思考の部屋

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西田哲学の「絶対矛盾的自己同一」に思う

2019年10月30日 | 哲学

 Eテレ100分de名著『善の研究』の全4回が終了した。今までの自分なりの学びが洗い流されるような、説得力のある番組でした。

 いろいろな方が西田哲学を語り、それはその人の理解の完成であるわけで、他の西田哲学を研究されておられる方も全面的に共通の理解の内にそれはあるのだろうか。

 最終回の第4回では「絶対矛盾的自己同一」という用語が解説され、永遠の今、多と一という言葉が語られる。

 個人的な理解で、今という現時点は差異のの移行、流れのある時点の連続の形跡を感じる。私という存在が矛盾を抱えながら一を求め存在し続ける、とそんな理解も「絶対矛盾的自己同一」にはあるのではないか。

 「善(ぜん)の研究」は「善(よし)の研究」ではないか。善悪(ぜん・あく)の次元、価値判断ではなく、動かしがたい存在の今ある姿それ自体が自己による「善(よし)」の「在り」なのである。

 「絶対矛盾的自己同一」を日々の変化の内を含むのではないかとう語ったことがあるが、その理解は誤りと指摘されたことがある。しかし私の西田哲学は、その理解も含み動的な生命現象として、それを語る方もおられる。

 そうだと理解の完成を感じることは、これもまた過程の内であろう。


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