思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

愛すればこそ「空」

2009年07月05日 | 仏教

 色即是空 空即是色
 受想行識 亦復如是

 現象世界は空であり、空なるものが現象世界である。本来無一物であり、無一物中無尽蔵である。執着を放てば、幸福は手に満つる。空なればこそ愛は美しい。
 「受」は感覚、「想」は感情、「行」は意欲、「識」は知識。これらの心の動きも、現象世界である「色」が空であるように、受想行識もまたまた「空」である。夢のなかの有無は有無ともに無である。
(おっしゃんの 般若心経 愛すればこそ「空」 藤本幸邦 ぱんたか P109より)

 藤本さんは、長野市篠ノ井にお住まいの曹洞宗のお坊さんです。 

 「日本仏教には愛が欠けていた」というラジオ番組の出会いから、「仏教における愛」についてこころにとどめておいていると、不思議に愛の固まりのようなお坊さんに出遭うものです。

 ご本人に逢えたわけではありませんが、同県に住みながら存じ上げておりませんでした。これまでのご活躍された人生については書きませんが、菩薩道そのものと思います。

 上記の著書の「無苦集滅道」に、次の意訳がありました。
 
 やがて死という
 人生の終着駅に着くまでを
 生老病死の四苦という
 愛するものと別れる苦<愛別離苦>
 いやな上司とつきあう苦<怨憎会苦>
 椅子が得られぬ情けない苦<求不得苦>
 煩悩断ち難く悩み迷う苦<五蘊盛苦>
 この四つの苦をあわせて八苦という

 この求不得苦の「椅子が得られる情けない苦」の「椅子」に気が止まりました。「椅子」という言葉を受けると「すわるべき処」「居場所」「落ち着く場所」・・・・・と現存在を感じました。

 「求めて得られぬ苦しみ」と「椅子」の組み合わせに感動しました。

 居場所のない人、帰る場所のない人が多いといいます。よい人と出会っていれば救われたであろうと思います。
 その出会いは決して美しいものではないかもしれません。とんでもないことをしでかして出遭うこともあるかもしれません。

 当たりまえの不思議さ。日常生活のあたりまえの中に感動がある。この不思議さ。

 今朝のこころの時代は、樹洩陽舎(こもれび舎)舎幹・栖雲幸雄さんの「人を育てる」というお話でした。悟りの境地を形とみると日常の不思議さとその感動に気がつかない。

 藤本老師の人生に、そして栖雲舎幹の人生を知りました。今日は朝から不思議に出遭いました。

  梅雨の季節なかなか日の出にめぐり合いません(安曇野の今朝)。