半端じゃなかった。
朝も、もちろん1番に来て、かなり広かったホールの掃除も全部1人でやった。
先輩達が来るまでに掃除を終わらせて、その分早くいろんな事を覚えたかったからだ。
でもこれは、「掃除もみんなでやる事なんだ」と店長に止めさせられた。

今思えば、厨房に入るまでのほんの数ヶ月で、あれだけの事を教えてもらい、体験できて、本当にラッキーだった。
しかも教えてくれた先輩も、後に「アピシウス」という凄いレストランのマネージャーを勤めたほどの人だった。
本当に感謝している。ありがとうございました。

そんな僕も、いよいよコックさんになる日が来た。厨房にアキが出たのだ。
ただ、僕が入ったときのシェフは何人かのスタッフを連れて辞めることになって、新しいシェフとスタッフが来たのだ。
厨房での新しい毎日が始まった。とにかく、スタートだ。

   それでは、また。


  初めてのお店2

2009-05-21 02:50:01 | シェフが店を持つまで
遅くなってしまった・・。
まいちゃん!!とても可愛いコメント、ありがとう。
またいつか会おうね。

そんな訳で、僕にとって初めてのお店、「ティファニー」での仕事は、僕にいろんな事を教えてくれた。

僕の計画では、最初はスタッフのたくさんいる、ある程度大きなお店で働き、
飲食店の全体的流れをつかみ、徐々に小さい店に移っていきながら、責任あるポジションに就いていく・・・。
そして、30歳後半で店を持つ。そんなイメージを描いていた。
大丈夫、努力さえすれば何でもできるんだから・・・。
 
 

「ティファニー」には、丸2年いる事になるのだけれど、当時は、あっという間だった。

入ってすぐに、僕は恋に落ちた。あっさりと7歳年上の女性が好きになってしまった。
もしもの事があるので、彼女の事は詳しく書かないけれど・・・
ちなみに29年たった今でも、彼女とは連絡しあってる。(そんなに頻繁って訳じゃないけどね)
この年になってしまえば、7歳上なんて、同い年みたいなものだ!?
でも当時は、就職したての19歳と26歳の女性といったら・・・ため息が出るほどの違いだった。
 
 

僕はあの頃彼女の事が好きで、明治神宮前駅で待ち伏せして、
「僕はあなたが好きです!!でも、どう考えても無理なので、やめます。でも、気持ちは分ってください!!」
と、ホームで叫んだのだ。今思うと、本当に思い切ったことをしたもんだ。
彼女にしてみれば、いい迷惑だっただろうに、その後も何かと気遣ってくれて本当に素敵な人です。
今は、20歳になる娘さんと御主人3人で東京で暮らしています。
ただ、あんまり体が丈夫じゃないので、少し心配です。

僕が店をオープンした時も、籐で出来た三輪車にポトスが入った贈り物をくれて、
電話で、[とにかく長く続けるのよ。頑張ってね。」と言ってくれた。
でも考えてみれば、彼女とはもう、25年ぐらい会ってないかな?
懐かしくてちょっと赤面しちゃう思い出ですね。

   それでは、また。

  食事会

2009-05-19 01:03:23 | Weblog
久し振りに「初夏」って感じの1日でしたね。
今日は、昼のパートさん2人と妻と共に、柏のイカ屋さんに食事に行きました。
インターネットで調べると、結構混むみたいなので30分前に行ったのですが・・・駐車場代がかかっただけでした(笑)
でも、ランチ限定5人前のセットをみんなで食べることができて、ラッキーでした。
噂どおりに、本当に美味しかったです。

妻は、息子が帰って来るので、申し訳ないけど、電車で先に帰ることに・・・。
僕たちは、妻を駅まで送り届けてから、適当に車を走らせ、気の向くままにお茶できそうな所を探していた。
のどかな田園風景の中を走り抜けると、なぜか「しょうなん 道の駅」に到着。

  

ここでいいよね、と車を止め、まず3人で野菜を買って、手賀沼を見ながら珈琲を飲みました。
僕は、なんか久し振りに店から離れてゆっくり出来て、とてもいい気分転換になりました。
こんなにゆっくり出来たのも、先週暇だったからです。(汗)
でも、今週からはまたガンガン行きたいものですね!!(笑)よ~しがんばるぞー!!
   
    それでは、また。