語る、シェフ

小さなレストランのオーナーが、日々の出来事を語ります。

  行って来ました!人間ドック

2009-06-30 01:00:54 | Weblog
今日は早起きして、人間ドックに行ってきましたよ。
去年までの病院は、予約が10月までいっぱいということなので、
今年は違う病院で受けました。

まあ、検査内容は同じなんですが、
違いは・・・
眼底検査などの眼の検査の場合、去年までは看護師さんがやってくれましたが、
今年は眼科の先生が直接診てくれたこと、
腹部エコーは、今までと違って、今年はとても短かったこと、
胃カメラの時、鼻からか、口からか・・・選べること。

特に、鼻から胃カメラは、あまりにも楽だったので、毎週やってもいいくらいです。(笑)
しかもまだ30代ぐらいの、キリットしたかっこいい女医さんだったんです。
母も言っていましたが、なんか、とても繊細だったような気がします。

 

でもそれも、口からじゃなく鼻からだったからかもしれませんね。
あとは、2週間後に結果が出るので、その結果で再検査が、あるかもしれません。

外は雨が降っていますが、明日は、久し振りに忙しいんです。
さすがに今日は疲れたので、もう寝ます。
とは言っても、これからお風呂に入って、晩ご飯ですけど・・・。

  
  

  明日からは、また例のものを書いて行こうかな・・・なんて思っています。
  それでは、また。

  人間ドック

2009-06-29 00:04:33 | Weblog
明日は、毎年恒例の「人間ドック」
結婚を機に始めて、もう11年になる。
今までは、特に治療を要するものは見つからなかったけど、
自分の体の数値を知るということは、健康にとても役に立っている。
もちろん人間ドックなんて最低限の検査だし、
いくら検査機械が発達しても、その結果を判断するのは人間なので、
完全に”安心”とは、行かない。

でも、自分の体がいま、何を求めているのか?
何かを訴えている場所は無いか?
そんな風に、自分の体に耳を傾ける、いいきっかけにもなりましたね。

さあ、明日は早起きだし、火曜日は予約がいっぱい入っているので、
どうせもう何も食べられないし、走れないし・・・お風呂入ってもう寝ます。

    それでは、また。

  貝作とのお別れ 

2009-06-28 00:43:38 | シェフが店を持つまで
今日も、早く終わったのに、妻と一緒にテレビを見て、
あーでもない、こーでもないと盛り上がり、遅くなっちゃいました(笑)

今日は、ランチが終わってから、息子とザリガニ取りに行った。
実は、本当に何十年かぶりのザリガニ捕りで、すごく楽しみだった。
今日は、土曜日だったので、クリーンセンター方面は混むと読んで、ファンケル近くに行った。
持ち物は、ザリガニを釣る為の棒とタコ糸、それに餌として、鶏の胸肉、はさみと小さな水槽。
おっと、「とうもろこし」を忘れてはいけない。
現地に着いたら、まずこれを食べなければ・・・昔からのザリガニ捕りの常識だ!!

  

結構取れましたよ。そのうちの1匹だけ持って帰ろうと思ったんだけど、
一緒になった家族の方が、「捕るだけで、全部逃がしていくので、大きいのだけあげる。」と言われて
断れずにもらってきてしまいました。(妻に汗)
思ったよりもはるかに楽しくて、明日も行きたいな~なんて思っちゃいます。
あっ、そうそう、もちろん息子も楽しんでくれたと思います・・・よ。ザリガニも持てるようになったし・・・。

そして貝作・・・。
1年間、本当に有意義でした。
和の世界を垣間見れた事もそうだし(技術面も含めて)、何より大きかったのは、
「僕は、何処に行ってもそこそこ出来る。」という自信を持ったことだ。
辞める事は、入ったときから分っていた事なので、問題はなっかったが、一応、慰留はされた。
とても嬉しかったけど、まだまだ、目標に向かって、
前に進まなければいけない段階だったので、それは出来なかった。
椿山荘の事務所のSさんからも、お別れに、鉢植えをもらった。なんか、報われた様で嬉しかった。

さてこれから、どうしよう?
そう思った矢先・・・すごい話が舞い込んできた。

    それでは、また。

  貝作での日々

2009-06-27 01:18:05 | シェフが店を持つまで
朝、店に行くと、当たり前だけど、板前さんたちが小気味よく働いている。
僕も、挨拶をするとランチの準備にかかり始める。
ランチは、確か・・・日替わり定食・天丼・刺身定食・・・もう1種類あったような気もする。
あれ~、すみません、忘れました。
まあとにかく昼間は、近くのサラリーマンでいっぱいになる。
ランチのホールは、基本的に、僕1人でこなす。
メニューが少ないし、滞在時間も短いので、そんなに大変だった記憶はない。
洋食と違って、順番に出したりも無いし・・・。
 
 

ランチの後かたずけが終わると、みんなでお昼ご飯!!
土曜日は、次の日がお休みなので、結構お刺身がたくさん出る。(嬉)
いつだったか、板長に「死ぬほど”うに”の乗った、”うに”どんぶりが食べてみたい」と言ったら、
ある土曜日に、本当に出してくれた。
どんぶりに、ご飯が8分目ほど入っていて、「ほら、やたさん」と、
”うに”のぎっしり乗った板を渡された。(スーパーとかでも、板に乗って売ってますよね・・・あれの超デカイの)
僕は、本当にいいんですか?と板長に念を押すと、嬉々として食べ始めた。
ところが半分も過ぎた頃・・・もう気持ち悪くなってしまった・・・残念だけど残してしまった。
やっぱり、よく言うけど、足りないぐらいが丁度いいんですよね(笑)

それに、貝の刺身の美味しさを知ったのも、この時だった。
コリコリする歯ごたえが何とも言えず、鮑やサザエなども本当に美味しかった。

  

食事が終わって、休憩時間には、良く八重洲地下街に遊びに行った。
大丸にも、行ったな~。
僕が、子供の頃、家族で車に乗り、大丸とか八重洲地下街に良く来たんです。
だから、結構親近感があって良くフラフラしてましたね。
でも、この間、ロマンスカーの旅の帰りに寄ったときは、
新しい地下街とか、駅とか変わっていて、浦島状態でしたね(笑)
 
   

常連のお客様にも、だんだん信頼されるようになって、接待の時など、
「お任せしますので、よろしくお願いします」なんて言われるようにもなってきた。
そんな時は、板長さんと相談しながら献立を決めていく。
予算も、特に指示が無い限り、だいたい、いつもと同じ程度に納める。
帰りに、「とてもよいお料理を、ありがとうございました。」と言われると、嬉しかった。原点ですよね。

夜の仕事が始まる前に、厨房で和食の仕事を体験させてもらったりもした。
そうそう、築地に仕入れに行くのにも、ついって言った事があるんです。
もちろん場内での取引なので、一般の人は入れない。
なかなか経験できない事だったので、凄く嬉しかったのを覚えている。
でも、若い板前さんは、「毎日築地通いはつらい」って言ってましたね。

若い板前さんとも、仕事の帰りにたまに飲みに行きましたよ。
お互い料理の世界に身を置きつつも、微妙に違う世界なので、
その事についてとか、将来の夢についても、語り合いましたね。
次の日は(もう今日だけど)、築地に行くので早起きなのに、朝まで語っちゃいましたね。

そんな貝作とも、お別れの日が近づいてきました。

    それでは、また。

  貝作 番外編

2009-06-26 01:53:25 | シェフが店を持つまで
今日も、クアーズ飲んで書いてます。
もっと早く終わるはずだったのに、仕込みの途中に、妻とテレビを見てしまいました・・・。
とっても痛快でした。悪は滅びるべし・・・。

さっき走っていたら、車が電信柱にぶつかっていました。
かわいそうに、運転者は救急車で運ばれて行ったようでした。
消防車も来ていましたよ。もちろんパトカーも・・・。
現場は、真直ぐな見通しの良い直線道路なのに・・・なぜ?
お酒でも飲んでいたんですかね?皆さんも、くれぐれも気をつけてくださいね。大切な人のためにも・・・。

貝作は、東京駅にあるようなものだったので、近くのサラリーマンの方がたくさん来ました。
サラリーマンといっても、いろんな階級?の人たちが来るのですが、
まあ、パーセンテージで言うと、地位の高い人のほうが、腰が低いです。
何でなんでしょうね。だから、地位が高いのか?その逆なのか?
でもね、何となく分るような気がしませんか?

今夜、来ていただいたお客様は、結婚記念日だったんですが・・・
何と、「60周年記念」だそうです。
まだ人生も、60年いってない僕にとっては、すごいことだと思います。
もちろん、ご夫婦とも80歳を超えています。
それでも、オードブルからデザートまでのコースを「ぺろり」と食べてしまいました。
帰りには、「70周年記念も、是非うちに来てください」と言ってお送りしました
その為には、僕も頑張らねば・・・!!

     それでは、また。  

  クアーズを飲みながら・・・

2009-06-25 02:01:52 | シェフが店を持つまで
すっかり梅雨ですね。
僕は今、ジェーソンで買ったアメリカのビール「クアーズ」を飲みながら、書いています。
何と、1本330ml 79円(税込み)1ケース24本だと1800円(1本75円)です。
一応、種別はビールです。たくさん飲む人は、2ケース買っても、3600円!!
アメリカのビールなので、とってもサッパリしていて、物足りないところもあるかもしれませんが、
今の季節、水代わりに飲むビールとして、この価格は見逃せないのでは・・・?

 

そうなんです。
あの日は、金曜日だったのか、貝作はすごく混んでいたんです。
もちろん満席だったんだけど、そこに、赤坂の本店の「女将さんを知ってるんだ」という
お客様が、3人で見えたのです。まあ、そこまでは別にないことも無い普通の出来事ですよね。
でも、店内は満席なので、そのことを伝えると・・・なんと客席に入ってきて、
「何処かの客を帰らせろよ」と言うではないか!?
その言葉に、もう僕はカチンと来た。常連だろうと、一見だろうと、お客様は平等だ。
それを、「帰らせろ」とは何事だ。
僕は平静を装いつつ、そのお客様をなだめていた。
するとそれを聞いていた、2人組みのお客様が、
「あ~俺達が帰るよ。ほら、座らせてやんな」
と、笑いながら言ってくれたので、お礼を言って、アルバイの女の子に、すばやく机をかたずけさせ、
僕は、席を譲ってくれたお客様の会計を済ませ、「カチンと来る」お客様を案内した。

 

そこまでは、まあ、カチンと来ても、カチンだけなので良かった。
ところが、オーダーストップが過ぎ、閉店時間になっても、彼らは帰らない。
僕は閉店時間が過ぎて、少したってから、
「お客様、もう閉店時間を過ぎましたので、そろそろよろしいですか?」
と、言った。彼らは、「あ~あ~、分かった、分った。」と答えた。
しかし、いつ迄たっても、彼らは帰ろうとしないので、僕は、
「お願いですよ、そろそろよろしいですか?ビルも、正面玄関はしまってしまいますよ」
と、優しく、少し間をおき、何度か言った・・・。

何度か目に言った時、「カチン」ときた彼が怒鳴った!!
「なんだよ、さっきから聞いてりゃ、子羊を追い出すみたいに、帰れ帰れって・・・
俺は、赤坂の女将さん知ってるんだぞ!!おまえ、名前なんて言うんだ!女将に言ってやる。」
と、言ったのだ。
はっきり言って、ぼくもまだ若かった。完全に、頭にきました。そして、彼に言った。
「俺は、谷田部 真だ!!文句あるか」と・・・。
すると彼は、何を思ったのか、床に敷いてある足拭きマットを頭上に掲げ、
「この野郎!生意気なヤツだ。」と、僕を威圧した。
彼は僕よりかなり大きかったが、僕は彼に、にじりより、彼を見上げ、言った。
「やれるもんならやってみろよ。その代わり、その後ボコボコにしてやるからな!!あ~!!!」
僕らは、しばらくにらみ合っていたが、
「くそ~、覚えてろよ」と言うと、彼は、マットを足元に投げつけ、あきらめて、会計をして帰っていった。
連れの2人は、加勢するでもなく、止めるでもなく、全く関与しなっかったと思う。

一部始終を見ていた、若い板前さんたちは(板長は先に帰っている)、「ひぇー、気持ちいいっすね~」といいながら、
後かたずけを手伝ってくれた。その時は、僕も正しい事をしたと思ってヒーロー気分でいたが・・・。

その後、本店の女将さんに怒られる事も無く、日々は過ぎって行った。
その時のことについて、何年もたってから、もっと違った対応が出来たのでは?と思うようになり、
今では、やっぱり間違えた対応だったと思っている。
僕たち、飲食業の仕事は、お客様に幸せになってもらう事、またその手助けをする事・・・。
その為には、お客様よりはるかに上の、サービスに対する知識と技術を持ち合わせていなければ、
幸せの手助けなど出来るはずが無い。
上手く伝わってないかもしれないけど、例えば夫婦の場合。
もし一方が、人間的にとても大きな心を持っていたとすると、あまり喧嘩にはならないんじゃないだろうか?
同じレベル同士だと、やっぱり喧嘩になると思う。
そうそう、お父さんと小学生の息子が、本気で喧嘩しないのと同じだと思う。
 
 
 
でも、僕はあの日、お客さんと喧嘩してしまった。・・・未熟だったと思う。
もちろん、状況によっては、毅然と対処しなければならない事もあるが、あの時は違ったと思う。

ちょっと、語っちゃったけど、今でも時々思い出す、苦い、いい経験です。

      それでは、また。


  配膳会のTさんの凄さ!

2009-06-23 01:15:45 | シェフが店を持つまで
なんかのどが痛いぞ!気を付けなければ・・・。

直営店のスタッフの人たちとも、だんだん打ち解けて、いろんな事に融通がつくようになってきた。
椿山荘の直営店には、洋食から和食、喫茶店、ビアホールみたいな店まであった。
そこで働くスタッフは、社員の他に「配膳会」というところから派遣されてくる、飲食店のプロがいた。
   *例えば、「ラ・ポンム配膳会」とか、大から小までいっぱいあった。
おもに、接客の仕事をするのだが、まあ、今でいう派遣社員だ。
「貝作」にも、Tさんという「ねえさん」がいて、週に2日ぐらい助っ人に来た。
「ねえさん」と言うのは、「姐さん」の事で、旅館や料理屋で働く女性のことらしい。
もちろん着物で働く。言い忘れたけど、アルバイトの女の子も、洋服より着物の方が時給が高いんです。
だけど、普段呼ぶ時は、「Tさん」って呼んでましたね。
 
 

そのTさんは、料理を売ることにかけては、本当にすごい。
貝作の場合、割烹じゃあないのでコースでは出さない。
そうすると、やはり追加料理が重要になってくる。それが、Tさんは凄い。
はっきり言って、いるといないでは、追加料理の数が全然違う!!
僕などは、そういうことに全く慣れてないので、最後まであまり得意ではなかったな。
ただ、トラブルもたまにあったな~。
Tさんは、受けたつもり、お客さんは頼んだつもりは無い・・・料理がテーブルへ!!
Tさんは、僕の事なんて完全に見下していたので、もちろん僕の要望なんてちっとも聞かない。
強引なところもあったけど、「商売として物を売る」姿勢というか、意欲というか、
ある程度、お客様に伝えていかなければいけない、という事を学んだ。
でも、今実践できているかというと・・・大いに疑問ですね(笑)

 

だんだんと、板長さんや、板前さんと飲みに行ったりもして、貝作での生活にも慣れてきました。
洋食を離れ、和の世界の人たちと接し、ちょっと自分に対して距離を置いて、自分を判断できるような・・・。
なんか、そんな時期でした。
僕は再び、自分の出すべき店に向かって、ゆっくり歩き始めたのです。

ところが、今でも反省している、ダメな事をやってしまったのです。

     それでは、また。




  新鮮な毎日

2009-06-22 02:06:14 | シェフが店を持つまで
僕は下北沢から、新宿に出て、中央線で東京駅まで通う事にした。
渋谷に出て、山手線も考えたけど、小田急線と中央線の方が好きだったので、そうしたのだ。
僕たちの仕事は、普通の会社より1時間ぐらい遅いので、電車はあまり混まないので助かる。

椿山荘に着くと、もう既に社員の人たちが来ている。
僕は、すれ違う社員の人たちに「おはようございます!!」と元気に挨拶しながら店へと向かう。

この仕事は、基本的に調理場のスタッフの方が朝は早い。
その代わり、帰りはホールより早いのが普通だ。
まあ、小さい店はそんな事も無いかな!?

店に着くと、板前さんたちに挨拶して、椿山荘の事務所にレジのつり銭を取りに行く。

また脇道にそれるけど、つり銭ってすごいですよね。
だって、大した売り上げの無い店だって、4~5万円用意しないと商売できないじゃないですか。
でもそのお金は、絶対使えないお金な訳ですよね。
そして、商売している限り必要な訳ですよ。
もし、もしもですよ、お客様が絶対ピッタリ払ってくれたら、つり銭ぶん使えるわけじゃないですか。
スーパーなんて、きっとつり銭だけですごい金額だと思いますよ。

と、まあそんな訳で、事務所で僕の相手をしてくれるのは、事務の女性2人・・・。
1人は、まあベテラン・・・と言っても僕より若かったかな?を、「Kさん」としよう。
もう1人の、まだ新人って感じの女性を、「Sさん」とする。
もちろん、他にも男性の偉い人が何人かいたけど、僕たちの面倒を直接は見ない。

とにかくKさんは、厳しかった。
僕ははっきり言って、以前勤めていたスカラで、
伝票書いてレジ締めはしたけど、そんなに大した金額じゃなかったし、
「経理」として、お金を扱ったことが無かったので、「経理」の常識なんて、全く知らなかった。
しかも、消費税が始まったばかりというすごいときだったし、
「特別地方消費税」や、「内税、外税」なんてものもあったので、それはそれは複雑だった。
 
  

伝票などをまとめるホチキスの止める位置から、領収書の書き方、なぜ、そうしなければいけないのか・・など。
僕は、怒られるたびに、あやまり、とことん質問して、教えてもらった。
夢の中でも、よく怒られたものだ。
Kさんにそのことを言うと、「私ってそんなに怖いかしら?」と笑っていた。
最初は、本当にバカにするように、事務所に響き渡るような大きな声で、僕の失敗を、
「信じられな~い、なに、この書き方?」と、言っていたのに、
僕が、あまりにもしつこく質問するもんだから、この頃には、逆に積極的に教えてくれるようになった。
今でも僕の「経理」の基本は、彼女から教わったものだ。(まあ、店の日常的な事ぐらいだけど・・・)
もちろん、とても感謝している。今頃、どうしているのかな~?

そんな訳で、事務所の人たちとは結構仲良くなる事が出来た。
僕は、直営店の人たちにも、積極的に話しかけていったが・・・。

    それでは、また。

   

  新たな出発・・・ですかね

2009-06-21 01:19:32 | シェフが店を持つまで
想像して欲しい。
国際観光会館というビルの地下1階のフロアは、すべて「椿山荘」なのだ。
今、ショッピングセンターによくある飲食店街と全く同じだ。
ただ、テナントの5店舗(だったと思うけど定かではない)を省くあとのお店は、
全部、椿山荘の直営店だった。
 
   

それから変わっていたのは、ビールなどの飲料から、ラップなどの消耗品まで、
椿山荘を通してオーダーするものが多かった事がひとつ。(もちろん魚介類などは築地で仕入れていた。)
それから、売り上げの管理も、地下のフロアにある事務所で管理してもらうと言う事。
もちろん、各店の1日の集計は出して持っていく。

ビールや消耗品など共通して使っているものは、椿山荘という大きな組織でまとめてオーダーすると、すごく安くなるのだ。
そんな訳で、テナント各店はそれに便乗していた訳だ。
まあ要するに、「椿山荘の社員」VSテナント軍団といったところか?
なぜかというと、直営店だと食材にしても何にしても融通が利くのだが、
テナント店には、厳しいし、意地悪もされる。

僕は、アルバイトながら、「椿山荘」との交渉などは僕の役割だった。
今までの悪い関係を、何とか良好にしていくことから、僕の仕事は始まったと行ってもいい。
もちろん店内の仕事も、バリバリやりましたよ。
洋と和の違いはあっても、心は一緒。全然バッチリでしたね。
板長さんとも、結構気が合って、料理談議に花が咲いたりしました。

次回は、実際にあったエピソードなどを交えて・・・それでは、また。

  さて、どうするか?

2009-06-20 02:55:11 | シェフが店を持つまで
カフェ ド アヴァンを辞め、
僕は、次の仕事の事を考えた。
まず、僕の仕事のレベルは、どれくらいなんだろう?
そして考えついたのが、誰の紹介も受けずに、当時すごく厚かった「フロムA]で探す事だった。
僕の事を全く知らない人が、僕を選んでくれて、使ってくれれば、
客観的に評価してもらえると思ったのだ。
僕は、火曜日と金曜日にフロムAを買い、入念にチェックしていった。
そして選んだのが、「貝作」という、和食のお店だった。
名前の通り、サザエや鮑、浅利やみる貝、ホッキ貝などを主に扱う料理店だった。
赤坂に本店、東京の八重洲口に支店があって、募集していたのは八重洲の方だった。
東京国際観光会館というビルの地下に、「椿山荘」があって、そこのテナントとして出店していた。
もちろん「椿山荘」といっても、椿山荘が出している飲食店街だ。
今は、どうなっているか分らないけど、オリンピックの年ぐいらいに出来た、古~いビルだった。
 
    
 ぼうぼうの公園の柘植の木をめった切りにしました(笑い)4本完成です。


面接は、赤坂の本店で、全てを任されている、板長さんから受けた。
僕は当然和食の仕事は初めてだったけど、なんか軽い印象の板長さんだったなぁ。
その場で採用が決まり、働く事になった。
びっくりするかもしれないけど、調理の仕事じゃない。
「貝作」と書いてあるハッピ?を着て、接客の仕事だ!!
しかもいきなり、アルバイトを束ね、レジも給料計算(アルバイトだけ)もやる、ホールの責任者だ。
もちろん、板長さんには事情を説明して、1年間という期限付きでの仕事だった。
たった1年だったけど、とても有意義な時間を送ることが出来た。

さていよいよ、新しい店での仕事だ。
板場には、椿山荘店の板長と板前さんが2人、客席は昼は1人でこなし、
夜は、アルバイトの女の子が1人、週末の忙しいときは本店から助っ人のおねえさんが来たりした。
僕は、とても新鮮な気持ちで、新しい生活をスタートさせた。

 追伸 グーグルマップで見たら、「ワンオーナイン」は、パチンコの「マルハンタワー」になっていました。
    
  それでは、また。