彼が、いなくなったおかげで、僕はランチタイムだけストーブ前を任されることになった。
とはいっても、まだ経験2年そこそこの若造だったので何も出来ない。
せいぜい賄いぐらいしか作ったことが無かった。
そんな僕に、シェフはせっせと仕事を教え込んだ。
特別に、ノート持ち込みOKでとにかく何でも早く覚えて「もの」にしてくれと・・・。
何せ3人メンバーだったのが、2人になってしまって彼はとても焦っていた。
当時使っていたノート あぶらと手垢でボロボロだ。
もちろん清書したものは別にある。
でも、僕にとってはラッキーだった。もちろんそれはそれは厳しい日々だったけれど、
なんかとても楽しかった。
ランチの時、ストーブ前で仕事をしていると、後ろから
「遅い!!」と、大きい木の胡椒挽きでよく殴られた。一瞬「クラッ」と来たものだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/3b/7d340d1c06ef31ed819eea8504908f2d.jpg)
またある時、ケーキを作っていると、
「なんだそれは・・・そうやれと言ったか!?」とシェフ。
「はい。」と僕。その途端平手打ち!!
結局、3回聞かれて3回「ハイ。」と言って、3回平手打ちでした。
そしてある時は、ドレッシングをシェフに味見してもらおうと持っていくと、
「なんだこりゃ!!やり直せ~」
とぶちまけられました。掃除が大変でした。もちろん僕もべとべと・・・。
まだあの頃は、コックさんと言えどもあまりデザートは出来なかった。
当時、日比谷にデザートレストラン?とでも言うのかな、が出来て、けっこう話題になっていた。
そこに勤めている若いパテシェをシェフが知っていて、彼が休みの日に良くデザートを教えに来てくれた。
僕にとっては、これもまた超ラッキー!!
彼が来た時は、もうつきっきりで、時間の許す限り教えてもらった。
今もその時、彼にもらったレシピは、大事にとってある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/56/4d4c1edea9aa2a50b01931215775f6c2.jpg)
しかしこの店も、僕らは2月から入ったのだが、10月には人手に渡る事になった。
もちろん次の経営者は、僕たちを雇うことは無かった。
僕にとってのこの店は、「料理を作るっていう事は、とても大変なことなんだ」と言う事を初めてわからせてくれた所だ。
出来なくて、悔しくて店に泊り込んで仕込みした事も何回もあった。
朝、千代田線に乗っていて乃木坂の駅が近づくと、胃が痛くなってきて、ホームでうずくまっていた事も何回かあった。
何度も、「今日こそやめよう」と思ったけど、
「やめるのはいつでもできる。もうちょっと、頑張ってみよう。」と思って続けてきた。
何より、シェフの要求に答えられない自分が情けなかった。
いくら怒られても、決してシェフを憎んだりはしなかった。出来ない自分に腹がったった。
店を辞めなければならなくなった時、正直言って、ホッとした。
若いから出来たけど、あんな長い間、緊張し続けながら仕事をするなんて今じゃあとても出来ない・・・と思う。
でも、怒涛のような8ヶ月は、僕を飛躍的に成長させた。
「もう、どこの店だって働ける。」そんな自信も持てるようになった。23歳になったばかりの頃だった。
あの時のシェフは、今もどこかで一生懸命料理を作っているのだろうか?
とはいっても、まだ経験2年そこそこの若造だったので何も出来ない。
せいぜい賄いぐらいしか作ったことが無かった。
そんな僕に、シェフはせっせと仕事を教え込んだ。
特別に、ノート持ち込みOKでとにかく何でも早く覚えて「もの」にしてくれと・・・。
何せ3人メンバーだったのが、2人になってしまって彼はとても焦っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/b4/2735cb797cbb07ef4aa208548f66ccd7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/6f/836088a491272cec66b7050dda0c3cce.jpg)
当時使っていたノート あぶらと手垢でボロボロだ。
もちろん清書したものは別にある。
でも、僕にとってはラッキーだった。もちろんそれはそれは厳しい日々だったけれど、
なんかとても楽しかった。
ランチの時、ストーブ前で仕事をしていると、後ろから
「遅い!!」と、大きい木の胡椒挽きでよく殴られた。一瞬「クラッ」と来たものだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/3b/7d340d1c06ef31ed819eea8504908f2d.jpg)
またある時、ケーキを作っていると、
「なんだそれは・・・そうやれと言ったか!?」とシェフ。
「はい。」と僕。その途端平手打ち!!
結局、3回聞かれて3回「ハイ。」と言って、3回平手打ちでした。
そしてある時は、ドレッシングをシェフに味見してもらおうと持っていくと、
「なんだこりゃ!!やり直せ~」
とぶちまけられました。掃除が大変でした。もちろん僕もべとべと・・・。
まだあの頃は、コックさんと言えどもあまりデザートは出来なかった。
当時、日比谷にデザートレストラン?とでも言うのかな、が出来て、けっこう話題になっていた。
そこに勤めている若いパテシェをシェフが知っていて、彼が休みの日に良くデザートを教えに来てくれた。
僕にとっては、これもまた超ラッキー!!
彼が来た時は、もうつきっきりで、時間の許す限り教えてもらった。
今もその時、彼にもらったレシピは、大事にとってある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/56/4d4c1edea9aa2a50b01931215775f6c2.jpg)
しかしこの店も、僕らは2月から入ったのだが、10月には人手に渡る事になった。
もちろん次の経営者は、僕たちを雇うことは無かった。
僕にとってのこの店は、「料理を作るっていう事は、とても大変なことなんだ」と言う事を初めてわからせてくれた所だ。
出来なくて、悔しくて店に泊り込んで仕込みした事も何回もあった。
朝、千代田線に乗っていて乃木坂の駅が近づくと、胃が痛くなってきて、ホームでうずくまっていた事も何回かあった。
何度も、「今日こそやめよう」と思ったけど、
「やめるのはいつでもできる。もうちょっと、頑張ってみよう。」と思って続けてきた。
何より、シェフの要求に答えられない自分が情けなかった。
いくら怒られても、決してシェフを憎んだりはしなかった。出来ない自分に腹がったった。
店を辞めなければならなくなった時、正直言って、ホッとした。
若いから出来たけど、あんな長い間、緊張し続けながら仕事をするなんて今じゃあとても出来ない・・・と思う。
でも、怒涛のような8ヶ月は、僕を飛躍的に成長させた。
「もう、どこの店だって働ける。」そんな自信も持てるようになった。23歳になったばかりの頃だった。
あの時のシェフは、今もどこかで一生懸命料理を作っているのだろうか?