思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

虹色の思考

2009年07月17日 | つれづれ記

 午前四時頃から大きな音が響きわたりました。雷鳴とどろく夜明けとなりました。いつもならば長針の動きに従い東の空から陽が差し始めるのに、大粒の雨も降っています。

突如、わたしは<考える人>になった。
想念が次々と頭の中をよぎる。虹色の思考。
書きとめておかないと、虹のように消えてしまう。
忘却の渕に沈むものはそのまま沈めてしまえばいい。よみがえるべきものはよみがえれば時によみがえるだろう、と思う。
 しかし、忘れられた思念は、忘れられたということで価値あるもののようにも思われる。書きとめなかったことへの後悔。
 けれどもまた新たな想念が沸々と湧き、思考の糸がほぐれ、広がってゆく。
思いが遠く近くをさまよう。
書きとめるだけ。
自分の生きている証ででもあるかのように。

  小海永二横浜国立大学名誉教授は、詩人でもあり、書かれた「断想集 内なる声を語るとき 風媒社」に掲載されている一編です。以前にも紹介したかもしれませんが、わたしはこの詩が好きです。

  「虹色の思考」という章に書かれているもので、文章にも出てきますが「虹色の思考」という言葉の響がとても心地よく心に響きます。

  日曜日の地方紙信濃毎日新聞に「岡谷市文化会館上映を中止 監督、取り消し求め提訴」というやや大きめの記事が掲載されていました。大きさがこの地方紙の体質を表していますが、映画「天皇伝説」をめぐる内容です。

 弱きもの、貧しきもの、心貧(いや)しきもの。神(紙)の救いを見ました。

 永劫回帰、永遠回帰。貧しきものはその弱気醜体の身で永遠に叫び続けなければならない。

 検索ドライバーで引っかかったかもしれませんが、わたしは潜在的な右ではありません。