思考の部屋

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和辻哲郎先生に対しての右派性指摘への疑問

2009年12月04日 | 哲学

 (和辻哲郎著『自敍伝の試み』に明治34年、姫路中学校時代と明治42年、第一高等学校時代の写真・下の写真後列左より3人目が和辻先生、前列左から3番目が新渡戸稲造先生です。)
 
 今年の夏に哲学者内山節先生の講演会で郷土が生んだ地理学者三澤勝衛先生のマクロ的な風土論のすばらしさを教えていただいた際に「風土論」に関係して倫理学者の和辻哲郎先生の著書『風土』に表わされたグローバルな風土論が太平洋戦争に与えた影響が指摘され、その点を含め一般に和辻先生が右寄りとされている旨が語られました。その指摘が私の抱く和辻先生のイメージとかけ離れている事から疑問に思い検証を重ねていました。

 私自身は、和辻先生の

「人間の行為が人間存在の空間性時間性からして理解されるとともに、我々は信頼及び真実が人間存在において有する重大な意義に接近し得ると思う。」

という『倫理学 上』(岩波書店P278)の「第六節信頼と真実」の2行の言葉が好きで、これまでも「信頼の原則」という言葉を使用し自分の考えるところを述べてきています。

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 私自身は回顧主義とは思わないのですが、明治・大正・昭和初期の哲学・思想になぜか、現代にない魅力を感じます。

 特に明治を代表する西田幾多郎先生、大正を代表する和辻哲郎先生、このお二人の先生には私を惹きつけるものがあり、これまでもブログで紹介してきました。

 さて本論に戻りますが、内山先生が和辻先生を右翼的といわれる指摘に解せない点があり、今朝は和辻先生がどのようなお考えの人であったか他の人の文章ですが紹介したいと思います。

次の文章は、このお二人と親交のあった哲学者高坂正顯先生の『西田幾多郎と和辻哲郎 新潮社』の中の記述です。

 「自敍伝の試み」のなかに、十四歳の中学生であった和辻さんが、日露戦争の前年から、非戦論を唱えていた徳富、堺、内山などの「平民新聞」を読んでいたことの記載がある。「わたくしはどういう因縁でかこの平民新聞を購読し始め、翌々年十月に廃刊されるまで続けていた」と。しかしもっと興味深いのは、与謝野晶子に対する態度である。和辻さんは当時を回顧して次のように記している。
「詩としては晶子の『君死にたもふこと勿れ』の方にむしろ共鳴したのである。・・・・女の人が身内のものの出征に際して晶子の歌ったような感情を抱くことは極めて自然であった。」「当時はこういう自由な表現に対して、軍人が反軍思想を言い立てて圧迫を加えるなどということはなかった。その代わり、学者やジャーナリストの中の愛国主義者が黙ってはいなかった。晶子女史もたしかそういう連中の攻撃を受け、非国民呼ばわりされた。しかし晶子女史は少しもひつまず、そういう愛国主義の矢おもてに毅然としていたように思う。」「晶子の態度は自己に忠実であったと言える。それがロシアが旅順港に軍港を築き、明治三十六年秋には軍隊を朝鮮に侵入させる、それに対して敵愾心を抱く。しかし漱石はが同年帝国文学に発表した『従軍行』には共鳴せず、かえって晶子の『君死にたまふこと勿れ』に共鳴する。晶子はそこに女らしい感情を素直に表明していたからであり、自己に忠実であったからだというのである。そして軍におもねるような学者やジャーナリストをきびしく批判している。和辻さんは以上のような文章を書きながら、太平洋戦争中の日本主義者を同時に思いだしているのだろう。またさらには、戦後の、なのものかにおもねるような知識人たちを連想しているのであろう。
 私はここに和辻倫理学のなまなましい源泉を見るような気がする。和辻さんはその「倫理学」で人間存在の根本構造を空間的・時間的な二重構造において原理的に明らかにしたあとで、それを具体的にはまず「信頼」と「真実」の二つの分析を通じて示している。信頼と真実の二つが和辻倫理学の具体的な出発点である。・・・・

このように和辻先生の『自敍伝の試み』を中心に高坂先生は書かれています。そこで名著『自敍伝の試み』を読んでみると、間違いなくP302から書かれていました。

 信ずる宗教の紹介だから当然ブログ内容は、指導者の言葉、著書の紹介で終始するのは当然だと思いますし、実際そんような内容になったいます。

 そのすばらしさに感動し、普遍的な教えと信頼し、その真実性を指摘する。そのようになるまでに自分なりに吟味し検証したのであろうかという疑問を抱きます。

 何事もそうですが、一辺倒に信じきる、また傾倒する。それをまた人に伝える。それは本当に信頼できるものであり、また真実を伝えているものなのであろうか疑問です。世の中にはそれ以外に惹かれる教えはないという表明にしか思えない。要するに妥協、折り合いは存在しないということになります。

このブログは仏教関係サイトに投稿しています。ここをクイックするといろいろな仏教の教えを知ることができます。


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2 コメント

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Unknown (ネアンデルタール)
2009-12-04 17:27:07
もちろん検証することは大事でしょう。
しかし、あなたが最初に抱いた直感もたいせつにして欲しいと思います。
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コメント (管理人)
2009-12-05 08:27:05
ありがたくコメントを受け、今日のブログとしました。
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