写真は、潮出版社の「仏教物語第1集 雪山童子 礒永秀雄著」です。大乗涅槃経の施身聞偈は仏教説話集には必ず掲載されます。
いろは歌というと一般的には、「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす」で、「色は匂へど 散りぬるを わが世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず」と読まれています。
国音の重複の無い四十七文字も使用した歌には、いろいろな種類がありますが、上記の歌は仏説といわれ弘法大師空海作ではないかといわれています。
色は匂へど 散りぬるを 諸行無常(しょぎょうむじょう)
わが世誰ぞ 常ならむ 是生滅法(ぜしょうめつほう)
有為の奥山 今日越えて 生滅滅已(しょうめつめつち)
浅き夢見じ 酔ひもせず 寂滅為楽(じゃくめついらく)
この諸行無常ではじまる言葉は、『大乗涅槃経』の施身聞偈といわれる説話で、詠われる羅刹(らせつ)に変身した帝釈天が苦行者(ブッダ・雪山童子)に唱え聞かせた一偈十六字です。
前半を前偈八字、後半を半偈八字で説話は進められています。
仏教の三つの命題である「諸行無常 一切皆苦 諸法無我」とは前の四字「諸行無常」が同じであるものの上記大乗の施身聞偈の一偈十六字の中には「一切皆苦 諸法無我」の言葉は出てきません。
どちらの歌も世間の真理を表わしている言葉だそうですが、そこには教えの微妙な流れがあります。
法句経には、
○ 「一切の形づくられたものは無常である」と正しい智慧をもって観ると、人は苦しみから遠く離れる。
○ 一切の形づくられたものは苦しみである」と正しい智慧をもって観ると、人は苦しみから遠く離れる。
○ 「一切の事物は私ではない」と正しい智慧をもって観ると、人は苦しみから遠く離れる。
と説かれ、漢訳が「諸行無常 一切皆苦 諸法無我」となり、仏教の三つの命題となるわけです。(『涅槃経を読む』田上太秀著 講談社学術文庫P29・30)
先に教えの微妙な流れといいましたが、小乗から大乗の流れの中に「諸行無常」という四字の言葉の「詠歎の無常」の響きに、施身聞偈の一偈十六字に詠歎では終わらない悟りの教えがしめされ、それがまた日本文化の深層にも深く影響していると思われるので今後ブログで、その思考過程を掲出していく予定です。
その際、涅槃経を雪山童子の説話なので「大乗涅槃経」と呼称していきますが、説話の内容については言及しません。
なおタイトルは、「大乗涅槃経『施身聞偈』の詠歎」と題していきます。