先週の日曜日(3日)のEテレ「こころの時代」は江戸時代1700年代の真言密教僧の慈雲尊者の教えに基づくお話でした。お話されたのは福岡県徳永にある心空院の御住職小金丸泰仙さんで私より若干若い方でした。高校時代に禅道場に通い高野山大学では密教を学ばれたということで、密教のみならず諸宗派の宗派を越えたお話でした。
慈雲尊者という方がそもそも、「釈尊在世には、宗派もわかれず、同一仏法にて一味和合であり、それ以後、宗派がわかれても、諸宗の僧は戒律をまもり、和合して同じところに住んでいた」と語るような人で、「一相の仏弟子のうち禅定の修行をして、心地を発明することをこころがけるものを禅宗となづける。一相の仏弟子のうち、三密瑜伽の行を精修するものを真言陀羅尼宗となづける。一相の仏弟子のうち華厳、法華円頓の妙旨を修学するものを教者となづける。持犯開遮などを精詳にするものを律宗となづける。倶舎、唯識を修学するものを法相宗となづける。浄土宗というものもそれに準じて考えよ。みなことごとく正法である。」と「宗派」を超える「人の人たる道」「人となる道」を説いた人でした。
「人となる道」というとそうなるようにしなさいと言う教えのように感じますが、
人天の法は
生死の法じゃ
仏法のみあって
生死解脱の法じゃ。
是を知らせたい
ものじゃ。
(慈雲尊者法語集)
という言葉が番組の冒頭で語られましたが、生かされてある者の眼前に既にあり、人はその只中の現実存在であると言っているように思います。
心自不知心の
こころをよめる
心とも
知らぬこころを
いつのまに
我が心とや
おもひ染めけむ
(慈雲尊者和歌集)
という尊者のの和歌なども紹介されていました。人のこころは刹那生滅的にうつろい行く有(あ)るもので、人はそれを有(も)つ者なんだと思います。
だから十善を習慣づけ「人の人たる道」を歩み通せということになるのだと思います。
十善法語に言う「十善」とは、
第一、慈悲、不殺生戒(あわれみぶかい心をもち、生命を損なわない)
第二、高行、不偸盗戒(かたく節操をまもり、ひとの領分を侵さない)
第三、浄潔、不邪婬戒(身をきよらかにして、よこしまなことをしない)
第四、正直、不妄語戒(心を正直にして、嘘をつかない)
第五、尊尚、不綺語戒(志を高くかかげて、ことばを飾らない)
第六、柔順、不悪口戒(柔軟な心をもち、ひとをののしらない)
第七、交友、不両舌戒(交わりをたいせつにし、仲間われをおこさせない)
第八、知足、不貪欲戒(分限をわきまえ、むさぼらない)
第九、忍辱、不瞋恚戒(よく忍耐して、腹をたてない)
第十、正智、不邪見戒(正しい智恵にしたがい、偏見をもたない)
これを毎日忘れずに、が大切に思う。
番組内容を話したわけではありませんが、小金丸泰仙住職の<こころの時代~宗教・人生~「安らぎの世界へ~慈雲尊者の言葉から~」>という番組、ゆっくり時間をかけて文に起したいと思います。