今朝の日めくり万葉集は、大伴家持の歌でした。
我妹子が
心なぐさに
遣(や)らむため
沖つ島なる
白玉もがも
都に残した妻に、どんなに寂しくしているだろうという、妻を思う歌です。
万葉集が万葉仮名を使用した歌集で、同時代に漢文で作られた懐風藻のというか集があります。万葉集が大伴氏一族の歌が多く、一方懐風藻は藤原氏が漢文という舶来の知的教養を前面に出しました。
大伴氏はこれに対抗したわけで「言葉の命を支える母なる大地である民族生活」にその抒情的芸術を見出し「万葉集」残したと国文学者の故西郷信綱先生は語っていたのを思い出しました。
大伴家持は万葉集を編纂した文学者でもあり今回の歌が今の越中富山の国守であった時の歌であるように役人でもありました。
家持は、延暦元年(782)には、按察使(あぜみち)として多賀柵(城)へ赴任したこともありその時家持は65歳の高齢であったとの説もありとても元気な人であったようです。しかし、大伴氏と藤原氏の政争が激化し3年後の延暦4年(785)には政争に敗れ死去し、その屍は路上に放置されたという話が残されています。
今朝も雲が多くまだ天気予報を見ていませんが、曇りの天気なのでしょうか。写真には手前に「蜘蛛」が写っています。「瑞雲」を意識したわけではありません。
蜘蛛は左上部です。早朝からしっかり生きていました。
日めくり万葉宗後に「知るを楽しむ」ひろさちやさんのお経巡礼「華厳経」を見ました。
東大寺大仏殿で「華厳経」が読まれている映像が流れています。
大仏建立が743年からに事業ですからちょうど家持さんが生きていた時代です。
人の一生、政争に敗れたとはいえ、家持さんの歌はしっかり現代に残っています。