思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

Eテレ『般若心経』の最終回から

2013年01月31日 | 仏教

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 昨夜Eテレ100分de名著『般若心経』の最終回(全4回)が放送されました。262文字のお経、個人的にも身近にあるお経だけに学びの視点から全回にくぎ付けになりました。

 今回はゲストに玄侑宗久さんが出られていて東北の大震災の経験とともにいま日本人に必要な感性を般若心経を唱える、写すの意味理解の視点から離れて語られていました。あくまでも番組批評でなく私個人の感想のメモであることを最初に記しておきます。

 さて今回は「見えない力を信じる」というテーマで、般若心経の根幹である「空」「無」の語り得ない世界を後半に唱えられる呪文部分を中心にその神秘な力が解説されていました。

 ここで今の私の頭に浮かぶ言葉があります。それは同じEテレで放送された「近代を超えて~西田幾多郎と京都学派~」で語られた円相図です。それは次のような話でした。


<円相図>
 
 その西田哲学を象徴するのがこちらの図です。円相図です。


 
 筆で描かれた円、その横には西田の文字で、
 
 心月孤円光呑万象(しんげつこえんひかりばんぞうをのむ)
 
どういう意味なんでしょうこれは?
 
【藤田教授】 これは心を一つの月に例えているわけですね。円に例えているんですけれども、しかし、その中に無限のものを孕んでいる、内包している、無限なものの根源というそういう意味が円の中にあるわけですね。そういう万象、すべての事柄を呑み込んだ円というそういうものを、禅では悟りの境地をあらわすものとして非常に重視してきたわけですけれども、そういう西田幾多郎が考えた「無」というものと、非常に通じるものが禅でいう円相の中にはあるということですね。
 
【福岡教授】 円相というものを見て、やはり非常に西田の哲学が私たちに喚起してくれるイメージというものには深いものがあると思いますね。
 だから生物というものはどんな場合にもまず円の中の空間、それが段々形を成して行くというふうに生命というものは現れてきているんですね。だから丸に空間がある、そこに何も決定されない何もまだ関係が行なわれない、そういうところから世界が始まるんだというヴィジョンは非常に生命的であるし、それを哲学の言葉が先取りしているなぁと私は感じたました。

という話です。名著『般若心経』では、「我が身のもっている本来の力を取り戻す。」般若心経にはその力があるという話がありました。この「我が身」が私の場合円相図に重なったわけです。

 我が身とはこの身体のことです。この身体(からだ)ということです。「み」と「たい」で「たい」は体重でもわかるように重さのある存在というよりも私的には「ある」という存在を思います。「み」はこれまでも何回となくメモ書きしているのですが「実・み」と同音で稲穂に例えれば実を結んだ米粒、「もみ殻」で包まれた「実の一粒」を思います。「から」に包まれたそのもの、我が身は「わがみ」であって「我が実」というものその存在が身体と感覚的に思うのです。人は我というものにしばられ、あれやこれやと考え続ける存在です。考えることで縛られる。思い悩み苦悩するばかりではなく、楽しいとか嬉しいという時もあります。常に想念に縛られ中にいます。

 我を消すことで本来の自由になれる。無明の中から解き放され、縛られていた狭い世界観から解放される。

※無明(むみょう):煩悩にとらわれて、真理を悟ることができない心の状態

 身体という存在である「わたし」から殻を破り360度に開かれた開(あ)けの常態の「わたし」になるそんな感覚を得ました。

 円相図の円の線が殻ということではありません。もともと無いという「無限を呑み込んだ」という言葉の概念を円にしているだけです。

 「から」=空(から)、殻(から)、体(から・だ)、そこ「から」

「空」は「うつろ・移ろ」で移ろいゆくもの、それが存在としての「わたし」である。天然自然の「わたし」になる、ということにつながると思うのです。つながるということは「実(み)を結ぶ」ということです。

 番組では呪文とオノマトベ 「擬声語および擬態語」の話もありました。意味よりも音で人は言葉によって、言葉にした途端にある意味縛られる。言葉はどうしても概念としての範疇化で的確にそのものをそのことを表現していませんし表現できません。

 だから意味理解は感覚で掴むことになります。だから相手の心意も不確かなものになります。キラキラ、ギラギラ、サラサラ、ポツポツ・・・・その意味するところは感覚で分かります。呪文はそれと非常に近いものがあるとの話し、番組では絵心経も紹介されていました。とりあえず早朝短時間で以上をここにメモとして書いておきたいと思います。

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2 コメント

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Unknown (ぷりん)
2015-04-04 20:47:26
この記事は違います
教授も見たことがないのにわかったような解釈は良くないです
この円が表しているものは、全てです
円のなかに空洞があるわけではありません
昔は繊細な筆や絵の具が手に入りづらかったのでこういう表現になったと思います
円よりは、ぼやけた月の方がより近いと思います
瞑想してれば見ることがあるかもしれません
返信する
ありがとうございます。 (管理人)
2015-04-06 18:36:41
>ぷりん 様
 貴重なご意見ありがとうございます。
返信する

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